2050年までのカーボンニュートラル実現に向けた取り組みが進む中、世界情勢やパンデミックを契機に、世界はあらためてエネルギーの安定供給について考えることとなりました。
日本でも電力需要ひっ迫やエネルギー価格の高騰が大きな社会課題となっており、政府によるエネルギー政策基本法など、様々な施策が打ち出されています。これからも人口・産業構造の変化や、自然災害の深刻化といった課題が立ちはだかり、さらに厳しい変化への対応が求められるでしょう。
一方で、AIをはじめとしたテクノロジーの進化により、多種多様なデータを蓄積し、その分析や活用が可能となり、これらの課題解決の重要なカギとなる可能性を秘めています。
中部電力パワーグリッドと富士通は、電力の安定供給を持続的なものとするため、データドリブンによる社会インフラの効率的な維持管理に取り組んでいます。その一環として、電力供給に欠かせない配電設備の点検にAIを活用した実証実験を行っています。その取り組みと、目指す未来についてお話を伺いました。
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データ活用が進む電力業界。複雑化する電力安定供給の最前線で、テクノロジーに求められる役割
電力事業を取り巻く環境変化に適応するため、中部電力グループは、「中部電力グループ 経営ビジョン2.0」(※1)を策定しました。エネルギーの安定供給という使命は変わらず、お客さまや社会に必要とされる企業グループであり続けるために、お客さまや社会が求める価値を起点に新たなサービスを創出し、エネルギーとともにお届けするビジネスモデルへの変革を宣言しています。
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※1:
電力会社で作られた電気は、送配電網を通じて各家庭に供給されます。この送配電網の管理を担う企業が一般送配電事業者であり、私たちの生活に深く関わる存在です。日本全国には10社の一般送配電事業者が存在しますが、その中で中部電力パワーグリッドが中部区域の一般送配電事業を担っています。
同社エンジニアリングセンターにて、電力の安定供給の最前線に携わる清水 好一 氏と寺下 亮大 氏にお話を伺いました。
――電力業界は、どのような課題がありますでしょうか。
清水 氏:良質な電気を安全かつ安価に、そして安定的に供給するために、喫緊の課題として浮上しているのが、2023年4月から開始された「レベニューキャップ制度」(※2)への対応です。託送料金の引き上げによる電気料金の上昇を抑制するため、電力会社は業務の効率化や、それによるコスト削減に向けて、一層の努力が求められています。
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※2:
今後も電力の安定供給、再生可能エネルギーの導入拡大、レジリエンスの強化を続けていくには、必要な投資を計画的かつタイムリーに実施しながら、さらなる効率化を行うため、新たな技術を取り入れていくことが必要不可欠です。
電力の安定供給に欠かせない配電設備。複雑な巡視業務を、AIとデータで叶える
電力の安定供給には欠かせない存在である電柱をはじめとした配電設備は、送配電を支える重要な設備です。電柱の巡視業務は、一般送配電事業者が担う重要な役割の一つとなっています。中部電力パワーグリッドでは、中部エリアにおける約290万基もの電柱を、巡視員が一つひとつ目視で点検しています。
富士通は、テクノロジーを活用して電力の安定供給に貢献することを目指し、電柱などの配電設備の維持管理をターゲットとして、AIによる画像認識を用いた実証実験を行いました。本プロジェクトを推進するエネルギーソリューション事業部DX推進チームの末岡 佑之輔と赤谷 大輔に話を聞きました。
――今回の実証実験が実現された経緯を教えてください。
末岡:中部電力パワーグリッド様と会話する中で、電柱の巡視業務の難しさが語られました。その負担を少しでも軽減する方法がないかという視点から、AIによる画像認識技術の活用をご提案しました。
赤谷:電力業界全体で、設備の評価を適切に行うためのテクノロジーに対して、需要の高まりを感じています。その中で、当社のAI画像解析技術により、写真を用いて電柱の劣化度合いを自動的に判定することが可能になると考えました。
この仕組みをゼロから構築すると、教師データとして数千枚から数万枚の画像が必要となります。しかし、一般的な構造物の劣化状態を学習させた当社独自のモデルを活用することで、コストと期間を抑えて開発を進めることができました。
――具体的に、電柱の巡視業務の難しさについて教えてください。
寺下 氏:電柱には、細部にわたり数多くの点検対象が存在します。
ひとつとして同じ装柱の電柱が存在しない中で、法律によって定められた「電気設備技術基準」への適合性を判断することに加え、電柱のひび割れや機器のさび具合について、当社独自の劣化ランク判定表に基づいて評価する必要があります。
劣化ランクは、過去の研究結果をもとに設定したAからDまでの4段階で評価を行います。全ての電柱を5年ごとに確認しており、巡視員1名によって判定が行われますが、数値化された基準は存在せず、巡視員の感覚に依存している部分があるため、その結果には個人差が生じます。さらに、電柱には様々な機器や支持物が取り付けられており、それぞれ確認すべきポイントも異なるため、判定は非常に複雑です。
高齢化と人口減少による人員不足も重なる中で、AIなど新しい技術で代替や補助を行うことにより、巡視員のスキルに依存しない点検体制を構築できないか、注目が集まっています。
――非常に複雑な巡視業務にAI画像解析技術を活用した理由と、行った工夫について教えてください。
赤谷:教師データとなる電柱の写真は、撮影場所や天気、日当たりなどによって画像が暗くなり、肝心のひび割れや機器のさび具合が見えなくなる恐れがあります。この問題に対応するため、富士通独自のコントラスト調整技術を活用しました。画像データの明るさを部分的に調整することで、暗く写った画像でも検知が可能となります。
赤谷:また、認識精度を上げるためには、大量のデータ、今回の場合は電柱の画像が必要です。基数が少ない設備も多数存在し、学習データとして集めることが難しいという課題がありました。
その解決手段の一つとして、市民参加型イベント「電柱聖戦 in 中部」を4都市で開催しました。各都市の指定エリア内で電柱の写真を撮影し、その投稿数を競うイベントを通じて、短期間で約25,000枚の写真が集まり、そのうち、約12,000枚を学習データとして活用できました。
このような取り組みはシビックテック(Civic Tech)と呼ばれ、近年注目を集めています。専門知識を持たない一般の方でも、写真を撮影するだけで社会インフラ設備の維持管理に貢献できる仕組みは、労働人口が減少する日本において、今後必要とされる取り組みであると考えています。
――実証実験を行われてみて、現時点での成果をお聞かせください。
清水 氏:今回の実証実験では、物体認識と劣化認識の、2つの評価軸で検証を行いました。
物体認識は、業務適用可能なレベルまで精度が向上してきたと感じています。配電設備は、多種多様な機器が複雑に重なり合い、機器自体が小さく認識の難易度が高いです。AIによる画像認識で一般的に使用されるボックス型の物体検知(バウンディングボックス)では、細部の情報を把握することは難しいと感じていました。富士通のAIでは、物体の輪郭に沿って認識するため、不要な背景部分の情報が混ざることなく、良好な結果を得られました。
寺下 氏:劣化認識は、まだ非常に高い精度を達成しているわけではありませんが、これは劣化ランクCやDのような、発見次第取り替え対象となる電柱や機器が街中に少ないため、教師データとなる写真が不足していることが一因となっています。そのため実フィールドの設備だけでなく、撤去品や、劣化を模擬した加工や合成を施した電柱や機器の写真を学習させるなど、様々な試行錯誤を重ねながら精度向上に取り組んでいます。
劣化ランクの判定基準は研究結果に基づいて変更されるため、常に最新の判定基準を把握しなければならないことも巡視業務の負担となっています。AIを活用することによって、判定基準の変更が容易になることも期待しています。これは、巡視員の負担を軽減しつつ、研究結果を迅速に現場に反映することにつながり、業務のあり方が大きく変わるような、まさにDXと呼べる有望な取り組みであると期待しています。
清水 氏:市民参加型イベントでは、予想以上の速さで学習データとして利用可能な情報が集まったことに驚きました。
配電設備は、その地域で電気の需要があるからこそ設置され、そこには生活する人々が存在します。従来は、巡視員は設備点検のために事業所から何十キロも離れた場所にも移動していましたが、設備の近くに住む市民の協力を得ることで、学習データの収集に留まらず、異常箇所の早期把握といった保守業務への展開も可能になると感じています。
テクノロジーにより、持続可能な電力の安定供給を支えたい
――電力の安定供給に向けた、今後の展望についてお聞かせください。
清水 氏:電柱をはじめとした配電設備は、高度経済成長期の電力需要の伸びに合わせて建設されてきました。設備の高経年化は、他の一般送配電事業者も共通して抱える課題となっています。
改修が必要な設備が増え、巡視業務の重要性も増す一方で、少子高齢化に伴う労働力人口の減少は避けられません。従来の方法を続けるだけでは、いずれ設備保守の限界を迎えることになります。
安全かつ安定的に電気を供給し続けることは、一般送配電事業者が果たすべき使命です。この使命を達成するためには、AIやデータドリブンでのDXを進めることにより、業務の効率化と高度化を図る必要があります。将来を見据えて、業務の効率化と高度化を図るための新技術の検証に取り組むことが、日々の業務において重要であると考えています。
また、一般送配電事業者に共通する課題であるからこそ、今回の実証実験のアイデアやAI画像認識技術は、他の一般送配電事業者でも活用いただきたいと考えています。それがエネルギー業界全体への貢献につながれば、大変嬉しく思います。
寺下 氏:私が持つ主な研究テーマに、電柱の一種であるコンクリートポールの寿命算定があります。コストを最適化するには、リスクを見極めつつ、使用可能な設備を最大限に活用することが重要となってきています。それをもとに設備の更新計画を立てるのが私たちの仕事です。一つひとつの決定が重大な災害につながらないよう、先を見通す力が非常に大切だと感じています。
テクノロジーの力も借りながら、リスクを抑え、設備を最大限に活用することで、電力の安定供給に寄与できればと考えています。
赤谷:レベニューキャップ制度の導入に伴い、コストを抑えつつ安全に電力を供給するための取り組みが急務となっています。その目標に協力できることを大変嬉しく思います。
まだ開発は道半ばで、100%の精度で劣化判定が可能な段階には至っていません。しかし、中部電力パワーグリッド様と共にこの課題を克服し、取り組みを実現したのちに、この技術を日本全体、さらには世界に向けて発信していければと考えています。
末岡:カーボンニュートラルは、富士通グループとしてもマテリアリティの中で「必要不可欠な貢献分野」のひとつとして設定している重要課題ですが、その実現には電力の安定供給が大前提となります。
最前線におられる一般送配電事業者に対し、今回の実証実験で培った仕組みを広げていくことで、国内全体の電力安定供給に寄与できればと考えています。
現在は解析作業を進めている段階ですが、画像データ以外にも巡視結果報告書のデータや気象データなどの外部データと組み合わせることで、データドリブンによる新たな発見があるのではないかと期待しています。今後は、劣化の予測、設備更新計画の最適化など、他分野への応用にも広げて、お力になりたいと考えています。
※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。