池田敏雄ものがたり

天馬空を行くがごとく生きた男 池田敏雄 ~ 国産コンピュータに賭けた天才の軌跡 ~


コンピュータに取り憑かれた男

池田にとって、そして日本にとって最初の実用コンピュータである株式取引高精算用計算機は完成したが、商談は失敗に終わった。だが、池田はコンピュータ開発のおもしろさにすっかり取り憑かれてしまった。何としても研究開発を続けたい----池田はトップを説得にかかった。彼の説得力の冴えを、少々長くなるが見てみよう。

池田自身によれば「たまたま私が帝劇にロシアのバレエ団が来たときに見に行ったんです。そしたら、そこにちょうど社長の高さんがいらっしゃった。この方は、ときどきぼくと碁を打つという、たまたま話しやすい社長さんだったものですから、早速帝劇のバレエ休憩時間を利用して説いたわけです。IBMがその時代、年間幾ら日本における売上があるかということを調べておきましてね。富士通の規模からいったら、その時代でも膨大なんですよ。それで、あの十パーセントを取りたいからやらせないかと。

それから、ああいうクロスバーのマーカーなどは、コンピュータ的要素が非常に強いから、将来そういう交換機というものも計算機に近づくだろうと、私がそういう予想を申し上げたわけです。それで、どうしてもやらせてくれないかということで、たまたまきれいなバレリーナなんか見て酔っぱらってるときだから『OK、OK』てのもらったんですよ。(笑)」

さらに、1959年(昭和34年)に宇部興産から富士通に転じた岡田完二郎社長が、コンピュータ企業化の方針を明確に打ち出した。「岡田さんは、コンピュータに富士通の社運を賭けられたわけですが、なぜそうした気持ちになったか。一つには、コンピュータの将来性ということもあったことは事実です。もう一つは、富士通に池田敏雄がいたからだという説もあります。人に賭けるということはあり得ることですからね」と山本は語る。

池田もトップの信頼によく応えた。インデックス・レジスターという、いまの全世界のコンピュータ・メーカーが必ず使っているシステムなどを次々に発明したのだった。ただ、惜しむらくは当時の富士通の特許をとる技術が未熟で、業績として残っていないのが、まことに残念である。

FACOM128操作卓

日本から世界へ、孤高の挑戦

水を得た魚のような池田の活躍が始まる。新たに開発されたリレー式コンピュータは、レンズ設計の計算に威力を発揮し、日本のカメラを世界的な水準にした。さらに事務用にも本格的に導入されるようになった。だが、リレー式はあまりにも演算速度が遅い。池田は早くからトランジスタに目をつけた。

当時、同業他社は外国メーカーと技術提携をして開発を急いだ。池田は、提携するならIBMしかない、と言った。しかし、IBMは技術提携は絶対にやらない方針だった。そこで、辛いが自主独立路線を貫こうということになった。

大型のIBMに対し、日本では小型・中型で対抗しようとする意見が強かった。しかし池田はただ一人大型に取り組むことを主張し、とうとうトランジスタ使用の大型コンピュータFACOM222(「フジツー」と俗称)を開発した。

さらに、初めてICを搭載したFACOM230-60は1968年(昭和43年)に完成。コンピュータにおいて日本を米国とほぼ対等にし、富士通を国内一位にした。だが、それで満足するわけにはいかない。世界を相手にしたい。

それには、既存の膨大なアプリケーションソフトの国際的互換性を保証する「ユーザー利益優先」という基本路線をとるしかない。このIBM互換路線を採用するように主張したのも、池田だった。そのとき浮かび上がってきたキーパーソンが、ジーン・M・アムダール博士だった。アムダールは、コンピュータ時代を切り開いたIBM360シリーズを開発した人物で、その後継機の開発でIBMトップと衝突し、社外に去る。池田はさっそくアメリカへ飛び、アムダールと親交を結んだ。この縁から、IBMコンパチブルの超大型機Mシリーズが誕生する。後にこの互換路線はIBMとの間に紛争を引き起こし、AAA(アメリカ仲裁協会)が裁定を下すことになるが、それは池田没後のことである。

1974年(昭和49年)、カナダのコンピュータ・メーカーCCIの社長を出迎えにいった羽田空港で倒れ、11月14日に帰らぬ人となった。51歳という若さであった。それはまさしく壮烈な戦死にほかならなかった。池田は当時常務だったが、亡くなって専務を贈られた。

社葬のおり、経団連記者クラブから是非にと弔辞の申し入れがあった。異例ではあるが、池田を慕う記者の代表がその死を悼んで読んだ。そのなかで彼は、「天馬空を行くがごとき活躍」と二回言って思わず絶句した。その姿は参列者の脳裏にいまだに焼きついて離れない。

FACOM128 演算リレー部分
電話交換機と同じものが使われている


参考文献

  • 『池田記念論文集』
  • 『富士通社史』
  • 『技術開発の昭和史』(森谷正規著、東洋経済新報社)
  • 『富士通の挑戦』(岩淵明男著、山手書房)
  • 『男たちの決断 -- 物語電子工業史・戦後編』(板井丹後箸、電波新聞社)
  • 『パックス・ジャポニカ -- 情報力が世界を征す』(國井利泰著、プレジデント社)

発行 : 富士通株式会社

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