学校や図書館で触ることができるパソコンを魔法の箱と呼んでいました。
家では、魔法の箱の代わりにノートとペンを握りしめ、
思うままに迷路やパズルを書き起こしていたような子供でもありましたね。
中学に上がる頃、やっとパソコンを買ってもらってからは、パソコンで音楽を作る毎日でした。
覚えたてのプログラミングを駆使して。
プログラミングも、音楽を作りたい!という好奇心があったから、自力で調べて習得したんですよ。
とにかく気持ちの赴くまま何かをカタチにしたくて、
「魔法の箱を使って何かを作る仕事をしたい」と、漠然と思い始めたのがこの頃です。
高専を選んだのは、魔法の箱への好奇心と、同じく高専を卒業した父の背中を追いたい一心があったから。
講義でCGの面白さや当時最先端だったAR技術に出会って、
「コンピュータも人間と同じように現実世界を認識できるんだ!」と感動したことがきっかけで、
コンピュータビジョンの道を選びました。
学年が上がり難しい課題が多くなってくると、放課後、たくさんの質問を抱えて教員室に通うようになり、
そうした日々の中で、ある先生と出会うのです。
その先生はいつも、僕の質問に答え終わるや否や、ご自身が進められている研究の魅力や楽しさ、
研究に懸ける想いを熱く語ってくれる人で。
18歳の僕に向かって、「まだ誰も解いていない問題を解くために、ひたすら考え続けているんだ!」と、
瞳をキラキラさせてとても楽しそうに話すんです。
そんな先生の姿を見ていると、好奇心に突き動かされて何かに夢中になっている時の自分と重なる部分が
多くあるなと気づき、「研究者になりたい」と強く思うようになったのです。これが始まりですね。
大学への編入を経て、専門性を還元して世の中に貢献できる技術を創れる場所を求め、富士通に入社しました。最初の配属先は、回転測域システムという三次元計測機の研究開発部門でした。
そのシステムは手軽に構築できる反面、組み立て誤差や経年劣化により機器の構成がずれやすく、
高精度に三次元計測を行うためにはキャリブレーション(注1)の実施が必要でした。ただ、
その実施には特定のマーカ(目印)が必要となるため、
システムの応用範囲が限定的になる課題があったのです。
「どうにかしてマーカ不要なキャリブレーションを実現する手段はないか」と悶々と考える中、
会議に向かっている途中、同僚と雑談していると、
そのシステムを使うと冗長に計測される領域があるな、と気づいたのです。
こればかりは直感ですが、専門としてきたコンピュータビジョンの技術をうまく応用すれば
新たな方法を確立できるかもしれないと思って、途端に好奇心のスイッチが入りました。
その日以降、ご飯を食べながら、散歩をしながら、ただひたすらに考え続けました。
毎日、数式を書いては消し、プログラムを打ち込んでは消し…
そんな2か月を経て、頭の中にあったイメージが遂に目の前に現れた時、
言葉にできないくらい感動したのを、はっきりと覚えています。
辛くなかったといえば嘘になりますが、時間や場所を問わず没頭すればきっと実を結ぶはずだと信じ、
その信念を持ち続けて深く思索することで、
結果として、学会から認められる研究成果(注2)を出すことができたのだと思います。
いまでも、なかなか答えに辿り着かず模索する日々には、ふとあの先生の顔と言葉を思い出しますね。
「まだ誰も解いていない問題を解くために、ひたすら考え続けているんだ」って。
現在は、マルチカメラを用いた体操採点システムの研究開発をしています。
僕の研究のポリシーは2つ。
1つは、自らが固定観念に捉われない発想をするだけではなく、
チームの誰もが自由な発想を持ち、様々な観点から議論をすること。
もう1つは、初めから完璧を目指すのではなく、失敗を恐れずに、まず形にしてみることです。
私生活の面でいえば、昨年、育児休暇を取得しました。
日々目を見張る成長をし続ける子供の姿に、未来の世界を想像するようになりました。
その未来が、誰もが幸せを感じられる世の中であってほしいし、その一翼を担う技術を創りたい。
そしてその技術は特に、誰か困っている人に手を差し伸べるようなものでありたいと改めて強く思っています。
研究者としての夢は、研究の楽しさを周りに、後世に、伝えていくこと。
昔の僕みたいに、まだ研究の道に気づいていない未来の研究者に、研究の魅力や楽しさを伝えたいんです。
あの時の先生みたいに。
ジャズやメタルなどのジャンルを問わず音楽鑑賞をしたりすることが好きです。