地域包括ケアシステムの歩みと
自治体の果たすこれからの役割
(特集)

超高齢社会を支える社会システムとして国策に位置付けられた地域包括ケアシステム。当初、高齢者ケアを主眼において始まった地域包括ケアシステムは、今、児童、障がい者、それらの保護者、さらには様々な意味の困窮者を包含した「町づくり」へとその概念を広げ始めています。これからの地域包括ケアシステム構築はどうあるべきかについて、地域包括ケア研究会の座長であり、慶應義塾大学大学院 経営管理研究科名誉教授の田中滋先生にお話を伺いました。

2017年8月29日掲載

地域包括ケアシステム構築の歴史

地域包括ケアシステム構築は各地で進展中ですが、その概念は進化しているように見えます

ご指摘の通り、進化してきましたし、その概念は広がっているとも言えるのです。

すこし歴史を遡ってみましょう。そもそも地域包括ケアシステムの概念が登場したのは1980年代です。広島県御調町(現在は尾道市)の公立みつぎ総合病院 山口昇医師が着目した課題が、脳血管疾患などの緊急手術後にリハビリを終え退院した患者さんがほどなく寝たきりとなって再入院するケースの多さでした。山口先生はそれに対応する体制の構築に取り組まれました。山口先生は1975年に、医療や看護を家庭に届ける「出前サービス」を開始し、80年代に入ると、町役場の福祉保健行政の拠点である健康管理センターを病院内に設置しました。その上で医療と行政が連携して寝たきりゼロに向けた実践に取り組み、これを「地域包括ケアシステム」と呼んだのです。80年代半ばのことでした。

慶應義塾大学大学院 経営管理研究科名誉教授 田中 滋 先生の写真

慶應義塾大学大学院
経営管理研究科名誉教授
田中 滋 先生

今日の地域包括ケアシステムの先駆け、いわば黎明期ですね

2000年、介護保険制度が施行されました。それから3年が経過した頃に気づかれた発見は、第一に要介護高齢者には認知症を伴うケースが多い点と、第二に医療と介護の連携だけでは要介護の高齢者を支えきれないとの実態でした。そこで山口医師の取り組みをはじめとする先進的な事例を厚労省が調査してみると、医療・介護サービスに加えて生活支援も必要であると分かってきました。この調査結果などを踏まえ、当時の厚労省老健局長の発案で組織された高齢者介護研究会が2003年にまとめた報告書が、『2015年の高齢者介護』に他なりません。そこで初めて、医療サービス、介護サービス、生活支援等を連携させた地域包括ケアシステムの概念が政策方針として提言されたと言ってよいでしょう。

公の概念になったのですね

その後2008年に、地域包括ケアシステムそのものを深く研究する目的で組織され、今日まで続く活動の主体が地域包括ケア研究会です。同研究会は介護分野の発達型から始まった地域包括ケアシステムに、医療との協働の視点を取り入れ、さらに予防、生活支援、住まいまでを統合して考えるべきと提案するに至りました。その概念が具体化された政策の代表例が、2014年に施行された「医療介護総合確保推進法」です。この法律では、医療と介護は同格に扱われ、かつ地域包括ケアシステムを構築するよう定められました。

確立期ですね。そして発展期でしょうか

研究会はさらに、地域包括ケアシステムの概念の進化をめざして調査、検討、討議を重ね、高齢者の生活を支えるためには、医療、介護、予防だけではなく、買い物に出かけたり、人とつきあったりするなどの生活、さらに住まいと住まい方、何より「本人の選択と本人・家族の心構え」も大切であるといった考え方を深めていきました。それが、「何らかの支援があれば高齢者が住み慣れた地域で在宅生活(サ高住等への住み替えを含む)を続けられる町づくり」であると同時に、障がい者、支援を受けるべき子どもたち、その親たちを、地域社会から排除することのない「町づくり」を目指すべきだ、が現在の到達点です。今後はソーシャルワークや健康づくりにも視野が広がっていくでしょう。

田中 滋 先生の写真

望ましい地域包括ケアシステムのかたち

地域包括ケアシステムは、先進国においてとりわけ高齢化が進んだ日本独特の仕組みなのですか

わが国でとりわけ高齢化が進んでいるのかどうか、もう少し深く統計を分析する必要があります。

たしかに人口に占める高齢者の比率は、今のところ日本が世界一です。しかしそれは人口に対する比率を見た場合の話です。先進諸国の高齢者の人口がどれくらいの倍率で増えているか、30年前と比較すると、それほど日本の値が突出しているわけではありません。日本の場合、人口の年齢構成のうち若年層や子供が減っているため、高齢化率が高くなって見えるのです。西欧諸国でも女性の平均寿命が80歳を超える国々では、同寿命が60歳代だった頃と比べ、高齢者の人口は20倍程度になっています。ただ20倍になってもフランスのように子どもが多く、人口構成ピラミッドが「下すぼみ」になっていなければ、高齢化率はそれほど高くなりません。

わが国の将来を考えると、今どのような「地域包括ケアシステム」が望ましいのでしょうか

「地域の数だけ地域包括ケアシステムは異なる」が答えです。つまり地域ごとに将来を考えて望ましいシステムの設計を行わなくてはなりません。とはいえ多少一般化して語ると次のようになります。

地域包括ケアシステムのコアにある領域は、中重度の方の医療・介護にかかわる多職種協働です。たとえば在宅医療を利用し、数か月か半年後に看取りが想定される方に対して、切れ目のないシームレスな医療と介護の協働が行われ、最後は尊厳ある最期を迎えられるようにすることも最重要目的の一つです。

なお、急性期病院は、心臓発作や脳卒中に対する治療が全力で行われている途中に、比喩で言えば“薬石効なく”やむを得ず亡くなるケースは別として、老衰型の看取りに関しては最期を迎えるところとして必ずしも適していません。急性期病院は、人生のある時期、通常の生活を離れて病気や怪我と戦うことを余儀なくされた時に活用されるべき施設です。これに対し通常の生活とは、プライバシーが保たれ、自分の好きな時間の使い方ができる状態を意味します。

病気になって急性期治療、例えば手術が必要な場合、通常の生活は中断され、入院による治療が不可欠です。しかし急性期医療が欠かせない時期を過ぎれば、回復期病床や老健施設を経る場合もあるでしょうが、いずれは生活の場に戻り、もし必要なら在宅で治療や介護を受ける流れが自然です。つまり、急性期病院は「予想される状態での看取りの場」としてはできるだけ使わず、治療に専念する場としての余裕をもたせるあり方も、地域包括ケアシステム進展が生み出すだろう効果の一部と言えます。その標語は、「おおむね在宅、時々入院、いつでも支える医療と介護」のように表せます。

一方、前述した、地域包括ケアシステムの目標である、「何らかの支援があれば、高齢者が住み慣れた地域で在宅生活を続けられる町づくり」は、上記のコア部分よりはるかに数が多い、また範囲の広い対象について言っています。そこでの生活に関しては、4つのヘルプとして研究会が当初から重視してきた、「自助・互助・共助・公助」の組み合わせの中の、互助も重要になる領域の話です。

多様な互助も重要な役割を担うことになりそうですね

互助が大きな役割を果たす場面はどこか、地域包括ケアシステムが機能する領域を1層から4層に見立てると理解しやすいと思います。

第1層は、前述した地域包括ケアシステムがコアの領域とみなす中重度の要介護者です。旧来の自宅、サービス付き高齢者住宅、特定施設、グループホーム等に住んで、シームレスかつ統合された医療、介護サービスを受けている方々です。ここのケアを担う中心は主として共助の世界のプロフェショナル(専門職)で、互助の要素は買い物支援等の周辺にとどまります。

第2層は、歩行具や杖を使えばゆっくりにせよ歩け、適切な改築により安全性が確保されるなら自分で入浴もできる状態像の軽度要介護者です。けれども1人では積極的に外出することは少なく、家族や友人の支援が乏しかったり、通所サービスをうまく使えなかったりするせいで、そのまま室内に閉じこもった生活が続くようでは、やがて重度の要介護状態になりかねない対象者とも言えます。

第3層は、要介護と認定される状態からは遠いにしても、体力的にやや弱まり始めた高齢者です。今は虚弱でも、的確なアセスメントによって作られたプランに基づく介入によって、元に戻りうる人もいるかもしれない。いわゆるフレイルが始まりつつあり、放置するとそのままでは第2層に移行する恐れが高い方々を指します。

第4層は地域貢献が期待される元気老人に他なりません。ここは互助の担い手として期待したい。

以上のすべての層について、認知機能が低下しつつある方ならびにその家族の問題は別途稿を改めて考える必要があります。

4つの層の中で、互助の力もうまくケアプランに組み込まれ、共助とのすり合わせがうまくいくなら、現状維持や状況改善に役立ちうる対象は、第2層の軽度要介護者と第3層のフレイルの方々です。たとえば第2層の場合、デイサービスやデイケア、あるいは訪問サービスを上手に使えば、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士等によって、日常生活を送るレベルへの改善や、現状維持を目標にしたリハビリを受けられます。が、居宅内で常時こうしたプロによる専門的なリハビリを受けることは不可能です。

しかし居宅生活の中で、指導を受けた介護職が生活リハビリのメニューの一部を担当するあり方に加え、家族や近隣の仲間の互助で担う取り組みも可能でしょう。例えば、フレイル状態を悪化させないためのより簡単な生活リハビリの一つとして、一般の方でも取り組みやすい口腔体操が提唱されています。こういった生活リハビリの技術を日常生活において実践する際は、互助も活用すべきです。

田中 滋 先生の写真

第4層の、まだまだ元気という方々にはもっと能動的になっていただけるのではないでしょうか

その通りです。まだフレイル状態の人は少ない60歳代後半がいわゆる団塊の世代です。団塊世代に働きかけて虚弱な高齢者にさせない仕掛けを各地で工夫いただきたい。健康年齢を5年、10年と引き延ばす努力は、個々の高齢者にとっても、持続可能な社会を作る上でも重要です。

ではどのように虚弱化を遅らせるか。虚弱化の最初の要因は、東京大学医学部の飯島先生チームの研究によると、社会的な関係性が乏しくなる事態だそうです。日本の男性、とくに給与生活者だった人(会社員・公務員・教員など)の多くは、仕事上の仲間や知り合いを除くと、定年後の社会的な関係性が薄い人生を送ってきました。その人たちに新たな社会的関係性を作る手助けをする際は、互助を活用する仕組みも役立つでしょう。もちろん何より家族関係が定年後こそ良好であるよう努める義務があると思いますが。家にこもりがちとなりかねないこの層を地域社会に引っ張り出す努力がうまく持続的に機能する互助の仕組みを考え、作り上げる段階においては、役所・役場がある程度力を貸してもよいですね。

取り組みの担い手、ポイントは?

実際に「地域包括ケアシステム」が機能するには、だれがどのような役割を果たすのでしょうか

その答えも「地域ごとに異なる」が正解でしょう。また先に触れたどの層を語っているかによって答えは違います。地域包括ケアシステムに「一般解」は存在しません。

例えば、フレイル年齢に近づいた、しかしまだまだ元気な団塊の世代を地域社会にデビューさせ、虚弱な高齢者にさせない仕掛けの例を考えてみましょう。生活圏域のどこかに、高齢者と小学校低学年の子どもたちがひと時をゆったりと過ごすことのできる居場所を確保する試みも各地から報告されています。元気であれ、多少フレイルであれ、高齢者が談笑なり囲碁なりのために足を運ぶ場、同時に子供たちが放課後安心して時間を過ごせる場、赤ちゃんを連れた若い親たちが立ち寄りたくなるような場です。ただ同じ屋根の下にいるだけでも高齢者と子どもたちが互いにそれとなく安全無事を見守る場とも言えますし、声が聞こえるだけでも活力を感じられるかもしれない。

もし望むなら、であって決して強要してはいけませんが、若い親が子育ての相談をしたり、高齢者が小学生の宿題を手伝ったり、一緒に将棋を楽しんだりする適度なインタラクションもあり得ます。何よりオレンジカフェ(オランダ流にはアルツハイマーカフェ)も同じジャンルに属します。

こうした取り組みにかかわる互助の担い手としては、多数の候補が挙げられます。町内のどこかに部屋を探して折衝する役割、部屋を提供する役割、メニューを考え、材料を安く調達しおやつを準備する役割、来る人の相談係の役割、運営にかかる費用を管理し、会計帳簿をつける役割などがそうした例の一部です。団塊の世代にはこのような役割を担い、さらに高齢者本人の健康維持にも役立つ関係を主導するよう期待しています。他方、自治体の役割は影の推進役でしょう。担当職員は互助の個々の場面に対応するのではなく、持続可能な互助となるように仕組みをつくる働きでよい。つまり、互助を利用したい人と、互助のために力を貸したい人とのお見合いの場をつくる機能を担うわけです。

これからの自治体の役割、そして戦略のポイントは

戦略を立てる上でのポイントは2つ指摘できます。第1は、医療・介護の専門職協働のみならず、本人以外の家族に障がいを持つ方がいるといった複合的な困難事例の早めの発見と、ソーシャルワークの機能を含む、総力戦としての継続的地域戦略を立てられる組織、部署、人材の育成だと思います。

第2は、企画作りの段階から、幼稚園児、保育園児や小学生の子どもたちを育てている最中の保護者、障がい者と家族、認知症の方と家族、元気な高齢者などいろいろな人が加わるような会合の設営です。地域包括ケアシステムは、決して虚弱な高齢者、介護が必要な高齢者だけを支える仕組みではない、との理解をわかりやすく伝える手立てを自治体には工夫していただきたい。

互助については、災害時の瓦礫片付けボランティアや、募金のように、本当に苦しい局面で助け合うイメージが少なからず分かりやすい。これに対し、地域包括ケアシステムにおける互助の参加者には、「持てる力をお互いに、楽しい催しのために使う」発想も求められます。

先に、高齢者と子どもたちなどがゆったりとひと時を過ごす場を例に挙げましたが、例えば高齢者のための料理教室、囲碁教室を想定してみましょう。料理や囲碁の先生役は、虚弱で介護を必要とする人であっても、経験と意欲があれば、十分その役割を果たせるでしょう。また団塊の世代は現役時代に様々な経験を積み、バブル崩壊後の苦しい時期の日本経済を支えた才覚の持ち主が多いはずです。彼らを、プロボノ的なレベルの高い近代的互助の担い手として活用しない手はないでしょう。

互助が機能する環境づくりには、生活圏域ごとの事情を調査分析し、潜在資源を見出して活用するスキルが必要です。その背景には、ここ半世紀に開発された近郊住宅地には、5代も6代も続く住民が住み、江戸時代からの神社や寺があり、今なお祭事が盛んで、互助の関係が備わったところが少ないという実態があります。東京で言えば、田園都市線や小田急線、京王線、武蔵野線などの郊外沿線地区の新興住宅地がその例です。地域包括ケアシステム担当部署が担う役割の一つは、こうした地域の生活圏域ごとで微妙に異なる特性を踏まえ、住民同士の関係性を形成するそれぞれに合った環境を構築し、互助の仕組みづくりを支援することです。

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進化を続ける地域包括ケアシステムは、どこに向かうのでしょう

繰り返しますが、答えは地域ごとに異なります。ただし、これから先、地域包括ケアシステムがどこへ向かうかを示唆する事象が、昨年4月の熊本地震からの報告ではないでしょうか。被災地で医療支援を行った日本医師会主導の災害医療チーム(JMAT)を展開したある県医師会の報告によると、地域包括ケアシステムが一定程度動き出していた地域では、そうではない地区に比べ、どこに救援、支援を必要とする人たちがいるかを比較的迅速に把握でき、すばやく活動を展開できたそうです。この事象は、じつは地域包括ケアシステムが、台風や地震などの災害が多いわが国において、救援の手をいちはやく差し伸べるためのプラットフォームとなりうる可能性を物語っているのです。地域包括ケアシステムが役に立つ証拠ですね。

ふたたびコア部分の高齢者ケアの役割に立ち戻ってその未来を展望すると、必ずや、支援を必要とする高齢者が尊厳を持って最期を迎えるサービスが、社会にとってのルーティンになる日がやってくると確信しています。例えば、東京と大阪、あるいは札幌や福岡間の移動は、新幹線の運転士、旅客機のパイロットを始め、様々な技術職などプロフェショナル、事務部門や経営陣の絶え間ない努力によりルーティン化され、私たちがそこに大きな困難を感じるケースはめったにないでしょう。

それと同じように、私たちの誰もが、まずは老後についてたしかなルーティンにのっとった安心できる支援を受け、充実した人生の一時期を送れる町づくりが不可欠です。高齢者にかかわる課題の解決はルーティン化した上で、地域包括ケアシステムをプラットフォームとして活用しつつ、日本にとっての最大の課題である少子化からの脱却に、社会は智慧とエネルギーを注ぐべきだと考えます。

プロフィール

田中 滋

慶應義塾大学大学院経営管理研究科名誉教授

専門は医療政策・高齢者ケア政策・医療経済学。1971年慶應義塾大学商学部卒業、1975年同大学院商学研究科修士課程修了、1980年同博士課程単位取得満期退学、1977年ノースウエスタン大学経営大学院修士課程修了。1977年慶應義塾大学助手、1981年助教授を経て、1993年より2014年まで慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授。定年の後も同研究科「ヘルスケアマネジメント・イノベーション寄付講座」をベースに研究・教育を継続。現在務める公職は、医療介護総合確保促進会議座長、社会保障審議会委員(介護給付費分科会長、福祉部会長、医療部会長代理)、協会けんぽ運営委員長など。日本介護経営学会会長、日本ヘルスサポート学会理事長、日本ケアマネジメント学会理事、医療経済学会理事、地域包括ケア研究会座長。

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