トレンド&デジタルテクノロジー解説【キャッシュレス社会】

第6回 EC大手がリアル店舗に進出、キャッシュレスで始まる小売ビジネス再構築

店舗がキャッシュレス決済を導入することで期待されるメリットはたくさんあります。代表的なものとしては人手不足対策とインバウンド対策があります。キャッシュレスにすれば、レジ担当者の決済業務を簡略化できるので、少ない人数でも対応できるようになります。
また訪日旅行者の方にすれば、現地通貨に両替することなく買い物や食事できるとなると、自然と財布の紐が緩んでしまうかもしれません。

これらのキャッシュレス効果は、今ある店舗とビジネスの仕組みはそのままでも得られるものです。

その一方で、これからの小売りビジネスの在り方を根本から見直して、将来のあるべき姿を作り上げるためにキャッシュレス決済を取り入れようという試みもあります。狙いは、顧客との間で直接コミュニケーションとれるようにすることと、効果的なマーケティングと購買体験を作るために顧客ごとの購買履歴を集めて分析することです。

ECサイトなどのネット店舗は、顧客の訪問数(PV)や購入率(コンバージョン率)をはじめとする、さまざまな顧客の行動履歴を取得・分析し、その結果をサイトの改善や顧客別のマーケティングに活用しています。一方のリアル店舗は、POSシステムに蓄積されるデータやショッピングポイントのデータ活用はあるものの、店舗ごとの売れ筋分析にとどまっていて、顧客個人を対象とするマーケティングは結びつけるのは難しい状況にありました。また、顧客とコミュニケーションを取ることと、買い物履歴を集めることは、ECサイトの運営では簡単に実現できますが、リアル店舗での実施は難しいのが現状でした。

リアル店舗でもキャッシュレス決済を取り入れれば、このハードルは一気にクリアできます。リアル店舗の顧客の購買履歴を収集できるようになれば、ECサイトで培った各種の分析手法を適用して得られた結果を反映したマーケティング戦略を立案したり、需要喚起に結び付く品揃えを顧客属性から見つけたりできるようになります。

さらに新しい手法として、ネット店舗とリアル店舗を組み合わせて相乗効果を高めるアプローチが、QRコード決済が国民全体に浸透している中国で急激な進化を遂げつつあります。この動きを牽引しているのは、EC大手で中国を代表するQRコード決済アプリ「Alipay」の運営企業を抱えるアリババ集団です。同社は、今後のビジネスを考えるとネットだけでは不十分と判断してリアル店舗の拡充に取り組み、016年末にネット店舗とリアル店舗のいいところを組み合わせることを主眼とする新戦略「ニューリテール」を発表しました。ニューリテールは当初、O2O(online to offline;ネット店舗によるリアル店舗への誘導)が目的であると認識されていましたが、最近はネットとリアルを組み合わせて新しい購買体験を提供することに力点が置かれていることから、OMO(online merges offline;ネット店舗とリアル店舗の融合)と呼ばれることが多くなっています。

アリババ集団のニューリテール戦略を象徴する総合スーパー「盒馬鲜生」の店内とレジ 手店舗で買った商品はその場で調理してもらったり、自宅に配送してもらったりできる。

中国でニューリテール戦略が大きなムーブメントになっている背景には、中国の中小の小売店が、品揃え面でも経営面でも近代化されていなかったという事情があります。日本では、80年代には、スーパーやコンビニがPOSで収集した売上を分析して売れ筋を判断し、店舗別に地域特性に応じた消費者ニーズを予測して品物を発注するのが当たり前になっていました。ネットスーパーにしても、2000年代からさまざまな大手総合スーパーをはじめとしたさまざまな企業が参入して、実績を積み、ノウハウを学んできました。このため、ニューリテールでの取り組みについても、リアル店舗だけのサービスだけを比較するなら、日本の小売店が見劣りすることはありません。

ただし、今問われているのは、個々のリアル店舗の事業改革という視点ではありません。
ECでの豊富な経験を持ち、先端的なIT技術を全面的に活用する新たなゲームチェンジャーによる「小売りビジネスの再構築」が始まっているのです。というのは、EC大手のリアル店舗への進出は、アリババ集団をはじめとする中国のネット企業だけではないからです。

米アマゾン・ドット・コムが130億ドルをかけて米小売り大手ホールフーズを買収したのは2017年8月のことです。2018年1月には自ら手掛けるレジ無しスーパー「Amazon Go」の1号店をシアトルに開き、12月までにシアトル4店舗、シカゴ3店舗、サンフランシスコ2店舗と、店舗拡大を急ピッチで進めており、米ブルームバーグは「今後3年間で3000店舗を全米に出店する計画を持っている」と報道しています。もはやアマゾンは「EC大手」というよりも「総合小売り大手」となりつつあります。

レジ無しスーパーの特徴は、レジを無くすることで、利用者がレジに並んで決済処理しなくても、店内のものを店外に持ち出せる環境を作り出したことです。レジ無しスーパーの使い方は簡単です。利用者は専用アプリを起動し、そこに表示されたQRコードを入場ゲートにかざして入場します。店内でほしい商品を手に取り、そのまま退場ゲートを通過すれば決済処理が実行されます。何を購入したかは、店側がセンサーやカメラを用いて利用者の行動から判断します。利用者は、単に欲しいものを持って店の外に歩いて出て行くだけです。精算のために無駄な時間を使わなくていいという体験は、キャッシュレス決済がもたらす新しい顧客価値です。急いでいるときなら特に、その快適性を感じることでしょう。

「Amazon Go」のプロモーション動画の一部(出所:アマゾン・ドット・コム)

アリババもアマゾンも購買体験をいかに価値あるものにするかに着目して店舗設計を進めています。キャッシュレスはその道具立てに過ぎません。それでもITを活用することでキャッスレスが手軽に利用できることになったことを機に、キャッシュレスでどんな購買体験を提供できるのか、価値ある購買体験を作るために購買履歴と行動履歴をどう活用すればいいのかを追求しています。ゲームチェンチャーにとってキャッシュレスは、価値ある購買体験を作る一つのツールに過ぎないようです。

著者情報
林哲史
日経BP総研 主席研究員

1985年東北大学工学部卒業、同年日経BPに入社。通信/情報処理関連の先端技術、標準化/製品化動向を取材・執筆。2002年「日経バイト」編集長、2005年「日経NETWORK」編集長、2007年「日経コミュニケーション」編集長。その後、「ITpro」、「Tech-On!」、「日経エレクトロニクス」、「日経ものづくり」、「日経Automotive」等の発行人を経て、2014年1月に海外事業本部長。2015年9月より現職。2016年8月より日本経済新聞電子版にて連載コラム「自動運転が作る未来」を執筆中。2016年12月「世界自動運転開発プロジェクト総覧」、2017年12月「世界自動運転/コネクテッドカー開発総覧」、2018年6月「Q&A形式でスッキリわかる 完全理解 自動運転」を発行。2011年よりCEATECアワード審査委員。

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