「患者の治療体験の改善を目指して」トロント大学と富士通が取り組む脳腫瘍治療の革新

富士通は2021年2月、トロント大学と共同で、脳腫瘍などの脳障害や大脳の動静脈奇形を治療するガンマナイフ放射線手術の治療計画の作成過程を劇的に効率化する技術を開発したことを発表しました。このコラボレーションは、放射線治療と患者の治療体験をともに飛躍的に改善することを目指したものです。この取り組みでは、量子技術に着想を得た、組合せ最適化問題を高速に解くことができる富士通の「デジタルアニーラ」が活用されています。本記事では、ガンマナイフ放射線手術の共同研究や社会課題解決への想いについて、科学者・脳神経外科医でトロント大学外科部門教授であるDr. Mojgan Hodaieと富士通コンサルティング・カナダでAdvanced Computing R&D CentreのSenior Researcherを務める松村秀敏さんに聞きました。

目次
  1. 脳疾患の治療改善を目指して協力し合う
  2. 技術を超えて:患者の治療体験を再構想する
  3. 全員の力を結集し、画期的な成果につなげる

脳疾患の治療改善を目指して協力し合う

――まず最初に、現在取り組んでいるプロジェクトについて教えてください。

松村さん: 私たち富士通(当時富士通研究所)は2017年にトロント大学と戦略的パートナーシップを締結し、トロントに研究センターを新設しました。私はこの研究センターで、富士通とトロント大学でのいくつかの共同研究に携わっています。ガンマナイフ放射線治療に関する本研究では、組合せ最適化問題を高速に解く富士通の技術「デジタルアニーラ」を活用することを支援しています。

Dr. Hodaie: ガンマナイフは放射線を使った脳疾患治療法のひとつです。放射線治療と聞いて一般的に思い浮かべるのは、脳全体に一定量の放射線を照射する方法ですが、この方法は抜け毛、吐き気、嘔吐など患者にとって不快な症状を引き起こす深刻な副作用を伴うものです。一方で、ガンマナイフ放射線治療を採用することによって、脳のなかでも病巣である一点に集中して高線量の放射線を照射する放射線治療計画を立てることができ、より安全性が高く、副作用も少なくてすみます。

通常、放射線治療計画を立てるには、私たちが治療しようとしている腫瘍の形を三次元で捉えて、それにマッチした計画を組み立てなければならず、1時間半から3時間に及ぶ手動での作業が必要となってきます。放射線治療計画は、ひとつとして同じものはなく、腫瘍の正確な形と大きさや奇形に対応して組み立てなければならず、担当医師の技量に依存する部分が極めて大きいのが実情です。そのため、医療現場でのこれらの課題に対して、私たちは富士通と協力し、デジタルアニーラを活用して対処しようと考えました。

――富士通の技術は、ガンマナイフ放射線治療をどのように改善できるでしょうか?

松村さん: ガンマ線線量の安全で正確な計画を作成する際、照射をする位置、強度などのパラメータの利用可能な値の組み合わせによって、きわめて多くの選択肢が存在します。「デジタルアニーラ」は、こうしたタイプの問題を解決することに特化して設計されたコンピュータアーキテクチャです。これを活用することで、医師の処方箋を満たす放射線計画を非常に短時間で生成することが可能となるのです。

Dr. Hodaie: 「デジタルアニーラ」をガンマナイフ放射線手術の治療計画を最適化するツールとして使用できる可能性に気づいたときはとてもワクワクしました。通常、放射線治療計画の作成プロセスは、多大な時間を必要とするだけでなく、患者にとっては病院に何回も通わなければならない負担のかかるものです。しかし、「デジタルアニーラ」を活用することで、私たちは治療プロセスの中でカギを握るこのステップを最適化して、60秒もかけずに作業を完了できるようになりました。この技術を採用することで、治療計画を迅速に、しかも手動で作業していた時よりもさらに正確に生成できるようになったのです。

技術を超えて:患者の治療体験を再構想する

――患者にとって、この技術イノベーションはどのような意味を持つのでしょうか?

Dr. Hodaie: 共同研究者の方々との取り組みによって、私たちは患者の治療体験の改善において、大きな進展を遂げることができました。臨床医として申し上げると、脳腫瘍の治療を受けに来院される患者さんは驚くほど神経をピリピリさせています。その患者さんの治療体験を最新の治療法で改善できること、そして患者さんが何時間も病院で過ごさずにすむ迅速なプロセスが可能になったことは本当に素晴らしいことで、患者さんの不安を大いに軽減させることにつながっています。私個人としても、自分の患者さんのケア改善を実現できると知り、本当にやりがいを感じました。

松村さん: 通常、研究活動では、我々は研究者なので、技術の開発にフォーカスしすぎてしまう傾向があります。しかし、トロント大学と共同で応用研究プロジェクトに取り組んだ経験から、技術が生み出す価値と成果も重要であることを知っていたので、本プロジェクトでは、患者にとっての具体的なメリットに焦点を当ててきました。その中で、実際のガンマナイフ治療がどのように行われるかは私たちでは分からなかったため、Mojgan教授に多くの質問をし、議論し、プロジェクトがその方向に向かっているかを確認する必要がありました。

――この共同研究の今後の展望を教えてください。

Dr. Hodaie: 直近や近い将来について言えば、私たちの目標はこのツールをトロント、カナダ全土、そして世界各地に展開することで、臨床医が誰でもこのような治療計画を迅速に生成でき、彼らの患者の治療体験改善を可能にすることです。

さらに言えば、この技術の原理は脳だけに限定されたものではありません。現実問題として、人体にはこのタイプの治療計画を必要とする構造が数多く存在するため、デジタルアニーラを適用する場を広げていく潜在的な可能性はきわめて大きいのです。
これはヘルスケアの領域で、富士通の技術が実現できるであろう幅広い活用分野のほんの一例であり、患者の治療方法を大きく改善できる可能性を秘めていると私は考えています。

全員の力を結集し、画期的な成果につなげる

――このプロジェクトへの参加背景や、やりがいを感じたことを教えてください。

松村さん: 私は、小さい頃からコンピュータに興味をもっていました。父が、勉強のためにと電子回路やその分野の本を買ってくれ、それをきっかけに大学でコンピュータやIT技術を専攻するようになりました。その後は富士通に入社して、目的に特化したハードウェア技術に取り組む機会があり、現在はその一つであるデジタルアニーラに取り組んでいます。トロント大学のデジタルアニーラ応用研究の一つとして、本プロジェクトが発足したため、研究者としてプロジェクトに携わることとなりました。

今回のトロント大学と富士通のコラボレーションに参加したことで、私自身はヘルスケアの分野について深く学ぶ機会を得ることができました。この研究の前進に携わることができたのは、本当に幸せなことでした。研究そのものに取り組む前に、踏むべきステップや克服すべき障害が多数存在し、こうしたステップに手間取っているうちにリサーチプログラムが立ち消えになったり、研究段階に進めないことも珍しくないのです。それだけに、今回の研究が早い段階から具体的な結果を出すことができたのは、本当にエキサイティングなことでした。

Dr. Hodaie: 目の前の問題にひたむきに取り組む、頭脳明晰な多くの方々と一緒に仕事ができたことは、信じられないほどにモチベーションとインスピレーションに満ちた経験でした。このプロジェクトに携わった多くの人々の助けがあったからこそ、この解決策を生み出すことができたのです。私たちはとても幸運です。なぜなら、これだけのレベルの専門知識を結集して、このような実績を実現できる場所は、世界でも極めてまれなことなのですから。

Dr. Mojgan Hodaie

神経外科医、トロント大学外科部門教授。医学部を卒業後、外科手術の分野に興味をもち、トロント大学で神経外科医を専門とする。研修医を終えた後、同大学で教職員として勤務。Dr. Hodaieは、複雑な問題をシンプルに分解することにやりがいを感じ、脳の分野に関心をもった。機能的脳神経外科の専門家として、ガンマナイフなどの精密ツールを駆使し、脳神経疾患の治療を行っている。イノベーション、リサーチ、ナレッジの発展を通じて疾患治療に当たることに情熱を傾けており、今回の共同プロジェクトに携わる。

松村秀敏

富士通コンサルティング・カナダ Advanced Computing R&D Centre, Senior Researcher。小さい頃からコンピュータに親しみ、IT分野でのキャリアを目指して、富士通に入社。富士通では、特定の目的に特化したソフトウェアやコンピュータアーキテクチャーの技術を研究。コンピュータアーキテクチャー技術に関する研究実績により、今回のプロジェクトに参画。

※この記事はFujitsu Blogに掲載された「Transforming the radiation therapy experience for patients through Gamma Knife radiosurgery」の抄訳です。

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