オープンイノベーションに導くパートナーとの共生と共創とは
新しい成長戦略の処方箋に
旧来のビジネスがかつての成長力を失いつつある今日、企業はいかにして新たな成長戦略を描くべきでしょうか? オープン・イノベーションはそのための処方箋となりうるでしょうか?
2018年5月18日、ペニンシュラ東京(千代田区有楽町)において、オープン・イノベーションの父ともいわれるカリフォルニア大学のヘンリー・チェスブロウ教授、そしてカナダのバンクーバーを拠点とする量子コンピューティングソフトウェア会社1QBit(ワンキュービット)のCEOアンドリュー・フルスマン氏を特別講師に招き、富士通 経営者フォーラム2018が開催されました。「共創でビジネスを変革〜オープン・イノベーションの最前線〜」と題されたこのフォーラムでは、富士通 代表取締役社長 田中達也が挨拶に立ち講演者を紹介するとともに、マーケティング戦略本部 VPの高重吉邦が共創に関わる富士通の取り組みについて講演。後半には、シンガポール・マネジメント大学のラウ・フーン・チュイン教授を交えたパネルディスカッションも行われました。イベント終了後は、懇談会も設けられ、打ち解けた雰囲気のなかでオープン・イノベーションの実践について参加者と講演者の間でさまざまな会話が交されました。
“Co-creation for Success” 共創でビジネスを変革する
オープニングで挨拶に立った富士通 代表取締役社長 田中達也は、今年の富士通全社のテーマである”Co-creation for Success”に触れながら、人々や企業が多彩につながり、社会やビジネスの新しい価値を生み出すCo-creation(共創)の重要性を強調しました。
いかにビジネスを変革すべきか。それを考えていくため、共創とオープン・イノベーションの実践について幅広い見解を持っている登壇者3名を紹介しました。
一人目の登壇者は、オープン・イノベーションの考えを最初に世に広めたカリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネスのヘンリー・チェスブロウ教授。そして二人目は、量子コンピュータ技術を応用したAIクラウドでトロント大学や富士通と協業を行っている1QBit社のCEOアンドリュー・フルスマン氏です。
また、シンガポール科学技術庁(A*STAR)や富士通とともに先端技術研究組織(Center of Excellence)で都市問題や港湾の課題解決に取り組んでいるシンガポール・マネジメント大学のラウ・フーン・チュイン教授もパネルディスカッションのパネリストとして紹介されました。
「本日のフォーラムがこれからの皆様の経営戦略検討の一助となればまことに幸いです」。田中はそう述べて、チェスブロウ教授にバトンを渡しました。
オープン・イノベーションとビジネス革新
特別講演の一番手として登壇したヘンリー・チェスブロウ教授は、カリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネスのコーポレート・イノベーション ファカルティ・ディレクター。2003年に出版した著書『Open Innovation』(邦訳『OPEN INNOVATIONハーバード流イノベーション戦略のすべて』)で初めてオープン・イノベーションの考えを世に広めた人物です。
冒頭、教授はオープン・イノベーションの理解と実践が15年前とくらべて格段に深まっていることを示しました。
教授によれば、これまで企業が行ってきたイノベーション(主にR&Dセンターなどで行われる研究開発)は社内に閉じており、お蔵入りとなったり、途中で頓挫して終わってしまうプロジェクトも多数ありました。
教授はこうしたイノベーションモデルを漏斗(ろうと)にたとえます。広い間口から多くの研究課題が入り、開発プロセスを通じて限られた製品や技術が市場に送り出されるというイメージです。これを”クローズド・イノベーション(閉じたイノベーション)”と呼びます。
これに対して”オープン・イノベーション(開かれたイノベーション)”は、この漏斗の壁にたくさんの穴が開き、そこからさまざまな知恵や技術が自由に出入りできるようなったモデルだと教授は話します。この窓を通じて内から外へ、そして外から内へのナレッジの流れが生まれます。
「社外からやってくるナレッジは自社の事業とビジネスモデルを強めてくれます。社外へ出ていくナレッジは他社の事業やビジネスモデルに活用されていきます。つまりオープン・イノベーションとは、自社と他社のナレッジをより有効活用することだといえます」と教授は語りました。
ここでさらに教授はマイケル・ポーターの『Competitive Advantage』(邦訳『競争優位の戦略』)にある”バリューチェーン”の考えを”オープン・イノベーション”の考えと比較しました。
ポーターのバリューチェーンの考え方によれば、企業の競争優位性は市場に送り出される製品に価値を付与していく社内の価値連鎖(バリューチェーン)にあるとされます。
しかし、この価値連鎖は製品中心のもので、そこには顧客の姿が見えないとチェスブロウ教授は指摘します。新しいイノベーションのかたちは顧客を中心に考えるべきで、そのイノベーションモデルを教授は”サービスバリューウェブ”と呼びます。「”バリューチェーン”の代わりに”サービスバリューウェブ”を提案します」と教授は話します。「そのプロセスは一方通行ではなくて対話型で、その中心には共創活動の目的である顧客体験の向上があります」。
顧客が必要としている価値に注目するこの考えは以前からあったとチェスブロウ教授は指摘し、そうした先人のひとりとしてピーター・ドラッカーの名前を挙げました。またマイケル・ポーターの同僚でもあるハーバード・ビジネススクールのテッド・レヴィン教授はそれを別の言葉でこう述べています。「ドリルを買いにきた顧客が本当に必要とするものはドリルではなく、ドリルが開ける穴である」。
ここでさらにチェスブロウ教授は論を進め、このデジタル時代にユーザーが製品などの資産を所有することの意味を問いかけます。まず教授は自身を例に挙げてこう話し始めました。「わたしはカリフォルニアに住んでおり、車を一台所有しています。それにかかるコスト、たとえば整備費やガソリン代や自動車税などは100%すべてわたしの負担になります。しかし、計算してみると車の使用時間は年間のすべての時間のほんの5%に過ぎません」。ここでの教授の論点は、資産を所有することの非経済性です。もし資産(車)をサービス(移動)として利用できるなら、そのコストは使用した分のみに抑えられるはずだと教授は主張します。
実際にGEやロールスロイスは、航空会社などに対し、ジェットエンジンの時間貸しプログラムを提供しており、このプログラムのユーザーは30年以上使わないと元が取れない数十億ドルかかるジェットエンジンの固定資産投資を使用時間あたりの変動費に変えることができると教授は話します。
このような例はAmazon Web Service(AWS)にも見ることができると教授は語ります。「クラウドインフラに100%の固定費を払わずに使用時間だけ料金を払うという仕組みです」。
教授はこうした資産のサービス化をオープン・イノベーションの特徴のひとつに挙げました。また、このようにユーザーを自社のプラットフォームに引き込む戦略は、市場競争においてアマゾンに有利に働いていると指摘します。その一例として、ウォルマートのAPIユーザーとアマゾンのAPIユーザーの勢力比較図を示しました。それを見ると、アマゾン陣営は大きく勢力を伸ばしているのに対し、ウォルマート陣営は片隅に追いやられています。「これはウォルマート経営陣にとって大問題です」と教授は話します。
多くの事業者を取り込んで顧客価値を高めていくオープン・サービス・イノベーションのアプローチは、まずビジネスをサービスとして考え、顧客価値を中心においてそれを顧客と共創することが重要です。在庫管理や販売のリスクを負わずに多種多様の商品を取り扱い(範囲の経済)、自社資産の共有によって固定費を下げる(規模の経済)ことによりオープン・イノベーションのメリットを享受できます。さらに、顧客価値をベースにビジネスモデルを変革していくことが鍵となります。
講演の終盤、チェスブロウ教授は富士通のオープン・イノベーションへの取り組みとして、シリコンバレーにある”Open Innovation Gateway(OIG)”を紹介しました。教授にはOIGの設立前から様々な形で指導をいただいています。「OIGでは、いかにしてイノベーションを共創できるかということがテーマとなっています。シリコンバレーでは素早く効果的にコラボレーションを進めるプロセスこそが鍵となります。そのため、OIGではスタートアップのスピード感に合わせてイノベーションを加速するプロセスを作り、コラボレーションのあり方を見直しました」と教授は語ります。
また、OIGは共創、新しい発想や可能性、ビジネスモデルなどを経営者の方々とともに考えていくという取り組みを行っていると示し、生命保険会社と初期段階のPoCから企画検討を行い、新たなコンセプトを共創した事例を紹介しました。「この事業が大きく花開くかどうかまだわかりませんが、この共創の取り組みが企業とその顧客との対話を深めたことはたしかです。そこから新しい事業の可能性が生まれてきます」と教授は話します。
講演の終わりにチェスブロウ教授は、オープン・イノベーションのキーポイントとして次の3点を挙げました。
- 製品や技術よりも顧客の求めている価値にまず焦点をあてる。単に市場調査や顧客の要望を頼りにするのではなく、顧客と一緒になって課題に取り組むなかからそれを学びとる。
- 自社の固定資産、あるいは、眠っている特許やディストリビューション・チャネルやブランドなどの固定費がかさむ資産を有効に活用して成長に結びつける。
- 自社のコア事業とは別に新市場の開拓に努め、その際に小規模な実証実験によって事業展開の決定を行うリーンスタートアップの手法を採る。そのためには、迅速に意思決定できる組織が必要で、顧客、大学、スタートアップや社外の専門家の知見を活用することが鍵となる。
スタートアップと大企業、共創としての”シンビオジェネシス”
2番手に登壇したのは、カナダのバンクーバーを本拠に量子コンピューティングソフトウェアを開発する1QBit社CEO、アンドリュー・フルスマン氏です。同社は、富士通の最新コンピューティング技術「デジタルアニーラ」のビジネスで昨年より富士通との協業を開始しています。
フルスマン氏は、大企業とスタートアップとの共創を語るにあたり、まず自然界に目を向けました。「自然を眺めていると、大小の個体が互いの利益のために共生している姿をよく見かけます」と語り始めます。たとえば樹木と菌類の共生関係。木々は根元に広がるキノコの群生に栄養を与え、必要に応じてそこからエネルギーを吸い上げて自らを養います。そうした共生関係が森林の健やかな成長に寄与しているとフルスマン氏は話します。
また、生物の体内にも同様の共生関係が見られるとフルスマン氏は語ります。「それはミトコンドリアと細胞との内部共生関係(Endosymbiosis)です。細胞もミトコンドリアももともとは別々の生物でした。しかし、あるときからミトコンドリアはより大きな存在である細胞のなかに入り込み、そこで生きるようになったのです。そのおかげで細胞自身も驚くほどうまく機能し始めました。ミトコンドリアを持たない細胞はなく、細胞の外で生きるミトコンドリアもありません。二つのものが合わさって、もとにあった存在以上の成果を挙げている。あまりにそれがうまくいっているので、それぞれが離れ離れになることはもはや考えられません」。
フルスマン氏はこれを”シンビオジェネシス(ふたつの有機体が統合して新たなひとつの有機体を形成すること)”と呼び、それを企業同士の共創に結びつけました。
ここでフルスマン氏は2012年を振り返ります。この年、1QBit社を立ち上げましたが、当時、実用に耐えるような量子コンピュータはまだ影も形もなく、ましてやそのソフトウェア開発キットなど考える人はいなかったと氏は話します。
「当時、従来型のコンピュータの処理能力が限界に近づいていることは明らかでした。新方式の量子コンピュータは難物だとわかっていましたが、もし開発できれば驚くほどの力を発揮することもわかっていました。そこでその新しいコンピュータと産業界との橋渡しをしようと思い立ったのです。そのためにはそのコンピュータが生まれる前にとにかく仕事に取りかかる必要がありました」とフルスマン氏は話します。
「これは一見無謀に見えますが、われわれには確信がありました」とフルスマン氏は言います。「それは”量子コンピュータを開発するメーカーたちはきっと喜んで自分たちと協業してくれるはずだ”という確信です」。
実際、同社のパートナーには現在、錚々たる企業が名を連ねています。なかでもデジタルアニーラに関する富士通との協業は「まさにわれわれが夢見ていたもの」とフルスマン氏は語ります。もちろん、そこにはさまざまな文化の違いがあり、乗り越えるべき課題も少なくありません。しかし、大きな目標のため小さな失敗を何度も繰り返し、お互いの壁を乗り越えて二つの企業がひとつのチームとして成果を出していくことは可能だとフルスマン氏は主張します。
「大企業とスタートアップとのパートナーシップは、必ずしも対等のものではないかもしれません。しかし、先ほどの自然の例に照らしてみれば、不釣り合いなパートナーシップも大きな相互利益を生み出すことがあります」とフルスマン氏は話します。「スタートアップ同様、大企業もまた熾烈な市場競争や環境変化にさらされています。つまり、わたしたちはお互いの利益のために協業していかなければならないのです」。
こういった協業を成功させるために必要なものとは何でしょうか?フルスマン氏は”インセンティブ”が鍵を握ると話します。「協業を成功させるためにはインセンティブをしっかり整えておく必要があります。つまり一方が利益を得たなら、もう一方も利益を得る仕組みを作るということです。一方が損をすれば、もう一方も損をする。これは協業における一心同体の考えで、ひとつのチームとしてともに仕事をしていくうえで大切です」。
また、現在カナダでは、大企業が若いスタートアップの協業相手を探す際に大学が橋渡し役を務めているとフルスマン氏は話します。「わたしたちの場合もそうでしたが、いま多くの大学でスタートアップと大企業のマッチングが行われています。トロント大学には”Creative Destruction Lab (創造的破壊ラボ)”という面白い名前の組織があり、数多くの起業を成功させています。そうした起業は技術主導でまだ企業としては態をなしていないものもありますが、大企業との協業や大きなエコシステムのなかでは非常にうまく機能します。共生生物と同じように、こうしたビジネスの共生関係は成功のチャンスを生み出します」。
講演の結びにフルスマン氏はこう語りました。「今日、ここでお話ししたかったことは、共創のあるべき姿としての”シンビオジェネシス”です。これは二つの企業が新しいものを生み出すための共生形態でもあります。皆様とそのような機会を持てることを楽しみにしております」。
デジタル革新の成功要因と共創
チェスブロウ教授とフルスマン氏の特別講演に続いて登壇したのは、富士通のビジョン策定と発信を担当しているマーケティング戦略本部VP高重吉邦です。高重は、富士通が各国の経営層に対して行った調査の結果を踏まえながら、企業のデジタル革新を成功に導く要因と富士通の共創への取り組みについて語りました。
今年2月、富士通は世界16カ国、1,500人の経営層を対象にデジタル革新の成功要因を探る意識調査を行いました。その分析結果を示しながら高重は、「デジタル革新ですでに成果を出している企業には共通した特徴がある」と指摘します。
その特徴とは「リーダーシップ」「人材」「俊敏性」「ビジネスとの融合」「エコシステム」「データからの価値創出」における優位性です。これらの要素を高重は企業の”デジタル・マッスル”と呼び、「デジタル革新の成功のためには、これまでとは違うこれらの筋肉を鍛えなければならないのです」と強調します。
この”デジタル・マッスル”をネット企業と非ネット企業で比較してみると、ネット企業の優位性が際立ちます。なかでもとくに大きく差が開いたのは、共創に関わる「エコシステム」でした。
この点を高重はさらに掘り下げます。「エコシステムのなかでそれぞれの企業が重視するパートナーを調べてみると、お互いにテクノロジー企業を最も重視するところは同じです。しかし、ネット企業が『ベンチャー企業』、『異業種の企業』、『政府・自治体』、『学術研究機関』、『コンソーシアム』と積極的に関わっているのに比べ、非ネット企業の大半は重視していないことがわかりました。一方で、デジタル革新に大きな成果を挙げている従来型の企業は、ネット企業と同様に積極的に関わっています。やはりデジタル革新で成功するには、どのようにエコシステムをつくるのかが非常に重要だと思います」。
ここで高重は、いま産業界に起こっている大きな構造変化に目を向けます。それは垂直統合型のバリューチェーンからデータを中心とする分散型のエコシステムへの変化ではないかと問いかけます。
例えば、銀行サービスはこれまで垂直統合型の銀行が提供してきていましたが、今、分散型のモデルへの変革が起こっています。すでに数えきれないフィンテック企業がイノベーションを提供する中で、基本的な銀行機能をクラウドサービスとして提供するプラットフォーム・バンクも出てきています。さらに、顧客インターフェースも、従来の銀行に加えてアマゾンやアリババのようなデジタル・プラットフォーマーがその選択肢の一つとなってきました。これら全てがアプリケーション・プログラミング・インターフェース(API)でつながる分散化されたAPIエコノミーになってきています。
こうした産業構造の変化のなかでは、チェスブロウ教授の言うエコシステムを活用したオープン・サービス・イノベーションの実践がこれからの企業にとって欠かせない取り組みであると高重は強調します。そして、「富士通自身がエコシステムを活用したヒューマンセントリックな価値の共創、オープン・サービス・イノベーションに取り組んでいて、AIを活用した診療判断の支援など様々な領域でチャレンジを行っている」と話します。これに引き続き、富士通が行っているエコシステムを育てていくイニシアティブとして、チェスブロウ教授から話のあったOIGや、学術研究機関やベンチャー企業との共創について説明を行いました。
講演を終えるにあたり高重はエコシステムによる共創を成功させる鍵となるものとして”信頼”を挙げています。
「共創やオープン・イノベーションをうまく進めていくためには、まず”信頼の基盤”を築くことが必要ではないでしょうか。シリコンバレーもまた究極的には人と人とのつながりで動いています。そこに信頼関係があるから迅速に課題を解決し、すばやくイノベーションを起こすことができるということでしょう」。そう述べたあと、高重は講演をこう結びました。「富士通としても皆さまとそのような信頼関係を築き、さまざまなイノベーションに取り組んでいきたいと思います。今後とも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます」。
パネルディスカッション
休憩を挟んでフォーラムの後半、高重を進行役に、チェスブロウ教授、フルスマン氏、そしてラウ・フーン・チュイン教授を壇上に迎え、Q&A形式によるパネルディスカッションが行われました。
高重 吉邦
ではこれから、本日のゲストスピーカーにラウ教授を交えて、パネルディスカッションを進めていきたいと思います。議論に先立ち、まず、ラウ教授から簡単に自己紹介をいただきたいと思います。ラウ教授、お願いいたします。
ラウ・フーン・チュイン
本日はお招きありがとうございます。シンガポール・マネジメント大学教授のラウと申します。大学では技術系社会科学と経営学を教えており、情報システム校の専任教授も務めております。専門はコンピュータサイエンスで、工学の博士号を東京工業大学で取りました。情報理工学研究科計算工学専攻です。
富士通とのつきあいはもうかれこれ20年以上になります。交換留学生として来日した際に富士通研究所のAI グループの研究員となりました。そのころには思いもよらなかったことですが、今わたしは富士通とシンガポール政府が共同で設立した先端研究組織(Urban Computing and Engineering Center of Excellence:UCE CoE)のリード・インベスティゲーターも務めています。
高重 吉邦
ラウ教授、ありがとうございます。今日は参加いただいた皆様から事前にいただいた沢山の質問の中からいくつかを選んで議論を進めていきたいと思います。まず、最初の質問ですが、オープン・イノベーションを進めることで企業はどのような成長機会を得ることができるのでしょうか?
チェスブロウ教授、成功事例を挙げてお答えいただけますか?
ヘンリー・チェスブロウ
米国の創薬分野でイーライリリー社の事例がまず挙げられます。この企業は自社の化合物試験を外部の起業家に無料で実施しています。創薬につながる可能性のある化合物の情報を収集し、有望な化合物だとわかると、それを持ち込んだ起業家と商談を行います。この仕組みにより創薬の初期投資を大きく削減することができます。
NASAはクラウドソーシングを使って科学コンテストを実施しており、例えば太陽フレアの予測に関する有効なアイデアを得ました。このコンテストの優勝者は専門の科学者ではなく、気象予報士でした。そのため、NASAの科学者の間では、専門家ではない外部の人間がこうした難問を解くのであれば、彼ら専門家の役割は何なのかというアイデンティティの危機が発生しました。これは人間ならではの問題であり、自社の技術者の懸念を認識しておく必要があります。
最後の事例はイタリアの電力企業、エネル社のものです。同社は電気自動車に着目して新しいビジネスモデルを構築しました。使用されていない電気自動車のバッテリーの電力を別の用途に活用し、所有者がその車を使う前にリチャージして戻すという仕組みです。これにより電気自動車がポータブルなオンデマンド電力ストレージに早変わりしました。車の所有者は使用された分の電気料金を電力会社から受け取ることもできます。
この三つの事例に共通しているのは、外部のパートナーと協力して新しいことを始めるときに新しい視野でものを見るということにつきます。いずれもが新しい価値を提供しており、そこに成功要因があります。
高重 吉邦
ありがとうございます。今日は世界各地のイノベーション・センターを代表する方々に来ていただいていますので、それぞれのオープン・イノベーションの独自性について探っていきたいと思います。ラウ教授、シンガポールではいかがでしょうか?
ラウ・フーン・チュイン
最近始まった国家プロジェクトをいくつかご紹介しましょう。ひとつめに挙げたいのは”オープン・イノベーション・プラットフォーム(OIP)”です。これは課題を抱える企業とそれを解決できる企業(特にはICT企業)との協業を加速させるプログラムです。クラウドソーシングのプラットフォームを用いて課題とソリューションをマッチングします。シンガポール政府の政府機関が効率よくマッチングを行っています。
もうひとつの国家プロジェクトは”AIシンガポール”です。これは主に中小企業を対象に、学術研究機関が協力してAI導入の支援を行うというものです。そのなかに”AI 100 Experiments”というプロジェクトがあり、企業側が提起した100の課題に対して大学や研究機関の研究者が企業と連携して12から18か月間取り組みます。この研究に企業と政府の双方がファンディングし、成果としての”minimal viable product(最小限実現可能な製品)”を生み出します。
わたしたちの先端研究施設自身も一つの国家プロジェクトで、富士通、シンガポール・マネジメント大学(SMU)、シンガポール科学技術研究庁の三者が協力して都市問題に取り組んでいます。それぞれがそれぞれの得意とする技術を提供し、そこから生まれた成果物を富士通が市場に送り出します。まさに共創の場ですね。
高重 吉邦
ありがとうございます。シンガポールで共創を考える場合、政府機関とのパートナーシップや国家プロジェクトへの協力が鍵となりそうですね。チェスブロウ教授、米国ではその点いかがでしょうか?
ヘンリー・チェスブロウ
国防分野を除いてボトムアップのケースが多いと思います。米国ではいま基礎研究が企業から大学の研究室にシフトしていて、新しい技術の芽は大学のキャンパスで培われています。
企業にとってこれはいいことです。大学の作る”製品”はひどいものが多いのですが、大学と手を組めば将来性のあるすばらしい基礎研究が行えます。市場で競合することもないため、お互いの利益になるいい関係が作れると思います。先ほどフルスマン氏も大学との連携について話されていましたね。
アンドリュー・フルスマン
大学院生の価値はもっと評価されるべきだと思っています。わたしたちの会社も最初の20人ほどの社員は卒業前の博士課程の学生を採用しました。カナダ政府の支援プログラムを活用したのです。なにか新しいことを始めようとするとき、その分野に経験10年というような人材はまずいません。旺盛な探究心を持ち、贅沢をいわずデータと地道に格闘する人材を見つけることが重要です。大学院生たちは明晰で、長く一緒にやっていくうえでの適性をしっかり備えています。その意味ですばらしいリソースです。人々はそれを過小評価していると思います。
高重 吉邦
ここで少し話題をIPR(知的所有権)の問題に移しましょう。オープン・イノベーションでは、IPRの話を避けて通ることはできません。自社の機密情報を守りながらIPRをうまく扱うにはどういうことを考えておくべきでしょうか?
ヘンリー・チェスブロウ
わたしはオープン・イノベーションの提唱者ですが、すべてをオープンにするべきとは主張しておらず、IPRに対してより洗練されたアプローチを取るべきだと思います。オープン・イノベーションの領域と社内の研究開発の領域のしっかりした線引きが必要です。たとえば、ベルギーにIMECという半導体の研究機関があります。IMECは政府の財政支援を受けて最先端の研究機材を整え、外部企業とともにさまざまな基礎研究を行なっています。最も基礎的なレベルの研究成果は、協力企業は無償でアクセスできます。個別のプロジェクトにファンディングして貢献した企業には、非独占のかたちでIPRの使用が無償でライセンスされます。もしそこからさらに製品開発が行われる場合、そのプロジェクトに取り組んだ特定企業にのみ、当該成果物の独占所有権が付与されます。このIPRを何層かのレイヤーで取り扱う仕組みでは、オープンな部分と閉じた部分の線引きがうまく行われています。
アンドリュー・フルスマン
IPRに関してはリスクばかり考え過ぎない方がいいように思います。インセンティブについて当事者同士でしっかり取り決めをしておけばいいのです。例えば、大企業がスタートアップに対して「研究に必要な資金を出しましょう」と言い、「一緒にやって、わたしたちの業種で使える成果はわたしたちが所有権を持ちます。でも、それ以外の事前に決めた範囲内であれば、それを君たちがどのように使ってもかまいません」と言ってくれれば、それはスタートアップにとって非常に嬉しい話です。なにしろこれまで考えもしなかったような大企業が自分たちの技術を使ってくれるのですから。かれらはたいてい自分たちの価値を世界に示せるのであれば、契約条件にはあまりこだわりません。IPRの問題を乗り越えるクリエイティブなやり方はあります。法務上の問題で物事が前に進まなくなるのだけは避けるべきです。
ラウ・フーン・チュイン
わたしたちの場合、IPRは悩ましい問題です。富士通、シンガポール・マネジメント大学、シンガポール科学技術研究庁の三者に加えてプロジェクトパートナーも研究開発に参加するため、IPRに関しては4つの当事者がいるわけです。
IPRについて話し始めると、とかく肝心なことが置き去りにされてしまいがちです。肝心なこととはつまり、その新しいソリューションや技術を生み出したのが人間であるということです。大学教授であっても研究者であっても学生であってもかまいませんが、製品や技術を作りあげるのは人材です。IPRはもちろん大事ですが、製品が完成した後で企業はそれを生み出した人間を大切にすべきではないかと思います。その人間を雇用すればその人材の知識と経験を社内に取り込むことができます。そこからまた次の展開につながります。
アンドリュー・フルスマン
IPRの共同所有ということを聞くことがありますが、経験からいってそれはかなり難しいと思います。わたしは所有権を相手に譲り、特定分野での使用権を獲得するか、逆に自分がその所有権を手にして相手に特定分野での使用権を認めるかのどちらかのやり方をしています。IPRの共同所有はたいてい誰が権利を持っているのかがわからなくなり問題になりがちです。曖昧な共同所有よりも当事者のどちらかがしっかり所有権を持つことの方がずっといいと思います。
高重 吉邦
ここでまた少し話題を変えましょう。オープン・イノベーションについて、大企業がスピード感を持って意思決定していくためにはどうすべきだと思われますか?
ヘンリー・チェスブロウ
新しい社内プロセスが必要です。もちろんその構築には時間がかかりますし、いったんそれを作り上げたあとも、それに慣れるまでは余計な時間を取られるでしょう。高重さんはそれをデジタル・マッスルと呼んでいました。しかし、いったんそのプロセスが始動したあとは、プロジェクトを重ねるにつれてスピードは上がっていきます。
また、大企業が大学や研究機関と共同研究を進めるような場合、すぐ成果が出ると思ってはいけません。スピードを上げるためには、コンセプトの実証実験を小さな規模で何度も試してみるべきです。最初は簡単に始めて、事業の判断材料を手に入れ、拡大展開するときにしっかりしたプロセスを構築すればいいのです。
アンドリュー・フルスマン
大企業は5万ドルの投資判断をするために10万ドルに匹敵するリソースを使うことがありますが、スタートアップと一緒にやればずっと手軽に判断材料が得られます。失敗や成果の有無も気にせず仕事を進められるので、時間や予算を大幅に削減できます。もし、そこに半年ほどの余裕があれば、それはスタートアップにとって永遠にも匹敵する長さで、プロジェクトが終わる頃にはかれらはまったく違う会社に生まれ変わっているでしょう。プロジェクトがすぐにいい成果を上げられなかったとしても、お互いの理解は確実に深まります。それをお互いの成長につなげることもできます。共創する意思がなければそういうことも起こりません。
高重 吉邦
そろそろフォーラム終了の時間が迫ってきました。最後にパネリストの方々から会場に向けて一言ずつ言葉をいただきたいと思います。では、ラウ教授からお願いします。
ラウ・フーン・チュイン
先日、シンガポールで家族と映画を観ました。ハリウッドの娯楽映画です。この映画のなかではアメリカ漫画のヒーローたちが力を合わせて悪と戦います。それまでかれらはそれぞれ一人で孤独に戦っていたのですが、その映画では力を合わせます。それはなぜか?立ち向かうべき相手の力があまりに強大だからです。かれらは自分の強みを活かしながら、仲間と意思を通いあわせて戦います。ここにあるのはひとつの共創のモデルではないでしょうか。ハリウッド映画からもそんなことを考えさせられました。
アンドリュー・フルスマン
わたしからは「とにかくまずやってみよう」ということをお伝えしたいと思います。臆する気持ちを抑えてコラボレーションを始めましょう。最悪のことからも多くの価値あることが学べます。何か新しいことを始める時には、とにかくまずやってみることです。
ヘンリー・チェスブロウ
イノベーションに関しては、オープン・イノベーションが最新のアプローチです。これまで企業は自社で研究開発を行い、すべて自前で製品を作り上げていました。しかし、いまそのプロセスはもっとオープンなものになっています。シリコンバレーだけでなく、日本、韓国、中国、シンガポール、ヨーロッパ、中南米、さらにアフリカでそれは始まっています。世界はいまオープン・イノベーションに向かっているのです。どんな企業もその流れから逃れられません。そして、そこで忘れてならないのが”顧客との共創”です。顧客について知れば知るほど、多くのことを学ぶことができます。顧客との関係が深まれば、将来の糧になる貴重な知見を得ることができます。そのふたつ、”オープン・イノベーション”と”顧客との共創”がこれからの事業の成長の鍵を握っています。
高重 吉邦
ラウ教授、フルスマンさん、チェスブロウ教授、本日は貴重なお話をありがとうございました。
本日は”オープン・イノベーション”そして”共創”ということを通じていかにビジネスを変革していくべきか考えてまいりました。今日のお話がこれからの経営戦略を考える皆様のご参考になれば、まことに幸いです。長時間お付き合いをいただきまして、どうもありがとうございました。
この高重の言葉をもって富士通 経営者フォーラム2018は終了し、参加者は登壇者とともに懇談会の会場に向かいました。