誰もが違いを認めあい、活躍できる社会を実現するため、富士通では「ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン」の指針のもと、多様性を尊重した責任ある事業活動に取り組んでいます。聴覚に障がいのある方が、髪や耳、服の襟などに装着することで、音の大きさやリズムを体感することができるデバイス「Ontenna」の開発もそのひとつ。
この取り組みを推進し、この度、恩賜発明賞を受賞した富士通 未来社会&テクノロジー本部の本多 達也に、開発にかけた想いと実現したい未来の姿について聞きました。
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研究開発のきっかけは、ろう者に「音を届けたい」という想い
――障がいのある人もない人も分け隔てなく暮らせる社会、そんな社会の実現に向けて、さまざまな取り組みが進められています。本多さんが、そうした取り組みに関わったきっかけはどのようなことでしたか。
本多: 大学1年生の文化祭で耳の不自由な方、ろう者に初めて出会いました。手話の所作がとても美しく、コミュニケーション手段の一つとして、非常に魅力的でした。
その後、手話を少しずつ勉強していく中で、ろう者の友人もできて一緒に温泉旅行を楽しむようにもなりました。ところがあるとき、ろう者の友人と一緒に街を歩いていたら、犬がいきなり吠えてきました。私は驚いたのですが隣にいた友人は何事もなかったかのように歩いている……。
そのとき、音のない世界の存在を改めて感じました。手話で対話や意思の疎通はできても、私が当たり前のように耳にしている暮らしの中のさまざまな音は、ろう者に届いていない、体験を共有できない現状に違和感を覚えました。そうしたことがきっかけとなり「ろう者に音を届けたい」と思うようになりました。
当時、私は大学で「人間の身体と感覚の拡張」について研究していたことから、ろう者が音を身体で感じることができるようになれば、これまでとは違った世界になるのではと考えました。聴覚に障がいのある方の中には視覚に頼って生活をしている方がいらっしゃいますが、それは音が聞こえない・聞こえにくい部分を他の感覚を使って「感じている」のです。その意味では「知覚するスペシャリスト」です。スペシャリストであるろう者の方と一緒に「音の知覚方法」を考えていくことで、これまでにない新たな体験を共有できるようになると思い、研究開発に取り組みました。
――その取り組みが、Ontennaの研究開発につながっていったのですね。
本多: Ontennaは、音の大きさやリズムを振動と光で伝える、身体装着装置です。髪や耳、服の襟元などに装着して使います。シンプルですが、これで耳の聞こえないろう者の方も音の大きさや長さがわかります。
今では全国8割以上のろう学校に導入されていますが、普段はあまり声を出さない子どもたちでもOntennaを装着することで、自分の声に反応して光ったり振るえたりするのが楽しくて、積極的に声をだすようになったと聞いています。
また、ひとつのコントローラーで複数のOntennaを同時に制御できる機能もあるので、ろう学校のクラスのみんながOntennaを装着すれば、みんなに同じリズムを伝えることができます。それによって、リズムを感じながらダンスを踊ったり、太鼓を叩いたりといったパフォーマンスを楽しむこともできるようになります。
「共感」が連鎖し仲間が増えた理由は、ろう学校の子どもたちの笑顔
――本多さんは大学卒業後、富士通で本格的にOntennaに関する研究をスタートさせました。その経緯について教えてください。
本多: 大学院2年生の時に、Ontennaに関する研究が経済産業省とIPA 情報処理推進機構が実施している未踏事業(※1)に採択されました。それを皮切りに、一般の方から「どこで買えるのか」といった問い合わせを受けるようになり、とにかく早く製品化して一人でも多くのろう者に届けたいと強く思うようになりました。しかし、当時は製品化の道筋など全く立っていませんでした。そんな状況でも、私の想いを受け止めてくれたのが富士通でした。
- ※1未踏事業:経済産業省などが主催する、ITを駆使してイノベーションを創出することのできる独創的なアイディアと技術を有するとともに、これらを活用する優れた能力を持つ、突出した人材を発掘・育成することを目的とした取り組みの一つ
富士通から最初に課せられたミッションは5か月でプロトタイプをつくること。急ピッチで研究開発と製品化に取り組みました。プロトタイプを作ってくれるグループ会社を訪問したり、富士通のインハウスデザイナーのもとへ足を運んだり、とにかく人に会い、私が実現したいと考える世界観やビジョンについて語り、共感を得ながら進めていきました。いわば「社内スタートアップ」だったので、色々な人の協力が必要だったのです。
そんな想いが通じたのか、徐々に共感してくれる仲間が増え、輪が広がり、その人たちの「熱量」が合わさって、どんどん大きくなっていくのを感じることができました。
より多くの人たちからの共感を得るために、ろう学校へ一緒に訪問することもしました。Ontennaが実際にどのように使われて、子どもたちに笑顔を届けているのかを目の当たりにしてもらうことによって、より自分ごととして取り組んでくれるからです。このように自分たちが作ったもので、子どもたちが笑顔になっている姿を見てもらうことこそ、仲間をつくり、共感の連鎖を生み出す上で最も重要だと思っています。また、ろう者の子どもたち、つまり製品を使ってくれる人と一緒になって同じ体験することで、新たな気づきが生まれ、よりよい研究開発に繋がることもあると思います。
――Ontennaの開発を進めていて難しいと感じたことはありましたか。
本多: ひとつは製品化することの難しさです。現在のデザインに辿り着く前に、たくさんのプロトタイプをろう者の方と一緒に作りました。ろう学校に何度もお邪魔し、子どもたちが快適に装着できる形になるまで試行錯誤を繰り返し、今の髪や耳、服につけられるデザインに至りました。
また、ろう学校の先生方から、簡単に充電できないと授業で使いづらいという声をいただき、USBの抜き差しなしで充電できるマグネット式の卓上充電器も開発しました。
このように製品化を進め、当事者に使いたいと思ってもらえるデバイスを開発することで、今では全国8割以上のろう学校にOntennaが導入され、発話練習やリズム練習、STEAM教育(※2)などに活用されています。
- ※2STEAM教育:Science、Technology、Engineering、Art、Mathの略。こどもの創造と技術への関心を高め、未来のイノベーション創出に役立つスキルを養うと提唱される教育
もうひとつはビジネスに繋げる難しさでした。聴覚に障がいのある方は日本に200万人くらいいると言われていますが、ろう学校に通っている子どもはそのうち5,000人程度であり、市場規模としてはとても小さかったのです。しかし、Ontennaを誰に一番届けたいのかを考えたときに、最初に頭に浮かんできたのは、やはり笑顔でOntennaを使うろう学校の子どもたちでした。また、幼少期に音のリズムを体験すること、声をだすことや体を動かすことなどは、脳の発達などにも大変重要であり、今後の生活をより良くすることにも繋がると考えました。
一方で、収益がなければ活動を継続することができません。どうしようかと考えていた時に、我々の活動に共感いただいた企業からOntennaを使ったイベントをやりたいとオファーをいただき、和太鼓の演奏グループとOntennaをつけた人たちがコラボレーションするような、耳が不自由な人もそうでない人も一緒に楽しめるイベントを実施しました。徐々にそのような案件が増えていき、イベントで得た収益でOntennaを作り、届けていくというビジネスモデルができつつあります。
「耳が不自由な人もそうでない人も一緒に楽しめるような空間を作る」というコンセプトに共感してくれた企業や団体が現れたのが、ブレークスルーとなったのです。
蝉の鳴き声を初めて「体感」した子どもたちの表情が忘れられない
――さまざまな活動を推進する中で、軸となっている想いを教えてください。
本多: 障がいのあるなしにかかわらず、一緒に楽しんだり笑顔になれたりする社会を創りたいということは、ずっと語り続けてきました。それを実現できるのがデザインやテクノロジーの力だと信じています。
例えば、香川県の豊島美術館では、クリスチャン・ボルタンスキーというアーティストの作品を使ったワークショップを開きました。彼の「心臓音のアーカイブ」という作品には、世界中の人の心臓音が録音してあります。耳が聞こえない人には聞き取ることはできませんが、Ontennaを使うことで心音の「ドク、ドク」を振動で体感できます。
このワークショップでは、豊島中学校の子どもと豊島県立聾学校の子どもが一緒に参加して、Ontennaを介して作品について語り合いました。豊島中学校の子どもたちは、それまで耳の聞こえない方と会ったことがなかったのですが、ワークショップを通じて交流することができました。Ontennaというテクノロジーによって、子どもたちが一緒に楽しんで交流している姿を見て、豊島中学校の子どもたちが大人になって耳が聞こえない方と会ったときにも他人事とは考えずに優しく接することができるのではないかと思いました。テクノロジーで、こうした“障がい”について考える原体験やきっかけを作ることはとても大切だと考えています。
――子どもたちと接してきた中で、印象に残っていることはありますか。
本多: 2022年5月にインドのろう学校を訪問しました。Ontennaを使ったワークショップを通じて日本のろう学校とインドのろう学校をつなぐプロジェクトです。ワークショップでは、セミの映像を見せながら、Ontennaを使って鳴き声を身体で感じてもらいました。そのとき生まれて初めてセミの鳴き声を感じたインドのろう学校の子どもたちの反応が、今でも鮮明に記憶に残っています。セミは「ミーン、ミーン」と鳴くという知識はあっても、子どもたちは、その鳴き声を体感することができなかったのです。子どもたちにとっては、これまで感じられなかった世界を感じることができた瞬間でした。子どもたちの姿を見て「ああ、このために研究してきたのだ」と感動しましたね。
全国発明表彰を象徴する「恩賜発明賞」を受賞
――Ontennに関する意匠が「恩賜発明賞」を受賞されましたね。受賞の感想をお聞かせください。
本多: ここに至るまで支えてくれた周りの人たちに大変感謝しています。この賞は歴史が長く、名だたる数々の素晴らしい発明が受賞している賞なので、それをOntennaに関する意匠が受賞できたことをとても嬉しく思います。
ろう者の方々や共感してくれた仲間と一緒に作り上げたOntennaの姿形のみならず、Ontennaを用いた体験や価値観、ビジョン、世界観も含めて評価されたのだと思っています。
「恩賜発明賞」とは
恩賜発明賞(おんしはつめいしょう)は公益社団法人発明協会が主催する全国発明表彰の賞です。全国発明表彰は、発明協会が皇室からの御下賜金を受け、我が国における科学技術の向上と産業の発展へ寄与することを目的に、多大な功績をあげた発明、考案、意匠、あるいは、今後大きな功績をあげることが期待される発明などを表彰するものです。
その中でも、「恩賜発明賞」は、全国発明表彰の象徴的な賞として、最も優秀と認められる発明などの完成者に贈呈されます。
多様性を認め合うことで新たな価値、新たな世界が生まれる
――今後、どのような活動をしていきたいか展望をお聞かせください。
本多: 2022年6月から、JR上野駅で音の視覚化装置「エキマトペ」を用いた実証実験をスタートしました。エキマトぺは、駅のアナウンスや電車の音などを、文字や手話、オノマトペ(※3)として視覚的に表現する装置です。川崎市立聾学校の子どもたちのアイデアがベースとなって実現しました。ろう者にとって安全安心な鉄道利用になることはもちろんですが、健常者の方がエキマトペを見たときに、考え方や行動が変わることを期待しているところもあります。すでに駅員さんが手話を覚えてくれるなど、行動に変化が現れ始めています。
- ※3オノマトペ:自然界の音や声、事物の状態を言語音で表現した言葉。(例:「ざあざあ」「わくわく」など)
本多: 富士通では、社員一人ひとりが自分のパーパス(=存在意義・目的)を掘り出す「パーパスカービング」を行うことで、よりよい会社を目指しています。私のパーパスは「デザインやテクノロジーを使って社会に多くの笑顔を生み出す」です。だから、今後の取り組みが目指す方向も、これに尽きます。
一般的に“障がい者”と言われる人たちは、今までの社会ではハンディを背負っている存在と思われがちでしたが、そんなことはありません。障がいがあってもそれを補う特別な能力があり、特別な感覚を持っているのです。そうした人たちと一緒に新しいものを作り、新しい体験を作っていきたいですね。
きっと研究者や開発者は、自分たちの研究開発の結果が予測できない、「見えない」からこそ「見よう」と思い、情熱を傾けるのだと思います。
障がいの有無を超えてそれぞれがもつ個性を生かし合うことで、今はまだ見えていないことも見えるようになることも、まだまだたくさんあるでしょう。
今後とも皆さんと一緒に、まだ見ぬ新たな価値や世界を創っていきます。