≪前編

後編≫

世界のアジャイル動向を読み解く(前編)ビジネスと開発の関係の修復

2021年1月25日公開

近年、日本でもアジャイル開発が注目され、様々な企業に広がりを見せています。
では、海外の状況はどのようになっているのでしょうか。
アジャイル開発の普及状況、規模、メソドロジーの潮流など、どのような傾向を見せているのでしょうか。
本稿では、世界のアジャイル動向を過去5年間のState of Agile Reportをもとに読み解いていきます。

State of Agile Reportとは

State of Agile Reportは、Digital.ai(旧 CollabNet VersionOne社)によって行われている世界のアジャイリストを対象としたアンケート調査です。
2006年から14年間続いており、これまでに4万人を超えるアジャイリストがこのアンケートに回答協力しています。

このレポートでは、各アンケート項目の数値結果と昨年の数値結果との比較(何が増加し、何が減少したか)が示されていますが、中長期的な傾向までは示されていません。
過去5年間のレポートを集計することで中長期的な傾向を把握し、その背景にどのような要因がありうるか、筆者の見解を述べます。

この調査は、以下の理由により標本データや見せ方に多少のバイアスがあることに注意してください。

  • アンケート回答者は基本的にアジャイル実践者であること
  • アジャイルツールのベンダーによる調査であること

依然としてスクラムが広く普及

このグラフは、組織が利用しているアジャイルメソドロジーを100分率で表したものです。

利用しているアジャイルメソドロジー

依然としてスクラムが広く普及していることがわかります。
スクラムは3つの役割、5つのイベント、3つの作成物で構成されているフレームワークです。
スクラムガイドは全13ページでまとめられており、このようなシンプルさが広く普及している要因だと考えます。

また、ScrumBanやKanbanといった方法論としてのかんばんは若干増加傾向にあるように見えます。

拡大するソフトウェア組織の規模

このグラフは、回答者のソフトウェア組織の規模を100分率で表したものです。
ソフトウェア組織は、1つのソフトウェアの企画、開発、テスト、デリバリーを行うチームを意味します。

ソフトウェア組織の規模

2015年では、100名以下の組織が最も多い数値でしたが、2016年を境に101名~1000名の組織での導入がこれを超えています。
小さな組織が成長して大きくなったのか、大規模な組織でのアジャイル開発が増えたのかは、このグラフからはわかりませんが、チームの規模は以前よりも大きくなっているようです。

ソフトウェア組織規模の拡大に伴い、メンバーのロールにはどのような変化が表れているのでしょうか。

規模拡大に伴うロールの変化

このグラフは、回答者のロールを100分率で表したものです。

回答者のロール

スクラムマスターや内部コーチの割合は大幅に増加し、プロジェクト/プログラムマネージャーの割合が減少しています。
アジャイルなチームは、自らで判断・行動し、変化を生み出していきます。
従来の組織体系で指揮命令を担うプロジェクト/プログラムマネージャーといったロールから、人々が成果を上げられるように支援を行うスクラムマスターや内部コーチへと転換しているように見えます。

また、開発者の割合も減少していることにご留意ください。

奇妙なロールの出現

University of Applied Sciences Koblenz によって公開された Status Quo Agile というレポートがあります。
このレポートにもアジャイルに関連する多くの調査結果がまとめられています。
この中には「Product Owner Proxy」「Product Owner Shadow」「Scrum Master Shadow」というロールを使用しているかという調査結果がありました。
データは以下の通りです。

ロールの使用率
ロール
2016-20172019-2020
Product Owner ProxyPOの代理人として、チームの一員となり運用を実施56%43%
Product Owner ShadowPOに同行して観察し、コーチングやトレーニングを支援23%19%
Scrum Master ShadowSMに同行して観察し、コーチングやトレーニングを支援21%23%
使用していない
不明40%

Product Owner Shadow や Scrum Master Shadow というロールを設けることで、ペアプログラミングやコミュニティーのように、相互学習、成長が促進されるように思えます。

Product Owner Proxyという奇妙なロールを使用しているチームが多いようですが、これは何のためのロールなのでしょうか。

ビジネスと開発の分断傾向か

プロダクトオーナーに代理人を設けてしまうと、フロー上のプロセスが増え、Wait Timeが増加し、スピードの劣化につながるように見えます。
仮に、プロダクトオーナーの代理人として、プロダクトのビジョンを描き、バックログを定義し、優先順位を決め、ソフトウェアの出来栄えを確かめることができるのであれば、その人がProduct Ownerを担えばよいといえます。

Product Ownerが手一杯なのであれば、開発者がバックログの探索を行うのもよいでしょう。
つくり手がつくろうとしている機能のニーズや背景を理解することで、よりうまく機能を定義することができるようになります。

Product Owner Proxyは、顧客調整や要件定義といった交渉伝達、チームマネジメントは行いますが、最終意思決定は顧客にある、受発注型ソフトウェア開発におけるプロジェクトマネージャーのように見えます。
既存組織のロールを別の言葉で定義したようなこのロールは、不要であることが認識され始めたのか、減少傾向にあります。
「ロールの変化」で述べたように、プロジェクトマネージャーはスクラムマスターやコーチへと転換しているようです。

2020年11月に公開された日本語版スクラムガイドの「スクラムガイド2017年版からスクラムガイド2020年版への変更点」では、以下のような記載があります。

ひとつのチームがひとつのプロダクトに集中する
これはチーム内で分断が発生し、PO と開発チームの関係が「プロキシ」や「我々と彼ら」といった問題につながることを排除するためである。

XP(エクストリームプログラミング)の提唱者の1人であるケント・ベック氏は、アジャイルの目標は「ビジネスと開発の分断を修復することである」と述べています。
Product Owner Proxyのような代理人を設けて分断を助長するのではなく、ビジネスと開発が共にソフトウェアをかたちづくっていくための関係性の構築を目指すべきです。

SAFeが解決策となりうるか

ソフトウェア組織の規模が拡大したことにより、メンバーが担うロールに変化が見られました。
そして、ビジネスと開発の分断を助長するようなロールも出現しているようです。
このような現象の解決策となりうるエンタープライズアジャイルフレームワークの状況について見ていきましょう。

このグラフは、組織がアジャイルをスケールさせるために活用しているフレームワークを表したものです。

スケーリングの方法とアプローチ

様々なフレームワークがある中で、Scrum of Scrumsが減少し、その代わりにScaled Agile Framework®(SAFe)を活用している組織が増加しています。
グローバルでは、エンタープライズアジャイルフレームワークとしてScaled Agile Frameworkのシェアが拡大し、最も多く活用されていることがわかります。

カギは経営層

このデータを裏付けるため、他4社の調査結果を確認しましたが、いずれにおいてもSAFeは最も多く活用されているとの結果がありました。
では、なぜSAFeのシェアはこれほどまでに拡大しているのでしょうか?

大規模、企業全体でアジャイルを実装すべきか否かを判断するのは部門長や事業部長、経営層となるでしょう。
そして、経営層は「ボトムアップで、アジャイルなチームが複数集まれば、企業全体でアジャイルができるのか」という疑問を抱くでしょう。
SAFeの概念や全体像では、既存の階層構造組織の維持、戦略による組織統制、ポートフォリオマネジメントによる投資判断が描かれています。
これらの要素が、経営層の理解を得られた大きな要因であると考えます。

また、多くのパートナー企業が存在しており、母国語で教育やコンサル支援を受けることができます。
ドキュメント、役割に応じた認定教育、コンサル支援、このようなエコシステムの充実もScaled Agile Frameworkが活用される要因だと考えられます。

ただし、既存の階層構造維持によってチームのサイロまで維持されてしまうこと、トップダウンによるアジャイルの圧制といった誤った実装をしてしまえば、ビジネスと開発の分断が生じやすい構造であることは注意すべきです。
このような、企業としての在り方、構造、仕組みを定義し、変更できるのは経営層です。
チームだけでなく、経営層もアジャイルを理解し、組織全体として行動を起こすことがビジネスと開発の分断を修復するカギだと考えます。

経営層どころか国家主導も

このグラフは、回答者の地域を100分率で表したものです。

回答者の地域の割合

比率を表しているため、北米が減少傾向にあるように見えますが、ヨーロッパや南アメリカでの回答者が増加しているものと考えられます。
スウェーデン、デンマーク、フィンランドなどのヨーロッパの国々は世界デジタル競争力ランキングでも上位に位置しています。

ここでは、筆者が訪れたことのあるフィンランドを例に挙げ、なぜ彼らがデジタル競争力を高めることができたのかを見ていきます。

1990年頃のフィンランドは、失業率が20%を超えるなど、非常に景気が悪い状態でした。
国内産業はひどく落ち込み、唯一の資源は森林を中心としたパルプ産業でした。
しかし、いずれ枯渇してしまう森林資源のみに頼っては経済が立ち行かなくなってしまいます。
そのような最中、日本の通信産業がフィンランドの銀行にICTを活用したシステムを提供しました。
政府はこれに感嘆し、パルプ産業からの脱却を決め、IT産業に特化する意思決定を行いました。

携帯電話で有名なノキアも、パルプ産業で操業を開始しています。
森林産業育成のため、作業員たちが山中で使用するゴム靴や、連絡用トランシーバーの開発へと事業を拡大しました。
まさに「木こりのジレンマ」の解消といったところでしょうか。
1980年代の携帯通信は、災害救助などの緊急用と限定的であり、インフラへの投資費用も多大でした。
それでも地道に中継ローミング技術などの開発、投資を続け、2011年までは世界の携帯電話シェアは第1位となりました。

国際競争で生き残るために、成長分野を見極めて積極的に投資する「選択と集中」を政策主導で実践してきたのです。

ビジネスと開発の関係の修復

2020年3月、情報処理推進機構(IPA)は、アジャイル開発版「情報システム・モデル取引・契約書」を公開しました。
政府はデジタル庁の発足に向けて動き出しており、東京都もデジタル局(仮称)を設置すると表明しています。
このように、日本でも国が主導となった動きが始まっています。

今、国際競争で生き残るために、企業もこれまでの分断指向を清算し、ビジネスと開発の関係を修復していく必要があります。
書籍「リーン開発の本質」には富士通とイギリスの航空会社BMIのヘルプデスクの事例が記載されています。
ここでは、受発注関係による伝統的な収益モデルを超えて、顧客の抱える問題の原因を見つけ出し、解決したことが記載されています。
ビジネスと開発の関係の修復、これは過去、実際にできていたことなのです。

続いて後編では、なぜ企業がアジャイルを採用したのか、その理由と効果や、アジャイルプラクティス/ツールの動向について見ていきます。


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後編≫

参考文献

執筆

大塚 憲(おおつか あきら)富士通株式会社 ジャパン・グローバルゲートウェイ
ソフトウェア開発者、SPC(SAFe® Program Consultant)、CSM(Certified ScrumMaster)
2007年よりアジャイルチームに参画し、主にWebサービス開発・運用に従事。
プログラマーとして OSS Personium の開発/運用のリードや、映像検索・分析サービスのインフラ含むバックエンドサービスを開発。
現在は、社内アジャイリストの育成や、アジャイル人材育成・研修サービスの開発を実践。

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