東レ株式会社様

量子現象に着想を得て未知の領域を切り開く共創

従来の汎用コンピュータの性能が限界を迎えつつあると言われる中で、量子コンピューティング技術への注目が急速に高まっている。しかしながら、現在のところ量子コンピュータには、量子ビットの安定性と大規模化に課題がある。そこで量子現象に着想を得て実現したコンピュータアーキテクチャが富士通のデジタルアニーラであり、実用レベルで「組合せ最適化問題」を高速に解くことができる。素材メーカーであり、医薬品も開発している東レは、デジタルアニーラの活用に富士通とともに取り組んでいる。その先にあるのは、これまでの常識を打破した新たな市場競争原理の確立への挑戦だ。

コンピュータの能力が飛躍的に向上することで、不可能と思われていた計算が可能になり、従来得られなかった解が得られるようになります。デジタルアニーラを活用した富士通との共創によって、物量ではなく知恵で勝負するという新たなステージを切り開いていきたいです。

東レ株式会社
医薬研究所
研究主幹
谷村 隆次 様

背景

近似解ではなく最適解を求めるために高まるデジタルアニーラへの期待

ムーアの法則(注1) にあるようなコンピュータ性能の向上は限界に近づいていると言われている中、量子コンピューティング技術が次世代の技術として期待されています。しかし、実際に活用できる具体的なソリューションはまだ少ないのが現状です。その中で汎用的解法であるアニーリング方式を採用して「組合せ最適化問題」に特化した富士通のデジタルアニーラは、デジタル技術の優位性を活かして量子コンピュータの優れた点をデジタル回路で再現しました。これをビジネスの中で活用する方法を求め、すでにいくつかの企業と共同研究が進められており、東レ株式会社様(以下、東レ)もその1社です。

共同研究の最初のプロジェクトのテーマは「分子構造最適化」で、タンパク質の最安定構造をデジタルアニーラで予測できるか検証するというものです。「酵素、抗体、受容体などタンパク質の構造は複雑で、解析するための実験を行うことは多大な労力を要します」と東レの医薬研究所で主席研究員を務める谷村隆次様は語ります。

実験によってタンパク質の構造を決定するには、分子構造が安定している結晶を作り、それをX線などで分析する必要があります。しかし、そもそもタンパク質を結晶として安定させること自体が困難を極めます。結晶を作るのに、数カ月から半年、場合によっては1年かかり、それでも結局、結晶化できないことも珍しくありません。そこで注目されているのが、計算によってタンパク質側鎖(注2) の配座(注3) の最適な組み合わせを予測することです。

「最安定構造を予測するための組み合わせのアルゴリズム自体は以前からありました。しかし、従来の汎用コンピュータの能力では小さなタンパク質の予測はできましたが、大きなタンパク質では、側鎖の配座の組み合わせが増えるため、実用的な時間で答えを得られませんでした」と谷村様は説明します。

この状況を打破できるのではないかと期待されたのが、デジタルアニーラでした。

  • (注1)
    ムーアの法則とは、半導体業界において、1つの集積回路に実装される素子の数は18カ月ごとに倍増するという経験則
  • (注2)
    側鎖とは、タンパク質を構成しているアミノ酸の連鎖(主鎖)から枝分かれしている部分のこと
  • (注3)
    配座とは、単結合についての回転や孤立電子対を持つ原子についての立体反転によって相互に変換可能な空間的な原子の配置のこと

経緯

計算能力の限界のためにこれまで諦めていた大きな組み合わせでも最適解が得られるように

デジタルアニーラによるタンパク質の側鎖配座の最安定構造予測は、大きく2つのステップで行われました。最初に、すでに最適な組み合わせがわかっている小さなタンパク質の構造を予測し、それがデジタルアニーラの出した答えと合致しているか検証しました。 そのうえで、これまで現実的には 計算できなかった大きなタンパク質の構造を予測しました。

富士通からはデジタルアニーラの専門家やタンパク質のシミュレーションに精通した富士通研究所の研究者が加わり、2018年9月から約3カ月の共同研究を実施しました。大きなタンパク質では、側鎖の構造の組み合わせは膨大なものになります。例えば、10通りの配座を持つ側鎖が100個ある場合、その組み合わせは、10の100乗通りあります。今回の目標はそのような膨大な候補の中から、最安定な構造を数分以内で探索することです。

「計算のためのアルゴリズムがすでにあって、デジタルアニーラに載せ換えるためのインターフェースも用意されていたので、スムーズに実行段階まで進めることができました」と谷村様はプロジェクトを振り返ります。検証用のタンパク質で正解が確認され、これまで汎用コンピュータで3~4時間計算して打ち切っていた大きなタンパク質も20秒程度で解くことができました。

何より大きな成果は「従来法では諦めていた規模のタンパク質で答えが得られるようになったこと」だと谷村様は強調します。今回のプロジェクトによって、欲しい機能を持ったタンパク質をデザインできる感触を得ることができたことは大きな進歩です。求めるタンパク質をデザインできれば、性質や構造、機能を変えることもできます。タンパク質に結合しやすい分子の設計にも役立ち、創薬の強力な武器になります。

効果と今後の展望

イン・シリコ(コンピュータ実験)へのシフトがもたらす市場の競争原理の変化をリードする

今回、デジタルアニーラによってタンパク質をデザインできる感触を得ることができたため、次のステップとしてデザイン用のプログラムを用意して、求めるタンパク質の構造を予測することが考えられています。現在、東レ様と富士通の共同研究の次のテーマも計画されています。それは東レ様の売上で大きなシェアを占める素材系の領域への適用です。ポリマーなどの材料を開発するシミュレーションをデジタルアニーラで行うための新しいアルゴリズムの定式化の検討も始まっています。

一方でデジタルアニーラも、今回使用した1,024ビットから8,192ビットの第2世代へと進化し、より大きな問題にも対応できて適用範囲も広がり、そこで得られる成果への期待は高まります。

谷村様は「以前は薬の候補をランダムに評価して、最終的に動物実験などで検証してきました。その数は100万通りにも上ります。この評価する化合物数を計算で絞り込んで、100とか1000にできる限り減らしたい」と今後の夢を語ります。「イン・ビボ(動物実験)」から「イン・ビトロ(試験管実験)」、そして「イン・シリコ(コンピュータ実験)」へのシフトです。

このシフトが意味するものは、新薬の研究開発の競争原理の変化です。「イン・シリコの精度が上がれば、物量ではなく知恵の勝負になります。そういう世界に持ち込みたい」と谷村様は意気込みを語ります。未知の領域を切り開いて新たなステージへと、東レ様と富士通との共創が始まっています。

東レ株式会社

所在地東京都中央区日本橋室町2-1-1 日本橋三井タワー
設立1926年1月
従業員数45,762人 (2018年3月末現在、関係会社含む)
ウェブサイトhttps://www.toray.co.jp/Open a new window

[2019年掲載]

本事例に関するお問い合わせ

Webでのお問い合わせ
ページの先頭へ