——— 山田さんはどうしてデザインセンターに入社することになったのですか?
山田: 私は学生時代、多摩美術大学の「情報デザイン学科」でUIデザインやサービス設計について学んでいました。就活では大学時代に培った知識やスキルを活かして働ける職場を探しており、メーカーや情報産業を手がける企業などを志望していました。その過程で富士通を見つけたのが入社のきっかけです。
——— 学生時代に打ち込んでいたことや、活動していたことを教えてください。
山田: 版画サークルに所属し、オリジナルのTシャツ作りを行っていましたね。その他、映画を飽きるほど観たり、本を読んだり、展覧会・展示会に行ったり…と、自身の感性を伸ばすことに時間を使っていたように思います。
——— 入社後の新人研修ではどのようなことを学び、経験できましたか?
山田: 私が富士通に入社したときは、営業やSEなど別の職種の同期たちと一緒に、ビジネスの基本的なスキルやマナーを学ぶ研修を受けました。業種もごちゃまぜだったので本当にいろんな人がいて、刺激的だったのを覚えています。入社当時に知り合ったメンバーとは現在でも、既に転職しているメンバ―も含め、つながりを持ち続けています。
その後はOJTを行いました。印象に残っているもののうちに、図書館の貸し出しシステムの画面デザインがあります。富士通では驚くほど多様な業種にソリューションを提供していますが、学校や図書館、博物館、美術館といった文化・教育領域もそのひとつです。
また、OJTではほかにも館林データセンター(富士通が運営するデータセンター)の画面デザインの社内案件も担当。現場の方々と日々業務に取り組むなかで、富士通でのUI設計業務のイロハを経験しました。
——— その後、実際に仕事をするなかで驚いたことについて教えてください。
山田: 日本を支える大企業・組織で使われているシステムにはとてもレガシーなものがある、というのが驚いたことの1つです。
たとえば、COBOL(1959年に開発された、古くからあるプログラミング言語)で動作するシステムや、描画に使用できるカラーは256色のみ、透過させるにはマスキングのために別途の画像が必要…といったように、10年以上前から現在に至るまで現役で動いているシステムは多くあります。それらを目の当たりにして、「自分たちが作るシステムも長年使われることを想定しなければならない」と、自身の業務の大きな責任を感じました。
一方で、自分の視野をはるかに越えた世界が広がっていることに、大きな面白さを感じましたね。富士通で仕事をしていると、「スパコン」や「宇宙開発」「国防システム」「流通システム」といった、自分の生活圏や日常で意識している世界を飛び越えた巨大なシステムを垣間見ることができます。関わる業種や提供する技術の幅広さや「B2Bビジネス」自体にワクワクしますね。