量子コンピューティング
―従来は不可能だった課題の解決を目指して―

公開日 2021年1月13日
コンピューティング土肥 義康, 佐藤 信太郎

本稿では,量子コンピューターの実現に向けた,新たな取り組みについて述べる。

量子ゲート方式の量子コンピューターは,実現すると飛躍的な計算速度の向上をもたらすと言われており,現在のコンピューターでは解けない,様々な課題への適用が期待されている。例えば,物質の電子状態の詳細な解析や,それを利用した物質の反応過程・触媒作用のシミュレーションにより,新たな材料の開発が可能であり,エネルギー問題の解決や医療・創薬の高度化に貢献することが考えられる。このように,量子コンピューターの実現には多くの困難な課題があり,長期的かつ広範な研究開発が必要である。この度,富士通研究所では,世界の有力な研究機関とのオープンイノベーションによって,ハードウェアからソフトウェア,基礎から応用に至る全ての領域において,量子コンピューティングの研究開発を開始した。

1.量子コンピューターの概要と歴史

量子コンピューターは,多数の計算を同時並行,かつ高速で実行可能なコンピューターとして期待が高まっている。従来のコンピューターが,情報の最小単位を0か1で扱うのに対して,量子コンピューターは0と1の状態を同時に扱うことにより,飛躍的な計算性能の向上を実現する。

量子コンピューターのアイデアの歴史は古く,1982年に物理学者であるリチャード・ファインマンが「自然をシミュレーションしたければ,量子力学の原理でコンピューターを作らなくてはならない」と「量子力学を応用したコンピューター」という概念を提唱したことより研究が始まったとされている[1]。その当時は,理論上の「夢のコンピューター」と呼ばれていた。1994年には,MITのピーター・ショア氏が素因数分解のアルゴリズムを発見[2]し,第一次量子コンピューターブームを迎えた。1999年には,超伝導量子ビットが産声[3]を上げ,実現への熱が高まった。しかし,量子状態の保持時間の短さや操作精度の改善が容易ではなかったため,量子ビット数の増加は3,4年に1ビット増加する程度に留まっていた。

2017年頃から超伝導で扱える量子ビット数が爆発的に増加した。2019年10月には53量子ビットによる量子超越性が議論可能になるほどに,量子ビットの数は増加し,操作精度や寿命が大幅に改善してきた[4]。これは,人類が量子コンピューターというものを制御し計算に用いることが可能である証左であり,しばしばライト兄弟の初飛行に例えられる。それでも,実用的な問題を解くためには様々な課題が山積している。

2.高性能コンピューティングへの挑戦

富士通研究所は,社会の抱える様々な課題解決のために,コンピューティング技術の向上に取り組んでいる。ムーアの法則の限界が近づく中,超並列計算クラスタやGPGPU(General-purpose computing on graphics processing units)の利用により,計算システムの性能向上を目指している。また,アプリケーションに特化したドメイン指向コンピューティングにも取り組みを進め,最適化問題に特化したデジタルアニーラを開発,市場に投入している。量子現象を活用するコンピューターには,量子ゲート方式と,量子イジングマシン方式がある。デジタルアニーラは,量子イジングマシン方式をデジタル処理にて実現する技術であり[5],量子アニーリングから着想を得ている。

富士通研究所では,更に先のコンピューティング需要を見据えて,新原理に基づく真の量子コンピューティングの研究に取り組んでいる。

3.量子ゲート方式実現の課題

更に先を見据えて富士通研究所で取り組んでいる量子ゲート方式は,実現すると飛躍的な計算速度の向上をもたらすと言われており,現在のコンピューターでは解けない,様々な課題への適用が期待されている。親和性の高さから,量子化学計算への適用が考えられており,具体的な例では,ニトロゲナーゼのアンモニアを生成する触媒作用(N2+3H2→2NH3)のメカニズムの解明が試みられている。これが実現されれば,通常,高温・高圧なプロセスが必要なハーバーボッシュ法によるアンモニア合成を低エネルギーな生成法に置き換えることが可能であるため,エネルギー問題や,食料問題の解決に大きく貢献すると考えられている。

最近ではGoogleやIBMが量子ゲート方式に参入し,この方式の1つである超伝導量子ビットを使った方式に取り組んでいる。量子ゲート方式は,超伝導方式の他,シリコン量子ドットを使った方式,電場でトラップしたイオンを使った方式など様々な方式が提案され,世界中で参画研究機関も増えてきている。しかしながら,実問題に適用するためには,まだまだ課題が山積みである。

量子ゲート方式の共通の課題は,量子ビット数の大幅な増加とエラー対策である。

近年,量子ビット数が大幅に増えており,Googleの「量子超越性」の発表[4]において,量子ビット数は53ビット,最近のIBMの最新鋭機で65ビットに及んでいる[6]。遠くない未来において1,000ビット級までの量子コンピューターが実現すると予想されている。しかし,量子コンピューターで実用的な問題を解くためには,エラー補正機能が必須であり,それに必要な量子ビット数は,100万ビット以上とされる。現状では遠く及ばず,その実現には長期的な取り組みが不可欠である。

ビット数の問題の他にも,量子ビットは周囲環境のノイズの影響に脆く,容易にビットのエラーを発生させてしまう問題がある。現在,量子ビットを形成,操作する技術は年々向上しており,1演算あたりの精度は99%を達成し,1%以下のエラーで実行可能な領域に入ってきた[4]。しかし,ビット数が増え,計算ステップ数が増えると,計算の全体精度は,個々精度の掛け算で寄与するため,計算規模の増大に伴い,エラーの問題は深刻なままである。ハードでの更なる改善は長期の研究開発が必要なことから,エラー緩和アルゴリズム[7]など,ソフトウェア的なアプローチも並行して進める必要がある。

4.オープンイノベーションによる富士通の新しい挑戦

本章では,量子コンピューターの実現に関わる,大規模化とエラーの課題に対する富士通研究所の取り組みについて記す。

量子コンピューティングの研究には様々な領域の知見が必要である。また,ハードウェアにも様々な方式が存在する。富士通研究所では,図-1に示すように,オープンイノベーションで,量子デバイスから,アルゴリズム,アプリケーションに至る全ての技術領域において,多様な量子ゲート方式やエラー補正技術の研究開発を開始した。

図-1 量子コンピューティングの共同研究開発

4.1 多様な量子ゲート方式の共同研究開発

富士通研究所では,超伝導方式の量子コンピューターにおいて超伝導量子ビットを世界で初めて実証した,理化学研究所(以下,理研),東京大学(以下,東大)の中村泰信教授のグループと共に研究開発に取り組んでいる。超伝導量子ビットは,操作の手法や精度,読み出しにおいて,最も先行し,成熟した技術の1つである。共同研究では,理研・東大の持つ独自で世界最高レベルの量子ビット制御,読み出し,集積技術と,富士通研究所の持つ強い材料,デバイス,回路,システム技術を融合し,大規模で精度が高い量子コンピューターの実現を目指す。

超伝導方式に加え,将来のブレークスルーを狙ったエマージングな方式として,窒素などの不純物をダイヤモンドに導入することにより,ダイヤモンド中にスピン状態を形成し,それを量子ビットとして用いるダイヤモンドスピン方式に取り組む[8]。現在,デルフト工科大学と,この方式を用いた量子コンピューターの共同研究を行っている。図-2に示すように,ダイヤモンド中の安定な核スピンをメモリ量子ビットとして量子情報を保持させ,量子ビット間の演算は光を媒介にした量子テレポーテーションを利用して実現する。この技術は,超伝導方式などに比較して高温動作が可能で,大型冷却器が不要ということから,大規模化が期待できる。また,光によってスピンの量子状態にアクセスできることから,外部からのノイズに強い,量子コンピューターの大規模構成が可能と考える。本技術は,まだ基礎研究段階ではあるが,将来の大規模な量子コンピューターを実現するブレークスルーとなる技術として長期的に取り組んでいく。

図-2 ダイヤモンドスピン方式の量子コンピューター

4.2 エラー補正技術の共同研究開発

量子コンピューター自体の実現は重要であるが,実際に社会課題を解決するためには,実応用に適用できることが最も重要である。今後,量子コンピューター上でアルゴリズムを実行し,有用な計算結果を得るためには,エラーを緩和する技術や誤りを補正するソフトウェア技術が鍵を握る。

富士通研究所は,この4月から,カナダのQuantum Benchmark社(以下,QB社)とNISQ[9]用のエラー緩和技術とその応用アルゴリズムの研究開発を開始した。本共同研究では,図-3に示すQB社のEmerson博士の考案した「Randomized Compiling[7]」をベースに,富士通の材料,デバイスの強い技術に加えて,デジタルアニーラで培ったお客様の定式化に関する要望を取り入れ,より実用に近い計算アルゴリズムを目指して取り組んでいく。なお,「Randomized Compiling」は,特定のゲートに発生する固有のエラーを排除するために用いられる。計算対象の量子回路に対して,使用するゲート種を変えた等価な量子回路を複数用意し,統計的にエラーの効果を分散させて,全体の演算精度を上げることが可能である。

注)文献[7]の技術に基づいた,RC適用効果の概念図

図-3 エラー緩和技術

更に,NISQ時代を越えた,100万ビット超級の量子コンピューターに向けて,大阪大学の藤井啓介教授と,汎用量子計算に向けたエラー訂正(誤り訂正)技術[10]と,アルゴリズムに関する共同研究に取り組んでいる。新たなエラー訂正符号とその実装法の研究開発を進めることで,富士通の持つ大規模計算システムの実装,構築技術と融合し,将来的に,エラー訂正機能を有する汎用量子コンピューターの実現を目指す。

5.今後の展望

富士通研究所では様々な社会課題の解決のために,量子コンピューティングで長期的な研究に取り組んでいく(図-4)。近い将来ではNISQコンピューター,将来的には大規模な誤り耐性量子コンピューターの活用を目指し,ソフトウェアとハードウェアの両面で実応用に即した研究開発を推進する。まずは数年後をめどに,NISQ用の実用的なアルゴリズムの開発を目指す。長期的には,この分野で,世界中の様々な連携研究機関と共にイノベーションを起こし業界をリードし,更には,量子コンピューターを活用して社会課題を解決し,持続可能な世界へ貢献していきたい。

図-4 将来に向けて


本稿に掲載されている会社名・製品名は,各社所有の商標もしくは登録商標を含みます。

参考文献・注記

  1. R. P. Feynman:“Simulating physics with computers.” International Journal of Theoretical Physiscs 21, pp. 467-488 (1982).本文へ戻る
  2. P. W. Shor:“Algorithms for quantum computation: discrete logarithms and factoring.” Proceedings 35th Annual Symposium on Foundations of Computer Science.本文へ戻る
  3. Y. Nakamura et al.:“Coherent control of macroscopic quantum states in a single-Cooper-pair box.” Nature 398, pp. 786-788 (1999).本文へ戻る
  4. J. M. Marinis:“Quantum supremacy using a programmable superconducting processor.” Nature volume 574, pp. 505-510 (2019).本文へ戻る
  5. C. E. Bradley et al.:“A Ten-Qubit Solid-State Spin Register with Quantum Memory up to One Minute.” Phys. Rev. X 9, 031045.本文へ戻る
  6. NISQ:Noisy Intermediate Scale Quantumの略。ノイズが多く,中規模な量子技術。本文へ戻る
  7. Austin G. Fowler et al.:“Surface codes: Towards practical large-scale quantum computation.” Phys. Rev. A 86, 032324.本文へ戻る

著者紹介

土肥 義康(どい よしやす)株式会社富士通研究所
ICTシステム研究所
量子コンピューティング研究に従事。
佐藤 信太郎(さとう しんたろう)株式会社富士通研究所
ICTシステム研究所
量子コンピューティング研究に従事。

おすすめ記事

ページの先頭へ