人流シミュレーションを用いた混雑原因の説明技術

公開日 2020年3月19日
AI山田 広明, 山根 昇平, 大堀 耕太郎

あらまし

空港やショッピングセンター,イベント会場など施設では,しばしば狭さく部や人気テナントに利用者が集中することによって混雑が発生する。近年,混雑発生を予測したり,混雑緩和施策の効果を事前に可視化したりする手法として,人流シミュレーションが注目されている。シミュレーションは,主に将来の予測や可能性の可視化に用いられるが,その計算過程を詳細に分析することで,その結果が起こった原因を知ることもできる。人流シミュレーションにおいても同様だが,混雑の原因を知るためには専門家による莫大な労力をかけた分析が必要であった。この課題を解決するために,富士通研究所は人流シミュレーションのログを自動分析するミクロダイナミクス分析技術を開発した。本技術を,空港の人流シミュレーションに適用したところ,十分に解釈可能な原因を抽出でき,それを除去することで混雑を緩和できることを確認した。

本稿では,人流シミュレーションとミクロダイナミクス分析技術を紹介し,その評価実験の結果について述べる。

1.まえがき

空港やショッピングセンター,イベント会場など,多数の来場者が様々な目的をもって回遊する施設では,狭さく部や人気テナントに利用者が集中し混雑が発生する。混雑は,施設の安全性を低下させるとともに,利用者の満足度を低下させる原因となる。この問題を解決するために施設運営者は施設レイアウトを変更したり,新たな案内板を設置したりするなどの施策を試行錯誤的に行ってきた。しかし,レイアウトの変更や新たな案内版の設置は,混雑を回避しようという人間の行動によって,予期せぬ場所での混雑を引き起こしたり,想定外の来場者の行動を変化させたりすることがあるため,施策の効果を予測することは困難であった。

近年,利用者の回遊行動を再現したシミュレーションを用いることで,施設における利用者の流れ(人流)を可視化する試みや,施策を実施した場合の混雑を予測する試みが注目されている。特に,歩行者の行動を再現するシミュレーションは人流シミュレーションと呼ばれ,人流シミュレーションを用いて施策を評価することで,いつどこで混雑が起こるかを予測できる。一方で,人流シミュレーションを用いても,なぜ混雑が起こったのかという原因までは分からないという問題がある。より正確に言えば,人流シミュレーション上で各時点に起こったことを詳細に追っていくことで,どのような人々が混雑に巻き込まれたのか,そして混雑に巻き込まれたきっかけは何だったのかを知ることはできる。しかし,そのような分析には莫大な労力と専門知識が必要であった。

この問題を解決するために,富士通研究所は,人流シミュレーションのログを,自動で分析する技術であるミクロダイナミクス分析技術を新たに開発した。これは,数千から数万のエージェント(シミュレーション上で再現された一人ひとりの利用者)の各々が持つ目的地や移動経路,取得情報といった多数の特徴を要約することで,混雑に関わったエージェントを分析しやすくする。本技術によって,ある部分で発生する混雑の原因を探りたい場合に,その原因となった利用者がどのような属性で何を認知し,どう行動したかを説明できるようになる。更に応用として,例えば理由を付けて最適な施策を推薦したり,施設運営者の新たな施策立案を支援したり(施策発見)できることが期待される。

本稿では,まず富士通研究所が開発する人流シミュレーションについて述べ,次に新たに開発したミクロダイナミクス分析技術を紹介し,最後に本技術の評価実験の結果を述べる。

2.人流シミュレーション

多数の利用者が集まる施設では,直接的あるいは間接的に人流を変化させる施策によって,混雑緩和が試みられている。直接的な方法(直接制御)としては,入場者数の調整やサービスを提供する施設の処理能力を増強する,あるいは施設レイアウトを変更するといった方法が挙げられる。間接的な方法(間接制御)としては,案内板で混雑情報を提示する。あるいは,レストランなどで空いている時間帯に使用できるクーポンを配布するといった方法が挙げられる。間接制御は,施策実施のコストが低く利用者の満足度を下げにくいという利点があるため近年注目されているが,制御の効果を予測しにくいという問題もある。

そこで,富士通研究所は,混雑緩和のためには,混雑情報の提示やクーポンなどのインセンティブの提供といった間接制御が特に重要であると考え,直接制御だけでなく間接制御も評価できる人流シミュレーションを開発してきた。具体的には,来場者が混雑・距離・好みに基づいて目的地を選択する行動や,施設内で情報を取得し,その情報に基づいて目的地の選択が変化する行動といった,回遊を生み出す各利用者の選択行動を再現する技術(エージェントモデル)を開発することで,間接制御の評価を可能にしてきた。これまで富士通研究所および富士通では,間接制御の評価を可能にするエージェントモデルを含め,国内外で25件の特許出願を行い,精緻な人流シミュレーションを可能にする技術の開発を進めてきた。

3.ミクロダイナミクス分析技術

人流シミュレーションでは,数千以上のエージェントがそれぞれ年齢,性別,利用目的などの多くの属性を持つ。そして,それぞれのエージェントが案内板などから,経路や混雑の情報を認知しながら,目的地と経路を選択し移動することで,多様な混雑が再現される。これによって,集団現象である混雑が,各利用者の選択と行動の集積として再現されるため,混雑という複雑な現象を各利用者のレベルから説明できる。この点に着目し,混雑のようなマクロ現象を,各利用者の属性や行動履歴といったミクロ原因から説明する分析技法はミクロダイナミクス分析と呼ばれている[1]。

従来のミクロダイナミクス分析では,まず混雑に巻き込まれたエージェントを抽出する。そして,各エージェントを「レストランに行くことを目的とする」や「A地点で案内板を見た」,「食事をした」といった属性,認知,行動に関する数十以上の項目から特徴付ける。更に,その特徴から専門家が混雑の原因を解釈していた。このような方法では,専門家が多数の特徴の組み合わせを解釈する必要があるため,膨大な時間がかかったり原因が見落とされたりする問題があった。

この問題を解決するために,富士通研究所は新たにシミュレーションのログを自動分析するミクロダイナミクス分析技術を開発した。本技術はまず,共通要素が含まれる特徴を属性,行動,認知の観点からグルーピングした上で,グループごとに各特徴をクラスタリング[2]する。これによって,エージェントを少ない情報で特徴付けること,すなわち,要約された特徴で各エージェントを表現することを可能にする(図-1)。次に,各特徴における全ての組み合わせのエージェント集合と混雑に巻き込まれたエージェント集合の一致度をF値で評価することで,混雑に巻き込まれたエージェントの特徴を漏れなく抽出できるようになる。これによって,ある部分で発生した混雑に巻き込まれた人が,どのような属性で何を認知し,どう行動をしたかというミクロ原因を,網羅的に特定できる。このようなミクロ原因は,混雑予測の妥当性を現場の視点から吟味することを可能にし,シミュレーション結果をより信頼できるものにする。

図-1 属性,認知,行動の観点からのエージェント特徴の要約

ある施設内の店舗Aと店舗Bで混雑が発生した場合について,本技術を用いて分析した例を示す(図-2)。店舗Aの混雑は,案内板に対する認知度が高いことから,案内板の集客効果が原因であると特定できる。一方,店舗Bの混雑は,移動経路から店舗Bの利用者のまとまった来客が原因であると特定できる。この結果から,店舗Aの混雑に対しては,利用者のもう一つの目的であるATMへ誘導するための案内板と取り替え集客を分散させる施策が有効であると考えられる。また,店舗Bの混雑に対しては,スタッフを増員し処理速度を上げる施策が有効であると考えられる。このように,本技術を活用することで,従来のシミュレーションでは分からなかった混雑のミクロ原因を特定し,新たな施策を発見できるようになる。

図-2 本技術による混雑の原因と施策の例

4.評価実験

空港内の混雑を予測する人流シミュレーションに本技術を適用することで,開発したミクロダイナミクス分析技術の効果を検証した。評価実験では,まず本技術をシミュレーションログに適用して混雑のミクロ原因を抽出した。次に,その原因を除去した後の混雑状況を評価した。

表-1は,原因分析の結果である。分析の目的は,9時から10時の時間帯における,開店後のレストラン周辺で発生している混雑の原因を明らかにすることである。各特徴における全ての組み合わせのエージェント集合と混雑に巻き込まれたエージェント集合の一致度は,F値で評価される。F値が高い特徴ほど,混雑に巻き込まれたエージェント集合を端的に表す特徴であることを意味する。各特徴は,属性,行動,認知にグルーピングされた後に,グループごとにクラスタリングされる。空港の入退場時刻列は,エージェントが空港に入退場時刻を,必須目的列は,空港で必ず達成したい目的を,目的リスト列は,達成したい目的のリストを,訪問施設列は,訪問した施設の順序を,通過エリア列は,通過したエリアを,情報取得列は,知覚した案内版のリストをそれぞれ示す。Precisionは当該行(特徴)の集合の中で混雑に巻き込まれたエージェントの割合を,Recallは混雑に巻き込まれたエージェント集合の中で当該行に含まれるエージェントの割合を示す。F値はPrecisionとRecallの複合指標である。

表-1 混雑に巻き込まれたエージェントの特徴

最もF値が高いエージェントの特徴を例に挙げて説明する。特徴1は,食事を必須目的としたエージェントである。また,入口,レストラン,出口という順で施設を訪問したエージェントである。更に,レストランの最寄りの案内板(レストランの場所が書かれている)を見たエージェントでもある。ここから,混雑に巻き込まれたのは,食事を目的とした利用者であり,入口から真っすぐレストランに進み,レストランの最寄りの案内板を見て,直接レストランに向かった利用者であると言える。分析結果から,例えば,レストランの最寄りの案内板に,レストラン以外の施設の場所を掲示する施策が有効であるという新たな施策を発見できる。なぜなら,案内板の変更によって,直接レストランに向かうエージェントの一部を別の施設に向かわせることができるため,利用者を分散し混雑緩和ができると予想できるからである。

図-3に,混雑原因であると特定されたエージェントを除去したことによる混雑緩和の効果を示す。横軸が時刻であり,縦軸がレストランの待ち人数である。赤の帯は,分析対象とした時間帯である。ベースラインは,何の施策も行わない状態でのレストランの混雑の推移である。提案手法は,本技術によって,混雑原因であると特定されたエージェントを除去した場合の混雑の推移である。ここでは,全2,000エージェントから混雑原因と特定された72エージェントを除去している。この結果から,原因と特定されたエージェントを除去することで混雑を緩和できることが分かる。

図-3 混雑原因と特定されたエージェントの除去による混雑緩和

5.むすび

本稿では,人流シミュレーションとミクロダイナミクス分析技術を用いることで,混雑のミクロ原因を特定できることを紹介した。ミクロ原因は,混雑予測の妥当性を現場の視点から吟味することを可能にするため,シミュレーション結果をより信頼できるものにする。また,ミクロ原因という視点から新たな施策の発見を可能にする。シミュレーションは従来,いつどこで混雑が起こるかといった予測や,導入施策によって混雑が緩和するかという起こり得るシナリオの可視化に用いられてきた。今回,クラスタリング技術を応用したミクロダイナミクス分析技術を開発することで,原因の特定が可能となった。クラスタリングのような様々な機械学習技術をシミュレーションと組み合わせることで,説明や発見といった新たな価値を創出できると考える。


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参考文献・注記

  1. クラスタリング(クラスタ分析)とは,要素間の類似度を距離という形で定義し,距離が近い要素をまとめ上げることで,多数の要素を少数のクラスタに要約する手法である。距離としては,特徴がn次元ベクトルの場合のユークリッド距離や,特徴が時系列の場合のDynamic Time Warping距離がある。まとめ上げる手法としては,非階層クラスタリング(K-means法など)や,階層型クラスタリング(Ward法など)がある。本技術では,特徴の種類に応じた距離と手法を選択する。本文へ戻る

著者紹介

山田 広明(やまだ ひろあき)株式会社富士通研究所
人工知能研究所
社会シミュレーションおよび社会システムデザインの研究に従事。
山根 昇平(やまね しょうへい)株式会社富士通研究所
人工知能研究所
人工知能および社会シミュレーションの研究に従事。
大堀 耕太郎(おおほり こうたろう)株式会社富士通研究所
人工知能研究所
人工知能および数理技術による社会システムデザインの研究に従事。

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