英国のCJRSから考える日本の雇用調整助成金への提言

雇用調整助成金は「平時」の備えの制度として位置付けられる。しかしコロナ禍が深刻化した際は、多くの事業主からの助成金申請を確認・処理し、早期に支給して雇用を確保しなければならない「有事」である。同様の事態が今後発生する場合に備え、有事に対応した英国の事例を整理し、雇用調整助成金への示唆を提言する。

はじめに

新型コロナウイルス感染症の影響を受けた事業主を支援し、雇用を確保するため、日本では雇用調整助成金が活用されている。

同助成金は事業主が不況の際に雇用を確保することを目的として、1975年に導入された制度であり、対象は新型コロナの影響に限らない「平時」の備えの制度として位置付けられる。しかしコロナ禍が深刻化した際は、多くの事業主からの助成金申請を確認・処理し、早期に支給して雇用を確保しなければならない「有事」である。同様の事態が今後発生する場合に備え、有事に対応した英国の事例を整理し、雇用調整助成金への示唆を提言する。

なお本稿は、内閣府経済社会総合研究所の「2021〜22年度 国際共同研究『コロナ危機とポストコロナの経済社会に関する研究』」の一部を取りまとめたものであり、一橋大大学院経済学研究科の佐藤主光教授から貴重なコメントを頂いた。また、経済社会総合研究所の吉本尚史研究官による「英国コロナウイルス雇用維持スキームの事例調査─早期給付の実現を主眼として─」(同研究所「Economic & Social Research」22年春号)を参考にした。ここに記し、感謝申し上げる。

1.コロナ支給金制度の国際比較と日本の雇用調整助成金の位置付け

日本では事業活動が縮小して売上高が減少する事業主に対し、雇用保険制度を活用して休業手当などの一部を支給するとともに、雇用の確保を図る既存の雇用調整助成金を活用して、新型コロナの影響を受ける事業主を支援している。コロナ禍に対応する同助成金は20年4月1日に導入され、22年9月30日まで実施されることになっており、同年8月5日までに533万件に対し、5.5兆円の支給が決定されている。

新型コロナの影響下における事業主への雇用の確保に向けた支給金制度(コロナ支給金制度)は、諸外国でも導入されている。日本と新型コロナの影響が深刻だった英国、ドイツ、フランス、アイルランド、エストニアの欧州諸国を取り上げ、コロナ支給金制度を含めたコロナ関連の財政対策の規模(21年10月時点)を見ると、日本は国内総生産(GDP)の16.5%と最も高く、雇用調整助成金の規模は十分に大きいことが分かる(図表1)。

図表1:日本と欧州諸国のコロナ支給金制度のまとめ

資料:厚生労働省・国際通貨基金(International Monetary Fund:IMF)・各国の当局のホームページより作成

同助成金は、事業主がハローワーク・労働局の窓口や郵送、受付システムを通じて申請する。社会保険労務士へのヒアリング調査によると、申請してから支給されるまで1〜1.5カ月かかるという。欧州諸国と比べて長く、事業主はその間の従業員の給与を確保できないといった問題が指摘されている。これは、申請に当たっての事業主における個別の従業員の休業実績や給付金額などに関する書類の準備や、支給に当たってのハローワーク・労働局における確認の負担が大きいことが要因である。

また短納期で開発した受付システムでは、情報漏えいが発生している。雇用調整助成金は既存の制度であり、コロナ支給金制度として活用することが急きょ決まったため、受付システムの整備や事業主の申請に十分に対応できていない状況がうかがえる。

このため、雇用調整助成金をコロナ支給金制度として活用し続ける場合には、抜本的な修正や税制の変革も含めた対応が課題になると考えられる。なおNHKによると、同助成金をめぐっては、事業主が運転資金に流用する不正が多いが、不正の規模は23億円余で、支給決定額の0.04%にとどまっている。

2.CJRSの特徴

(1)概要

新型コロナの影響が深刻化した英国では、20年3月23日にジョンソン首相(当時)が国民に自宅待機を呼び掛けるとともに、適切な理由のない外出をする国民には警察が罰金を科すと表明し、ロックダウン(都市封鎖)を実施した。

一方で、雇用を確保して国民の生活を守るため、コロナ支給金制度であるCJRS(コロナ雇用維持スキーム=Coronavirus Job Retention Scheme)を導入し、21年9月30日まで続けた。CJRSでは20〜21年に13万社の計1150万人の従業員に対し、607億ポンド(約9.9兆円〈1ポンド=163円で換算〉)を支給している。

図表1の通り、CJRSは事業主が申請してから6営業日内に支給される。同国の事業主へのヒアリング調査によると、実際には3〜5営業日とさらに短い期間で支給されている場合が多い。

申請から支給までの期間が短い理由としては、既存の源泉徴収制度であるPAYE(Pay As You Earn)システムを活用していることが挙げられる。英国の歳入関税庁(HMRC=HM Revenue and Customs)はPAYEシステムを通じ、事業主の給与支払額を月ベースで把握しており、CJRSではHMRCが事業主からの申請内容をPAYEシステムのデータと照合して迅速に確認し、早期に支給することが可能になっている(図表2)。

図表2:PAYEシステムを活用したCJRSの仕組み

資料:HMRCホームページより作成

(2)不正防止の取り組み

CJRSはジョンソン首相の方針を受け、事業主への早期の支給を重視しており、一定の不正を想定している。HMRCは「Annual Report and Accounts 2020 to 2021」で、CJRSの不正規模を支給総額の8.7%に当たる53億ポンド(約8639億円)と推計しており、5〜10%と当初見積もった想定の範囲内と評価している。

CJRSは一定の不正を想定しているとはいえ、その防止に向けて主に次の三つの取り組みを実施した。特に、HMRCは事業主からの申請内容を公表し、広くチェックを行うとともに、ホットラインで情報提供を呼び掛けた。

①HMRCによる申請内容のチェック
②申請内容の公開(図表3)・ホットラインでの情報提供
③従業員によるPAYEシステムでの支給状況の確認

図表3:公表されている事業主のCJRSの申請内容

資料:「Employer data for claim periods from December 2020 to September 2021」(HMRC)より作成

3.雇用調整助成金への提言

(1)考え方

日本の雇用調整助成金は、既存の制度をコロナ支給金制度として活用したものであり、受付システムの整備や事業主からの申請に十分に対応できていない。申請から支給まで1〜1.5カ月を要し、英国など欧州諸国のコロナ支給金制度よりも時間がかかる。CJRSでは、HMRCがPAYEシステムを活用して従業員の給与を月ベースで把握しており、申請から支給までは6営業日内(実際には3〜5営業日)と、日本より短くなっている。

雇用調整助成金とCJRSの国際比較から、日本への示唆として、同助成金の申請から支給までの期間を短縮する次の二つの改善方策を提言する。

(2)改善方策(Ⅰ)─現行制度の改善─

雇用調整助成金は事前チェックを重視し、事業主における個別の従業員の休業実績や給付金額などに関する書類の準備や、ハローワーク・労働局における確認の負担が大きくなっており、申請から支給までの期間が長くなっている。

一方、CJRSは一定の不正を想定して導入されており、HMRCが事業主からの申請内容をチェックしているが、併せて申請内容の公開・ホットラインでの情報提供や、従業員によるPAYEシステムでの支給状況の確認にも取り組んでおり、事後チェックを重視していると考えられる。

そこで「[ポリシー・ブリーフ]【緊急提言】新型コロナ感染急拡大に対応した医療提供体制拡充について」(小林慶一郎・佐藤主光・土居丈朗/東京財団政策研究所、20年11月26日)や、「我が国で『プッシュ型』給付を実現するには? 国民と行政の接点を増やす」(佐藤主光/東京財団政策研究所、21年12月9日)で指摘されている通り、雇用調整助成金はCJRSを参考に、事前チェック重視から事後チェック重視に転換して速やかに支給し、事後チェックで不正があれば返還する制度への改善を検討することができる。

雇用調整助成金の不正規模は、単純には比較できないが、CJRSより少なくなっている。同助成金で事後チェックを重視しながらも引き続き不正を防止するためには、厚生年金や雇用保険の保険料など、従業員の給与に連動する他の所得情報を利用することで、事業主やハローワーク・労働局の負担が大きい書類の準備・確認といった事前チェックを効率化することが望ましい。

事後チェックでは、すべての事業主からの報告を詳細にチェックすることは難しいため、効果的・効率的な方法として次の二つが挙げられる。

①これまでの雇用調整助成金の実績から、地域・産業別の給与や休業実績などに関するベンチマーク(指標)を算出し、そこから大幅に乖離する申請・報告を行う事業主を重点的にチェックする
②CJRSを参考に、ハローワーク・労働局がホットラインを設けるなど内部通報制度を充実させ、申 請・報告に疑義を持つ従業員からの情報提供を促進する

(3)改善3方策(Ⅱ)─源泉徴収制度を発展させたPAYEの導入─

従業員の給与を把握して納税する英国のPAYEシステムに該当する日本の制度として、源泉徴収制度がある。

同制度ではPAYEシステムと同様に、従業員への給与を把握している事業主が月ベースで所得税を徴収して納税するが、主に次のような問題点があるため、従業員の給与を把握する精度が低く、雇用調整助成金への利用は難しいと考えられる。国税電子申告・納税システム(e─Tax)での納税手続きの画面を見ても、給与を把握する単位は事業主であり、個別の従業員の給与は把握できない(図表4)。

①年間給与が500万円を超える従業員のみ対象
②納税は月ベースだが、事業主ごとであり、個別の従業員の給与は不明

源泉徴収制度を雇用調整助成金に活用するためには、CJRSを参考にして、PAYEシステムに発展させることを検討できる。

前掲の佐藤論文が指摘する通り、日本のPAYEシステムは従業員の所得情報を月ベースなど、リアルタイムで正確に把握するものとすれば、従業員は納税という負担だけではなく、「負の所得税」とされる給付付き税額控除といったメリットを享受することが可能である。税務当局が収集する従業員の所得情報は政府・地方自治体などの関係機関で共有し、課税だけでなく控除や給付に利用し、従業員が個人のマイナポータル(行政手続きのオンライン窓口)で納税や控除、給付を確認できるようにする。

日本において源泉徴収制度を発展させたPAYEシステムを導入するためには、マイナポータルを含むマイナンバー制度の普及が必要である。「マイナンバー制度が普及していれば、日本のコロナ対策はどう変わっていたか」という点を広く周知し、意識啓発を図ることが重要である。

加えて、日本では税務当局が収集する従業員の所得情報は、税務情報である個人情報として取り扱われるため、政府・自治体などの関係機関で共有する際の対応を検討することが求められる。

  • (注1)「時事通信社発行『地方行政』 2022年9月12日号に掲載されたものです。
  • (注2)本記事・画像・写真を無断で転載することを固く禁じます。

坂野 成俊(さかの なるとし)

Sakano, Narutoshi

公共政策研究センター長

専門分野

  • 日本企業の海外展開戦略
  • 環境・経済分析
  • 自治体経営

1999年慶応義塾大学経済学部卒業、2001年一橋大学経済学研究科修了、同年富士通総研入社。主にICT・交通分野など日本企業の海外展開の促進に関する政策や経済動向、環境政策等に関する調査研究業務のほか、地方自治体の各種計画策定等に関するコンサルティング業務に従事。

『Smart City Emergence 1st Edition』(Elsevier/2019年7月)で「The Smart City of Nara, Japan」や、『運輸と経済(2019年10月)』(交通経済研究所)で「民間力を活用したメンテナンスについて~英国からの教訓~」等を執筆。日本規格協会で「日ASEANコールドチェーン物流ガイドラインのJSA-S化(2019年度)」の委員等も務める。

お客様総合窓口

当社はセキュリティ保護の観点からSSL技術を使用しております。