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Brexitのヨーロッパに対する影響

発行日 2016年5月2日
上席主任研究員 マルティン・シュルツ

【要旨】

  • 6月23日、イギリスがEUを去るかどうかを決する国民投票が実施される(イギリスのEU離脱は、Britain(英国)とExit(退出する)をあわせてブレグジットBrexitと呼ばれている)。EUから離脱するという結論が出れば、イギリスとEUの両者の将来に大きな影響を与える困難な交渉の期間を迎えることになる。だが、初期のショックさえ通りすぎれば、規制に関する不確実性や取引コストの上昇が企業に対してもたらす短期的な負の影響は、対処しうるものとなろう。イギリスとEUは、ともに、徐々に動きをとることで大きな混乱を避けたいという強い意識を持っている。イギリスとEUにとって最大の問題は長期の展望のマネジメントである。なぜなら、最もリベラルな主要加盟国を失うことは、EUとその未来にとって大きな痛手となるからである。ブレグジット後、企業はEU規模の事業・投資戦略について抜本的な見直しを迫られるだろう。

センチメント、ガバナンス、経済的インパクト

  • ブレグジットのリスクは高まっており、ある世論調査によれば「離脱派」が「残留派」と同数だという。そのような状況において、結論は浮動票をもつ有権者の大グループの動向次第となろう。彼らは安全性が高い現状維持、すなわちイギリスがEUに残留するという投票をする可能性が高い。だが、現状では、何らかのショックが加われば状況が変わってしまう可能性もあるだろう。ポイントは、よりよい機会を求めてEUを離脱しようというイギリス政府の熟慮にもとづく戦略としてブレグジットがなされるのではなく、「ブラクシデント(Braccident、イギリスの不幸な事故)」として何かが起こってしまう可能性がありそうだという点である。
  • EUに対して否定的な世論のセンチメント(心情)とは対照的に、政府とほとんどの企業は、EU加盟国であることについて概して肯定的なままである。EU加盟国としての地位を維持することによって、結局のところ、世界最大の市場への無条件のアクセスが保障されるだけでなく、比較的小規模なイギリス経済と緊密なパートナーとを統合させることが可能となるからである。また、強力な発言力を通じてEUの将来の方向に影響を与えることができるし、同時に、必要ではあるが不人気な改革(すなわちグローバリゼーション関連の改革)を実施するにあたってEUを身代わりにすることもできる。総じていえば、最もダイナミックでリベラルなEU加盟国としてのイギリスは、海外直接投資の流入に関する投資・イノベーションにおいて大きなメリットを得ている(1995年の対GDP比16%から今日の56%への伸びを見せている。UNCTADのデータによる)。イギリス経済はロンドンがEUの金融センターとなっていることで莫大な利を得ており、また、輸出・投資・テクノロジーを推進するような、市場のトップを走るビジネスサービスを発展させてきた。他方で、イギリスの経済は、リベラルな市場規制とビジネスのしやすさに関するほとんどの指標でトップに位置しており、EUに加盟していることによって生じる追加的な規制から負担を受けるといったことは限られているようである(世界銀行のビジネスのしやすさに関する指標においてイギリスはアメリカより上位の6位であり、ルクセンブルクは61位である)。
  • 実際、1991年以降の一人当たりGDPについてイギリス、ドイツ、スイス、日本をEUの平均との比較でみると、図表1のように、ブレグジットをうまく説明することは難しいことがわかる。2008年の世界金融危機以前は、スイスの一人当たりの実質所得ですらイギリスをそれほど上回るものではない。他方で、この時期にアジアにおいて「栄光ある孤立」を維持していた日本は、国内の構造改革を進めたにもかかわらず、国外市場をそれほど拡大できなかったため所得減に苦しむこととなった。イギリス経済の伸び悩みは概して世界金融危機以降に生じたものであり、この時期にスイスとドイツはEU平均に比べて一人当たりGDPを約4,000ドル増加させており、イギリスと日本は危機前の水準に止まっている。EUないしユーロ圏との対比において、各国の金融危機後の運命に違いが大きく出た原因は、明らかに経済構造と国家的な危機対応にあったといえる。

  • 図表1. EUとの比較における一人当たりGDPの違い (EUレベル = 100)

    図表1. EUとの比較における一人当たりGDPの違い (EUレベル = 100)

    注: 国際通貨基金の国際ドル;購買力平価
    出典:IMF-WEOデータベース (2015)

  • もしEUがイギリス経済に対して総じて正の影響を与えてきたのであるならば、イギリス世論の気運がEU共同体プロジェクトに強く反対の立場をとることになったのはなぜだろうか。イギリスからは、2008年の世界金融危機により経済成長が落ち込み、EUが銀行を救済しつつ欧州中央銀行を中心として規制強化した銀行業務の連携を図ろうとした後、EUというプロジェクトがユーロとユーロ圏の信念と絡み合ったものになったように見え、これが世論のEU離れを招いたのである。そしてこの2年にわたる移民・難民危機によって、このヒビはさらに深くなってしまった。というのは、(移民ではなくEU市民の移動として捉えられるものではあるが)EU単一市場プロジェクトの核心である移民に対しても、世論の気運が批判的になってしまったためである。皮肉なことに、外国人労働者は力強い成長には欠かせないと考えられた金融危機以前には、イギリスは東欧からの移民をもっとも声高に支持していた国のひとつだったのだが、そのことは今回の助けにはならなかった。
  • さらに、EUは協力という非経済的な利益も実現させることができていないようである。中小規模加盟国が単独でいるよりも、EUとして結束することで、より強力なグローバルプレーヤーになることができるはずではなかっただろうか。だが、中東とウクライナでの危機において、EUは約束を果たすことができず、シリア難民危機によって域内での協調と負担共有には限界があることを露呈してしまった。そして、テロや安全への脅威に対するEUの対応に混乱があったことで、EUは独立し決然とした国民国家と比べて安全ではなくなってしまったのである。これらの異なる脅威が総じて、EU統合の未来に対する完璧な嵐となったのである。
  • 他方で、企業の立場からは、世界的な資産管理企業BlackRockが投資家へのレポートにおいて「ブレグジットにより見返りがほとんどないリスクが生じる」と述べている (https://www.blackrock.com/institutions/en-us/literature/whitepaper/bii-brexit-2016.pdf)。意外でもないのだが、ブレグジットについての国民投票が6月23日に実施されるという報道後、イギリスポンドは対ユーロで2%以上、対ドルで3%以上も下落したのである。2015年の高水準と比較すると、ポンドは対ユーロでも10%も下落しており、対ドルでもおよそ同じである。ブレグジット後には、通貨だけではなく、国債やおそらくはロンドンの不動産を含めた他の資産の価値も下落することが見込まれる。
  • しかし、ブレグジットはビジネス全体に対して明らかに悪影響をもたらしそうではあるものの、詳細な分析によると、ブレグジット時におけるビジネス上のリスクやコストは、しばしば懸念されているよりは低いものになりそうだという。EUの改革を批判的に検討し、優れた分析を行っているシンクタンクであるオープンヨーロッパ(Open Europe)は、広く用いられているGTAPモデルに基づき、イギリスにとってのブレグジットのコストを試算している。その分析によると、EUとの関係が不利なものとなる場合、イギリス経済にとってのコストはおよそGDPがマイナス0.8%になるという。最も楽観的なシナリオでは、イギリスがブレグジットのショックをさらなる規制緩和の機会へと転じて、アメリカと中国との通商の自由化を推し進めるのであれば、ブレグジットは2030年まで恒常的にGDPがプラス0.6%になるという。 (http://openeurope.org.uk/intelligence/britain-and-the-eu/what-if-there-were-a-brexit/)
  • だが、後者のような好ましい結果はかなりありえないものである。というのは、ブレグジットの支持者のほとんどがグローバリゼーションの水準がより低くなることを望んでいて、より高くなることは望んでいないからである。それゆえ、ほとんどのエコノミストは、潜在的な経済の長期的ダイナミクスを考慮すると、ブレグジット後にはかなりの損失が生じると分析している。ブレグジットの影響に関する最も包括的な調査において、イギリス政府は、現実的なEUとの有利ではない通商条件を想定すると、EU域外におかれたイギリスの2030年のGDPは6.2%低くなると推測している。通商体制に大きな変更がない場合、すなわちイギリスはEUから離脱するものの、以下に論ずるような欧州経済地域(EEA)というFTAに参加するというシナリオであっても、イギリスのGDPは3.8%低くなると考えられている。 (https://www.gov.uk/government/publications/hm-treasury-analysis-the-long-term-economic-impact-of-eu-membership-and-the-alternatives)
  • イギリスが内向きになり、EUが将来のガバナンスに苦心するとなると、ビジネスの環境はより苦しいものとなることは確実である。さらに、企業にとっては、長期の見通しの問題よりも先に考えるべきは、離脱直後の不確実性、市場の乱高下、そして損失こそが最大の懸念となろう。長期的な予想をすることは困難であるが、ブレグジット後については、企業が即時かつ持続的なビジネス環境の広範な変化に直面する可能性は低いということができる。イギリスのEUからの離脱は、現状を踏まえた、ゆっくりとした段階的なプロセスとしてなされるのであって、EUの大規模な市場と規制枠組みからイギリス経済が即座に追い出されるということにはならないだろう。
  • もしブレグジットが6月23日に実現する場合には、そのプロセスは以下のように進められる可能性が高い。イギリス政府は、EU条約50条の離脱手続きを開始する前に(ちなみに、これは2017年より前にはなされそうにない)、EUの諸パートナーと協調して出口戦略を練らねばならないだろう。この間は、市場はあまり変化を見ないだろう。イギリスはEUとの包括的なFTAが策定されるまではその一部にとどまるだろう。離脱の条件交渉だけでも2年はかかりそうであり、これは市場アクセスの新たな条件に関する交渉と密接なものとなるだろう。FTA交渉(より複雑ではなくより緊急性が低いものだが)に関する経験則からは、このプロセスには約10年はかかるとみられる。この期間、イギリスは一般的な欧州経済地域(EEA。アイスランド、リヒテンシュタインおよびノルウェーが加盟)に基づく中間的な体制に落ち着かざるをえないだろう。すなわち、完全な市場アクセスはあるが、独立性も影響力ももたない、という状況である。そうなったとしても、政治的関係がストレスで満ちるだろうこと以外には、ビジネスの観点からは状況は驚くほどほとんど変わらないだろう。
  • だが、最終的には、EUのリベラルな加盟国であるイギリスが離脱することにより、EUの統合と繁栄の未来にとっての最大のリスクが生じる。ブレグジットの提案者が恐れるように、ユーロ圏という中核の機能を守るために、EUが結束して「これまでにない緊密な連合」へと思い切って力強く進むかもしれない。イギリスがいなくなると、EUの投票権をすみやかに調整することが必要となるが、これによりそれほど改革の意識を持たない国が相対的に重みをもつようになり、またリベラルな投票グループのためのブロッキングマイノリティー(法案等の通過を阻止するために必要な最低限な票数)を確保しようとするドイツとの摩擦が高まるだろう。いずれの場合にも、EUにおける改革のダイナミクスは低下し、成長と統合が損なわれるだろう。そのようなネガティブな結果は、イギリスにとっても害となり、アメリカやアジアとの新たな通商交渉や投資関係によっても帳消しにはならないだろう。

産業への影響

  • ブレグジット後、最も深刻な困難は金融において、特に銀行分野とロンドンのシティーにみられるだろう。金融規制とEUへの市場アクセスは、「同等性」と「相互性」の原則に基づくものである。そのため、銀行は子会社を設立することなしにEU域内で営業できる「パスポート」の権利を失うこととなる。このことはロンドンに拠点をおくEU域外の第三国の銀行にとっては大問題である。たとえば、あるチューリヒの銀行は、現在、EU市場への完全なアクセスを得るためにロンドンに子会社を置いている。ブレグジット後は、フランクフルトがよりコスト効率的な選択肢になるだろう。金融分野の困難は続いており、直接的な規制により、あるいは域内市場での経営に関するEUの規制による要請によって、ユーロ圏の現行の規制がロンドンにとって不利になる可能性も高い。
  • 製造分野での投資はそれほどブレグジットの影響を受けないが、サプライチェーンには調整が必要かもしれない。特に自動車分野がブレグジットに脅かされることになろう。EUの関税は特に自動車と化学製品について高く、サプライチェーンにおけるイギリスのシェアは例外扱いが認められるほど大きくはない。イギリス製品の供給リスクと競争力の潜在的な低下が原因となって、需要者である企業がすべての製品のEU内の最終需要分を大陸諸国から調達するようになるかもしれない。
  • ビジネスサービスと情報通信技術(ICT)は、イギリスがEU圏外になったとしても、幸いなことに規制の変化の影響をそれほど受けないだろう。ICTに関する規制の傾向はグローバルなものとなっており、地域的な規制は現在でもEUにおいてそれほど導入されていない。「サービス連合」を設立し、共通の「デジタルアジェンダ」を構築するというEUのプロセスは、きわめてゆっくりとした速度でしか進んでいない。図表2のMSCI株価指数は、EU全体の市場においていかにイギリスの情報技術分野が優れているかを示している(イギリスの株式市場一般において同じことがいえるわけではない)。R&D投資においても、IT技術と自動車部品というイギリスの新規成長産業分野について、同様のことがいえる。

  • 図表2. イギリスとEU(イギリスを除く)のMSCI株価指数 (2003年=100)

    図表2. イギリスとEU(イギリスを除く)のMSCI株価指数 (2003年=100)

    出典:ブルームバーグ

ブレグジットの長期的なリスク

  • しかし、最も重要なのは、通商関係や単純な経済ではなく、ブレグジットの長期的な影響を評価すべきだということである。中東やウクライナでの市民革命は、(いずれもロシアとの摩擦が関係していることもあって)EUの結束力のある対応が求められた。いずれの紛争においても、外交政策の専門家、様々な外交関係、そして軍備の面において、EUにおけるイギリスのプレゼンスが真に必要とされた。もちろん欧州の安全保障において(NATOのメンバーとしても)イギリスが重要な役割を果たしていくことに変わりはない。しかし、紛争におけるイギリス単独の地位は高まりはしないが、同国がEUから離脱することよりEUの地位は低下することになる。EUの基本的な考えは、不安定な世界において、中小規模の国の利害を調整して単独での対応に比べてより強い力へと統合させることを通じて、EUが中心的な役割を演ずるというものである。
  • 全体として、欧州市場はブレグジットによって悪影響を受けることが予想されている。すでに市場が不調である現状において、これは明らかに歓迎されざる事態である。戦略的には、EU市場における成長と収益のポテンシャルのうち、いくつかの有力な事項までも困難に陥るだろう。大規模でありながら、成長が遅く、いまだ強い不況にある市場において、うまくいくビジネス戦略は個別の市場に依存するものではなく、国境を超えた投資戦略によるものとなろう。その例としては、イギリスでのきわめて効率的なサービス、ドイツでの販売、そして東欧での生産を結びつけることにより、統合による利益を増加させるような戦略である。そのように成功する投資戦略は、しっかりした銀行連合に基礎を置き、リベラルな動きにより推進されるイギリスを含めたEUの統合プロセスの継続を必要とするものである。したがって、そのような統合の見込みが薄くなるブレグジットがなされた場合には、EU規模のビジネス戦略の大幅な見直しが必要となろう。