FACOM 603F磁気テープ装置、OASYS100および親指シフトキーボード試作機が、第二回情報処理技術遺産に認定

2010年5月6日

昨年に続いての認定式に関係者が参列

2010年3月9日、今年度で2回目を迎える「情報処理技術遺産および分散コンピュータ博物館認定式」が、東京大学本郷キャンパス内小柴ホールにて行われました。
我が国のコンピュータ発達史上の重要な成果や製品の中で、現存する貴重な史料を保存し、次世代に継承していくことを目的とした「情報処理技術遺産」に、当社の「FACOM 603F磁気テープ装置」「OASYS100および親指シフトキーボード試作機」が認定されました。

写真は、今回認定された装置の関係者、および遺産認定に関わった皆さんと山本顧問(前列右から2人目)。

情報処理技術遺産の調査を今後も継続

情報処理学会のホームページにある「コンピュータ博物館」には、国内のコンピュータの発展の歴史を示す重要な成果や製品の資料(2,000点超、写真約1,000点)が掲載されていますが、実在しているものは僅かです。
情報処理学会では、コンピュータ技術の発展を担い、また、生活、文化、経済、社会に著しく貢献した情報処理技術やシステムなど、現存する史料(装置を含め)を保存、継承することを目的として、平成20年度より「情報処理技術遺産」の認定を開始。初年度は23件、今回は11件が認定されました。

FACOM 603F磁気テープ装置の意義とは

FACOM 603シリーズは1964年6月、画期的な新型磁気装置として発表されました。当時、磁気テープ装置は、大量のデータ、システムプログラムの外部記憶装置であり、その性能と信頼性がコンピュータの価値を大きく左右していました。FACOM 603シリーズは、それ以前の装置に存在していたテープ送り機構の問題点を、真空コラム緩衝機構と画期的なシングルキャプスタン駆動方式を採用して解決し、高性能、高信頼性、保守の容易性と低コストを実現し、コンピュータ利用の普及に大きく貢献しました。今回認定を受けたFACOM 603Fは、シリーズ中期を支えた機種で、現在、富士通(株)沼津工場に保存されています。

富士通沼津工場に保管されている
FACOM 603F
FACOM 603F 
キャプスタン周辺の様子
認定証を受ける富士通(株)ストレージシステム事業本部 上田執行役員

富士通DNA館 池田館長コメント:

当社沼津工場にある社員研修施設「富士通DNA館」(注1)に保存されている「FACOM 603F磁気テープ装置」及び「OASYS100及び親指シフトキーボード試作機」が平成21年度情報処理技術遺産に認定されたことを喜ばしく思います。
当館では、社員が自社の歴史を学ぶと同時に、歴代の名品に触れ、諸先輩がその開発にかけた情熱や精神を学ぶことを通して、富士通のDNAを現役の世代に伝える研修活動を行っています。

今回の認定は、情報処理技術関連の歴史的製品自体の保存の重要性に加え、それらの製品を通して自社の文化を伝承していくことの意義が認められたものと受け取っております。

注1:富士通DNA館は原則非公開

OASYS100および親指シフトキーボード試作機の意義とは

日本語による思考の流れを妨げることなく、自然で高速なかな文字語入力が可能な装置、OASYS100。その入力方式として、かつてワープロ市場を席捲したのが富士通の親指シフトキーボードです。現在でも根強い愛用者も多く、末永くお使いいただくためのサポートを続けています。親指シフトキーボードは、1980年日本語ワードプロセッサOASYS100に初めて採用されました。
独自の親指シフト方式を採用した日本語ワードプロセッサOASYSの初代モデルと試作されたキーボードは、誰にでもできる容易な日本語入力を追求した技術として、また日本語による情報処理の普及に大きな役割を果たしたとの歴史的価値を評価され今回の認定を受けました。

OASYS100
親指シフトキーボード
大きい方が親指シフトキーボード試作機、手前は文字配列研究のための小さな実験モデル機
認定証を受ける富士通(株)三竹パーソナルビジネス本部副本部長

OASYS100(製品展示室)

親指シフトキーボード(製品展示室)

神田顧問コメント:

1977年、英文タイプライターのように、日本語を手で喋るような感じで、文章を作成・入力できる日本語タイプライタの可能性を考え、10本の指を駆使してかなを入力する親指シフトの考え方に行き着きました。まず、電卓のキーボードで試作した小さな実験モデルで親指シフトの可能性を確認し、1978-79年にはミニコンを使った試作機を作りました。今回認定されたのが、まさにこの小さな親指シフトの実験モデル機と、親指シフトの試作機です。
まず、この親指シフトキーボードをミニコンに接続して、1年間ワープロとしての実用性を確認。この成果をもとに、8ビットCPUと8インチフロッピ 2デッキを使ったOASYS 100を開発しました。当時は、乏しい作業メモリ、アクセスの遅いフロッピ、ましてや漢字ROMなどありませんから、苦心惨憺。今でもよく出来たものだと思っています。
そして、1980年5月 OASYS 100として発表しました。
今まで存在しなかった装置であるにも係わらず、実際に使った人達は、その使いやすさに心底感嘆してくれました。価格は270万円~320万円、当時の高級車並みでしたが、事務所での文書作成や速記の反訳、印刷物の入力などに広く使われるようになりました。このように、OASYS 100は、最初から完成した実用的な装置として世に出たのです。当時のパソコンには漢字の表示も出来なかった時代のことです。

親指シフトキーボードの生みの親富士通(株)神田顧問

山本卓眞 富士通(株)顧問 特別講演

「情報処理技術遺産および分散コンピュータ博物館認定式」に続いて、「先人に学ぶ」と題した特別講演に、山本卓眞顧問が登壇しました。講演は、山本顧問の生い立ちに始まり、戦時中に戦闘機や通信機を通じて技術の差を目の当たりにし、技術者になろうと決意したエピソードなど、また、富士通に入社してから出会い、影響を受けた人々との逸話、技術開発の話から営業の大切さ、経営哲学にいたるまで、先人に学び、道を切り拓いてきた半生を語りました。講演後も、出席者からの質問にも応えるなど、1時間の枠に収まらないほどの話題を提供されました。

先人に学ぶことの大切さを語る山本顧問

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