GTM-MML4VXJ
Skip to main content

English

Japan

  1. ホーム >
  2. ナレッジ >
  3. オピニオン >
  4. 2020年の経済見通し:混迷する世界と日本

入力不要

2020年の経済見通し:混迷する世界と日本

昨年はBrexit国民投票、トランプ大統領誕生に始まった世界の政治的・経済的混迷がピークに達し、世界経済は大きく減速、日本も製造業不況を経験しました。今年は世界的混迷もピークを越え、日本経済も持ち直しが予想されますが、まだまだ視界不良が続く中、期待できるのは精々「実感なき景気回復」程度に止まるでしょう。こうした状況から脱するには、生産性向上を通じて潜在成長率を高めて行くことが不可欠です。

2020年1月7日

opinion-er2020-1-1

1. 混迷を極めた世界の政治経済
(混迷のピークに達した2019年)

今から振り返ると、昨年は2016年のBrexit国民投票、トランプ米大統領当選に始まった世界の政治的・経済的混迷がピークに達した年でした。世界を覆った不確実性は、思いつくままに挙げて行っても、
(1)エスカレートを続けた米中貿易戦争、
(2)国民投票から3年以上経ってもなかなか結論が出ない英国のBrexit、
(3)イラン、ホルムズ海峡からサウジ、シリアへと拡がり、ますます複雑化した中東情勢の緊張、
(4)トランプ大統領が短距離ミサイルを事実上容認したこともあり、止まらない北朝鮮の核・ミサイル開発、
(5)慰安婦、徴用工問題から貿易面での衝突にまで至った日韓対立、
(6)ますます出口が見えなくなった香港の民衆デモ、
などがあります(注1)。これだけ多くの不確実性を世界が抱え込んでしまった時期は、過去30~40年遡ってもあまり無かったのではないかと思います。

こうした混迷の深まりは、当然ながら世界の景気にも大きな影を投げ掛けることになりました。世界の景気は、2012年夏の欧州債務危機の収束以来、長期にわたる回復基調を辿り、2017年頃は絶好調とも言える状況だったのですが(この頃は日本を含めて多くの国で株価が大幅に上昇しました)、一昨年から昨年は大きく減速しました。政治的・経済的混迷が景気に影響を与えたルートは主に2つあり、まず第1は米中貿易戦争のエスカレーション等を背景に、世界貿易の拡大に急ブレーキが掛かったことです。第2は、不確実性の高まりによって設備投資が抑制されたことです。これらは、いずれもサービス業より製造業に大きな悪影響を及ぼすものです。ですから昨年の世界経済は、サービス業が相対的に堅調を保つ一方、製造業の業況が大幅に悪化するという姿になりました。実際、世界経済の動きを把握するうえで注目度の高いグローバル製造業PMI(Purchasing Managers’ Index:購買担当者景気指数)は、昨年央に2012年以来7年振りに節目となる50を割り込むことになったのです(図表1)。後に見る日本も含めて、昨年の世界経済は「製造業不況」だったと言うことができるでしょう(注2)。

(図表1)グローバル製造業PMIの推移
(図表1)グローバル製造業PMIの推移
出所)日本銀行『経済・物価情勢の展望』、2019年10月
PDFhttp://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor1910b.pdfOpen a new window

こうした景気の減速や先行き不透明性の高まりを背景に、先進国の金融政策は方向転換を余儀なくされました。まず、一昨年中順調な景気拡大を背景に4回にわたって利上げを行った米国のFRB(連邦準備制度理事会)は、昨夏から秋に掛けて3回の利下げに転じました。米国景気自体は相対的に堅調だったのですが、先行きの不確実性増大に備えた「予防的利下げ」だとされています。また、一昨年までは金融緩和からの「出口」を探っていると言われたECB(欧州中央銀行)も、景気の急減速から一転、昨秋にはマイナス金利の深掘りと量的緩和の再開に踏み切ったのです。ただし、金融緩和の効果に大きな期待が掛けられていた数年前とは違って、今回の金融緩和には批判的な見方も少なくありません。米国内からは金融緩和不要論も出ていますし(注3)(実際、FRBはトランプ大統領の利下げ要求にもかかわらず、昨年末には利下げをストップしました)、ECBの金融緩和にはほとんど効果がないだろうとの見方が一般的です。代わって財政政策への期待が世界的に高まっているのですが、この点に関しては本稿の最後の部分でもう一度議論しましょう。

(ピークを過ぎても視界不良は続く)

こうした世界の政治的・経済的混迷にも、昨年の年末近くになって大きな変化が訪れました。まず、Brexitの国民投票から3年半後の総選挙で与党保守党が大勝した結果、漸く今年1月には英国がEUを離脱することがほぼ確定しました。また、エスカレーションを続けてきた米中の貿易戦争に関しても、第1段の交渉合意が成立し、米国経済を含め世界全体に悪影響を及ぼすことが懸念されていたスマホ等への15%の関税賦課が回避されたほか、既往の関税も一部が軽減されることになりました(図表2)。これで世界の政治的・経済的混迷も一応ピークを越えたと考えることができるでしょう。実際、株式市場などでは先行きに対する楽観論が拡がっている様子が窺われます。

(図表2)米中貿易交渉第1段合意の内容
(図表2)米中貿易交渉第1段合意の内容
出所)日本経済新聞2019年12月14日付け
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53356830T11C19A2MM8000/?n_cid=NMAIL007_20191214_AOpen a new window

しかし、筆者は過度の楽観は禁物だと考えています。まずBrexitについては、1月末にEUからの離脱が実現しても今年いっぱいは移行期間となるため、英国とEUの間の人やモノの移動は基本的に何も変わりません。問題は、この移行期間中に今後の貿易関係等に関する協定を成立させる必要があることです。しかし、TPP交渉などを思い出していただければ分かるように、貿易交渉には何年も掛かるのが普通で、1年で交渉が終わるとは到底考えられません(注4)。常識的には移行期間が延長されることになる筈ですが、ウィルソン首相は「移行期間を延長しない」ことを公約に掲げて総選挙を戦ったのです。もし、貿易交渉が成立することなく、かつ移行期間の延長も行われずに年末を迎えることになれば、結果的にno deal Brexit(合意なき離脱)と同じことになってしまいます。今年の後半になると、そのリスクが強く意識されるようになる可能性はかなり高いだろうと思います。

また、米中貿易交渉はあくまで第1段の合意が成立しただけです。米国が昨年12月15日に予定されていたスマホ等への課税を見送り、既往の関税も一部引き下げに応じたことは明らかになっていますが、その見返りとしての中国による農産物輸入の大幅増加については、その金額や時期が明確になっていません。大統領選挙を控えて早期に成果が欲しいトランプ大統領が妥協に応じたという印象の強い内容です(もちろん、中国側にもこれ以上の景気減速を避けるための妥協に応じる理由は十分にありました)。まして、中国による知的財産権の侵害や、国有企業に対する補助金など、国家資本主義を巡る問題などはほとんど何も解決していません。米中のハイテク分野を巡る対立、さらには地政学的問題を含めた覇権争いはまだまだ続くと考えるべきです。

しかも、冒頭に述べたように現在の世界が抱え込んだリスクはこの2つだけではありません。中東にしても北朝鮮にしても、いつ何時これらの問題が世界の政治経済を大混乱に陥れるか、分からないのです。事実、年明け早々、米国とイランの対立は緊迫の度を増し、原油相場も急騰しました。混迷のピークは越えたとしても、まだ暫くは視界不良の状態が続くことになります。そう考えると、遠からず世界景気が持ち直しに向かうとしても、貿易の急拡大や設備投資の急回復を期待することは困難であり、世界景気の回復はごく緩やかなものに止まる可能性が高いと思われます。

2. 日本経済は「製造業不況」から持ち直しへ
(足もとの日本経済は「製造業不況」)

こうした中で、昨年は日本経済も「製造業不況」、ないし軽度の景気後退を経験したと筆者は考えています。ただ問題は、昨年の日本経済をデータに即して評価するのは大変に難しい点にあります。というのも、GDP統計だけに注目するならば、1~3月の実質成長率は年率+2.6%、4~6月は同+2.0%、7~9月も同+1.8%と、日本経済は好調を続けたことになるからです。日本の潜在成長率が+1%弱(内閣府推計+1.0%、日銀推計+0.7%)だということを踏まえれば、平均して+2%超は大変な高成長ですし、18年度の成長率が僅か+0.3%だったことを考えると、世界経済が減速する中で日本経済だけは大きく加速したことになってしまうからです。

一方、弱い指標の代表は、日本の経済統計で最も信頼度が高いとされる鉱工業生産で、こちらは輸出の減少を背景として1~3月前期比-2.5%、4~6月+0.5%、7~9月‐0.3%と減少基調を辿った後、10~12月は消費増税前の駆け込み需要の反動もあって(12月について経済産業省による試算値を使って計算すると)‐4. 3%という大幅な落ち込みとなる見込みです。また、日本の景気の山・谷は景気動向指数(CI)一致指数の動きを基に判断することになっていますが、こちらも製造業の動きに影響されやすいこともあって弱い動きが続いており(図表3)、3月に基調判断が景気後退の可能性が高いことを意味する「悪化」となった後、いったんは「下げ止まり」となりましたが、8~10月は再度「悪化」でした。通常のルールに沿って判断すれば、現在は一昨年10月頃をピークとした景気後退局面にあるということになります(注5)。その場合、「アベノミクス景気が戦後最長になった」という政府の判断も幻になってしまいます。

(図表3)景気動向指数(CI)の推移
(図表3)景気動向指数(CI)の推移

こうした経済指標間の不整合のかなりの部分は、世界経済についても述べた製造業と非製造業のデカップリングに起因するものと考えられます。例えば、日銀短観で業況判断DIをみると、製造業が明確に悪化した一方で、非製造業では高水準が維持されています(図表4)。それでも、GDP統計が示すほどに日本経済が好調だったと考えるのは、やや無理があるように思います(注6)。

(図表4)日銀短観の業況判断DI
(図表4)日銀短観の業況判断DI
出所)内閣府「月例経済報告等に関する関係閣僚会議資料」(2019年12月)
PDF https://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei/2019/12kaigi.pdfOpen a new window

輸出が減少する中で、底堅さを維持して景気を下支えしたとされる内需について、ここで少しだけコメントを付しておきましょう。まず個人消費については、GDP統計でみると4~6月、7~9月と高めの伸びを続けましたが、実質賃金が前年比マイナス基調で推移し、消費者心理も大幅に悪化していたことを考えると、消費の基調が強かったとは思えません。4~6月には平成から令和への代替わりの10連休、7~9月は消費増税前の駆け込み需要(「あまり出ていない」と言われていた駆け込み消費も、増税直前になって相応の規模で出てきました)が、それぞれ特殊要因として消費を押し上げたものとみられます。一方、予想以上の粘り腰を見せたのは設備投資の方です。昨年の経済見通しで筆者は設備投資調整のリスクを指摘したのですが、実際の設備投資は減速しつつも増勢を維持しました。その中身をみると、機械投資は予想通り減少に転じたのですが、研究開発投資や人出不足対応などによるシステム投資の増加が設備投資を押し上げたのです(図表5)。

(図表5)日銀短観からみた設備投資の押し上げ要因
(図表5)日銀短観からみた設備投資の押し上げ要因
出所)日本銀行雨宮副総裁挨拶(2019年12月12日)
PDF http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2019/data/ko191212a2.pdfOpen a new window

なお、消費増税後の動きをみると、個人消費については前回(2014年4月)ほどではないにせよ、やはり相当の規模で駆け込み需要の反動がみられます(注7)。加えて、輸出もまだ減少基調を続けていますので、鉱工業生産は前述の通り大きく落ち込んでいます。足もとは製造業不況がやや深まった状態と言うことができるでしょう。GDPについても、さすがに10~12月はかなりのマイナス成長になるとみられています(昨年12月時点のESPフォーキャスト調査による民間コンセンサス予想では、10~12月の実質成長率は年率-3.57%でした)。

(「実感なき景気回復」と「実感なき景気後退」の往復)

とは言え、先行き景気が持ち直しに向かうと考えるべき理由がいくつかあり、あまり悲観的になる必要はないと考えています。まず第1に、足もとは駆け込み消費の反動がやや大きめに出ているにせよ、もともと駆け込みの規模自体は比較的小さなものでした。政府によって各種対策が講じられていることをも踏まえると、5年前のように消費不況が長引くことは想定しにくいでしょう。第2に、主要国の製造業PMIが下げ止まりつつあるなど、世界景気の減速にも歯止めが掛かりつつあるように見えます(注8)。こうした中で、米中貿易協議が第1段合意に達したこともあり、日本の輸出も早晩持ち直しに転じると期待できます。第3に政府は昨年末、事業費ベースで26兆円という大規模な経済対策を打ち出しました。この局面で大型景気対策が必要かどうかについては、後述のように議論の余地がありますが、当面の景気に浮揚効果を持つことは間違いありません。これらを考えれば、今年前半にも景気の持ち直しが始まるシナリオは決して非現実的とは言えないと思います。

しかし、仮に今年前半に景気の持ち直しが始まったとしても、その後の景気回復テンポはかなり緩慢なものに止まるだろうとみられます。まず第1に、先にも述べたように、今年の世界景気の回復はごく緩やかだろうと予想されます。日本経済も、2016年後半から17年のような輸出主導による力強い景気回復を想定することはできません。第2に、駆け込み消費の反動は早晩和らぐとしても、企業業績の悪化を踏まえれば、賃金(賞与を含む)の伸びが高まるとは考えにくく、個人消費は今年も低調に止まるとみられます。そして第3に、通常は景気が上向けば高い伸びを期待できる設備投資について、今回は慎重に考えざるを得ません。昨年は景気が減速し企業業績が悪化する中でも設備投資が増勢を保った反面、今年の設備投資の伸びはむしろ鈍化する可能性が高いからです。

こう考えると、今年の景気のリード役は経済対策によって膨らむ公的需要だけになってしまいます。この結果、民間エコノミストによる実質GDP成長率の予想(ESPフォーキャスト調査による)は18年度+0.87%の後、19年度は経済対策の効果を勘案しても+0.49%という低いものに止まっています。18年度比での成長減速については、18年度がこれまでのGDP速報の高成長を受けて高めとなっていることと、19年度は駆け込み消費の反動で発射台が低くなっていることを考慮する必要はありますが、やはり精々緩慢な景気回復という姿になるのです。ついでに物価についても述べておくと、消費者物価の前年比(除く生鮮食品)は昨年11月時点で(消費税と幼児教育無償化の影響+0.3%を含めても)僅か+0.5%に止まっており、先行きも暫くの間、低空飛行が続くと予想されています(注9)(上記のフォーキャスト調査では19年度+0.63%の後、20年度についても+0.59%になっています)。

振り返ってみると、長く続いた「アベノミクス景気」も「実感なき景気回復」と言われました。GDPの高成長もあり正式に景気後退に認定されるかは微妙ですが、従来ルールに従えば現在は一昨年10月頃をピークとした景気後退局面にあり、筆者の見立てではそれが今年前半まで続きます。しかし、雇用に大きな崩れがないことから考えても、これは「実感なき景気後退」でしょう(現に、政府は昨年12月の月例経済報告でも「緩やかに回復している」との判断を維持していました)。そして、その次にやって来るであろう景気回復も、0%台の経済成長である以上、「実感なき景気回復」に止まる可能性が高いわけであり、結局、日本経済はかなり長い間「実感なき景気回復」と「実感なき景気後退」の往復を繰り返すだけということになります。

その背景には、アベノミクス開始後7年経っても明確な成長戦略が打ち出されることはなく、潜在成長率が+1%弱に止まっているという事実があります。昨年5月のオピニオン欄(生産性低下問題を考える)でも述べたように、女性や高齢者の労働参加率上昇で雇用者の数は増えたものの、生産性の上昇率が低下しているためです(図表6)。そして現実の経済は、その低い潜在成長率の少し上(実感なき景気回復)と少し下(実感なき景気後退)を繰り返しているのです。日本経済にとっての課題は、目先の景気対策ではなく、生産性向上によって潜在成長率を高めることにあるのは明らかだと思います(注10)。

(図表6)日本銀行推計による潜在成長率
(図表6)日本銀行推計による潜在成長率
出所)日本銀行『経済・物価情勢の展望』、2019年10月
PDF http://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor1910b.pdfOpen a new window

3. 財政政策重視論の台頭を巡って
(財政政策重視論の背景)

本稿の最後に、近年の世界的な財政政策重視論の台頭について考え、昨年末に日本政府が打ち出した大型経済対策の評価を試みることにしましょう。まず、財政政策が重視されるようになった最大の原因は、端的に言って金融政策の効果への失望です。日銀が「異次元緩和」に踏み切る前後までは、米国の経済学界を中心にグリースパン時代以来の金融政策万能論の名残がありましたし、FRBがリーマン・ショックの直後にMBS(住宅ローン証券)のようなリスク資産の買入れによって危機の拡大を防いだことや、ECBのドラギ総裁が大胆な発言で欧州債務危機の拡がりを食い止めたことが称賛されていました。しかし、その後数年間の各国中央銀行による非伝統的金融緩和の経験から、確かに信用緩和(credit easing)は金融危機を食い止めるうえで大きな役割を果たしたが、非伝統的金融緩和を長期間続けても経済成長を促したり、インフレ率を高めたりする効果には乏しい、という認識がコンセンサスになって行ったのです。とりわけ、日銀の量的緩和とECBのマイナス金利政策の経験が金融政策の効果への失望につながって行ったと筆者は感じています(注11)。

こうした中で、サマーズ元財務長官が「(完全雇用の下で貯蓄と投資が等しくなる)自然利子率がゼロ近傍、ないしそれ以下にまで低下すると、金融政策の効果は失われる」とする長期停滞論を唱えると(注12)、それが徐々に多くのマクロ経済学者、政策担当者にも受け容れられるようになったのです。「金融政策が効果を失えば財政政策」というのは、ケインズの「流動性の罠」以来、変わりはありません。ですから、最近日本で注目されることの多いMMT(現代貨幣理論)といった異端説を別にしても(注13)、サマーズ、クルーグマン、ブランシャール、フィッシャーといった錚々たるマクロ経済学者たちが揃って財政政策重視論を主張するようになったのです。

(財政出動への2つの条件)

筆者自身も、今後暫く2%の物価目標が達成される見通しがない以上、金融政策の発動余地は極めて限定的に止まるため、マクロ経済安定化政策としては財政政策が主役とならざるを得ない状態が続くと認識しています。しかし、安易に財政政策に頼ることには重大な副作用があり得るので、財政出動は以下の2つの条件を満たす場合に限るべきだと考えています。

まず第1の条件は、財政出動は深刻な景気後退の場合に限るべきだというものです。この点、米国ではIMFのチーフエコノミストを務めたブランシャール教授が全米経済学会の会長講演で「暫くの間はr(国債の利回り)<g(名目成長率)である可能性が高いから、財政赤字を拡大しても財政破綻に陥るリスクは小さい」と述べて、大きな注目を集めました(注14)。このため、日本でも長い間r<gの状態が続いていることから、財政赤字を拡大しても心配ないといった見方が拡がっている印象があります。小林慶一郎慶応大学教授は最近の論考で「r<gの良い均衡」と「r>gの悪い均衡」の複数均衡を示唆されていますが、筆者はどちらが実現するかはケインズの美人投票の論理、すなわち「みんながどう考えるか次第」という極めて不安定なものではないかと考えています(注15)。そうだとすると、日本のように政府債務残高/名目GDP比率が際立って高い経済では、いったんr>gが実現してしまうと債務が雪ダルマ式に膨れ上がってしまうため、財政出動は深刻な景気後退の場合に限る必要があるという結論になります。

第2の条件は、財政出動はwise spendingに絞り込む必要があるというもので、これは1990年代の日本の経験から学んだものです。実際、バブル崩壊後の1990年代、日本は毎年のように大型補正予算を組んで景気回復を促そうとしましたが、結局は金融危機もデフレも防ぐことができませんでした。巨大なバブル崩壊の割に失業の増加を小幅に食い止める効果は発揮したのですが、無駄な公共事業を繰り返した結果、潜在成長率の低下を招いてしまったのです。これを現代風に言えば、自然利子率の低下につながり、結果的に長期停滞を深めてしまったということになるでしょう。ですから、財政政策を使って長期停滞を脱するには、潜在成長率を高めるようなwise spendingに絞り込むことが重要になるのです。なお、この点は日本だけでなく、米国等にも当て嵌まると言うことを強調しておきたいと思います(注16)。

こうした観点から、今回の日本の経済対策を考えてみると、現状は精々「実感なき景気後退」程度であって深刻な不況ではありませんから、第1の条件は満たされていません。また、総額26兆円と事業規模ばかりを追求した様子が窺われ、潜在成長率を高めるような内容に絞り込むという第2の条件も満たされていないと思われます。結果として今回の経済対策は、国債消化に問題がない限り政府は安易な財政出動に頼りがちであり、また生産性革命、第4次産業革命といった目標が掲げられていても政治的には規模重視になりがちであるという、財政政策重視論の陥穽を示すことになってしまったのではないでしょうか。

注釈

  • (注1)
    このほかにも、アルゼンチンの経済危機や、ドイツ、イタリア、スペインの政治的不安定化といった問題も軽視できません。
  • (注2)
    世界景気を地域別にみると、本来貿易戦争の震源地である筈の米国経済の相対的堅調が目立ちます。これには、一昨年の大型減税の効果が残っていることや、昨年のFRBによる利下げの効果もありますが、それに加えて米国では経済に占める製造業のウェイトが極めて低いということが少なからず影響しています。一方で、貿易戦争の当事者である中国のほか、欧州の中でドイツ経済の落ち込みが顕著になっていますが、これには主要先進国の中で製造業への依存度が最も高いことが影響しています。
  • (注3)
    景気堅調にもかかわらず利下げが行われた1つの理由として、インフレ率がなかなか目標の2%に達しないことが挙げられていますが、インフレ率低下の背後にはデジタル化や労働組合の影響力低下といった経済の構造変化があり、0.75%程度の利下げではインフレ率は上がらないという見方が一般的です。また、従来米国では景気後退期に5%程度の利下げが行われましたが、現在の金利水準は1.5%強まで低下しており、今後本格的な景気後退に陥った際に、金融政策による対応は困難になってしまいました。さらに、イェール大学のシラー教授(ノーベル経済学賞受賞者)らは「米国の株価は高過ぎる」という警鐘を鳴らしていますし、低格付け債やCLO(Collateralized Loan Obligation:ローン担保証券)の増加が将来の金融危機の火種になるとの懸念も聞かれます。
  • (注4)
    昨年の日米貿易交渉は短期間で終結しましたが、それはTPPが土台となり、かつ米国の要求を大部分日本が飲む形で交渉が進められた結果です。
  • (注5)
    現時点で11~12月の「悪化」もほぼ確定的ですから、昨年1年間のうち7か月が「悪化」だったということになります。しかも、CI一致指数の低下は、正式に景気後退が認定された2012年よりずっと大きなものになっています。
  • (注6)
    このほか、雇用情勢も極めて堅調であり、人手不足が続いていることは間違いありませんが、新規求人数はこのところ減少基調にあり、有効求人倍率も高水準ながら低下を始めています。
  • (注7)
    日銀の消費活動指数(実質、旅行収支調整済)は10月前月比-7.4%、7~9月平均対比で-4.3%でした。一方、14年4月は前月比-8.6%、1~3月平均比-6.3%でした。
  • (注8)
    このほか、一昨年から昨年に掛けて世界景気減速の一因となったICTサイクルが上向きに転じたとの見方があります。5GやIoTの拡がりが背景にあると言われ、株式市場では今年の景気楽観論の根拠になっています。しかし、筆者は昨年12月に予定されていたスマホ等への関税賦課に先立って駆け込み需要が発生していたことも影響していた可能性があると考えており、この点には注意が必要だと思います。
  • (注9)
    物価を巡る環境の中で、筆者がコメントしておきたい点は、物価に対する安倍政権の姿勢の変化です。もともと安倍首相はデフレ脱却を掲げてアベノミクスを始めたわけであり、当初は日銀の2%物価目標も強く支持していました。しかし、賃金が上がらない中で物価だけ2%上げれば人々の暮らしは苦しくなり、当然選挙においてもマイナスに働きます。このため、最近の安倍政権は幼児教育の無償化や携帯電話料金の引下げなど、物価を下げる政策に熱心になっているように感じます。
  • (注10)
    大正大学の小峰隆夫教授(元経済企画庁調査局長、景気の山・谷を決める「景気動向指数研究会」のメンバー)は、週刊東洋経済(2019年11月30日号)の「経済を見る眼」欄で「事後的に景気を上昇期と下降期に二分して色分けしても、『実感なき景気上昇』か『実感なき景気後退』かのどちらかになるだけで、大差はない」、「どうしたら低温経済を抜け出せるのかを議論すべきだ」と書いておられますが、筆者も全く同感です。
     ここで小峰教授の「低温経済」は、基本的に潜在成長率の低い状態を指すものです。なお、「実感なき景気後退」という表現は、昨年春に筆者が某テレビ番組で使ったのが最初ではないかと思っています。
  • (注11)
    この点についてもう少し詳しくは、拙稿「金融政策の効果と限界(中):マクロ政策の新枠組みを」(2019年11月21日付日本経済新聞「経済教室」欄)を参照。
  • (注12)
    初期の代表的な論考は、Lawrence Summers,“U.S. Economic Prospects: Secular Stagnation, Hysteresis, and the Zero lower Bound”, Business Economics, 2014です。なお、日本との関係では、日本にインフレ目標政策の導入を求めていたクルーグマン教授が2015年にニューヨーク・タイムズのコラムで「自然利子率の低下が一時的ではなく、慢性的だとすれば(それが長期停滞の意味です)金融政策では対応できない」と言い始めたのが印象的でした。
  • (注13)
    MMTの評価については、筆者が昨年7月にオピニオン欄に掲載した「MMT(現代貨幣理論):その読解と批判」を参照して下さい。
  • (注14)
    Olivier Blanchard,“Public Debt and Low Interest Rates”, American Economic Review 2019。なお、ここでのrは国債の利回りである点に注意が必要です。経済成長論やピケティーの議論で使われるrは資本の限界生産性(または資本収益率)であり、経済成長論においてはr>gが正常だと考えられています。しかし、ブランシャールは不確実性が高いと両者は大きく乖離し得る、したがってr<gが続くこともあり得ることを強調しています。
  • (注15)
    小林教授の論考については、例えば「財政信認へ『危機対応プラン』」(2019年10月16日付日本経済新聞「経済教室」欄)を参照。
     複数均衡に対する筆者の理解は、George Akerlof,“What They Were Thinking Then: The Consequences for Macroeconomics during the Past 60 Years”, Journal of Economic Perspectives 2019に示唆を受けたものです。その論文でアカロフ教授(ノーベル経済学賞受賞者)は、金融の世界では銀行取付のモデル(そこでは皆が大丈夫と思っている限りは大丈夫だが、いったん皆が危ないと思い出すと本当に銀行取付が起こってしまう)のように、ケインズの美人投票型の均衡が溢れていると指摘していました。
     実際、欧州債務危機ではギリシャが財政赤字の大きさを偽っていたことが明らかになると、イタリアやスペインの国債まで暴落したのですが、それはイタリアやスペインの財政に変化が生じたためではなく、「ギリシャが危ないなら、イタリアやスペインも危ないのではないか」と投資家が疑い出したからです。そう考えると、日本の投資家が日本国債の信用を疑うことがあり得る以上、「日本国債は国内で消化されているから大丈夫」という議論も成り立ちません。
  • (注16)
    米国で財政出動論を唱える人たちは、老朽化が著しいインフラへの投資や、学費高騰で多くの人が高等教育を受けにくくなっている環境での教育投資などがwise spendingになると考えているようです。その見方には筆者も同意しますが、政治プロセスを経たうえで本当にwise spendingが実現するかどうかには、また別の困難があると思います。
早川 英男

本記事の執筆者

経済研究所
エグゼクティブ・フェロー

早川 英男(はやかわ ひでお)

 

1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。

お客様総合窓口

入力フォーム

当社はセキュリティ保護の観点からSSL技術を使用しております。