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実践知リーダー対談 第3回「ビジネスモデルと実践知」

このシリーズでは、実践知研究センターの初代センター長である野中郁次郎との対話の場を通じ、「実践知」について考えていきます。

第3回 対談相手: 根来龍之 氏
早稲田大学ビジネススクール ディレクター(統括責任者)・教授
富士通総研経済研究所 研究顧問

企業経営に見られる変化 --- 研究という視点から ---

【根来】
 最近の企業経営を見ていると、顧客、ライバル、サプライヤーなどとの相互作用を強調している潮流があると思います。90年代は、やはりデザイン志向と言うか、企業の中で何らかの要素を決めなきゃいけないという、演繹的な志向性が強かったと思います。例えば、コンセプトを決めなきゃいけない、収益モデルを決めなきゃいけない、などということを先に決めてから他の事業要素を決めてきました。しかし、精密に何かを決めてからやってもその通りにならなかった。そのフィードバックがデジタル化とともに早まった。だから、その後の経営では、行ったり来たりして試行錯誤しながら事業を作っていくという、相互作用を意識し始めるようになったのではないでしょうか。

【野中】
 そういうことですね。実は以前、ドラッカースクールで戦略論をやっている先生から「Business Model Generation」の著者でもあるアレックス・オスターワルダーのことを教えてもらいまして、色々な論文を読ませてもらいました。その中には僕らの論文も参照されているものもあり、組織論的な話ではありますが、場だとかリーダーシップだとか、環境をどうとらえるかとか、そういうものが総合的に書かれてありました。彼はもともとITの分野の出身なんですね。新しい著書では、企業人の話が多数出てきますが、彼がベーシックなモデルをつくって、現実でワイガヤのようなものをやりながら執筆したんじゃないかなと想像しています。試行錯誤と相互作用ですね。彼には、富士通の経営幹部を育てるGKIの研修でも関わってもらっています。

【根来】
 そうでしたか。私も、オスターワルダーは、彼が博士論文に取り組んでいた時代から知っています。非常に詳細なモデルですよね。どちらかというと要素の組み合わせという性質が強く、演繹的なニュアンスがあると思います。フレームワーク思考の一種です。良く出来ているモデルだと思います。

【野中】
 「ケイパビリティの組織論・戦略論」の著者であるカリフォルニア大のデイビッド・ティースは、ダイナミック・ケイパビリティというコンセプトを主張している人ですが、彼も、ポーターのような産業ベースの分析では、戦略論的にみると、企業にとってはあまり役に立たないという見解を持っているようです。研究を重ねれば重ねるほど、どうしても個別具体のビジネスモデルに近づいて行かざるを得ません。彼も、根来先生が言われるように、実験主義的なプロセスが不可欠だという考えを持っているようです。最終的には、帰納法的に実践しながらバランスを取っていくのでしょうかね?

【根来】
 そうですね。ティースの場合は、ご存知の通り、ダイナミック・ケイパビリティという概念が有名ですけれど、これは、変化を強調したり、変化する能力を強調したりする概念です。オスターワルダーの考えも、野中先生の理論を念頭に置きながら言いますと、あのフレームワークをそのまま実現するというとらえ方ではなく、フレームワークで把握しながら、また現実に戻していって、そしてまた変化する。そのようなサイクルの中でとらえなければならない概念ではないでしょうか。

【野中】
 彼の話はシンプルで理解しやすく、プラグマティックなアプローチとしては、一つのスタンダードを出したという感じがします。

【根来】
 「ビジネスモデルとは何なのか」ということについては、かなり完成形に近い形の概念化がなされているのではないでしょうか。

【野中】
 多くの企業の中でも、ビジネスモデルについて考えられてきていますが、最近思うのは、それがある種のKJ法的なゲームになってしまって、考えるだけで終わることが少なくありません。楽しみながらやっていくうちに、「俺がやりぬくんだ」というような強い思いに駆り立てられて、自分自身の生き方を反映させながらガッツを持って実現する人は、あまりいないようです。一企業の狭い世界の中で議論して終わり、という気がするのです。

【根来】
 やはり、そこに分析的思考の限界があるのかもしれないと思います。

【野中】
 分析的思考で全体を部分に分解していくと、逆に関係性が見えなくなってしまうものです。個別具体から関係性を紡いで行く、そのような積み上げが大切ではないでしょうか。
 改めてマイケル・ポランニーが書いた本を読むと、やっぱり「人間は、語れる以上のことを知っている」と思いますね。個別具体の細目の経験は語りきれない。そうすると、人間は、細目を暗黙知と集積して身体化する。これが、有機的なシンセシス(synthesis)です。ここで言うシンセシスとは、分析思考によってとらえられた部分を、関係性によって統一的に構成することです。
 ギリシャの例を取り上げてみましょう。我々は、ガイドブックを読めば、ギリシャの気候や歴史などを頭の中で描くことができますが、それをもってギリシャの意味をわかったことにはならない。形式的には解っても、主観的に、身体的に、自分から見たギリシャの意味が解らない。そうすると、やっぱり現場に行くしかない。パルテノンに自分で行き、そこに咲いているクロッカスの花を見てそれに触れてみる。匂いをかいでみる。そうやって全身で直感するのです。これらは細目ですよね。やがて、街に出れば、反政府デモを目にする。美術館に行けば、工芸品に触れる。そのような細目という自分の中に埋め込まれているものを、対話によって、自分自身でまとめて行く過程の中で「これがギリシャだ」という概念が出てきます。部分を総合して全体に到達するのですが、一方で、ギリシャはEU加盟国でもあります。だからEUの中のギリシャという見方もできます。そうすると、さらに大きな概念が見えてきますが、このように、たえず広がりながら意味を創って行くのが、暗黙的知り方なのだと思います。

【根来】
 なるほど。もう一度、ビジネスモデルを例として考えながら私の言い方でとらえ直しますと、言い方が違えば、ひょっとしたら違う意味になるのかもしれませんが(笑)、しょせん現実の中にいなければビジネスというのはできない。ビジネスは、現実の外から設計するようなものではありません。そう思いますね。

【野中】
 そうなんですよ。まさに、その通りです。現実の只中が大事なんですよね。

土地勘と「こだわり」を持っているか?

【根来】
 成功しやすいビジネスは、土地勘がある人によってつくられたものです。土地勘がありこだわりがある人であるかどうかが明暗を大きく左右します。土地勘とは、実際にその人が現実の中にいるということを意味します。
 先日、私はオークネットという中古車のオークションビジネスをやっている藤崎さんとお会いしたのですが、藤崎さんは、オークネット創業前は、兄弟で中古車販売業をやっていた人です。もともとは、「こんなに車が余っているのに、一方では全然足りていない。なぜこんなに中古車のやりとりがうまくいかないのか?」という問題意識があったのだと聞きました。また、「なぜこれほどまでに中古車ビジネスでは売り手と買い手がお互いを信用していないのだろうか」、という疑問も持っていた。そして、中古車ビジネスの中では、小売業者同士がお互いに信用し合うようなシステムが必要なんだ、というところに目をつけたわけです。そのような土地勘の中で作り上げられたビジネスがオークネットです。このビジネスは販売業者同士をネットワーク(最初はパソコン通信+レーザーディスク)でつないだビジネスとして1985年に創業されました。世界最初のネットオークションでした。

「土地勘とこだわりが明暗を左右します。」

「土地勘とこだわりが明暗を左右します。」

 このビジネスは、彼が中古車ビジネスの中にいたから思いついたのとであって、そういう土地勘の中で、こだわりを持ちながらブレークスルーするような人が成功しやすいのだと思います。

 とても面白いのは、藤崎さんは中古車ビジネスに成功した後、花のオークションビジネスに進出するわけです。花の市場への進出は、色々な市場を分析してから選択したということです。この花ビジネスを成功させるのには、10年かかっているんです。中古車は、土地勘があったから3年で採算ラインにのったのですが、花に関しては、つまり、次は何処に出ようかと分析的思考に基づいてビジネスに着手したものは、すごく時間がかかっているんですよね。
  もちろん、落下傘的に狙いを定めて着地して成功するビジネスが絶対に無いわけではありません。特に、全員にとって未知な市場、たとえば規制緩和や技術革新で新しく生まれる市場では成功例があります。しかし、大きく成長するビジネスと言うのは、土地勘、つまり身体知があって、その身体知の中で、そこを開拓しなければならないというこだわりがあって、それがビジネスモデルに昇華されたものが多い。全部がそうだとも言えませんが、土地勘が中心にならないと良いビジネスモデルにならないと思います。

【野中】
 いやいや、まったくその通りだと思いますね。
 ポーターの演繹的な経済学的な戦略論は、産業が分析的単位になっていて、完全競争を想定しています。そして、抽象的な単純化された市場のモデルと現実が合わなければ、現実が間違っていると言う。そんなことはないだろう(笑)。でも、このような考え方がずっと戦略論を支配してきたのです。そういう意味では、ビジネスモデルの発想というのは、一つの転換点になっているのではないでしょうか?

【根来】
 ビジネスモデルという言葉自体、現場から出てきた言葉であって、学者が作った言葉ではないと思うんです。ビジネスモデルは、もともと証券業界から出てきた言葉のようです。証券業界のアナリストたちが、この会社はこういう収益の上げ方をしている、ということを表現するためにモデルという言葉を使い始め、どうやらそこから始まっているみたいです。証券業界ということを考えれば、現場ではあるけれども、完全に現場ではないところから出発しています。少なくとも、研究室から出てきた言葉ではありません。
 このように、出発点には何かあるんですね。出発点にあるのは、私の場合は2つだと思っています。1つ目は現場感覚。つまり、土地勘があるというのが出発点です。

【野中】
 うんうん、いい言葉だなあ、土地勘って。

【根来】
 2つ目は、大企業の企画部門が考えるような市場分析です。例えば、外国にあるものを日本に持ってきて実施する場合などです。
 しかし、やはり非常にクリエイティブなものは、土地勘から生まれてくると思っています。ただし、最初からできあがっているビジネスというのは無いと思います。つまり、ビジネスモデルがあって、それを肉付けしていくとビジネスになるのではなく、ビジネスモデルのきっかけになるような、ヒントになる問題意識があって、その解決を追求しているうちに出来上がってくるのです。最初からモデルがあるというような考え方ではない所に現実があるのではないか。これを解決したい、これを実行すると人々が救われる、こういうことをやりたいんだ、という思いがあって、それらが溜まっていって、ビジネスモデルが完成されていく。最初から完成されたビジネスモデルがあるという考え方ではないほうが良いですね。

【野中】
 なるほど。もともと帰納法では、唯一最善の解は、論理的に出ないわけですよね。演繹的に考えると、三段論法的になるわけです。「全ての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。ソクラテスは死ぬ」。しかし、だから何だ?(笑)。この考え方には、まさに、根来先生がおっしゃるように、主体的、個別具体の文脈から、ビジネスモデルという普遍が出てくるというリアリズムが欠如しています。例えば、全ての白鳥は白い。また次に見る白鳥も白だ。しかし、どこかで黒い白鳥が発見されたとすると、「白鳥は白い」という命題が覆るわけですよね。ある条件下では白鳥は黒かもしれないけど、大方は白である、と言うほうがリアルですよね。

【根来】
 そうですね。どのビジネスモデルも最初は仮説としての性質を持っていて、当てはまる側面もあれば抜け落ちる側面もあります。だからこそビジネスはおもしろいのかもしれませんね。

企業経営と教育

「土地勘がなければ、
個別具体を総合するシンセシスみたいなものは、
恐らくロジックだけでは出来ないわけですよね。」

土地勘がなければ、個別具体を総合するシンセシスみたいなものは、恐らくロジックだけでは出来ないわけですよね。

【野中】
 全くその通りです。例えば、ビジネススクールにおけるビジネスの教育というのは、分析的であるというとらえ方で行くと、シンセシスは出てこないんですよね。しかし、ビジネスには、分析だけではなく、シンセシスも必要です。
 事例研究は、個別具体の文脈を描くという点は評価できるけれども、「これは美しいビジネスモデルだ」などというように、ビジネスにおけるアートというとらえ方をしながら、文脈を教え込むものです。一方で、経験を与えているわけではありません。その場その場のジャッジメントは、必ずシンセシスを要するものです。そうすると、ビジネス経験が無い人間が事例を教えると、それらを抽象的にモデル化してしまうわけです。ビジネスは、サイエンスではない。サイエンスでありたいと思いつつ、サイエンスとアートのシンセシスであると、ミンツバーグなどは言っています。土地勘がなければ、個別具体を総合するシンセシスみたいなものは、恐らくロジックだけでは出来ないわけですよね。

【根来】
 ビジネススクールと言うと、ケースメソッドというイメージが強いかもしれませんが、ケースメソッドの欠点はたくさんあります。ケースメソッドは、教科書による講義よりは個別具体を重視するものですが、やはり現実ではない。もっとも大きな欠点は、「情報の探索過程がない」、「ビジネスを行う人間の思いが共有されない」ということです。でも、実際にビジネスをやる人は、自分なりの文脈を持っていて、文脈から来るこだわりを持っているんですよね。

【野中】
 ええ、文脈からくるこだわり、持っていますね。その程度も強いですよね。その通りです。

【根来】
 ところが、こだわりの無い人がケースメソッドをやると、物事の見方がどうしても平均的になってしまいます。例えば、シェアが大きければ、利益が出やすいというのは、当たり前過ぎてつまらない。シェアが小さくても利益が出る方法を考えなければなりませんが、そうすると平均的な法則としては成り立ちにくいわけです。それを突破するような考えを作りださなければなりませんが、そのためのこだわりだとか能力は、ケースを分析しているだけでは身につきません。
 ただし、あえてビジネススクールの教員として申し上げますと、じゃあ現実に根差した直感が全て良いのかというと、直感で成功する経営者は、よほどの天才だと思います。実際には天才ではない経営者の方が多いわけですから、注意しなければなりません。ビジネススクールにおける教育には、分析をしながら総合する、分析が総合を助けるという意味がありますので、したがって、天才ではない人が能力を高めるという点では役に立ちます。また、社会には、天才を補佐する立場の人も必要で、そのような人にとっては分析力は非常に必要ですね。

【野中】
 その通りですね。分析と総合、形式知と暗黙知、アナログとデジタル、これらがスパイラルにまわらなければなりません。効率追求だけでは、何ら新しい知を生み出さない。まさに、動きながら考える、このプロセスの中で初めて総合化ができるわけです。
 ビジネスモデル的な帰納法は、唯一絶対の解にたどり着けない危うい知ではあります。また、いろいろ考えた挙句に「これがビジネスモデルだ」と言っても、単なる改善に終わってしまうという危険性は常にあるわけです。そうすると、大きく飛躍するためには、ビジョンとか志の高さとか、コモングッドのようなものがなければいけないと思います。

ビジネスモデルを阻む組織の制約 --- 実感を語るリーダーの役割 ---

【根来】
 良いビジネスモデルは、制約を外せないと駄目だと思っています。既存の制約を前提にすると改善になります。制約を突破するためには、こうあるべきだ、世の中がこうだったらもっとおもしろい、などという思いがないと、突破できないと思います。

【野中】
 まさにそうです。「The Wise Leader」の中で、実践知のようなアリストテレスの共通善を目指した文脈的にジャストライトの判断能力あるいは行動力について執筆した理由は、まさにそのような思いのあるリーダーシップの重要性について追求したかったからです。

【根来】
 私は、世の中で言われていることを少しひねって考えたいタイプです。例えば、固定観念にこだわるな、というふうに言いますよね?しかし、それは実は現実を見ていなくて、全ての制約を外せる人間なんていないんですよ。あるいは、全ての制約を外したら、どこから出発したらよいのか解らなくなります。自分なりの「ここの制約を外したい」、という思いがあるはずなんです。人間は固定観念から逃れられるはずがないんです。制約の全部を外すのではなく、ブレークスルーするために、その中でどの制約を外せばいいのかを見極める感覚が必要なのではないかと思います。

【野中】
 その通り。人間は、固定観念からは離れられませんね。
 もう一つ、「The Wise Leader」の中にコモングッド、つまり共通善について書きましたが、このコモングッドとは、ごく簡単に言えば、短期利益を追求して行くよりは中長期に物事を考え、その利益をコミュニティの関係性の中でとらえていくということです。日本企業は、それらを色々な言葉で表現してきたと思います。そして、このコモングッドを、哲学的にロジカルに突き詰めてゆくのは、そう簡単ではありません。大きな関係性の中で、時間空間的に考えていかなければ、このコモングッドという発想は出にくいだろうと思います。
 では、どのぐらい大きなレベルの関係性までとらえていかなければならないのかと言うと、つまり、その関係性の大きさと深さですが、より大きなレベルを目指すのであれば、やはりリーダーの哲学や歴史観や、想像力が、最後は必要になるのかなあと思っています。

【根来】
 おっしゃる通りだと思います。例えば、サンデル先生もよく使う例ですが、「1人が死ぬと10人が助かる」とします。それで、じゃあ1人が死ねばよいのか、という疑問を投げかけるわけです。しかし、サンデル先生自身も答えを持っているわけではありません。ただし、それを考えなければならないという、正義の感覚が存在しているわけです。
 これは、共通善みたいなものだと言えると思います。明確に固定された定義として誰もが完全に「これが共通善だ」と命題化できるわけではありません。しかし、単に経済的利益を求めているだけではなくて、もっと社会に対する何らかの影響をもたらすビジネスとして、共通善のようなものを求めたり、あるいは共通善というものがあるはずだ、という志向性というか、オリエンテーションが無いと、ビジネスというのは、面白くもならないし、コミットメントも生まれません。だいたい、儲けるだけの仕事に、そもそもそんなに人はやる気になれるものなのでしょうか?真理と同様、共通善というのもあるはずなのだけど、なかなか到達できないものなのだと思います。だからこそ、コミットメントも引き出せるものなのだと思います。このような考え方は、いかがでしょうか?

【野中】
 その考え方、いいですねえ。非常にいい。
 サンデル教授の白熱教室は、個別具体の事例をどんどん出して「こんなことまで議論しなければならないのか?」ということまで議論しています。これらは人間として考えなければならない問いです。でも、そこで唯一最善の解がでるわけではありません。考えるそのプロセス自身が重要なのです。開かれた対話の中でベターを追求する方法論、これがやはりマネジメントにとって一番重要なのではないでしょうか。

【根来】
 そうですね。ぎりぎりのところで決断しなければならないことがあるわけです。

【野中】
 共通善とは何かと問うこと自体、日本で起きづらくなってきています。政治家にしても、企業人にしても、間接経験だけで、いかにも自分が関係したかのように話したり、本当に自分がコミットメントしているわけではないケースが非常に多いのは残念です。中には、対話を避け、人と向き合わない人も少なくありません。これでは、危機に陥った時に必ず混乱を招きます。場を作り、豊かな文脈の中でジャッジメントを下すことができないのです。英知を結集するためには、自らが開かれていくことが大事です。政治家だってそうなんです。

【根来】
 政治家に関しては、2つの理念系があると思っています。一つは、利害調整をする政治家です。まず、この考え方が決定的に駄目なのだと思います。つまり、野中先生のお言葉を借りれば、自分の中での共通善が無いので、利害関係集団のパワーゲームを調整しているわけです。落ち着く先は、パワーゲームの収束で、うるさく言っている人をどう黙らせるかに過ぎない。
 もう一つは、自分なりの国家観だとか自分なりの社会観を追求する、つまり、信念を追求する政治家です。このような政治家の姿勢を美しいと言う議論もありますが、演繹主義であると言えます。つまり、自分の国家観が完成されたものであるというところから出発することは、現実とのギャップを見ないということになりかねません。国家観が固定的過ぎる政治家は、やはり良い政治家であると言えないのではないでしょうか。そうすると、国家観が固定的でもなく、利害調整をする政治家でもない、理想主義的プラグマティズムとでも言う政治家像が必要なのだと思います。

【野中】
 そうですね。リーダーシップについて、例えばオスターワルダーの著書などには、必ずしもうまくリーダーシップが組み込まれていなかったように感じます。根来先生は、ビジネスモデルの策定において、最後はリーダーシップがやはり重要であると感じますか?「The Wise Leader」では、リーダーの6つの要件について書きましたけれど、物事の関係性が読めて、ビジョンがあって、共通善という一つの哲学を持ちながら、場作りがうまく、現実を直感し、背後にある関係性を言葉にするレトリックを持ち、やりぬく政治力を駆使して、最後には伝承する力や組織化する力まで持っている。根来先生から見て、このような要件を持っているリーダー像は、ビジネスモデルをつくる上でどのようにかかわってきますでしょうか?

「ビジネスモデルに関して言うと、
「実感を語ることが出来る」ということが、
リーダーの役割だと思います。」

ビジネスモデルに関して言うと、「実感を語ることが出来る」ということが、リーダーの役割だと思います。

【根来】
 ビジネスモデルの世界では、顧客価値を中心に考えます。オスターワルダーも顧客価値を真ん中においていて、正当なアプローチなのだと思います。顧客価値というものは、野中先生の言葉で考えると、コトなのか機能なのかについて区別する必要があるかもしれません。オスターワルダーも、この区別はついてなくて、彼は、顧客価値は、機能だと思っています。でも、機能っていうのは、人間が出てこない言葉です。しかし、コトと言った場合は、人間が出て来るわけです。こういうものが欲しいんだ、こういうものが世の中で求められているんだ、というストーリーです。

 例えば、野中先生がよく事例として取り上げていらっしゃるiPodは、「2,000曲でも入ります」と言うと、機能になります。一方で、「自分が持っているアルバムを全部持ち運びたい」、と言うと、コトになります。でも、この状況は、はっきりしません。と言うのは、一人ひとりが持っているアルバムの数は人それぞれで、100曲しかない人もいれば、1万曲の人もいます。だけど、「こういうことをやりたい人がいるはずだ」、というコトづくりとしての感覚のほうが実感だと思うのです。
 だから、ビジネスモデルに関して言うと、「実感を語ることが出来る」ということが、リーダーの役割だと思います。機能に落とすのは技術者がやればいいし、あるいは、分析者が市場調査すればいい。だけど、実感を語れる人がいないと、顧客価値というものがしっかりしたものになりません。

【野中】
 なるほどねえ。実感を語れる。その言葉、いい言葉だねえ。さすが、根来先生です。土地勘がある、自分の言葉で実感を語れる。すごいことですね。実感で語れる価値というのは。いわゆる機能的価値は、定量化が可能です。でも、意味的価値はレトリックが必要だったり、意味を作る能力が重要だと思います。このような観点から考えると、日本で、ビジネスモデルをつくれるリーダーは、相対的には少ないかなあ?

【根来】
 そうかもしれません。でも、若い人の中には、語れる人が少しずつ出てきていると思います。私が知っている中では、スタートトゥデイ(START TODAY)という会社がそうです。ゾゾタウン(ZOZOTOWN)というファッションサイトをやっている30代の経営者で、前澤さんという方です。前澤さんは、もともとミュージシャンだったのですが、自分のコンサートで好きなレコードを売っているうちに、通信販売を始めたという変わり者です。前澤さんは、まさに「実感で語る経営者」で、だからこそ、ゾゾタウンはおしゃれなサイトになったのだと思います。おしゃれの感覚は、なかなか表現しづらいですが、全体の雰囲気から感じるものです。
 この会社は、ファッション好きの人が集まって経営しているので、ITの会社ではありますが、技術者の集団というよりは、ファッション好きの集団です。ファッションが好きで、IT技術を持っている人が集まっています。もともとそこから始まっているので、機能的に「検索を便利にしたらどうか」などと考えている企業などは、なかなか太刀打ちできません。今、急成長しています。

【野中】
 なるほどねえ。価値命題を追求するには、センスは重要ですね。

【根来】
 そう思います。新しい価値命題はコト作りですので、それをうまく表現できることが重要です。表現というものは、ある意味曖昧なものなんだと思います。その中で、曖昧なんだけど、こうじゃなきゃいけない、というこだわりを表現できなければなりません。そういうことが出来る人が、新しいビジネスモデルを作る人ではないでしょうか?

本当の組織変革

【野中】
 その通りですね。ところで、こだわりを持って、ビジネスモデルを生み出しやすい組織とはどのようなものでしょうか?それは、リーダーの腕の見せ所でもあると思います。ぜひ、忌憚の無いご意見を。

【根来】
 難しい問題ですね(笑)。組織というのは、いつのまにか同語反復の構造になってくるのではないかと思います。つまり、そこで生きていくうちに、その組織で受け入れられるように、人間が変わってきてしまうのです。だから、一度官僚化した組織では、官僚制からそう簡単には逃れられません。
 よく、「若い人の自由な発想を生かしたい」という会社がありますが、組織がすでにそうなっていないときに、それに対してチャレンジするのは困難です。では、一体何が変わればよいのかといえば、私は、経営者自身が変わる以外に解は無いと思っています。本当の組織変革が必要だったら、その最大の責任は経営者です。

「リーダーは、自分を超えていく人間を育てなければなりません。
それが経営者の課題です。あるいは、
そういう思想を組織的に伝承できるかどうかです。」

リーダーは、自分を超えていく人間を育てなければなりません。それが経営者の課題です。あるいは、そういう思想を組織的に伝承できるかどうかです。

【野中】
 おっしゃる通りだと思います。哲学を持っていないリーダーが会社の中にいないことは致命的です。リーダーは、自分を超えていく人間を育てなければなりません。それが経営者の課題です。あるいは、そういう思想を組織的に伝承できるかどうかです。
 先日、富士通では、「挑む力」という本を書きましたが、この中で取り上げた人々は、ガッツを持ちながら理想的プラグマティズムを貫いている。このような人たちをもっと生かしていかなければならないと思っていますが、これは、実践知研究センターの活動とも繋がっています。今のミドルクラスの社員には、富士通が創業当時に持っていたベンチャースピリットが、絶やされずに受け継がれているのだと確認できました。これを持続させたいと思っています。ビジネスモデルは、根来先生がおっしゃったように、制約の中で英知を絞るわけですから、全ての制約を外すのは難しい。でも、制約を外してもいいんだ、挑戦するんだ、ということを言い続けなければなりません。

【根来】
 非常に重要なことです。組織の中には、悲しいことですが、言いたいことを自主規制する文化が無いわけではありません。このような文化が強い組織は、制約外しには向かないですよね。「どうせ言っても無駄だ」、「やっても報われない」という気持ちが社員の中にあると、それが外せない制約になってしまいます。
 「挑む力」は、私も拝読しました。良い本だと思います。組織には、何らかのロールモデルが必要で、「こういうやり方をしていれば自分も組織も成長できるのだ」という見本のようなものがないと、人はモチベートされません。この本をもとに、富士通の中で、制約を外しながらチャレンジしている人がいる、そういう人は富士通の中で見本になる人だ、と公式のメッセージを出していると言えるのではないでしょうか。他の社員にも有益な影響を与えるものだと思います。

【野中】
 「挑む力」で取り上げられた人たちにも、ともに議論した仲間がいることでしょう。同じ部署で同じ仕事をしながら、同じものを見ていても、人によって感じ方が全く異なってくるのだと思っています。場を通じて、共有化された経験を増やしていくことによって、それが組織の中の意味化に繋がり、より大きな関係性が見えてくると思います。

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野中 郁次郎

野中 郁次郎(のなか いくじろう)
(株)富士通総研 経済研究所 理事長、実践知研究センター長
一橋大学名誉教授、クレアモント大学大学院ドラッカー・スクール名誉スカラー
【略歴】 早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にて博士号(Ph.D)を取得。2008年5月のウォールストリートジャーナルでは、「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」に選ばれる。
【執筆活動】 『知識創造経営のプリンシプル』(共著)2012年 東洋経済新報社、『流れを経営する』(共著)2010年 東洋経済新報社、『イノベーションの知恵』(共著)2010年 日経BP社、その他多数


根来 龍之

根来 龍之(ねごろ たつゆき)
早稲田大学ビジネススクール ディレクター(統括責任者)・教授、早稲田大学IT戦略研究所所長。富士通総研経済研究所 研究顧問。
京都大学卒業(哲学科社会学専攻)、慶應義塾大学経営管理研究科修了(MBA)。鉄鋼メーカー勤務、英ハル大学客員研究員、文教大学教授などを経て現職。同大学IT戦略研究所所長を兼務。経営情報学会会長、国際CIO学会誌編集長、CRM協議会副理事長などを歴任。主な著書に、『CIOのための情報・経営戦略』(編著,中央経済社)、『代替品の戦略』(東洋経済新報社)、『ネットビジネスの経営戦略』(共著、日科技連)、『デジタル時代の経営戦略』(監修、メディアセレクト)、『オープンパートナーシップ経営』(共著、PHP研究所) など。