富士通グループ(以下、富士通)では、AIの持つ倫理的リスクを低減し、安心安全な信頼できるサービスを社会に提供するために、AI倫理の取り組みを推進しています。本稿では、この取り組みの一つとして、国立大学法人お茶の水女子大学(以下、お茶の水女子大学)との「AI倫理の産学連携」事例を取り上げ、学問領域などの属性の違いを超えた、研究深化・社会啓発に取り組むことで生まれるシナジーについてご紹介します。
富士通が推進するAI倫理の産学連携とは?
富士通では、国内企業の中でも早い段階から「AI倫理」の研究やガバナンスに取り組み、社内外にてさまざまな活動を推進しています。AIは大変便利なツールですが、プライバシー侵害、世論操作などをはじめとする重大なリスクも懸念されており、社会にAIを提供するためには倫理的・法的側面から慎重な検討を行う必要があります。
富士通のAI倫理に対するアプローチには、一つ大きな特徴があります。それは、いわゆる文系・理系といった学問領域を超えた多様な観点から、AIに関する倫理を検討しているという点です。たとえば富士通研究所では、情報工学などの観点からAI倫理技術の研究・開発を主導しており、2022年に新設されたAI倫理ガバナンス室では、国際的な法動向などの社会科学的観点、人文科学的観点も踏まえながら、ガバナンス整備や教育推進を主導しています。それぞれの部門が得意分野を活かしながら、「研究・開発」と「ガバナンス」の両輪を回して、AIの持つリスクに立ち向かい、安心安全なAIサービスを社会にお届けすることを重視しているのです。
富士通が推進するAI倫理の重要な活動の一つとして、大学をはじめとする教育・研究機関とともにAI倫理の研究開発・人材育成などを行う「産学連携」の取り組みがあります。「産学連携」には、富士通の技術をさらに発展させて社会の諸問題の解決に応用したり、保有する知見を学生などの若い世代に還元したりするなど、大きな社会的意義が見込まれます。
こういったAI倫理の「産学連携」においても、富士通では、文理の学問領域やジェンダー・年齢・国境などの垣根を超えた、さまざまなステークホルダーとの連携を推進しています。AI倫理は新しい研究分野のため、AIが提供される文化圏や人々の価値観によって、AIをどういう用途で利用すべきかといった考え方は異なります。多様なバックグラウンドを持つ人々と、多角的な観点から議論を成熟させていくことが必要不可欠となるのです。
お茶の水女子大学 × 富士通 「AI倫理社会連携講座」
2023年春、富士通はお茶の水女子大学とともに、ジェンダー課題に対してAIを活用した解決策の立案を目指す連携拠点として、「富士通・お茶の水女子大学 AI倫理社会連携講座」を設置しました。
この連携講座では、富士通の研究所によるAI倫理技術の研究開発(技術的アプローチ)と、お茶の水女子大学のジェンダード・イノベーション研究(社会科学的アプローチ)を組み合わせて、誰にとっても不公平感のない形でジェンダー課題を解決すること、またAI倫理の人材育成に取り組んでいます。
そんな「AI倫理社会連携講座」の概要・意義について、ジェンダーや社会福祉分野を長くご専門とされている、お茶の水女子大学の柏木 志保 准教授に特別インタビューを実施し、富士通とのAI倫理の研究活動にかける熱い想いを語っていただきました。
主なご経歴
- 筑波大学大学院社会科学研究科法学専攻修了、博士(法学)
- 筑波大学医学医療系 研究員
- 山梨大学 男女共同参画推進室 特任助教
- 日本福祉大学 福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科 助教
- お茶の水女子大学 ジェンダード・イノベーション研究所
社会連携講座准教授(※現職)
――柏木先生のこれまでのご経歴について、あらためて教えてください。
筑波大学大学院で、政治学を専門に学びました。しかし研究を続けるうちに、「国家間における安全保障」よりも、人が安全かつ幸福に過ごすことを研究する「人間の安全保障」に興味が出てきました。「人間の安全保障」を研究する一環として、高齢者を介護する家族介護者の心のケアや高齢者の主観的健康など、社会福祉に関連した研究を行うようになりました。このような研究を続ける中で、日本の家族介護者の比率が女性にかなり偏っていることをはじめ、女性支援の必要性を感じるシーンが多くあり、ジェンダー研究に強い関心を持つようになりました。 政治学を基盤として、社会福祉の研究、そしてジェンダー研究へと研究の領域が広がっていますが、人間の安全を保障するという視点は現在も変わらず私の研究のバックボーンになっています。
――AI倫理に興味を持ったきっかけなどはありますか。
ジェンダーに関する課題は、複雑な社会構造が関わっており、日本でも長い時間をかけて議論しているのですが、なかなか解決には至らないというのが現状ですよね。このような状況を打開するためには、やはりAIをはじめとする新しい技術をもって、何かイノベーションを起こしていかないと、日本だけではなく世界も変わっていかないのではないかと感じています。このような感覚が強くあり、AIひいてはAI倫理に興味を持つようになりました。
――今回の「AI倫理社会連携講座」によって、どのような研究成果が生まれることを期待されていますか。
お茶の水女子大学は長い研究・教育の歴史があり、研究力の高い先生方がたくさんいます。一方で貴社(※富士通)は、大変積極的に「技術」を開発しておられる会社です。われわれが一緒に組むことによって、どちらの知見も含めた「信頼性の高い人材評価AI」、たとえば企業の管理職の女性の比率を改善してくれるようなAIが、具体的なアウトプットとして出てきてくれることを期待しています。
――研究中の「信頼性の高い人材評価AI」について、もう少し詳しく教えていただけますか。
ジェンダーの観点を例にとると、以前の日本の会社は圧倒的に男性の労働者が多い社会でしたから、女性が管理職になると「頑張ったんだな」という認識があったと思います。しかし、近年は、「女性活躍」が強く叫ばれていますので、「今の時代だから、あの女性は管理職に選ばれたのではないか」といった見方をする方もいらっしゃると思います。
そのようなときに、われわれが研究している「人材評価AI」が、「この人はこういう能力があって、実際に優秀だから管理職に選ばれた」ということを技術でもって証明してくれるようになれば、定量的・客観的な評価が可能になり、納得してくれる人が増えますし、その女性自身もすごく自信が持てるようになると思います。
――「AI倫理社会連携講座」において、柏木先生個人が、達成したいと考えている目標はありますか。
私自身は「AI倫理社会連携講座」で、お茶の水大学の「社会科学的知見」と貴社の「技術」、それぞれのストレングス(強み)を統合して、プロジェクトを進めていくという役割を担っています。この講座は、3年間の継続を想定しており、この期間が終わった段階でお互いが、「一緒に共同研究をやって良かったな」と思えるような成果を出せるよう、両者の橋渡しをしていきたいと考えています。
また、私たちの共同研究の成果をお茶の水女子大学の学生など若い世代にも、インターンシップやセミナーのような形で、広く発信していきたいと考えています。
――AIは、ジェンダーや人種などに関する差別を軽減する有効打になることもあれば、学習データの偏りなどによっては差別を再生産してしまうリスクもあります。柏木先生が「AI提供企業である富士通」に期待していることはありますか。
やはりアンコンシャスバイアス(無意識の思い込みや偏見)に留意してほしいと思います。
自分自身がどんなバイアスを持っているかというのは、なかなか気づきにくいものです。たとえば日本では、「女性は数学が苦手である」という社会的なバイアスが科学的根拠などに関わらず先行しているため、女性自身が理数科目に対する不安をますます強めてしまい、進路を決めるときに理系学部を選択しない傾向もあると言われています。
ですので、バイアスを低減したより公平なAIを創出するためには、まずはAIを開発されている方こそが、様々な情報を収集し、また多様なバックグラウンドを持つ方と積極的に交流して、「自分にこういう偏見があるのかもしれない」と、自分自身をよく理解することが大事なのではないかと思っています。
世界的には、アンコンシャスバイアスに対する認識が高まっています。質問に答えていくと自分にはどのようなバイアスがあるかが定量的にわかるサイトがあります。このようなツールなどを活用していくのも良いのではないかと思います。
最後になりましたが、私自身は基本的に、AIの発展をポジティブにとらえています。今後も、貴社が安心安全なAIを開発してくれることを期待しています。引き続き、貴社のみなさまと一緒に取り組んでいけたらと考えています。
同じく「AI倫理社会連携講座」メンバーである、富士通研究所 新田 泉 シニアリサーチM(写真左)のコメント
AIの提供にあたっては、技術的な性能の凄さだけではなく、社会に受け入れてもらえるシステムなのか、社会が変化しても使い続けることができるのかといった多角的な視点からの検証がとても大切になります。ジェンダーや専門領域といった立場にとらわれない「多様性」を意識しながら、今後もお茶の水女子大学様との連携を深めていきたいです。
富士通は、今後も文理などの領域を超えたコミュニティ作りを推進していきます
2023年現在、世界では、ChatGPTをはじめとする生成AIが驚くべきスピードで普及していることも踏まえ、AIの持つリスクやAI倫理に関する議論がますます活発になってきています。こういった状況下でAI倫理を推進し、誰もがAIの利便性やリスクについて正しい知識を持てるような状態を実現するには、一部の企業だけでコミュニティを完結させるべきではありません。教育・研究機関をはじめとする幅広いステークホルダーと、継続的に議論や研究の場を持ち、AI倫理のムーブメントを社会全体に広げていくことが大変重要であると、考えています。
富士通ではこれからも、AI倫理に関わる活動を国内外で主導していくと同時に、社会にひらけた多様性あるコミュニティづくりを推進していきます。安心安全なAI社会の実現に向けて、ぜひ一緒に取り組んでいきましょう。
富士通では、今回ご紹介した事例以外にも、海外の著名な学術機関と共同で研究・開発を進めるなど、国境や文化圏の垣根を超えた「産学連携」を積極的に推進しています。国内の他の教育機関との「産学連携」事例も公開中です。ぜひご覧ください。