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デジタル化時代の著作権コンファレンス

富士通総研では、去る12月5日、経団連会館において「デジタル化時代の著作権」と題するコンファレンスを行った。

コンファレンス第1部:基調報告

コンファレンス第1部では、富士通総主任研究員の浜屋敏(敬称略・以下同じ)が「著作権に関する経済学的分析」と題して米国での議論を中心に著作権制度を主として経済学的観点から分析する諸研究についての概観を報告し、さらに、慶應義塾大学教授・富士通総研研究顧問の林紘一郎が「柔らかの著作権制度に向けて」と題して、デジタル化時代を迎える新しい著作権制度のあり方について提案する報告を行なった。

浜屋が最初に取り上げたのは、1989年のランズとポズナーによる「著作権法の経済学的分析」である。彼らの論文は、著作権保護を過度に強めると作者が過去の作品を利用するという視点から最適な著作権保護の水準を論じるものであるが、そこから言えることは、最適な著作権保護の水準は技術進歩への考慮に基づいて設定されるべきであるということである。

次に取り上げたのは、同じく1989年のビーゼンとカービィによる「私的コピー、収益帰属の可能性(アプロプライアビリティ)、著作権ロイヤリティの最適水準」である。彼らの研究は、私的コピー(作品の利用者が作者に無断で作品を複製すること)の経済に与える影響を、(1)複製の限界費用、(2)収益帰属の可能性(アプロプライアビリティ)、(3)オリジナルとコピーの代替可能性という3点から分析するものである。そして、彼らは、コピーがオリジナルを完全には代替できないときには、コピーによって作者の利益は減少するものの、それ以上に消費者余剰が増加するから、一定の条件を満たした場合には私的コピーを許した方が経済厚生は高くなるとしている。

もっとも、デジタル化とネットワーク化は、彼らの主張の前提を大きく変化させている。パソコンとインターネットを使えばソフトウェアやデジタル化された音楽データを複製して流通さするためにはほとんど費用はかからないし、デジタル財ではオリジナルとコピーの区別はできない。このため、1990年代後半には、情報財の共有による経済的な影響を分析も盛んに行われるようになっている。

経済学的な分析には多くの前提条件があるが、共通して言えることは、すべての条件下で一義的に最適な著作権の保護レベルは存在し得ないということであり、それは、さまざまな条件に対応できる柔軟な制度が必要であるという提案にも結びつくものである。

林の報告は、現在の著作権制度はアナログ時代の著作物の特性を前提にしているが、そうした前提はデジタル化によって根本から崩れてしまっているという認識から出発するものである。デジタル技術とネットワーク化によって、著作物の複製は容易で品質が劣化することもなくなり、また、配布のコストはゼロに近くなっているからである。

経済学の視点からは、物財においては生産のための限界費用は逓増するが、情報財では最初の商品を創造するためには時間と智力が必要だが2番目以降はコピーするだけでよく、限界費用は急減する。これを人為的に価格維持をしようというのがいままでの著作権制度だったといえる。また、従来の著作権制度における経済的な暗黙の前提として、金銭的インセンティブがなければ創作物は十分に供給されない、創作者への金銭的報酬を最大化するためには権利期間は長いほどよい、といったものであった。しかし、新しい環境のもとでこれらの前提も大きく変わってきている。

一方、法制度の面から現在の著作権制度の問題点を整理すると、まず指摘できるのはその複雑さである。当初は文芸、学術、美術、音楽といった分野に限られていた著作物の範囲は、二次的著作物や編集著作物、コンピュータ・プログラム、データベースまで拡大されている。また、著作者といっても、原作者や脚本家、監督、出演者など多数の関係者がいる映画のように容易には定義できない場合も少なくないし、権利の種類についても非常に複雑になっている。

こうした状況を踏まえて、林は、著作者の立場だけでなく利用者の視点も取り込んだ柔らかな著作権制度の必要性を提案した。これは、例えば、ウェブ上で公表する著作物について著作権者が一定の表示を付しておき、そうした表示を用いて、自由な権利存続期間や利用条件の設定を可能にしようというものである。デジタル時代の著作権制度は、単一の制度ではなく複数の制度が併存し、制度の優劣を市場が決めるようなものであってもよいというのが、その趣旨である。

コンファレンス第2部:著作権を巡る環境の変化

続いて、コンファレンス第2部では、第1部で報告を行なった林に加えて、(株)ネオテニー社長の伊藤穣一、作曲家で東京音楽大学客員教授の三枝成彰、東京大学教授の中山信弘、国際大学GLOCOM客員教授の名和小太郎が参加し、デジタル化時代の著作権制度について広汎なパネルディスカッションを行なった。司会は岩村が担当した。以下ではパネルディスカッションの内容を要約する。

パネル参加者が一致したのは、膨大な情報がデジタル形態で作成され、保存され、さらには流通する時代になって著作権制度が変わらざるを得ないだろうという認識である。

この点について、まず、名和が、デジタル化された情報の著作権保護に当たっては必ずしも既存の制度にとらわれずに最も人々から歓迎される仕組みをを考えるべきであるとする第1部の報告を受けて、新しいデジタル化時代を迎えて現に様々な実質的な著作権管理の仕組みが登場しており、例えば、物理学における電子ジャーナルの世界では著作権の主張期間2年というルールで論文アーカイブがネットワーク上で運営されていることを紹介。法律における著作権保護の仕組みとは別の著作権保護の仕組みがいわゆるデファクトスタンダードとして機能し始めていると指摘した。

これを受けて中山は、知的財産権法学研究者の立場から、デジタル時代にあった新しい法理論のパラダイムが求められているという立場に明確な賛意を示した。また、中山は、そうした新たなパラダイムが必要だという認識を持っているのは法関係者のごく一部にとどまっている現状をも指摘し、ローマ法以来の物権と債権つまり有体物と契約の二元論的な法理論がデジタル時代において通用しなくなりかけている事態を率直に認めるべきであるとの認識を示した。

ここで三枝が音楽著作権を巡る議論の背景について述べた。三枝は、まず、著作権という概念自体が日本にはもともと存在せず、日本における創作活動の経済的基礎は口伝あるいは家元制度に支えられていたと指摘した。これに対してキリスト教的な普及主義を基本とする西欧では、創作活動の結果は公開されるべきもので、そうした公開を支える経済的基盤として著作権制度が発展したのだという見方を示した。もっとも、三枝によれば、西欧においても創作活動の経済的基盤が著作権になったのはそう古いことではなく、それ以前の作曲は宮廷や教会から給料を貰って生活していたり、19世紀の後半になっても出版社に楽譜を買い取ってもらって生活していたりで、音楽著作権という仕組みが本格的に機能し始めたのは、20世紀になってからだろうとした。また、三枝は、著作権制度が機能している国は要するに旧西側諸国だけであり、例えば中国やロシアのような国においては、著作権制度は機能していない。そうした状況の中で著作権制度を強化しようとしているのが米国だが、それは、既に自動車産業を抜いて航空軍事産業に次ぐ米国第2位の産業に浮上した映画産業を守ろうとする米国の国益があるのだと指摘した。

こうした認識に対して伊藤は、著作権という考え方は、出版が事業化して表現にコストがかかるようになってから形成されたもので、必ずしも普遍的な概念ではない。かつての芸術家達は著作権に守られなくても創造活動を行っているし、一方で、著作権制度で守られた現在の音楽業界に創造的な活気があるようには思えない。著作権制度を巡る議論は、その経済的側面に注意を奪われすぎているのではないと問題を提起した。しかも、情報流通がデジタル化されることによって課金のコストがどんどん上昇している実態があり、実は創作活動を支える経済的基礎という観点からも、音楽著作権制度は機能しなくなっていくのではないかと指摘した。

これに対して三枝は、日本の音楽著作権協会会員1万人のうち、年間で500万年を超える分配金を得ている会員は500人強しかおらず、そもそも音楽著作権協会という組織自体が1億円以上の収入を上げる数十人の会員によって支えられているわけだから、確かに、現在の著作権制度というものが、音楽家の経済的基礎という点では必ずしも機能していないという点を認めつつも、現実に音楽著作権制度に代わる仕組みが存在しない以上は、現在の制度を否定することはできないのではないかと反論した。

こうした双方の議論に対して林は、著作権が法律による強制力を伴う制度である以上、中途半端な解決はできないのであるから、制度設計の問題としては著作権中心で行く方向と、そうでない方向とを明確に分けて、制度の利用における自由度を確保することの重要性を指摘した。また、名和は、学会出版の例をあげて、出版活動の今後は、対価の回収という側面から情報の品質保証へと向かうのではないかという認識を示し、そうした機能への配慮が制度設計において不可欠であるとの意見を述べた。

ここで伊藤は、情報通信技術発展の方向を踏まえると、個々のコンテンツを各別に勘定して課金するという方式はどんどん現実的でなくなっている、ファンクラブのような仕組みも視野に入れないと音楽著作権ビジネスは著作権料回収のコストが嵩んで機能しなくなるか、あるいは才能のある人たちが音楽創作以外の分野へと逃避してしまうのではないかと指摘した。この伊藤の指摘に対しては、三枝も、日本のカラオケにおける著作権料回収には収入の30%もの費用がかかっていることをあげて、同じ危機感を持っていることを表明した。

こうした議論を踏まえて中山は、そもそも著作権は財産権であり、したがって放棄することは自由なのだから、契約や技術を組み合わせてデファクトスタンダードとしての新たな著作権管理の枠組みを作ることは現在の法制度とは矛盾しないと指摘した。さらに、創造活動における経済的以外の動機を重視した作品流通の仕組みを作ることには賛意を示しつつも、そうした動機を重視することと著作権法自体を否定することとは別である。また、そうした動機を重視した仕組みを作ったとしても、コピーがまったくの無制限に出回ったら仕組み自体がどうなるかということまで考えると、権利としての著作権の重要性は変わらないし、そもそも21世紀の社会構造を考えるうえにおいて著作権を含めた知的財産権は不可欠になるだろうと展望を述べた。

詳細

~プログラム~

富士通総研特別企画
「デジタル化時代の著作権コンファレンス」

13時受付開始
13時30分開会
13時30分~13時40分
開会挨拶
富士通総研 理事長
福井 俊彦
13時40分~14時10分『著作権に関する経済学的分析』主任研究員
浜屋 敏
14時10分~15時10分『柔らかな著作権制度に向けて』慶応義塾大学教授
富士通総研研究顧問
林 紘一郎
14時45分~15時休憩
15時30分~16時50分 『デジタル化時代の著作権』(株)ネオテニー社長
伊藤 穣一
作曲家
東京音楽大学客員教授
三枝 成彰
東京大学教授
中山 信弘
国際大学GLOCOM客員教授
名和 小太郎
慶応義塾大学教授
富士通総研研究顧問
林 紘一郎

【司会】
早稲田大学教授
富士通総研研究顧問
岩村 充
16時50分閉会
16時50分~17時閉会挨拶富士通総研 社長
佐藤 至弘

2000年5月23日