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生産性低下問題を考える(2)―生産性上昇率急低下の原因は何か?―

MMT(現代貨幣理論):その読解と批判

最近、MMT(現代貨幣理論)が内外で注目を集めている。MMTの信用創造に関する理解は通説より説得的であるなど、その見解には見るべき部分もあるが、「インフレにならない限り、財政赤字に悪影響はない」といった主張は受け容れられない。MMTは会計論に終始し、価格や均衡の概念を欠くところに本質的な弱点がある。なお本稿では、米国主流派経済学者の間で高まっている財政政策重視論についても検討を加える。

2019年7月1日

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はじめに

MMT(現代貨幣理論)が内外で注目を集めている。もともとは、地球温暖化阻止を目指したグリーン・ニューディールや、多額の学生ローンを背負った若者の救済を訴える、米国民主党左派のアンドレア・オカシオ・コルテス下院議員(通称AOC)らが、その財源に関して「財政赤字を心配する必要はない」とするMMTを支持したことから、これまで殆ど無名だったMMTを巡って米国内で論争が捲き起こったものだ。その過程で、インフレや金利上昇を懸念する主流派経済学者に対して、MMTの主唱者の一人であるステファニー・ケルトン教授が「巨額の財政赤字でもインフレも金利上昇も起こっていない日本はMMTの成功例」などと主張したことから、日本にも論争が飛び火した経緯がある。

本稿は、このMMTについての評価を試みようとするものだが、問題はクルーグマンも指摘するように(注1)、MMTの議論の仕方自体が伝統的な経済学と大きく異なるため、何が言いたいのかよく分からない面があることだ。実際、現時点でMMTの代表的著作とされるL. Randall Wray, Modern Money Theory : A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary System 2nd ed, Palgrave-Macmillan, 2015(注2)を読んでみても、その論理展開は決して明晰とは言えない。しかし、日本では幸いなことに中野剛志氏の手になる解説書(『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』、KKベストセラーズ、2019年)が出版されており、こちらの方が遥かに分かりやすい。そこで以下では、主にこの2著を参照しつつMMTの読解と批判を進めて行く。

予め趣旨を述べておくと、筆者も「インフレにならない限り、財政赤字には問題がない」、「インフレになったら、税金を増やせば良い」といったMMTの主張に賛成することはできない。後述するように、MMTの最大の弱点は会計論に終始していて、価格(金利)とか均衡といった経済学の基本的な道具立てを欠く点にある(だから、クルーグマンにも理解できないのだろう)。しかし、MMTの主張の中には主流派経済学の弱点を突く議論が含まれており、単純に「意味不明」とか「全くの誤り」などと切り捨てるべきではないというものである。なお、本稿の補論では、米国主流派経済学者による最近の財政政策重視論(サマーズ、クルーグマン、ブランシャールらはMMTを批判しつつ、財政政策の重要性を訴える主張を展開している)に対して批判的な見解を述べる。

信用貨幣論に基づく信用創造の理解

筆者の見るところ、MMTは①信用貨幣論(credit theory of money)に基づく信用創造の理解、②ラーナー流の機能的財政論(functional finance)による財政の理解、③表券主義(chartalism)に基づく現金通貨の理解、という3本の柱からなるものと考えられる。以下では、これらを順に説明しながら、必要な批判を加えていくこととしよう。

信用貨幣論は、さらに遡れば19世紀英国における通貨主義(currency school)vs 銀行主義(banking school)の対立のうち、銀行主義の流れを汲むものだが、最大の特徴は信用創造をどう理解するかに求められる。普通は、預金を元手に銀行が貸出を行うことから信用創造がスタートすると考えられている。しかし、MMT=信用貨幣論では「銀行が貸出を実行すると、直ちに同額の預金が生まれる」と考える。一般の人には不思議に思われるかも知れないが、これは金融界に属する人間には常識だと思う。実際、貸出を行うということは(貸出に関する契約書等を別にすれば)、「貸出先の預金口座に貸出額に等しい預金を書き込む」ことに他ならないからだ。貸出の原資としての預金を事前に必要とはしない。原資が必要になるのは、貸出先の企業が支出をすると預金が自行から他行に流出するからであり、その場合の不足資金は預金でなく市場(日本ではコール市場、米国ではFF市場など)で調達してもよい。中野氏の書物によれば、こうした信用貨幣論は近年のイングランド銀行の四季報でも紹介されているとのことだが、筆者にしてみれば40年以上前に日銀に入行した時、最初に習ったことの一つである(注3)。

もちろん、通常の貨幣乗数の公式は、マネーストックとマネタリーベースの定義式を変形しただけだから、MMTにおいても成り立つ。だが、

マネーストック=貨幣乗数×マネタリーベース
貨幣乗数=(1+現金/預金)÷(準備預金/預金+現金/預金)

と書くと、どうしても本源的な預金=マネタリーベースを供給する中央銀行が主体であり、それを乗数倍増やす銀行は受動的な存在という描像が生まれやすい。しかし、MMTでは貸出が出発点だから、「中央銀行がマネタリーベースを増やしても、資金需要がなければ貸出は増えないので、マネーストックも増えない」ということになる。事実、2000年代の量的緩和でも今回の「異次元緩和」でも、金融界からは「日銀当座預金を増やしても、資金需要がないのでブタ積みになるだけだ」という声が聞かれたのは周知の通りである。そして実際に、量的緩和や「異次元緩和」の結果、マネーストックが大きく増えることはなかった。信用創造の実態を知る実務家の見方が正しかったということになる。

確かに、正統派の経済理論でも金利のゼロ制約の下では上記の式が成り立たない(または貨幣乗数が著しく不安定化する)ことは説明できる。しかし、中央銀行を主体とする信用創造に関する描像が、ゼロ金利でも「マネタリーベースが増えればポートフォリオ・リバランス効果が生まれる」、「インフレ期待が高まる」といった議論(いずれも理論的には間違いである)につながったのではないか。そういう意味で、「金融実務家の常識」を理論の1つの柱として打ち出したのはMMTの功績であり、MMTの信用創造の理解は主流派経済学の弱点を突くものとなっていると思う(注4)。

とは言え、MMTの説明では貸出がどれだけ行われ、貸出金利がどう決まるかは全く分からない。そのためには、貸出市場の均衡条件、例えば

貸出金利=市場金利+(金利以外の)貸出の限界費用

が必要になる。貸出の限界費用とは審査費用などであり、これが貸出量に関して逓増し、一方で貸出金利が貸出量の減少関数となるとすれば、この式から貸出量と貸出金利が決まることになる(因みに、貸出市場の均衡に影響を与えるのは、限界的な資金調達コストだから、預金金利ではなく市場金利である)。日本では、当時日銀のエコノミストだった鈴木淑夫氏(後に日銀理事)が半世紀以上前に定式化したものであり、先の信用貨幣論とこの銀行行動の理論を2つの柱とするものが世に言う「日銀理論」だと筆者は理解している(注5)。

問題は、この考え方が財政に適用された場合だ。Wrayの説明は分かり難いが、中野前掲書(第6章)は銀行が国債を購入し、政府が国債発行で得た資金を使えば国債発行額と同額の預金が創出されるため、国債発行に制約はないと言う。しかし、銀行システム全体としては国債発行と同額の預金が生まれるとしても、個々の銀行が国債を買う際には当然採算を考えなくてはならないし、長期国債の場合は資金を固定するリスクも考慮する必要がある。結局、貸出市場の場合と同様に、銀行がどれだけ国債を購入するかは、市場の条件、すなわち現在から将来に掛けての短期市場金利の予想などによって決まることになる。銀行により多くの国債を買ってもらうためには金利が上がる必要があるから、国債発行額が増えれば国債の金利は上がる。国債発行に限界がないのではなく、金利という価格の制約が厳に存在するのである。

機能的財政論による財政の理解

MMTのもう一つの柱は、ラーナー流の機能的財政論による財政の理解である。ラーナーの機能的財政論(注6)とは、「財政が健全か否か」などといった基準ではなく、「完全雇用に寄与しているか」、「インフレを招いてはいないか」といった実際に財政がマクロ経済で果たしている役割(function)に即して財政を評価すべきという、ある意味で極めて常識的な主張である。一方、マクロ経済学の教科書を開いてみると、通常は政府の異時点間の予算制約式として、

現時点の国債残高=将来のプライマリーバランスの現在割引価値

と書かれている。これを文字通りに理解すれば、長期的には国債を全て償還することになる。経済学では、(最も単純な場合)個人も遺産を遺すことなく、所得を全て使い切って死ぬことになっているので、両者は一応整合的ではあるが、普通に考えればどちらも非常識だろう(企業も金融資産を貯め込んでいる)。実際、1990年代のクリントン政権下の米国では、財政が黒字化して国債が償還超となると、国債のストックは十分あったにもかかわらず、金融市場では「国債不足」が大きな問題となった。そう考えると、財政赤字を過度に心配する必要はないというラーナーの主張にも一理あると言えよう(注7)。

なおMMT論者は、自国通貨建てで国債を発行している限り、自国の現金を渡せば国債償還が可能だから、債務不履行はあり得ないことをしきりに強調するが、これは当たり前の話であって誰も反対しない。しかし、債務が償還されたとしても、ハイパーインフレになったり金融危機が起こったりすれば、経済は大混乱に陥るため、ラインハート=ロゴフ(注8)は、これらのケースもデフォルトに含めて考えている。さらに、財政がマクロ経済に与える影響として雇用と物価だけを考えるのは、明らかに視野が狭すぎるだろう。先に述べたように、国債発行額が大きくなれば金利上昇を招くから、民間需要のcrowding-outにつながる。しかも、国債金利(r)と名目成長率(g)の関係がr>gとなった場合、十分なプライマリーバランスの黒字が無ければ、債務が雪ダルマ式に膨らみ、国債残高/名目GDP比率が発散してしまう。今の日本では、日銀が国債の大量買入れを続け、10年債の金利もマイナスのため、低成長の下でもr<gとなっているが、将来2%の物価目標が達成されて日銀が国債買入れを止めればr>gとなる可能性は十分にある(しかも、日本の政府債務残高/名目GDP比率は2倍を超え、プライマリーバランスは赤字だ)。「日本がMMTの成功例」だとするMMT論者は、極めて非常識と言わざるを得ない(注9)。

MMT論者はあまり強調していないようだが、ラーナーはかつて「国債の負担」を巡る論争をも惹起していたので、その点についても、ここで触れておくのが適当だろう。ラーナーは1948年の論文(注10)で、「国債が内国債である限り、償還時に起こるのは一部の国民が課税され、一部の国民が償還金を受け取る、つまり国民の間の資金の移転に過ぎないから、国全体で考えれば国債の負担は発生しない」と主張した。これに対しては、モディリアニが後年「複数世代を考えた場合、国債発行時点の国民が過大に消費すれば、将来世代が利用できる資産が減ってしまうため、将来世代は国債の負担を負う」と批判して(注11)、現在の経済学ではこちらが主流派の見解となっている。しかし、筆者自身はラーナーにやや同情的である。確かに完全雇用の場合はモディリアニの言う通りだが、例えばリーマン・ショックのような時は、財政出動で経済を支えないと、設備投資や住宅投資も大きく落ち込んで、将来世代に残る実物資産もかえって減ってしまう。このため、必ずしも財政赤字=将来世代の負担とは限らないというのが筆者の見方だ。とは言え、これはあくまで経済を大きなショックが襲った場合の話であり、まして現在の日本のように財政赤字の主因が社会保障支出の増大である場合は、モディリアニの見方の方が妥当すると考えるべきだろう。

表券主義に基づく現金通貨の理解

MMTの第3の柱は、表券主義に基づく現金通貨の理解であるが、実はここがMMTの主張のうち最も理解に苦しむ部分である。まず表券主義とは、例えば「日本国の通貨は円である」というように、国家が現金通貨を指定することを意味する。これに対立する概念は、貴金属などが通貨だとする金属主義(metallism)だが、殆どの現金通貨が不換紙幣となった今時、こんな主張をする者は(ごく少数の金本位制復活論者を除き)いない。したがって、「現金通貨は国家が決める」と言うだけでは、「自国通貨建てで国債を発行している限り、債務不履行には陥らない」という主張以上に無意味な命題になってしまう。だから、MMTの主張を意味あるものとして理解しようとすれば「現金通貨は納税手段となることで、価値が与えられる」と考えるほかはないと思う。この点、「税金は銀行預金を使って払っている」と思う人がいるかも知れないので、念のため言っておくと、政府が税として受け取るのは現金通貨だけである。銀行の口座から納税する場合も、中央銀行にあるその銀行の当座預金(日本では日銀当座預金)から政府当座預金に振替が行われることで、納税が完了するからである。日銀当座預金は現金である。

しかし、現金が納税に使えるからと言って、それで価値が保証されるというのは、単純に誤りである。最近で言えばアルゼンチンでもベネズエラでも、歴史を遡れば第一次大戦後のドイツやハンガリーでも、現金を納税に使うことは可能だったが、ハイパーインフレに陥ってしまった。納税に使えたとしても、政府財政に対する信用がなければ、現金通貨の価値は保証されないのである(注12)。実を言うと、経済理論にはもっと明示的に「国家の徴税権が現金通貨の価値を担保する」という理論があり、それがFTPL(物価水準の財政理論、fiscal theory of price levels)(注13)に他ならない。FTPLにおいては、政府の予算制約式は通常の場合と違って、

国債残高+現金通貨残高
=プライマリーバランスの現在価値+通貨発行益の現在価値

と書かれる。これは、ネット税収と通貨発行益(seigniorage)によって、最終的には国債だけでなく現金通貨も償還できるということを意味する。この場合、確かに「国家の徴税権が現金通貨の価値を担保する」ことになるが、通貨発行益の部分を無視すると、FTPLは主流派経済学以上の健全財政を要求することになるため、「財政赤字は心配しなくて良い」というMMTとは正反対の結論になってしまうのである。

なお、MMT論者は財政赤字にとって制約はインフレだけだが、「インフレになったら増税をすれば良い」と簡単に答える。このことと「現金は納税のため」という彼らの認識が関連しているのか否かは定かでないが、現金が納税に使えるからと言って簡単に増税できる訳ではない。日本政府が消費増税にどれだけ苦労しているかを考えれば明らかだと思うが、政府に増税の必要を国民に納得させる力、または国民に増税を強要する力がない限り、増税でインフレを止められる保証はない。だとすれば、「財政赤字は心配しなくても良い」というMMT論者の主張を簡単に信じることはできないというのが、筆者自身を含めたMMT批判論者の一致した意見である。

以上、本稿でMMTについて述べてきたことをまとめてみると、次のようになろう。まず信用貨幣論に基づく信用創造の理解は、中央銀行の力を強く見る通説よりも実態に即したものである可能性が高く、金融政策を考える上でも有用であり得る。また、主流派経済学が要求する政府の予算制約は、やや過度に健全財政に偏していると思われる。金利への影響や世代間の所得分配といった問題まできちんと考慮に入れるなら、財政が実物経済に与える効果に注目すべきだという機能的財政論は、基本的に正しいだろう。だから、MMTを「意味不明」などと簡単に切り捨てるべきではない。しかし、「財政赤字は心配しなくて良い」というMMTの主張を受け入れることもできない。国債発行が増えれば金利は上がるし、その結果crowding-outも発生する。将来世代が国債の負担を負うことになる可能性も高い。また、インフレになっても政治的に財政赤字を圧縮することが難しいのであれば、ハイパーインフレと言わないまでも高率のインフレを許すことになってしまう、ということである。MMTの意義と限界のうち、やや限界の方が勝る感はあるが、公平に評価するならば、こういう結論になるのではないかと筆者は考える。

補論:米国主流派経済学者による財政政策重視論について

MMTを巡る論争の陰に隠れてやや目立たない印象はあるが、米国では最近になってサマーズ、クルーグマン、ブランシャールといった大物の主流派経済学者たちが(MMTは批判しながら)財政政策の重要性を訴えるようになっている。基本的には、数年前からのサマーズらによる「長期停滞論」(注14)を背景としつつ、自然利子率が低下して金融政策が有効性を失っている状況では、マクロ安定化政策として財政政策がより重要になっているとするものだ。米国経済は相対的に好調ではあるが、既に減速過程にある中で、今後景気後退局面を迎えても、従来に比べて金利引き下げ余地が乏しいという困難にどう対応するか、という政策的問題意識もあるのだろう。とくに、元MIT教授でIMFのチーフエコノミストをも務めたブランシャール氏が今年1月の全米経済学会の会長講演(注15)において、低金利環境下では財政政策を積極的に活用すべきだと訴えたことは多くの人々の注目を集めた。

こうした米国主流派経済学者による財政重視論に対する筆者の率直な印象は、驚きと落胆であった。と言うのも、金融政策がゼロ金利制約に直面している(近づいている)時に、マクロ経済政策として財政政策が重要になるというのは、当たり前過ぎるからである(「流動性の罠」について学んだ後なら、学部1年生でもそう答えるだろう)。にもかかわらず20年前、彼らは日本に対して「ゼロ金利でも、量的緩和やインフレ目標でデフレを克服できる」と主張していたのだ(注16)。その後、彼らが意見を180度変えた背景に大きな理論的イノベーションがあった様子はない。要は、20年前の米国はグリーンスパン元FRB議長が「マエストロ」と呼ばれた時代で、金融政策の効果への過信(景気循環は終わったというgreat moderation論さえ拡がっていた)があった一方、現在はリーマン・ショック後の非伝統的金融緩和の効果が限定的だったという事実に学んだということだろう。現に、ブランシャール講演も大部分が「今後暫くは金利水準(r)が名目成長率(g)を下回る」という氏の予想、つまり環境変化の説明に当てられている。日本人エコノミストとしては、「彼らはいつも自国の環境だけを考えていて、日本の実情など眼中にない割に、政策提言だけは安易に打ち出してくる」という印象を持たざるを得ないだろう。もちろん、日本が直面する課題を適切に理論化し、海外に発信することのできない日本の経済学者や、米国の著名経済学者が政策提言を出すと、あり難そうに報道合戦を繰り広げる日本のメディアの方がもっと情けないのだが・・・。

この点は、20年前にリチャード・クー氏が展開していた議論を視野に収めることで、より明確にすることができる(注17)。当時、クー氏は「バブル崩壊後のバランスシート不況では資金需要が無くなってしまうので、金融緩和をしても効果はない。財政出動が必要だ」と主張していた。この「資金需要が無い」という部分を「自然利子率が低い」と置き換えれば、現在の米国主流派の議論と同じであり、かつ「自然利子率が低い」のは「低金利でも投資不足」という意味だから、「低金利でも資金需要が無い」のと全く同じことである。しかも、クー氏はMMT論者のように「財政赤字の制約はインフレだけ」と主張していたのではない。「金利が上がって来れば金融政策が復活するので、財政は引っ込んで良い」と述べていた訳で、金利を軸に財政政策の有効性を判断する点でも、米国主流派と同じである。つまり、現在の米国主流派は20年前のリチャード・クー氏の立場から一歩も前進していないということだ。

それどころか、彼らが20年前にバブル崩壊後の不況の深刻さというクー氏の警告をしっかり受け止めてさえいれば、住宅バブル崩壊→金融危機という展開も防げていた可能性がある。当時の米国経済学界は「バブルが崩壊しても、その後に強力な金融緩和を行えば深刻な悪影響は防げる」というFed viewを受け容れていたが、それがバブル崩壊のコストを過少評価するものだったことは今では明らかだ。もし彼らが日本の状況にしっかり眼を見開いていれば、住宅バブルや金融証券化の過熱に対してもっと強く警告を促すことができたのではないかと思う(注18)。

しかし、クー氏の財政出動論は、1997~98年の金融危機直後の深刻な不況期を除くと、日本の経済学者・エコノミストの多くから支持を得られなかったことも述べておかなくてはならない(実際、その後の小泉政権では公共事業の大幅な削減が行われた)。それは、1990年代に何度も行われた景気対策に伴う公共事業(その背後には、米国政府による公共投資拡大圧力もあった)には、いつも空席ばかりの市民ホールや飛行機が着陸できる農道など、あまりに無駄が多かったからだ。確かに、そうした財政政策では短期的な景気浮揚効果はあっても潜在成長率はむしろ低下し、今風に言えば自然利子率が低下する。つまり日本経済の長期低迷という元々の問題解決につながらないと考えられたからである。

現在の米国経済学界は、この日本の経験からも学ぶ必要があるのではないか。財政政策が長期停滞を克服できるか否かは、結局、潜在成長率を高めるようなwise spendingができるかどうかに掛かっているということだ。この点、米国では劣化の著しい公共インフラの修復はwise spendingであり得るし、(MMT派の学生ローン帳消しはともかく)低所得層の高等教育進学を支援することもwise spendingになり得るだろう。しかし、政治プロセスを経た後でも本当にwise spendingを実行できるかは極めて疑わしい。米国の経済学者には、他国の政策に口出しをする前に、財政支出を効率化するメカニズムの研究に注力してもらいたいものである(注19)。

注釈

  • (注1)
    Paul Krugman,“What’s Wrong With Functional Finance?(Wonkish)”, New York Times, March 22, 2019。このクルーグマンのコラムは、後述するラーナー流の機能的財政論をMMTの本質と考えるものである。
  • (注2)
    Amazonの出版予告によると、注目度の高いステファニー・ケルトン女史の本(The Deficit Myth : Modern Monetary Theory and the Birth of People’s Economy)は来年出版とのことである。
  • (注3)
    実際、こうした考え方は日銀で考査局長などを務めた横山昭雄氏の著書『真説:経済・金融の仕組み』、日本評論社、2015年で説明されている。もちろん、筆者が読んだのは同氏の旧著『現代の金融構造』、日本経済新聞社、1977年である。
    因みに筆者は、日銀支店勤務の時期に、まだ紙ベースだった地方銀行の預金帳簿に、「貸出代わり金」の名目で日銀貸出に等しい金額を書き込んだ経験がある。この瞬間、当該銀行の日銀当座預金は同額増加したのだ。
  • (注4)
    野口悠紀雄氏は、近著『マネーの魔術史』、新潮選書、2019年の中で信用貨幣論に基づく信用創造の理解に触れて、「これまで広く信じられてきた説明が間違いだったとは、驚きだ。この誤りは、金融政策等に関する様々な誤解の原因にもなっている」と述べ、通説的信用創造論を批判している。
  • (注5)
    鈴木淑夫『金融政策の効果:銀行行動の理論と計測』、東洋経済新報社、1966年。かつて「窓口指導」などを担当していた旧営業局の実務家も、こうした「日銀理論」を理解していて、「市場金利が上がらないと、窓口指導も効かない」と考えていたという。なお、岩田・翁論争に代表されるような経済学界と日銀のすれ違いも、主に信用創造(と日銀券需要の短期的な外生性)に関する理解の違いに起因するものだったと思う。
  • (注6)
    Abba Lerner,“Functional Finance and the Federal Debt”, Social Research, 1943
  • (注7)
    この点、伊藤隆敏『日本財政「最後の選択」』、日本経済新聞出版社、2015年は、日本財政の持続可能性について、政府の予算制約式ではなく、「日本国債が日本国内の貯蓄で賄われる」ことを条件として課している。伊藤教授は教科書の説明ではなく、現実の政策論として政府の予算制約式を使うのは不適切と考えたのだろう。同書が必要な消費税率として15%程度と、経済学者・エコノミストの「相場観」とされる20~25%(トニー・ブラウン教授や北尾早霧教授らによる厳密な動学的一般均衡分析によれば、さらに高い税率が必要とされている)より低い数字を挙げているのは、財政の持続可能性に関してより現実的な見方を採っているためである。
  • (注8)
    カルメン・ラインハート、ケネス・ロゴフ『国家は破綻する』、日経BP社、2011年。
  • (注9)
    MMT論者はともかく、明敏な経済学者であったラーナーがこうした金利の問題を真剣に受け止めなかったのは、はっきり言って不思議である。この論文が書かれた1943年という時期を考えると、大恐慌で物価も金利も上がる環境になかった1930年代と、物価も金利も統制された第二次世界大戦中という時代背景の下、金利に関する感覚が麻痺していたのだろうか。これは、現在の日本人の多くが「物価上昇率が2%に達することは当分なく、暫くの間金利が目立って上昇することもあり得ない」と思い込んでいるのと同じことかも知れない。
  • (注10)
    Abba Lerner,“The Burden of National Debt”, in L. A. Metzler et al.(eds), Income, Employment and Public Policy, Essays in Honor of Alvin Hansen, Norton, 1948
  • (注11)
    Franco Modigliani,“Long-run Implication of Alternative Fiscal Policies and the Burden of the National Debt”, Economic Journal, 1961
  • (注12)
    貨幣の一般均衡理論においては、「貨幣は○○の役に立つから価値がある」という説明は貨幣が価値を持つ均衡の存在を証明する上で役に立たないことが知られている。例えば、貨幣的交換は物々交換より効率的でPareto improvingであっても(そのことを説明するモデルは多数ある)、有限期間のモデルであれば、翌期に持ち越せない最終期の貨幣の価値はゼロになるから、その1期前の価値もゼロ・・・となって、貨幣の価値は常にゼロになってしまう。一方、無限期間のモデルを考えると、何の役にも立たなくても「皆が価値があると信じるから価値がある」といった岩井克人教授の『貨幣論』、ちくま学芸文庫、1998年のような貨幣(純粋バブル)も存在し得ることになる。
  • (注13)
    FTPLは、もともと30年近い(Sargent-Wallaceのunpleasant monetarist arithmeticまで遡れば40年近い)歴史を持つ古くからの理論だが、日本で注目を集めたのは、シムズ教授が2016年夏のジャクソンホール・コンファレンスで発表した“Fiscal Policy, Monetary Policy and Central Bank Independence”という論文に対し、アベノミクスの理論的指導者とされる浜田宏一内閣官房参与が「目からウロコが落ちた」として賞賛したためだろう(このため、日本ではFTPLを「シムズ理論」などと呼ぶことが多い)。「財政金融政策の協調でデフレ脱却の策を授けた」などと言われることもあるが、FTPLはもともと主流派以上の健全財政を前提にした理論なのだから、日本での理解のされ方は相当に捩れたものだったということになる。
  • (注14)
    サマーズの長期停滞論に関しては、初期のLawrence Summers,“U.S. Economic Prospects : Secular Stagnation, Hysteresis, and the Zero Lower Bound”, Business Economics 2014を挙げておく。その後の展開については、翁邦雄『金利と経済』、ダイヤモンド社、2017年、福田慎一『21世紀の長期停滞論』、平凡社新書、2018年を参照。なお、サマーズのMMT批判には、“The left’s embrace of modern monetary theory is a recipe for a disaster”, The Washington Post, March 4, 2019がある。
  • (注15)
    Olivier Blanchard,“Public Debt and Low Interest Rates”, American Economic Review, 2019
  • (注16)
    最も影響力が大きかったのは、Paul Krugman,“It’s Baaack : Japan’s Slump and the Return of Liquidity Trap”, Brookings Paper on Economic Activity, 1998である。ただし、クルーグマンは2015年10月のNYタイムズのコラム“Rethinking Japan”で自らの誤りをはっきり認めており、米国主流派経済学者の中では最も潔いと筆者は感じている。後述のクー氏の名前も、クルーグマンの論文の中では頻繁に引用されている。
  • (注17)
    当時のクー氏の議論については、『デフレとバランスシート不況の経済学』、徳間書店、2003年。 また、クー氏の新著『「追われる国」の経済学』、東洋経済新報社、2019年をも参照。
  • (注18)
    2005年、グリーンスパン議長退任前最後のジャクソンホール・コンファレンスがグリーンスパン礼賛に包まれる中、シカゴ大学のラジャン教授(その後IMFチーフエコノミスト、インド連銀総裁などを務めた)は“Has Financial Development Made the World Riskier?”という論文を公表して、金融危機のリスクに警鐘を鳴らした。その結果、日本式に言えば「空気を読めないヒト」として扱われたのは有名な逸話である。
  • (注19)
    にもかかわらず、ブランシャールは日本に消費増税延期を提言してきた。オリヴィエ・ブランシャール、田代毅「日本の財政政策の選択肢」、Peterson Institute for International Economics、2019年5月。しかし今回は、MMT騒動と衆参同日選の有無にメディアの関心が集中していたため、大きな注目を集めることなく、消費増税の実施が決定されることとなった。
早川 英男

本記事の執筆者

経済研究所
エグゼクティブ・フェロー

早川 英男(はやかわ ひでお)

 

1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。

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