大規模携帯基地局用デジタルプリディストーション技術の開発

公開日 2021年9月15日
5G,IoT長谷 和男, 大石 泰之, 石川 広吉, 大庭 健

いつでもどこでもネット経由で動画や様々なアプリを利用できる移動通信サービスは,私達の生活を向上させ,今や手放すことはできない。多岐にわたるサービスには移動通信システムの大容量化と人口カバー率の向上が必須であり,富士通は設置場所を選ばない基地局向け小型無線装置を開発してきた。

本稿では,基地局向け小型無線装置の実現に中心的な役割を担ってきたデジタルひずみ補償技術と適用のあゆみについて述べる。

1.まえがき

携帯電話は,2000年頃に第3世代移動通信システム(以下,3G)サービスが開始され,携帯電話の普及が一人一台へと進んだ。更に2010年頃からスタートした第4世代移動通信システム(以下,4G)はスマートフォンの登場により一気に普及し,生活やビジネスのスタイルを激変させた。

携帯電話サービスの普及にはシステム大容量化と容易な装置設置を可能とする小型化が不可欠であった。装置の小型化には,無線装置の消費電力の大部分を占める送信電力増幅器の高効率化が課題であった。送信電力増幅器は最大出力となる飽和領域レベルで動作させると高い電力効率を示すが,飽和領域レベルでの動作は送信する通信信号にひずみを付与するため,通信品質の劣化につながっていた。

そこで,富士通は1995年に他社に先駆けて「高性能基地局プロジェクト」を発足させた。飽和領域レベルで動作させてもひずみを付与させない技術が,無線装置の低消費電力化と高品質な通信を実現できる技術であると認識し,ひずみ補償の研究に取り組むこととなった。

本稿では,無線装置の高性能化を実現した新しいひずみ補償技術である,デジタルプリディストーション(DPD:Digital PreDistortion)技術とその適用のあゆみについて述べる。

なお,「大容量携帯基地局用デジタルプリディストーション技術の開発」の業績によって,筆者らは令和3年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(開発部門)を受賞した[1]。

2.従来技術とその問題点

2002年までの無線基地局では,図-1に示すフィードフォワード(FF:Feed Forward)方式と呼ばれる,アナログ回路を用いたひずみ補償技術を用いていた。この方式はメインアンプと補助アンプと呼ばれる2つの増幅器で構成され,メインアンプで生じたひずみは補助アンプで反転増幅し,2つの増幅器出力を合成することで線形増幅動作を実現した。FF方式のひずみ補償能力は高かったが,補助アンプなどを用いるため電力効率(送信アンプの出力電力と消費電力の比)は低かった。

図-1 フィードフォワード方式

本章では,FF方式が抱える問題点について述べる。

2.1 複雑な回路構成と電力効率低下

FF方式はメインアンプで生じたひずみを増幅する補助アンプや,2つの増幅器出力のタイミングを合わせて合成するための遅延線など,多くのアナログ部品が必要となる。部品が多くなることで,回路構成が複雑化した結果,FF方式の消費電力は,遅延線の電力損失特性を考慮したメインアンプの設計と,線形増幅が求められる補助アンプの消費電力の影響で,電力変換効率(送信アンプの出力電力と消費電力の比)は約7%と低い状態であった。

また遅延線の寸法精度が低いと,信号経路内を進む信号の時間差が発生し,ひずみ補償が有効に機能しなくなるので,高精度の調整が必要であった。遅延線における遅延時間差の許容値は無線信号の広帯域化に応じて小さくなるので,3G開始時に各移動通信事業者に割り当てられた帯域である20 MHz程度が本方式の限界と言われていた。

2.2 装置大型化による設置場所制限

FF方式は消費電力が大きいため,強制空冷による熱対策などで装置が大型化する。専用の電源設備も必要になるため,屋内に設置される構成となっていた。

また,アンテナと屋内の無線装置間におけるアナログ信号の伝送は,低損失の同軸ケーブルを用いていたが,伝送距離が長いため損失が10 dB以上発生する(信号電力が1/10以下になる)というケースも見られた。そのため,通信エリア拡大のために送信電力増幅器の出力電力を上げようとすると,許容電源容量を越えてしまうという問題も発生した。更に,太い同軸ケーブルは設置性が悪いという問題もあった。

3.大規模携帯基地局用DPD技術

本章では,前章で述べた従来のひずみ補償技術が抱える問題を解決するために富士通が開発した,デジタルプリディストーション(DPD)方式,およびDPD技術適用のあゆみについて述べる。

3.1 DPD

図-2にDPD方式の構成図を示す。DPD方式は電力増幅器に入力した信号に基づき発生するひずみの逆特性を,予ひずみとして信号に付加してから電力増幅器に入力することで,電力増幅器の出力で所望の信号を得る手法である。そのため,FF方式のような補助増幅器や遅延線は不要となり高効率動作を実現できるとともに,消費電力が小さくなる特長がある[2]。電力増幅器の高効率動作が進むと,そのひずみ特性は,電力増幅器の現在の入力電力だけでなく,信号の遷移(過去の入力信号がどう変移してきたか)に影響される。富士通では1997年頃からこの特性に着目し,「動的非線形特性」あるいは「アンプの記憶」と呼び,独自に研究を行ってきた。のちにこの特性は電力増幅器のメモリ効果として知られることになる。図-3は,メモリ効果の有無による電力増幅器のひずみ特性の変化例である。メモリ効果によって,電力増幅器の入力と出力の比,ゲイン(増幅率)の値にばらつきがあることがわかる。高性能な電力増幅器を実現するためには,このメモリ効果によるゲインのばらつきを考慮したひずみ補償技術が必要不可欠となる。

図-2 デジタルプリディストーション技術

図-3 メモリ効果の有無による送信アンプのひずみ特性の変化例

富士通は,メモリ効果に対応したDPD方式を早期に確立し2002年に世界に先駆けて3G基地局に採用したことで,電力増幅器の消費電力を半減し装置サイズを大幅に小さくした無線装置の実現に成功した[3]。

3.2 DPD技術の発展

DPD技術を3G基地局に採用した後も,筆者らはDPDを用いた送信アンプの高効率化に取り組み,無線装置の性能向上を図ってきた。

2008年には,当社が世界に先駆けて発明した超高速トランジスタHEMTをベースとして開発した,窒化ガリウムHEMTデバイスを使用した高出力アンプとDPDを組み合わせて,世界最高水準の高効率データ通信,および,重さ約20キログラム,容積約20リットルの世界最小サイズの屋外用基地局装置開発を実現した。

また,2016年には,無線信号の送受信が時刻で切り替わるTDD(Time Division Duplex)方式に対応したDPD技術を確立した。TDD方式は通信量の多い下り通信に多くの単位時間を割り当てることが可能な方式であり,3.5 GHz帯はTDD方式のグローバル周波数であることから,多様な端末が本周波数に対応できる。筆者らは,プラスチック素材の適用による小型軽量化,および,送信電力の最適化技術による低消費電力化を図るとともに,一般的な商用AC電源を採用することで,屋外環境に加えて駅構内や屋内の天井などへの設置も想定した,3.5 GHz帯TDD方式対応小型低出力光張出し無線装置開発を実現した。

4.DPD技術適用のあゆみ

図-4に富士通のDPD技術開発とその適用のあゆみを示す。富士通は,常に他社に先駆けて,小型・低消費電力,かつ広帯域信号に対応できる装置を開発し,快適な無線通信環境の実現を支えてきた。

図-4 富士通のDPD技術適用のあゆみ

2002年に世界で初めてDPD技術を実用化した無線装置を開発したことで,2004年には図-5に示すような屋外設置時の外部環境変化にも耐えるメンテナンスフリーとなる小型無線装置を実現した。本装置は,世界で初めて,同軸ケーブルを用いず光ファイバー接続による屋外設置を実現した無線装置であり,また,屋外設置で故障主原因となるファンが無いため故障しない。これにより,設置場所の自由度が向上し,携帯電話サービスの利用エリア拡充が容易になった。

図-5 基地局構成の変化

2008年には,筆者らが開発した窒化ガリウムHEMTデバイスを使用した高出力アンプとDPDの組み合わせ技術によって,WiMAX(Worldwide Interoperability for Microwave Access)に代表される3.5世代サービスの国内新規立ち上げに貢献した[4]。

2010年には,複数の周波数を使用するキャリアアグリゲーションという方式を用いて通信速度を3.5世代の約3倍に向上させたLTE(Long Term Evolution)規格が3.9Gとしてサービスされることになった。LTEの国内サービスインに対していち早く無線装置を製品化し,新しい無線方式の普及に貢献した。

2016年には,国内最速の通信速度を達成するTDD方式に対応するDPDを搭載した,4G向け小型無線装置を実現し,快適な通信環境の早期実現に貢献した[5]。

5.むすび

本稿では,無線装置の高性能化を実現した新しいDPD技術とその適用のあゆみについて述べた。

筆者らが先鞭を着けたDPD技術による無線装置の小型・低消費電力化は,第5世代移動通信システム以降の無線通信システムにおいても適用され,更に環境影響への低減につながる技術のため極めて有用である。これからも移動通信システムのキーテクノロジーとして情報社会に貢献していく。


本稿に掲載されている会社名・製品名は,各社所有の商標もしくは登録商標を含みます。

著者紹介

長谷 和男(ながたに かずお)富士通株式会社
ナショナルセキュリティ事業本部
防衛関連のシステム開発に従事。
大石 泰之(おおいし やすゆき)富士通株式会社
ナショナルセキュリティ事業本部
防衛関連のシステム開発に従事。
石川 広吉(いしかわ ひろよし)富士通株式会社
モバイルシステム事業本部
携帯電話基地局装置向けデジタル信号処理技術の開発に従事。
大庭 健(おおば たけし)富士通株式会社
モバイルシステム事業本部
携帯電話基地局装置向け製品化技術の開発に従事。

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