日本初、富士通の「卓越社会人博士制度」とは
~アカデミックな研究と社会課題解決を両軸で支える

日本では博士課程に進学する学生が減少傾向にあり、欧米諸国と比べても博士号取得者の数が少ないという現状があります。専門人材の不足による研究開発力の低下は、日本の国際競争力や世界におけるプレゼンスの低下など深刻な問題につながることが懸念されます。こうした状況の中、富士通は九州大学、東京大学と連携し、日本初の「卓越社会人博士制度」を開始しました。富士通株式会社 執行役員 EVP 富士通研究所 博士の岡本 青史に、制度を制定した背景や制度の概要、今後の展望などについてお話を聞きました。

目次
  1. 日本における「博士離れ」に危機感
    博士課程に進むモチベーションを上げる仕組みを
  2. 30年近く前から社会人博士の育成に注力
    これまでに172名もの社会人博士が誕生
  3. 博士課程で研究する専門人材と
    富士通の専門人材との化学反応に期待
  4. 九州大学と東京大学から1名ずつを受け入れ
    富士通をはじめ海外の大学・研究機関とも連携

日本における「博士離れ」に危機感
博士課程に進むモチベーションを上げる仕組みを

――日本では博士課程を修了した人材が不足していると指摘されています。現状をどのようにお考えですか。

岡本:日本と世界を比較した場合、日本は2003年をピークにして博士課程に進学する学生の数が減少し、いわゆる「博士離れ」の現象が起きています。一方、欧米諸国をはじめ世界的には博士人材は増加傾向にあり、日本の博士人材は相対的に少ないといえるでしょう。これは、日本にとって深刻な問題です。博士人材の不足は基礎研究を含めた研究開発力の低下をもたらし、ひいては企業の国際競争力、日本の国際的なプレゼンスの低下にもつながります。ある調査によると、国連の機関のトップは、おもに博士課程の修了者で占められ、全世界的に知の高度化が進んでいるともいわれています。その中で日本だけが逆行している。Society 5.0といった将来の日本の社会を支える優秀な人材が減少してしまうことが懸念されます。

――世界的には博士課程への進学者が増加傾向にあり、知の高度化が起きているのに、日本では博士離れ、逆行しているとはちょっとショックです。この背景には何があるのでしょう。

岡本:背景には複雑な理由があります。学生の立場で考えると博士課程にかかる学費など経済的な理由、博士を取得した後のキャリアをどう築いていけるのかという不安があります。大学に残って研究者になる道も厳しく、企業に就職しても博士を取得していることが処遇に直結しない現実もあります。これでは博士課程で研究しようというモチベーションも低下してしまうでしょう。実際、理工系の工学部に限定すると学部を経て9割以上が修士課程には進むものの、博士課程に進学するのは5~6%といわれています。博士に進む割合が圧倒的に低いのが実情です。

30年近く前から社会人博士の育成に注力
これまでに172名もの社会人博士が誕生

――そうした状況の中、富士通では「卓越社会人博士制度」を開始しました。博士課程修了者の減少傾向に歯止めをかけようというのが狙いでしょうか。

岡本:もちろん、その意味合いもありますが、まず、みなさんに知っておいていただきたいのは、富士通は今回卓越社会人博士制度を開始するよりもずっと以前から博士課程で研究する人材の育成に注力してきたということです。

卓越社会人博士制度というのは、大学の修士課程の学生の中から希望者を募り、富士通との面談などを通じてお互いに合意したら、博士課程への進学と同時に富士通の社員(社会人)になってもらい、給料を受け取りながら大学に残り、博士課程で研究に注力してもらうという取り組みです。修士から博士に進むかどうかに悩む学生が抱える経済的な問題、博士課程修了後のキャリアへの不安を解消できる取り組みです。
ただし、富士通においてこうした博士号取得を支援する取り組みは、今に始まったことではなく、じつは私が富士通研究所に入社した頃から名称やかたちは違えども、同様の取り組みを脈々と実践してきました。

――岡本所長が入社した頃といえば、30年近く前になりますか?

岡本:私は修士を経て1991年に富士通研究所に入社しました。入社後約5年間は、会社の業務を行いながら、自分の専門性を高めるための論文も書いてという社会人生活でした。そして、1996年に自ら手を挙げて、富士通に在籍したまま博士課程でAIの研究をさせて欲しいと訴えました。
それが認められて社会人博士課程に進むことができ、AIの博士を取得しました。

これがひとつの契機となって富士通研究所では1998年に、正式に富士通に在籍しながら博士課程で研究する社員を支援する博士号取得支援制度ができました。ですから、私は、それ以前の「第0号」の社会人博士です。その後もこの制度は継続し、これまでに約25年間で172名(2023年9月現在)が富士通に在籍しながらさまざまな大学の博士課程を修了し、博士を取得しています。今回の新しい取り組みである卓越社会人博士制度は、富士通が長きにわたって研究者・開発者の育成に力を注いできたこと、その脈々と受け継がれてきた取り組みの一環として誕生した制度ともいえます。

博士課程で研究する専門人材と
富士通の専門人材との化学反応に期待

――すでに1998年から富士通に在籍しながらの博士取得を支援してきたとは驚きです。しかも、172名もの社会人博士が誕生していたとは…。

岡本:ただし、これまでの博士号取得支援制度と今回の卓越社会人博士制度では違いがあります。これまでの制度は、私が自ら手を挙げたように富士通に入社後社員本人が自ら研究テーマを決め、進みたい大学の博士課程を選び、富士通に申請していました。

一方、卓越社会人博士制度は、富士通が大学と手を組み、その大学の修士課程で学ぶ学生を対象に、この制度を紹介し希望者を募って進めます。つまり、大学と富士通とが協力して、博士課程修了者が減少し、研究開発力が低下してしまうのを食い止めようという、新しい形の産学連携であり、新しい形の就職・雇用の在り方です。大学・学生・企業、この3者がWin-Winとなる制度で、富士通が日本で初めて制度として提供していることには非常に大きな意義があると感じています。

卓越社会人博士制度を利用することが決まった学生は、修士課程から博士課程に進学すると同時に富士通に入社してもらいます。学生は大学の研究室で研究しながら富士通としての仕事にも従事します。大学での専門性の高い研究だけでなくて、それが社会課題の解決にどう結びつくのか、社会にどういうかたちで実装されていくのかといったことを富士通の社員として働きながら学べることが大きなメリットです。2022年度から九州大学、東京大学と連携して新しい産学連携の仕組みとしてスタートし選考の上各大学から1名ずつを受け入れています。

――大学の博士課程で研究する専門人材が、富士通の(あるいは富士通を通じて出会う国内外の研究機関などの)専門人材と共創する機会を得られる「化学反応」に期待ですね。

岡本:その「化学反応」も卓越社会人博士制度の狙いのひとつです。私たちが今、直面しているさまざまな社会課題は、何かひとつの専門分野・専門領域の知識や技術だけで解決できるほど単純なものではありません。例えば、「AI×数理科学」というように、異なる分野の突出した技術や知識を掛け算して融合させることで複雑化した社会課題を解決する糸口を見出すことができるのです。その意味で、異なる専門分野・領域の最先端の技術を融合させるコンバージングテクノロジーの重要性がますます高まっています。富士通でもキーテクノロジーズのひとつにコンバージングテクノロジーをあげています。最先端の技術を融合させることによって新しい価値を生み出していこうという考えからです。卓越社会人博士制度でも同様に、専門分野・専門人材の融合によって生み出される成果に期待しています。

九州大学と東京大学から1名ずつを受け入れ
富士通をはじめ海外の大学・研究機関とも連携

――卓越社会人博士制度では、すでに九州大学と東京大学から1名ずつと受け入れています。

岡本: 九州大学の1名は、もともと純粋数学のデータ分布のトポロジーを研究していました。その研究と、富士通研究所が次世代AIのブレークスルーになると考えている因果推論に関する技術を融合させた新しい研究テーマに挑戦してもらっています。「説明可能なAI」につながる重要な研究テーマです。今のAIは、複雑な問題に対しても回答をだしますが、どうやってその回答を導き出したのがわからないケースが多くあります。例えば、医療でAIを使う場合、なぜAIがその診断をしたのか、医師が患者に説明できないと使うことはできません。そこで、回答を導き出した因果関係を人間にわかるように説明するAIの必要性が高まっています。その新しいAIの技術に純粋数学の理論でアプローチしようとする研究です。これは世界的にも画期的な取り組みです。

一方、東京大学から受け入れた1名は、統計力学をベースにディープラーニングの理論を研究しています。すでに海外の研究機関や大学、学会から講演の依頼が数多く来るほど優秀な人材です。じつは、招聘研究員として富士通研究所に来ていた学生で、そのときに私たちから声をかけて卓越社会人博士制度を紹介しました。すでに論文を4本も書き、また、トロント大学のAI分野のトップの研究者と一緒に研究するなど大きな成果をあげています。こういった経験は、大学の研究室にいるだけではなかなか実現できないでしょう。

卓越社会人博士を受け入れたことは、富士通研究所の研究員たちにも良い影響を与えています。富士通研究所では、アカデミア(研究)と技術による社会的な貢献の両軸を常に考えています。卓越社会人博士たちは、まさにそれに取り組んでいます。大学での研究と富士通研究所での社会課題解決につながる取り組みの2つに従事することで、その相乗効果によって非常にスケールの大きな研究に取り組んでいます。富士通研究所の研究員たちは、自分たちよりも若い卓越社会人博士たちが日々、取り組んでいる姿を目の当たりにして、大いに刺激を受けています。

――今後、卓越社会人博士制度をどのように展開していきたいとお考えですか。

岡本:富士通では、富士通の研究員が国内外の大学に常駐・長期滞在し、さまざまな分野の専門人材や学生たちと研究活動をする産学連携の取り組みである「富士通スモールリサーチラボ」を日本国内で13拠点、海外ではカナダのトロント大学等の4拠点に展開しています。この富士通スモールリサーチラボを起点として、各大学と連携しながら、卓越社会人博士制度を含む人材育成や採用の取り組みを拡大していきたいと考えています。

日本国内の専門人材だけではなくグローバルに多様な専門人材と連携し、広い視野とさまざまな価値観をも融合させたうえで社会課題の解決につながるような新たな技術を生み出していく、それが重要だと考えています。そして、AIや量子含むコンピューティングはもちろん、富士通の5つのキーテクノロジーズにあるデータ&セキュリティやコンバージングテクノロジーの領域からも優秀な学生を受け入れて、取り組みを広げていきたいと考えています。

現時点では、九州大学と東京大学から1名ずつの受け入れですが、5年、10年と経過すると、今度はその二人が富士通の研究者として学生を迎え入れる立場になります。そのスパイラルを回していくことを富士通、富士通研究所の「文化」とすることで、とても大きな力が生み出されると確信しています。

富士通研究所は30年近くにもわたって社会人博士を支援し、専門分野を突き詰めて博士を取得することの重要性を理解し、博士をずっと大切にしてきた組織です。「アカデミアがある」ことが富士通研究所の原動力であり、富士通の技術の根幹だと思っています。卓越社会人博士制度によって、これまでの取り組みをさらに前に進めていきたいと考えています。

プロフィール

富士通株式会社
執行役員 EVP
富士通研究所
博士(理学)
岡本 青史

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