次のテクノロジー・イノベーションを可能にする、
デジタル・トラストの考え方

Fujitsu Laboratories Advanced Technology Symposium 2020レポート

2020年12月24日

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さる米時間2020年11月17日(日本時間11月18日)、富士通研究所主催の『Fujitsu Laboratories Advanced Technology Symposium 2020 (FLATS 2020)』がオンラインで開催された。テーマは、『Digital Trust: A Key for Sustainability in the New Normal(デジタルトラスト:ニューノーマル時代におけるサステイナビリティーへの鍵)』。世界中から600人以上の参加者が登録し、キーノートとセッションを視聴した。

コロナ禍中にあってデジタル・テクノロジーが果たす役割はますます強まっている。その中で狭義の信頼性を超えて、AI、データ・プライバシー、コンピューティングなどの分野において、より総合的な「トラスト(信頼)」をどう確立するかは、メーカー、ベンダー、開発者、研究者すべてにとって大きな課題だ。今回のFLATSは、これを4つのキーノートと3つのパネル・セッションで議論した。


FLATSは、富士通研究所が2017年以来シリコンバレーで開催してきたシンポジウムである。社会やテクノロジーの現在位置においてその時々で重要なテーマを取り上げ、過去3年間に量子コンピューター、AIの信頼性、プライバシーとイノベーションのバランスなどを議論してきた。ステージ上での講演やパネルに加え、富士通研究所が進める研究の成果も展示し、テクノロジーの先端地域シリコンバレーでその意義を問うてきた。

今年は、コロナ禍という異例の環境の中、オンライン形式で集中的に議論が進められ、COVID-19に対応するテクノロジーの話題も盛り込まれたタイムリーな内容となった。

最初のキーノートに登場した富士通研究所の原裕貴代表取締役社長は、不確実な世界がこれからのニューノーマルになると口火を切った。その中で重要になるのは、レジリエンス(復元力)だと強調した。

さて、テーマとなった「デジタルトラスト」とは何か、なぜ今それが重要なのか。原氏は、トラストとはシステムの信頼性(reliability)に留まらず、医療システム、商取引、公衆衛生、プライバシー、ビジネス、サステイナビリティー、ワークスタイルなど、あらゆる領域での変化を支えるものだと語る。例えば、「コンタクトレス・ペイメント」は、その処理プロセスやベンダーに対するトラストがなければ利用には踏み切れないだろう。

同氏はさらに、ソーシャル・イノベーターであり「トラスト」に関する著書もあるレイチェル・ボッツマンの言葉に言及し、これからのトラストはトップダウンではなく分散型になると言う。それを実現するのがデジタル・テクノロジーのイノベーションである。イノベーションにより新しい支払いの仕組みはもとより、複数のサプライ・ネットワークが繋がる時代が実現し、その時にはAIが説明可能なものになっていることが求められる。


今回のFLATSは大きく3つのエリアをカバーし、3つのキーノートもそれに呼応したテーマを取り上げている。3つのエリアとは、「データ・プライバシーと社会繁栄とのバランスを実現するデジタルトラスト」、「ニューノーマルの信頼を推進するAI」、「新しいICTシステムによるデジタルトラストの基盤構築」である。

2つ目のキーノートを行なったMIT教授のダニエル・ワイツナー氏は、『デジタルトラストへの2つの道:論理的プルーフか統計的リスク管理か』というテーマで、デジタルトラストを新しい方法によって確保できるのではないかと示唆した。

これまでのセキュリティーは、暗号化など数学的・論理的プルーフによって確保可能とされるものだった。だが、もう一つの方法は、クレジットカードやATMのシステムで使われているアプローチだ。いずれも盗用や故障などによるロスは小さくないものの、全体としてそれを補償する仕組みがあり、リスクは管理可能となっている。今後注目すべき点が後者にあるという。

ワイツナー氏は、COVID-19における接触追跡テクノロジーでそれを説明した。台湾、シンガポール、韓国、中国などの国々では、位置情報を利用する方法で感染を抑えることに成功した。しかし、これはプライバシー侵害の点で、民主主義国家では抵抗が大きい。それに対して、3月にMITなどが関わって開発を始めたのは、位置情報ではなく「チャープ(chirp)」と呼ばれるブルートゥース通信による信号を近距離に近づいた人同士が送信し合い、その後感染が確認されれば濃密接触者に連絡が届く仕組みである。その後、アップルとグーグルが採用して30カ国、アメリカ20州で利用されている。これは、中央管理ではなく分散的に接触追跡を行う方法で、保健機関からもプライバシーを守る方法となる。

同氏はまた、企業の情報システムへの不正侵入への補償についても新しい視点を提供した。それは、ベンジャミン・フランクリンが作った火災保険の原型ともされる仕組みに似たもので、火災後に補償金を受け取る組合メンバーは、加入時に組合が指定する家の構造条件を満たしていなければならないというものだ。自動車メーカー、自動車保険会社、NHTSA(米国高速道路交通安全局)からなる現在の自動車安全規制の構造もこれに準じるものだ。

このデジタル・セキュリティー版があることが望ましいが、問題はセキュリティー侵害の頻度と被害額を企業が公にしないため、統計的に把握できないことである。同氏は現在MITのプロジェクトとして、企業秘匿を侵さない方法で複数企業のシステム内で不正侵害の頻度とリスクを査定する試みを進めている。これは、一つのトラスト(事業の安全)を確保しつつ、もう一つのトラスト(企業の信用)を確立しようとするアプローチとも言える。

続くセッション1のパネル・ディスカッションでは、NTTリサーチ、スタンフォード大学、ボストン大学のパネリストにより、ブロックチェーンや接触追跡テクノロジーの観点から討論が行われた。ブロックチェーンによるトラストの分散化(非集中化、多極化)、接触追跡におけるプロセスへのトラストなどの概念についての発表や、トラストの欠落によって医療現場でデジタル・テクノロジーが導入されにくい現状などの報告があった。


AIがユビキタスに社会に広まるにつれ、その至便性とともに脅威も取りざたされるようになっている。これに解決はあるのだろうか。カリフォルニア大学バークレー校教授で、AI研究者として知られるスチュアート・ラッセル氏が3つ目のキーノートで指摘したのは、従来のAIへのアプローチを根本的に捉え直す必要があることだ。

1930年代から研究が始まったAIは、目的を達成するためにプロセスを最適化することを基本としてきた。しかし、この標準的なAIのアプローチは最終的に人間に恩恵をもたらさないケースが多いことも明らかになっている。ラッセル氏は、人間は最初から完璧に正しく目的を特定することができないため、結局は機械の目的がそれにすり替わってしまい、人間が望む結果に必ずしもたどり着かないことが理由だと説明する。つまり、AIが優れていればいるほど、人間にとっては思わしくない結末になるというパラドクスが起こるのだ。

その実例として同氏が挙げたのは、ソーシャルネットワーク(SNS)におけるクリックである。SNSではクリック数の最大化が目的として設定されている。その目的達成のために、本来ならばユーザーが関心のあるものを表示すべきだろう。しかし実際は、クリックすることが簡単に予想されるような表示ばかりを行い、ユーザー行動を最大限予測可能にすることにAIの目的が強化され続けている。

ラッセル氏は、AIの新しいモデルは、このような目的に固定するのではなく、人間の嗜好を学習しながら人間に恩恵をもたらすという目的に最終的に到達すべきだと説明する。そのプロセスにおいてAIはユーザーに介入しないように振る舞い、ユーザーにパーミションを得ることが求められる。この新モデルでは、AIが優れていればいるほど、人間に好ましい結末をもたらすことになる。

AIの新モデルは、幅広い人間の嗜好を理解するため、倫理、経済、政治理論、認知心理、脳科学といった広範な知識を基礎理論に統合しなければならない。そのために、検索、計画、学習などあらゆるAI領域を再構築することが必要となるだろうと同氏は結んだ。AIが社会にユビキタスに広まろうとする今、人間をサポートするAIの本来あるべき姿を説いた内容だった。

その後のパネルでは、ローレンス・バークレー国立研究所、スタンフォード大学などのパネリストにより科学、教育、医療におけるAI利用の例が発表された。例えば、現在AIは素材科学の分野でも利用され、素材と用途との適合性を検討することにも用いられている。素材のマイクロストラクチャーを分析することによって、特定の利用方法における耐性などが予測できるのだ。教育におけるAIについては、ただコンピューター上のキーボードやクリックに反応するのではなく、教室で起こっていることを感知するAIや教師をサポートするAIが求められるという。

また、メンタルヘルスにおける需要と供給のアンバランスを解決するために開発されたスタートアップのジンジャー(Ginger)のアプリでは、リアルケアとバーチャルケアを組み合わせている。AIは、ユーザーの声の調子や話した内容から診断をサポートするほか、コーチの質を評価したり、コーチのために応答の選択肢を自動的に表示したりする。科学、教育、医療いずれの領域でも、AIの利用がより高いレベルで求められていることがわかる。


最後のキーノートは、『Fugaku:The First Exascale & General Purpose Supercomputer Enabling Innovation(富岳:最初のエクサスケールおよび汎用スーパーコンピューターによるイノベーション)』のテーマで、理化学研究所計算科学研究センター長の松岡聡氏が講演した。

名称の「富岳」は富士山を意味し、速度の高みを目指しただけでなく、汎用として広い裾野を提供する意図が込められている。両立が難しいこの目標を達成するために、10年間をかけた国家プロジェクトが進められ、理研、富士通をはじめとするHPCコミュニティーが集結して開発に取り組んだことが説明された。富岳は重要ベンチマークの最新性能ランキングで4冠を達成し、2021年の供用開始に先駆けての先行利用も進められている。

講演では、プロセッサーの構造など技術面の解説に加えて、応用例も示された。医療、創薬、エネルギー、気候変動、災害予防など、ソサエティー5.0の新しい課題に対応することはもちろん、例えば自動車の設計、製造の方法も富岳によって刷新される。設計作業と並行したリアルタイムのシミュレーションが可能になり、機能性とデザインの適合性を人間にはできない方法で検証するといったことだ。日本では、COVID-19に関連して富岳による飛沫拡散やマスクの着用効果のシミュレーション映像がメディアで頻繁に放映され、人々の教育に役立ったと松岡氏は語った。

続くパネルでは、新しいICTシステムがもたらす可能性が議論の中心となった。創薬会社のペプチドリームは、富士通が開発したデジタルアニーラを活用して候補化合物の探索の短縮化に成功している。デジタルアニーラは、組み合わせ最適化問題を高速に解くアーキテクチャーである。

また、スタンフォード大学医学部が進める「プロジェクト・エコー」では、医療における格差問題を解決するためにICTを利用する。世界400カ所のハブに医療関係者が集まり、診療や医療へのアドバイスを求めるコミュニティーの人々とつながる。1対1ではない遠隔医療のアプローチを用いて、限られた医療のリソースとナレッジを拡散する試みだ。ICTシステムの革新とその幅広い利用方法が、ニューノーマルにおける社会の困難な課題を解決に導く原動力になる。パネルの参加者がそれぞれの専門分野での経験から語った内容が、それを裏付けた。


ここ数年にわたってデジタル・トランスフォメーションの必要性が説かれてきたが、コロナ禍は社会のあらゆる面でのデジタル化を否が応にも加速化した。コミュニケーションにおいてもデータ・プライバシーやAI開発においても新しい方法が求められており、その中心にデジタルトラストの確立があると位置づけることができるだろう。ニューノーマル時代の入口でそれがより実感できるという意味で、FLATS 2020は機を得た議論を提供するものとなった。


著者情報

瀧口範子

フリーランスの編集者・ジャーナリストとして、シリコンバレーに在住。テクノロジー、ビジネス、政治、国際関係や、デザイン、建築に関する記事を幅広く執筆する。さらに、シリコンバレーやアメリカにおけるロボット開発の動向についても詳しく、ロボット情報サイトrobonews.netを運営して情報発信を行っている。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?』(プレジデント社刊)、『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』(TOTO出版)、『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』(ちくま文庫)、訳書に『本物のリーダーが大切にすること』(ダイヤモンド社)、『人工知能は敵か見方か』(日経BP社)、『ソフトウェアの達人たち』(ピアソンエデュケーション刊)などがある。上智大学外国学部ドイツ語学科卒業。1996〜98年にフルブライト奨学金を受け、スタンフォード大学コンピュータ・サイエンス学部に客員研究員として在籍(ジャーナリスト・プログラム)。

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