技術者インタビュー

実用段階に入った次世代アーキテクチャー「デジタルアニーラ」が目指すさらなる進化

 

プロセッサの集積密度が物理的な限界に近づき、既存のコンピュータでは飛躍的な性能向上が見込めなくなりつつある現在、様々な次世代のコンピューティングアーキテクチャーの研究開発が進められています。その一つとして富士通研究所が開発したのが「デジタルアニーラ」です。他の技術に先駆け、すでに実用段階に入ったデジタルアニーラについて、研究開発を担当する研究員に話を聞きました。

2020年6月8日 掲載

MEMBERS

  • 竹本 一矢

    竹本 一矢

    Takemoto,Kazuya

    富士通研究所
    デジタルアニーラ・ユニット 技術開発プロジェクト
    ディレクター

  • 塚本 三六

    塚本 三六

    Tsukamoto,Sanroku

    富士通研究所
    デジタルアニーラ・ユニット 技術開発プロジェクト
    シニアエキスパート

  • 野村 健二

    野村 健二

    Nomura,Kenji

    富士通研究所
    デジタルアニーラ・ユニット 技術開発プロジェクト

  • 寺島 千絵子

    寺島 千絵子

    Terashima,Chieko

    富士通研究所
    デジタルアニーラ・ユニット
    第二ビジネス牽引プロジェクト

量子現象に着想を得た新アーキテクチャーを開発

社会全体でデジタルトランスフォーメーション(DX)の取り組みが進められる中、高度で複雑な大量のデータを高速に処理できるコンピュータの需要が高まっています。これまでは、半導体の集積度が18か月ごとに倍増するという「ムーアの法則」により、コンピュータの高速化が実現されてきました。しかし、ムーアの法則を支えていた素子の微細化が物理的な限界から難しくなった今、現在のコンピュータアーキテクチャーのままでは大幅な性能向上は見込めません。

この課題を解決するために、様々な次世代コンピュータアーキテクチャーの研究開発が進められています。その中でも有力な候補として挙げられるのが「量子コンピュータ」です。

量子力学的な重ね合わせを用いた並列性により高速性能を実現する量子コンピュータですが、現時点では量子状態を長い時間維持することが難しく、接続や拡張にも制約があるなど、まだまだ研究段階にあるのが実情です。

かつて量子暗号・量子通信の研究を行っていた富士通研究所では、この量子コンピュータの研究開発にも乗り出していました。しかし、高性能コンピュータへの要求が高まるにつれ、いち早く実用レベルの新技術の開発が求められるようになりました。そこで富士通研究所が注目したのが、量子コンピューティング技術の一つ、量子アニーリングでした。

「アニーリングとは、金属加工の“焼きなまし”を意味する言葉です。焼きなましとは、過熱した金属をゆっくりと冷却することで不揃いの構造を整列させ、安定した状態にする現象を指します。この物理的な過程をコンピューティングに応用し、与えられた組合せの中から、指定された条件を満たす一番良い組合せを選び出す問題(組合せ最適化問題)を解こうというのが、アニーリング方式です」とデジタルアニーラ・ユニット 技術開発プロジェクト ディレクターの竹本一矢は説明します。

アニーリング方式を採用した量子アニーリングマシンは、2011年にカナダのD-Wave Systems Inc.(D-wave社)によって実用化されました。ただし、量子アニーリングマシンは、計算は早いものの大規模化が難しく、実用レベルの問題を解くことができるようになるには、まだまだ時間がかかると考えられています。富士通研究所のアプローチは、この量子アニーリングを実際の量子ではなく、デジタルを用いて再現するというものです。デジタルアニーラプロジェクトの立ち上げ期から関与していた技術開発プロジェクト シニアエキスパートの塚本三六は次のように述べています。

「富士通研究所では、カナダのトロント大学と共同で新しいコンピュータアーキテクチャーを考案しました。量子コンピュータのアニーリング方式から着想を得たデジタル回路を開発し、高速な計算処理と使いやすさを両立させることに成功しました。それが2016年10月に発表した『デジタルアニーラ』です」

いち早くサービス化し実用段階へ

富士通研究所がトロント大学と共同研究を開始した当初は、アナログ回路技術者だった塚本をはじめ、わずか3名の小所帯のチームでした。ところが、2016年10月に「量子コンピュータを実用性で超える新アーキテクチャー」として発表すると、富士通全体の期待が急速に高まり、量子コンピュータの研究開発に取り組んでいたチームもプロジェクトに合流することになりました。このときに加わったのが、同チームでナノ材料を研究していた竹本です。

そこからは急ピッチで研究開発が進められ、2017年5月に量子コンピュータ用ソフトウェアを手掛けるカナダの1QB Information Technologies Inc.(1QBit社)との提携を発表。2018年5月にはデジタルアニーラ専用プロセッサ「Digital Annealing Unit(DAU)」を開発し、デジタルアニーラのクラウドサービスを開始するなど、とんとん拍子に実用レベルへと駆け上がっていきました。それとともにプロジェクトの規模も次第に拡大し、総勢80名を超える組織へ成長しています。

現在は「技術開発」「ビジネス牽引」「市場創出」のプロジェクトに分かれて研究開発が進められており、2018年12月にDAUの規模を8,192ビットに拡大した第二世代のクラウドサービス、2019年2月にはオンプレミスサービスを開始しています。

「この間、デジタルアニーラ・ユニットでは、技術的な検証・概念実証の段階から実ビジネスに活用する段階へと技術を進化させていきました。すでに製造業では工場内動線の最適化、金融業では投資ポートフォリオの銘柄選定などで実運用が始まっています。こうした実用化という面で他社の技術よりも大きく先行している点が、デジタルアニーラの大きな特長です」(竹本)

創薬分野に応用し、分子の構造を素早く探索

デジタルアニーラの幅広い実用化領域の中でも、現在ビジネス面から特に熱い視線を注がれている分野の1つが、創薬・材料です。デジタルアニーラ・ユニットの第二ビジネス牽引プロジェクトに所属する寺島千絵子は、まだ入社2年目ながら、大学院時代の研究分野であった計算化学のアプローチを活かし、医薬品の開発に貢献する応用技術の研究で活躍しています。

「高速に分子の安定構造を見出し、医薬品の開発を加速するためにデジタルアニーラを活用しています。中分子医薬として注目されている環状ペプチド分子の構造を、構成するアミノ酸の最適な立体配置として取り扱うことで、組合せ最適化問題の一つとして高速に安定構造の探索が行えます」(寺島)

こうしたアプローチによって分子構造探索の計算時間を短縮し、医薬品の開発を効率化することが期待されています。また、創薬だけでなく、香料分子の分析にもデジタルアニーラを活用しています。

「デジタルアニーラによって、対象の分子と構造が類似した分子を探索することができます。この手法を香料分子に適用すると、類似する香りをもつ分子を検出できることを明らかにしました。この成果を学会で発表したところ、優秀賞をいただくことができ、その際に改めてこの技術の注目度の高さを実感しました」(寺島)

物流における膨大な配送ルートの組み合わせを最適化

さらにもう一つ、早期の実用化が期待されているのが、交通・物流の領域です。同分野での実用化に取り組んでいるのが、技術開発プロジェクトに所属する野村健二です。もともとは、半導体デバイスに使われる機能性材料の特性を向上させる研究を、デジタルアニーラを使って加速化する役割としてプロジェクトに加わりましたが、現在では物流の課題をデジタルアニーラで解決するために顧客との間に入って活動しています。

「交通・物流業界では、慢性的な人手不足の解消と働き方改革の実現に向けた業務刷新が課題になっています。こうした課題を解決するために、例えば配送トラックの輸送ルートや輸送ダイヤを最適化することが求められますが、すべての組合せの中から最適な組み合わせを選び出す方法を用いると、膨大な量の計算処理を行わなければなりません」(野村)

この課題の解決に向けて、株式会社エー・スター・クォンタムが推進した日本郵便株式会社のオープンイノベーションプログラムの実証実験に協力しました。デジタルアニーラで導き出した最適ルートについてシミュレーションしたところ、車両数を52台から48台(約8%)に削減できるという結果となりました。このほか、コストは約7%削減、積載率は約12%向上との予測が得られています。「物流業界では、配送の最適化は業績にダイレクトに影響するので、お客様自身の取り組みの本気度も非常に高いです。企業固有の細かい要件を現状の技術の制約の中でどう対処すればよいかに苦慮していますが、最先端の技術を使って、実際の企業課題の解決に取り組めるのは大きなやりがいです」と野村は語ります。

実際のビジネスを意識した研究開発に注力

デジタルアニーラは、量子アニーリングマシンが得意とする組合せ最適化問題を、従来の半導体技術を用いて柔軟に解くことを可能にしました。もちろん、現在では富士通研究所と同じく、国内外の企業が、量子コンピューティングや量子力学を応用した新しいコンピュータの研究・開発を行っています。しかし、その中で富士通は、国内ではいち早く実用化を成し遂げ、既に豊富な導入事例があります。

「社内外から計算の性能について他社とのベンチマークをよく質問されます。しかし、実用性とかけ離れた単純な問題の計算速度の数値を追い求めるだけでは意味がありません。あくまで目的はいかにお客様のビジネス課題に適用できるかであり、その点でデジタルアニーラは他社より一歩抜きん出ている自負があります」(竹本)

そして、これからも実ビジネスを意識したアプリケーションドリブンな研究開発に注力していくとしています。

「組合せ最適化の問題はあらゆる業界に無数に存在しています。デジタルアニーラはそうした問題を解決するための基盤です。私たちが目指しているのは、誰にとっての最適化であるかを問い、その人にとって最良な問題解決をコンピューティング技術で実現できる仕組みを提供することです」(竹本)

技術の進化を目指して日々研究開発に取り組むデジタルアニーラ・ユニットには、様々な技術に精通した研究者が集まり、それぞれの得意分野を遺憾なく発揮しています。もっとも、さらなる飛躍のためには、ハードウェア設計の技術者、複雑な問題を数学モデルに落とし込む数理人材、各種業務業種を専門とするドメインエキスパートなどの人材がもっと必要とされているといいます。

「デジタルアニーラは、先人の知見や先行するマーケットがあるわけでなく、自分で新たな道を切り開く世界です。一方で、私自身が専門であったアナログ回路設計の知見は直接的にはつながらなくても、アナログの知識があるからこそデジタルでの気づきもあり研究が進みました。こうした各人の様々な視点がいまの成果につながっています」(塚本)

このように、様々な分野の専門家の知見を集めながら、共創パートナーとの関係もさらに強化し、デジタルアニーラのさらなる普及によって、社会の様々な課題の解決と新しい市場の創出を目指しています。

集合写真

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