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Fujitsu

Japan

コンピュータ黎明期の熱き魂を未来へ 「延命作業に立ちはだかる困難」

再び動き始めてからも大変だったでしょうね?

池田

組み立て直し、動かしたことで一段落したものの、私たちの役目は続きました。定期メンテナンスが必要ですからね。組み立て直した私たちの他にメンテナンス出来る人はいません。それぞれが異動して別の組織に属していましたが、沼津工場からは「来てくれ」というオーダーが出るので行かないわけにはいきません。私は東京から沼津と川崎へ通うことになりました。そうこうしているうち、われわれにも定年が近づいてきた。

竹中

社内的にはそれほど認知されている活動ではないし、そろそろ終わりにしようか、という声も正直言ってありました。いまから3年くらい前のことです。

池田

しかし、それを聞きつけた前社長の黒川博昭さんが、「いや、もう少し動かしてみたらどうか?」と提案されたのです。そこで2006年ごろ、当時富士通インフラサービス事業本部長だった飯田経営執行役が音頭をとって、リレー式計算機が還暦を迎えるまで動かそうじゃないかという計画が持ち上がり、さらに翌2007年からは、計算機の延命だけでなく、後継者に保守点検の技術と知識を引き継ぐことも目的に含めたプロジェクトに発展したのです。

佐藤

そうは言っても、動かし続けるには難しい問題もありましたよね。本体の部品はなんとかなるのですが、電源やプリンタなどの周辺機については応用が利かない。まずはプリンタをなんとかしようということで、プリンタを設計、製造していた小平さんと伊東さんに加わってもらいました。

当時を振り返りながら語られるOBの方々

小平

足りない部品、故障部品があっても、図面があれば大丈夫と思っていたのですが、プリンタなど周辺機の古い図面は、ある時期に富士通は全て廃棄していたのです。これには参りました。現物の部品を外して、デッドコピー(部品を型取りして模造を作ること)するしかないんですよ。ところが実際に作ってみると、これがうまく合わない。原因を探るため、その部品が理論計算上の寸法に合っているかどうか計算してみたら、理論計算値と違っているではないですか。部品というものは使っているうちに摩耗しますからね、製造時本来の寸法ではないわけです。理論値との整合性をすべて検証したのですから、大変な作業でしたよ。

伊東

そうですね、当時の開発者、池田敏雄さんたちは、どんな小さな部品でも、理論的に計算していましたからね。 我々も些細なことまで検証しました。

小平

池田敏雄さんはバスケットボール部の先輩でしたが、シュートひとつにしても、どう投げれば命中するか、ボールの弾道や確率など計算していましたね(笑)。

ネジ1つにしても、緻密に理論計算され配置されているリレー式計算機
FACOM128 再生
先人の魂を受け継ぐ

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「黒川博昭」
2003年4月富士通(株)代表取締役社長に就任、2008年6月退任し現在は富士通相談役。

「飯田経営執行役」
世界最古級のリレー式計算機を動かし続けることを通して、富士通の保守技術を継承してゆこうとする本プロジェクトの仕掛け人。(第一話参照