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「デジタル教科書」の制度化と教育のデジタル革命のゆくえ

発行日 2015年7月13日
主任研究員 蛯子 准吏

【要旨】

  • 政府において、義務教育課程における教科書のデジタル化、いわゆる「デジタル教科書」の制度化に向けた議論がスタートした。現在、日本では紙媒体の教科書のみ法令上の教科書として認められている。今回の議論は、「デジタル化」された教科書を法令上の教科書として認可することを含めた、新たな制度化を見据えたものである。
  • 「デジタル教科書」には2種類ある。一つは教員が使用することを前提とした「指導者用デジタル教科書」であり、もう一つが日本独自の取組みである児童・生徒が利用することを前提とした「学習者用デジタル教科書」である。背景には、これまでの「一斉学習」に加え、「個別学習」、そして新たな学びの形態である「協働学習」の3つの学習形態を重視していることがあげられる。「学習者用デジタル教科書」はこの新たな学びの実現に向けたキーコンテンツとして期待されている。
  • 「指導者用デジタル教科書」は技術面、内容面ともに制度化できる段階にあり、事務面での課題がクリアされれば制度化に向け大きく前進する。「学習者用デジタル教科書」はその在り方も含め現在も研究段階にあるが、1~2年以内にその在り方に向けた整理がなされる予定である。
  • 教科書の在り方は、学校の位置付けや教員と児童・生徒の関係など教育制度の在り方と表裏一体の関係にある。「デジタル教科書」の制度化に向けた議論は、より深い教育の在り方に関する議論と捉えることが適当であろう。義務教育制度に大きなインパクトを与えるものとして、今後の議論を注視する必要がある。

「デジタル教科書」の制度化検討に至る経緯

  • 「デジタル教科書」の制度化に向けた検討は、今年5月に文部科学省に設置された『「デジタル教科書」の位置付けに関する検討会議』で進められている。本会議は、政府の「規制改革実施計画(2014年6月閣議決定)」において、デジタル教科書・教材の導入に向け、その位置付けや教科書検定制度などの在り方についての検討を求められたことを受け、その具体的な検討の場として設置されたものである。本会議を設置する直接的な契機は、規制改革会議からの要請であるが、新しい政策課題として新たに設定されたものではなく、これまで文部科学省が進めてきた教育の情報化に関する政策の流れの中にある。
  • 現在の文部科学省の「教育の情報化」政策の起点は、2011年4月に策定された「教育の情報化ビジョン」である。本ビジョンは、知識情報化社会の本格的な到来、他の先進国に比べ教育の情報化が進んでいない危機感等を踏まえ、2020年度をゴールに設定した教育の情報化に関する総合的な推進方策である。この中では、21世紀にふさわしい学びの姿として3つの学習形態を示している。「一斉指導による学び(一斉学習)」、「子どもたち一人一人の能力や特性に応じた学び(個別学習)」、「子どもたち同士が教え合い学び合う協働的な学び(協働学習)」である。なかでも新たな学びの形態である「協働学習」に期待が寄せられており、その実現に向け情報通信技術(ICT)を活用するとしている。「デジタル教科書」はそのキーコンテンツに位置づけられている。
  • 文部科学省は本ビジョンの方針に基づき、2011年度から3年間にわたり「学びのイノベーション事業」を実施している。本事業は、総務省の「フューチャースクール推進事業」と連携し、一人一台の情報端末を整備した小中学校において実施された探索的アプローチによる実証研究である。ICTを活用した授業の在り方やその効果、課題等を整理することを目的としており、教科や単元が限定されているものの「デジタル教科書」が試行的に開発され、実証研究を実施している。この研究成果を踏まえ、2013年度より「デジタル教材等の標準化に関する企画開発委員会」を開催し、デジタル教材のファイル形式の技術標準化を検討している。「デジタル教科書」の制度化に向けた検討は、これらの取組みの蓄積を踏まえ行われている。

日本独自の2つの「デジタル教科書」

  • 「教育の情報化ビジョン」では、いわゆる「デジタル教科書」を「デジタル機器や情報端末向けの教材のうち、既存の教科書の内容と、それを閲覧するためのソフトウェアに加え、編集、移動、追加、削除などの基本機能を備えるもの」と定義しており、紙媒体の教科書を単に情報端末で閲覧する以上の存在として位置付けている。更に、デジタル教科書を「主に教員が電子黒板等により子どもたちに提示して指導するためのデジタル教科書(指導者用デジタル教科書)」と「主に子どもたちが個々の情報端末で学習するためのデジタル教科書(学習者用デジタル教科書)」に大別している。
  • 「指導者用デジタル教科書」は、主に多くの学校で一般的に行われている一斉学習型の授業で活用される。教師は電子黒板(コンピュータ画像の表示と操作、画面への書き込み等ができる提示装置)に紙の教科書では表現できない動画等のマルチメディアコンテンツを提示し、直観的で分かりやすい授業を行うことができる。この「デジタル教科書」は、法令上は教科書として位置づけられていないものの、教科書発行者から既に教材が発売され、多くの学校現場で活用されている。教育コンテンツとして一定の成熟がみられることから、制度化に向けその在り方が大きく変わるものではない。検定する際のコンテンツの範囲、その手続き、コスト、著作権等の事務的課題をクリアすれば、制度化は大きく前進するだろう。
  • 「学習者用デジタル教科書」は、日本独自の取組みである。個別学習、協働学習での活用が期待されているが、その位置づけや使い方が明確に定義されているわけではない。学校教育における個別学習、協働学習という概念自体が新しく、指導方法として確立している状態にもない。デジタル化はもとより紙媒体でもモデルとすべき教材が存在しないため、実現にあたってはゼロベースで検討する必要がある。具体的には、これまでの一斉学習との関係を踏まえながら、個別学習、協働学習とはどのような学習活動なのかを定めるとともに、その学習活動の中でデジタル教科書をどのように位置づけるのかを、デジタル化できるレベルにまで具体化する必要がある。この取組みは、探索的なアプローチを取らざるを得ない。有識者をはじめとした専門家の意見も統一されていない現状において、「学習者用デジタル教科書」がどのようなものになるのか、予想することは難しい。しかし、制度化にあたっては一定の絞り込みや整理が不可欠である。上述の検討会議が、その整理に向けた主導的な役割を果たせるのか注目される。

「デジタル教科書」は義務教育制度を変えるか?

  • ここ数年で急速に進化したワイヤレス通信技術、クラウド、携帯型情報端末、Web技術、センサー等の技術革新は、情報システムと組織・社会システムとの関係を変えつつある。これまで、この2つのシステムは物理的にも論理的にも明確に分離することが可能であり、主従関係も明確であった。あくまでも情報システムは人の活動を支援するための道具であったが、現在は人の活動の様々な場面においてICTが遍在化し、道具というより活動の基盤(システム)として組織・社会システムと同等の位置付けになりつつある。その対象範囲の大きさにもよるが、新しい情報システムを創ることは、新しい組織・社会システムを創ることと同義になりつつある。
  • 日本の教育制度、とりわけ義務教育制度は、このICTの影響による変化を最も受けていない組織・社会システムの一つであるとも言える。これまでも学校現場の事務の省力化等のため情報システムが導入されてきたが、教育の在り方そのものを変革するために情報システムの導入を検討する試みは、初めてのことと言える。その象徴的な存在が「デジタル教科書」である。現在の義務教育課程における主たる教材である紙の教科書が「デジタル教科書」へと移行された際には、現行の義務教育制度のあり方にも大きな影響を与えることが予想される。
  • 検討にあたり留意すべき重要な点として、現在の紙の教科書が先進諸外国と比べ薄い理由の一つとして、教員の指導方法の自由度を担保するという意図があることがあげられよう。必要とされる能力・知識の習得のためのベストプラクティス(指導方法)を画一化するより、個々の教員の判断や創意工夫を活かすことが教育上良いと考え、その前提のもと制度設計がなされているのである。教科書の在り方は、教育の在り方と表裏一体の関係にある。「デジタル教科書」の制度化に向けた議論は、より深い教育の在り方に関する議論と捉えることが適当であろう。今後の議論を注視する必要がある。