English技術者インタビュー

「手のひら静脈認証」から「マルチ生体認証」で“つながる世界”を目指す

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高い利便性とセキュリティを実現する認証方法として生体認証が注目を集めています。日常でも用いられるシーンが増えてきましたが、そうした中、富士通研究所では同技術を一歩進め、手のひら静脈認証と顔認証を組み合わせた「マルチ生体認証」の研究を進めています。この技術が実用化されることで社会や人々はどのようなメリットが得られるのか。その取り組みについてそれぞれの役割を担った4人の研究員に話を聞きました。

2020年11月30日 掲載

MEMBERS

  • 安部 登樹

    安部 登樹

    Abe,Narishige

    富士通研究所
    デジタル革新コア・ユニット
    認証・決済プロジェクト
    プロジェクトマネージャー

  • 花田 雄一

    花田 雄一

    Hanada,Yuichi

    富士通研究所
    デジタル革新コア・ユニット
    認証・決済プロジェクト

  • 松濤 智明

    松濤 智明

    Matsunami,Tomoaki

    富士通研究所
    デジタル革新コア・ユニット
    認証・決済プロジェクト

  • Lina Septiana

    Lina Septiana

    Lina,Septiana

    富士通研究所
    デジタル革新コア・ユニット
    認証・決済プロジェクト

生体認証による本人確認の限界

スマートフォンやノートPCのロック解除など、いまや日常に広く普及している生体認証。その方式は指紋、顔、手のひら静脈など様々な方式が存在しますが、中でも富士通研究所が注力してきたのが、手のひら静脈の認証です。

手のひらに近赤外線を照射してその人固有の静脈のパターンを読み取り照合する技術で、2003年に製品化されて以来、非接触、安定した精度などが評価され、国内外の銀行がATMの本人認証に導入するなどの多くの事例を持ちます。利用者は世界60か国9,400万人、世界で最も利用されている静脈認証となっています。

指紋や静脈などの生体情報は固有の情報であるため、その情報だけで本人を特定することも可能です。しかし、一般的に生体認証はIDとひも付けて利用されるため、使い方には制約があるのも事実です。

「生体情報のみでの認証とせず、ID入力が不要というメリットを活かせていないのは、単一の生体情報での認証の精度には限界があるためです」

こう話すのはデジタル革新コア・ユニットの安部登樹です。Deep Learningが登場する前からニューラルネットワークの研究に従事し、その後タンジブルインタフェースなどのUIやUX、画像処理の研究を経て、現在では認証・決済プロジェクトでプロジェクトマネージャーを務めています。

「認証の誤差を考慮すると、現在、手のひら静脈認証で識別できる上限は1万人程度といわれています。生体認証だけで1人の人物を特定し、より実生活の中で幅広い用途に対応するにはこの数字を百万、千万単位にしなければなりません」と安部は話します。

集合写真

徹底したユーザー視点から100万人識別可能な精度へ

こうして富士通研究所が着目したのが複数の生体認証を組み合わせて個々を特定する「マルチ生体認証」のアプローチでした。富士通が得意とする手のひら静脈に組み合わせる追加の生体認証として選ばれたのは顔認証です。その理由について安部はこう説明します。

「ポイントとなったのはユーザー視点です。生体認証は決済や入退室などで活用用途が期待されていますが、例えば買い物やゲートの通過などで手のひらをかざすときに、利用者が意識しなくても自然に取得できる情報は何かと考えたときに、最も適しているは顔認証だという結論に達しました。こうしてもう1種類の認証を組み合わせたことで、その精度は100万人レベルに拡大できています」

富士通研究所では、長年、顔認証の研究自体も行われてきましたが、他の生体認証と比較して高い精度が出ないことが課題となっていました。しかし、その後ニューラルネットワークやAI・機械学習の研究が一気に進んだことで、現在では認証精度も飛躍的に改善しています。

「100万人から1人をリアルタイムで特定する。しかも、従来の手のひら静脈単独での認証とほぼ同じ利便性でこれを実現する点がポイントです。この技術があれば、例えば利用者は買い物をする際にオンラインで“手ぶら決済”を実現することも可能になります。自分を特定するのにIDカードもスマートフォンなどのデバイスを使う必要がないので、高い利便性とユーザー体験(UX)が可能になると考えています」(安部)

なお安部は、富士通研究所の制度を活用して以前スタンフォード大学で生体技術と暗号技術の組み合わせについて研究した経験があります。今回の実用化にあたっては、UI・UXへの研究も含め、過去の様々な知識を活かしたいという思いがありました。

すでに2020年3月には、富士通新川崎テクノロジースクエア内のローソンで、この手ぶら決済の実証実験が始まっています。店舗への入退室時におけるゲートの通過と会計時の決済をマルチ生体認証によって行うという新たな取り組みを進めています。

富士通研究所の生体認証技術

富士通研究所の生体認証技術の図FIDO Alliance:オンライン認証技術の標準化を目的に、2012年7月に発足した非営利の標準化団体。昨今、FIDO認証採用の動きは世界的に活発化しており、パスワードに依存しない、よりセキュアで利便性の高い環境を提供されている。FUJITSU IoT Solution 生体センサー認証ソリューション オンライン生体認証サービス(FIDO認証準拠)

「認証精度と処理時間」の両立に挑む

マルチ生体認証技術の開発を担う富士通研究所の認証・決済プロジェクトには、中核となる技術を開発する「コア技術」グループ、コア技術グループが開発した技術を使いやすい製品としてまとめあげる「スイート開発」グループ、そしてスイート開発グループが作ったシステムやサービスが本当に使いやすいものかを事業部とともに検証する「実践」グループの3グループがあります。これらグループが連携し、開発サイクルを回すことで、短期間で実用化にこぎつけるのが狙いです。

もっとも、2つの認証技術を組み合わせることは決して簡単なことではありません。日常での実用に耐えるものにするためには、それぞれの生体情報を照合する精度と速度を改善していく必要があります。画像処理、パターン認識などの分野に精通し、コア技術グループでも顔認証を専門とする松濤智明は次のように説明します。

「生体認証の最大のメリットは利便性ですが、識別する対象人数が増えると処理時間が課題になります。認証には機械学習によるAIモデルを活用していますが、精度が高くなるほど処理時間もかかるジレンマがあります」

また大学院の博士課程で画像処理を研究した後に富士通研究所に入所し、2020年5月からコア技術グループに加わったインドネシア出身のLina Septianaも、「いかに処理時間を短縮しつつ精度を改善するかが最も難しくやりがいがあるところです。また大学院での学術研究では個人が中心であったのに対して、組織としての研究ではチームが一体となって課題を解決しなければなりません。当然のことではありますが、その違いは新鮮に感じていますね」と付け加えます。

最初のプロトタイプができ上がったのは2017年のことです。しかし、当初は他の人の顔が映ってしまうことでうまく認証ができない課題が生じたといいます。

そこで松濤は「顔情報を自然に入力してもらえるよう、顔情報を取得するカメラを手のひら静脈センサーの近くにおき、ユーザーが意識することなく手のひらをかざす一連の自然な動作の中で顔も照合できるように工夫しました」と話します。

また、利用者は顔を色々な方向を向きながらセンサーに近づきますが、取得した画像から顔の絞り込みに適した画像を選択する技術も開発しました。

速度については、顔の絞り込みに用いるディープラーニングにおいて蒸留※の技術を用いて最適化を図っていると松濤は語ります。

「複雑で高精度な学習モデルを基準として、精度を落とさずに軽量なモデルを生成・抽出しています。こうすることで一般的なGPU(Graphics Processing Unit)でも高速に動作できるモデルを実現し、1秒程度という手のひらをかざす時間内で顔の絞り込みができるレベルにまで処理を高速化しました」

この蒸留技術は、富士通および富士通研究所がグローバルで研究開発を続け、海外拠点と連携した結果でもあります。「今の時代、企業や日常生活の課題の多くは、もはや日本に限ったものではありません。ですから課題解決に向けた研究開発は、日本だけで閉じるのではなく、海外とも共有し、各拠点で開発したAI技術をともにブラッシュアップして活用していくことが大切です」と安部は付け加えます。

利用者の使いやすさを追求し、試行錯誤を重ねる

コア技術を洗練させる一方、実用化の点で重要な役割を果たすのがスイート開発です。松濤が挙げた利便性の課題をともに取り組む、同プロジェクト スイート開発グループの花田雄一はこう振り返ります。

「実際に製品として世に出すためには、顔認証の際に利用者にストレスをかけないことが重要になります。カメラの設置に気をつけるだけでなく、スイート開発グループではサーバーやクライアント側でも解決を図りました」

先述のローソン様との実証実験ではユーザーがゲートを通過するときにマルチ生体認証が行われますが、花田らスイート開発グループは手のひらをかざす向きを真正面ではなく10度傾けることで、手をかざしやすくするなどの工夫を加えました。「一発でゲートを通過しながら認証も完了するにはどうすればいいのか。徹底的にユーザー視点に立って試行錯誤を繰り返しました」と花田は話します。

ローソン様での実証実験の図ローソン様での実証実験

コア技術を使いやすいシステムに仕立て実践につなぐ、という、いわばプロジェクトの要のミッションを持つスイート開発グループは、プログラミング、データベース、ネットワークなど多岐にわたる知識はもちろんのこと、「コミュニケーション能力」も重要だと花田は訴えます。

「スイート開発グループでは、コア技術で少しでもわからない部分があればコア技術グループに確認しながら、実践グループとの橋渡しをしなければなりません。研究者はそれぞれの立場で様々な思いをもってアウトプットを出しています。ですから、そうした思いを汲み取りつなげるために、お互いの視点や要求を踏まえてまとめていくことが必要です。間に立ちまとめるスキルは、これまでの経験が役に立っていると思っています。プロジェクトマネージャーである安部さんと同様、私自身、富士通研究所の制度を活用して1年間スタンフォード大学で研究活動をしていました。言語も文化も違う海外での経験は、研究活動におけるコミュニケーションの重要性を痛感した1つです」

現場の課題を常に意識し生体認証でつながる世界を

マルチ生体認証技術は、決済での実用化を直近の目標としつつ2021年に商用開始を目指しており、実証実験から得られたフィードバックを今後の研究開発に活かしていく予定です。

Septianaは、「自分の知識が社会に役立つ技術であると感じているので、現在の研究には大きなやりがいを感じています。直近の課題としては、引き続き精度改善と同時に高速に処理できる技術を追求しています」と意気込みます。

一方、画像処理分野は大学時代から長らく取り組んできた研究テーマであり、その知識を活かして日々の研究活動に励んでいるという松濤は、「新型コロナウイルスの影響でマスクを着用する人が増えたので、マスクをしたままでも顔認証できるようにしたいという需要が増加しています。こうして次から次へと現れる社会課題を解決しなければならないのが研究の難しさでもあり、一方で面白さでもあります」と続けます。

また、スイート開発グループの観点からも花田はこう説明します。

「1対1の認証ができれば、次は複数の人をサポートできるような形にしていきたいと思います。利用シーンが拡大するごとに生じる固有の課題をひとつひとつ解決しながら、マルチ生体認証をさらに使いやすくして世に出したいと考えています」

 まずは決済分野での研究開発を進めていますが、マルチ生体認証を応用できるシーンは様々なところに広がっています。プロジェクトを率いる安部は将来に目を向けこう語ります。

「マルチ生体認証は、運転免許証を見せるような本人確認の場面の数だけ利用シーンが存在します。現在は、そうした場面で使用するにはユーザーが利用先それぞれで生体情報を登録しなければなりません。いずれ認証基盤もつながる世界が実現すれば、一度の生体情報登録であらゆるシーンで利用可能という、利用者、サービス提供者、技術を提供する我々にもメリットがあるというwin-win-winの関係を作ることができます」

もちろん、生体情報という不変の情報だからこそ情報漏えいへの対策やプライバシーの配慮も重要です。これに対する取り組みとして富士通研究所では、2019年に生体情報を暗号化したまま照合する技術を開発しておりセキュリティの側面からも研究を続けています。

「仮に漏えいしたとしても、データベースにある生体情報は暗号化されているので簡単に解読されません。そのような取り組みを通じて安全性を担保しながら、生体認証技術をアピールしていきたいですね」と安部は話します。

2021年の実用化、さらには生体認証によってよりつながる世界の実現を目指して、これからも富士通研究所では取り組みを加速させていきます。

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