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デジタル革新とマクロ経済(2)
―経済厚生、GDP、長期停滞―

2018年7月4日(水曜日)

3. 歴史的パースペクティブで考える

やや余談に及ぶが、この問題を歴史的なパースペクティブから考えてみよう。まず、GDPは金銭を介した取引だけを対象としているため、デジタル・サービスに限らず実際にはGDPに反映されない経済活動が存在する。その典型が家事労働である。家事労働の経済的価値は、内閣府の試算によれば主婦1人当たり年額150~200万円程度、総額では名目GDPの2~3割に達するとされるが(注1) 、これは通常のGDP統計には計上されない。このため、主婦が働きに出る一方で家政婦を雇えばGDPは増えるが、その一部(家政婦の収入)は非金銭的取引が表面化したものに過ぎない。その一方で、非金銭的取引であっても、帰属処理を施してその額をGDPに計上する場合もある。その典型が帰属家賃であり、家計が持家に住む場合には「持家サービス」を消費していると看做して、これを家計消費に計上している(注2) 。しかし、何を帰属処理して何を帰属処理しないかの境界、なぜ持家サービスは帰属処理され、家事労働は帰属処理されないのかは不透明だと言わざるを得ない。やはり、非金銭的取引をGDPに取り込むことに無理があるのだろう。

しかし、これまでの歴史の流れは非金銭的取引が徐々に金銭的取引に置き換わっていくというものだった。事実、かつては人口の大部分が農家であり、食料などの自家消費のウェイトが極めて高かった(実際には、食料だけでなく衣類や家庭内で使われる多くの道具類も自家生産=自家消費されていた)。だが、今では農業人口は総人口の2%にも満たない。また、以前は人々の助け合いが重要であり、例えばブータン国王に言うGross National Happinessはそうしたものを含むのだろうが、非金銭的な助け合いの重要性も徐々に低下している(ここでも、かつての農業社会では、灌漑や協同耕作などの助け合いが現在より遥かに重要だったことを指摘しておこう)。仮にこのトレンドが今後も続くのであれば、やがて全てが金銭的取引となり、全てがGDPに反映されていく筈なので、非金銭的取引をどう扱うかについて、あまり目くじらを立てる必要はなかったのだと思われる。

このため、GDPで社会厚生=人々の幸福度を測ることには、現在なお多くの批判があるものの、ごく最近まで「GDPを超えて」測るべきものは、低炭素化の推進や生物多様性の保全、所得分配の公正さや社会的連帯の実現などといった非経済的(環境系、ソーシャル系)価値だと考えられてきたのである(注3) 。ところが、ここ5~10年はデジタル革新によって無償サービスが急拡大した結果、今では経済活動そのものの中でGDPでは把捉できない非経済取引が無視できないウェイトを持つようになったのである。非経済的価値がGDPで測れないのはむしろ当然だが、経済活動さえもGDPによって十分に把握できないとなると、最早私たちは安易にGDPばかりに頼る訳にはいかないということになる。ここに、この問題の重要性があると言えよう。

4. 消費者余剰をどう測るか?

さて本稿(1)では、デジタル・サービスについて「金銭的対価が支払われるGDP部分より消費者余剰の方が大きい」として、GDP統計はデジタル革新に伴う経済厚生の向上を過少評価すると論じてきた。しかし問題は、消費者の効用は主観的なものだから、消費者余剰を計測するのは容易でないところにある。そもそも経済厚生を測ることが難しいからこそ、客観的で計測の容易なGDPを近似値として使ってきたのだ。GDPによる近似が疑わしくなれば消費者余剰を直接に測るほかないが、それにはどうしたら良いのだろうか?

この困難な課題に応えるための手法としては、主に次のような3つのアプローチが考えられる。その第1は、ヘドニック法などを使って財・サービスの品質調整を行うことだ(注4) 。これは、財やサービスの品質が向上して消費者の満足が高まるような場合に、同じ金額でより高い効用を得られるという意味で「財・サービスの価格が下がった」と看做すものである。本稿(1)の(図表1または2)に即して考えると、支払った金額=名目GDP(緑色の四角)は同じであっても、消費者の満足が大きい場合には、価格が下がったと看做して実質GDP=消費の実質価値を膨らませて、消費者余剰(黄色の三角)を取り込むアプローチと言える。こうした品質調整の手法は企業物価指数や消費者物価指数にも用いられており、結果としてGDP統計のデフレータにも反映されている(注5) 。そういう意味で、これは伝統的アプローチと呼ぶこともできる。ただ、この方法はパソコンやテレビの品質向上を扱うことはできても、無償のデジタル・サービスのように本当に価格がゼロになってしまうと、「財・サービスの価格が下がった」と看做して実質消費を膨らませるという技は使えなくなってしまう。デジタル・サービスを扱うには、このアプローチは限界があると考えざるを得ない。

消費者余剰を測るための第2の方法は、何らかの形で需要曲線を推計するというもので、顕示選好アプローチなどと呼ばれる。とは言え、価格がほぼゼロの財に関しては、観察できるデータは価格ゼロ近傍のみに限られるため、信頼できる推計結果を得ることは極めて困難である。通常、様々な弾力性等に関して仮定を置く(calibrationを行う)ことが不可欠となる。そうした中、最近注目を集めているのが半世紀以上も前に、ノーベル賞受賞者でもあるシカゴ大学のゲイリー・ベッカー教授が考えた「様々な経済活動には時間を使う」ことを利用したアプローチである(注6) 。おカネは使わなくても、時間を使うことが制約となると考える訳だ。最近では、日本でもこうした研究が行われている(注7) 。

消費者余剰を測るための第3の方法は、より直接的に消費者に「このサービスを利用するためにいくらまでならおカネを払ってもよいか」とWTP(willingness to pay)を聞くもので、表明選好アプローチなどと呼ばれる。もちろん、こうした質問で真の評価を得ることは難しいので、様々な他の質問と組み合わせることで無責任な回答を排除するなどして、できるだけ信頼度の高い結果を得るようにする必要がある。この点、近年の実験経済学の隆盛の流れに沿って、最近では経済実験により消費者の評価を調べる方法も使われるようになっている。

(GDPの過少評価の大きさは無視できない)

こうした様々なアプローチを用いて、これまで行われてきた消費者余剰の推計結果を総務省で統計委員会を担当する肥後雅博氏の資料を使って示したものが(図表3)である(注8) 。結論を言うと、研究によってデジタル・サービスがもたらす効用の大きさにはかなりの違いがあるなど、推計の精確さには疑問の余地があり、肥後氏の言うように「統計に反映できる精度にはかなりの距離がある」のは事実であろう。しかし同時に、多くの研究結果が押し並べてGDPが経済厚生を過少評価している程度は決して無視できる程度ではないということを示している。

こうした中、生産コストの情報を使ってデジタル・サービスの価値を測る研究においては、無償のデジタル・サービスを考慮してもGDPのバイアスは小さいとの結論が示されている(注9) 。しかし、本稿(1)の(図表2)を思い出してみれば、コピーの限界費用がほぼゼロの場合、(固定費を除けば)デジタル・サービスの生産コストは少なくて当然である。だから、この結果は情報財について生産コストから消費者余剰を推計するのは無理だということを再確認したものと考えるべきだろう(そもそも、こうした研究では、「GDPと消費者余剰が概ね比例する」ことが仮定されている)。

【図表3】消費者余剰の推計事例
(1)顕示選好アプローチによる計測事例(山口・坂口・彌永[2017]のサーベイ)
【図表3】消費者余剰の推計事例(1)

(2)表明選好アプローチ(経済研究所実験で最小代償価格を調査)での結果(Brynjofsson, Eggers and Gannamaneni[2017]) 【図表3】消費者余剰の推計事例(2)
出所)肥後雅博(2018)

その上で、幾つかの実証結果に関して筆者のコメントを加えよう。まず、分かりやすいWTPの推計について見ると、東大の渡辺努教授の下で学生が「LINEを使い続けるためにいくらまでなら払っていいか?」を調べたところ、平均で約400万円という結果と得たと言う(注10) 。この話を聞いた時、筆者は「俄かには信じられない」と感じたのだが、(図表3)の(2)に示すブリニョルフソンらの研究でも、検索エンジンに15000ドル程度払っても良いという結果が得られており(注11) 、前者も桁違いと言うことはできない。これだけでも、無償のデジタル・サービスの登場によって、GDPが経済厚生を大きく過少評価するようになったことは明らかだろう。

中でも、筆者が興味深いと思っているのが先のベッカー流のアプローチを用いてブリニョルフソンらが2012年に発表したもう一つの論文である(注12) 。この論文によれば、2007年から2011年の間にデジタル・サービスが生み出した消費者の効用を適切に評価すれば、GDP成長率をインターネット全体で年率+1.1%、無償サイトだけでも同+0.7%押し上げるという(注13) 。一方、米国の潜在成長率については、一般に金融危機前は3%程度あったものが最近は2%前後に低下したと考えられている。この点を踏まえると、潜在成長率低下の大部分がデジタル・サービスの生み出す消費者余剰を考慮していなかったために、GDPが過少評価されている結果に過ぎない可能性があることになる。

さらに、この推計は2007~11年である一方、i-Phoneの登場は2007年であることを考えると、デジタル・サービスが生み出す消費者余剰は、その後さらに拡大している可能性がある(Googleマップなどをはじめ、多くのデジタル・コンテンツが有用性を高めたのはスマホ登場以降のことだろう)。また米国以外についても、英国で統計改革に関する諮問委員会をリードしたイングランド銀行前副総裁のチャールズ・ビーン氏は、デジタル革新を考慮すれば「過去10年間の英国のGDP成長率は1/3~1/2%程度高まる」可能性を示唆している(注14) 。

こう考えると、日本でも求められるのは、まず①デジタル革新がもたらす消費者余剰の大きさに関する研究であり、さらに②経済厚生を四半期単位で把握するのは当面無理としても、そのための基礎統計を整備していく(それには、前述したシェアリング・エコノミーに関する統計整備も含む)ことだろう。しかし、本稿ではこうした統計整備以前の問題として、デジタル革新のマクロ経済的含意についてもう少し議論を深めていきたい。

5. 情報財をマネタイズすることの難しさ

本節では、生産性パラドックスの問題に立ち返る前に、情報財の生産に関わる困難の本質を再確認しておこう。先に、情報をコピーする限界費用はほぼゼロのため、情報財の供給曲線は極めてフラットとなり、均衡価格がゼロ近傍になると述べた。この状態で2社以上の供給者が価格競争を行うと、誰も固定費をカバーできずに、情報財は過少供給に陥るだろう。この点に限って言えば、電力や水道などの公共サービス(utilities)が抱える問題と同じである。これに対する経済学の伝統的な回答は、独占を認めることである。公共サービスには自然独占を認め、情報については特許権・著作権(patent)を認めて人為的に独占を作り出すことで、固定費をカバーできるようにするということである。

これに対し、情報に固有の問題は、生産者サイドだけでなく購入者サイドにおいても、殆どコストを掛けずに情報をコピーして自家消費したり、転売したりできるという点にある。この場合、パテント保護が実効性を欠けば、供給独占であっても固定費の回収は困難になってしまう。この問題は、かつての「情報の経済学」においても広く知られており、当時はappropriation problemなどと呼ばれていたが(注15) 、最近では「マネタイズ」の難しさというビジネス用語で呼ばれることが多い。

(Wintelの時代とGAFAの時代)

この点を踏まえると、過去30年余りのICT革命の時代についても、1980年代を中心とするWintelの時代と近年のGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)の時代の違いを理解することができる。すなわち、Wintel時代にはパテント保護が概ね有効であったため、OSもCD-ROMのようなモノとして販売できたし、CPUははじめからモノだった。だから、マイクロソフトもインテルも自社の知的財産のマネタイズについて大きな困難に直面したとは思えない。

これに対し、無償のデジタル・サービスが急拡大し、マネタイズの困難さが深刻化したのは、インターネットが普及し、大容量化・高速化した21世紀に入ってからである。こうなると、大容量のデータもインターネットから簡単にダウンロードできるため、OSも音楽も映像もモノとして販売することは難しくなったからである。また、インターネットの普及後は、コピーを禁止することも難しくなるため、パテント保護の実効性も大きく低下してしまう(あらゆる分野で海賊版、闇サイトが蔓延していることは周知の通りだ)。

それだけではない。供給サイドにおいても、ネットワーク外部性が強いため、早期に市場シェアを確立することが重要になっていることに加え、今では自社のプラットフォームを使用してもらうことで入手されるデータそのものが重要な経済的資源と考えられるようになってきている。後者は、例えばアマゾンのサイトを使っていると、利用者の好みそうな書物が推薦されることなどを通じて、多くの読者も実際に経験しているのではないか。また、今後重要となる自動運転技術なども、どれだけのデータを集められるかが競争の行方に大きく影響するとされる。いわゆるdata driven economyである。このネットワーク外部性とdata driven economyの双方から、無償ないし超低価格で自社サービスを提供することが合理的になる。こうして、プラットフォーマーの地位を巡る熾烈な競争が展開されているのである(だから幸いにして、過少供給の問題は深刻化していないように思われる)。

もちろん、いったん独占的地位を確立してから価格を上げるという戦略も一応は考えられる。しかし、GAFAのようなネットワークの巨人が独占力を行使しようとすれば、それは世間からの指弾を浴びるに違いなく、当然公的規制の対象となるだろう。それ以前に、フェイスブックのデータ不正使用などを巡って、データ独占自体に対する批判が高まりつつあるのは周知の通りである。

注釈

(注1) : 内閣府経済社会総合研究所「家事労働等の評価について―2011年データによる再推計」(2013年6月)。

(注2) : 生産面においては、家計が不動産業を営んでいると看做し、分配面にはこの「みなし不動産業」の営業余剰が計上される。

(注3) : 例えば、J. Stiglitz, A. Sen and J-P. Fitoussi, “Report by the commission on the measurement of economic performance and social progress”, Council of Foreign Relations 2010

(注4) : ヘドニック法などを使った品質調整に関する日本での先駆的研究は、白塚重典『物価の経済分析』(東京大学出版会、1998年)である。

(注5) : これまでGDPは客観的なものであり、効用のような主観的尺度は排除していると述べてきたが、品質調整まで考えると、実はこっそり効用概念を導入していることになる。

(注6) : 原典は、G. Becker, “A theory of the allocation of time”, Economic Journal 1965である。ベッカーはこの論文で、消費者は市場で購入される財・サービス(市場財)と時間を組み合わせて便益(commodities)を生産すると考えており、効用関数に入るのは市場財ではなく、便益だとしている。
その意味で、この便益はヘドニック・アプローチの基にあるK. Lancaster, “A new approach to consumer theory”, Journal of Political Economy 1971の特性(characteristics)によく似ているが、特性が市場財の線型結合となる一方、便益は市場財から生産される(生産関数を介する)ものであるため、数学的な扱いは大きく異なる。

(注7) : デジタル・サービスが生み出す効用を測るため、ベッカー流のアプローチを用いた先駆的研究は、A. Goolsbee and P. Klenow, “Valuing consumer products by the time spent using them: An application to the internet”, American Economic Review 2006である。
日本での同様の研究としては、山口真一・坂口洋英・弥永浩太郎「インターネットをとおした人々の情報シェアがもたらす消費者余剰の推計」、InfoCom REVIEW 2018がある。この論文については、肥後雅博氏からご教示を頂いた。記して感謝したい。

(注8) : 肥後雅博「経済統計は実態をどこまでカバーしているか-新しいかたちの経済とその展望」、(未公刊のパワーポイント資料、2018年2月)。

(注9) : 例えば、L. Nakamura and R. Soloveishik, “Valuing ‘free’ media across countries in GDP”, Working Paper Federal Reserve Bank of Philadelphia 2015

(注10) : 渡辺努「技術革新と物価変動-『価格ゼロ』経済の視点」、(未公刊のパワーポイント資料、18年6月)。

(注11) : E. Brynjolfsson, F. Eggers and A. Gannamaneni, “Using massive online choice experiment to measure changes in well-being”, NBER Working paper 2018

(注12) : E. Brynjolfsson and J. H. Oh, “The attention economy: Measuring the value of free digital services on the internet”, Thirty Third International Conference on Information Systems 2012

(注13) :(図表3)の(1)には不正確な面がある。インターネットがもたらす消費者余剰について、山口・坂口・弥永(2018)が日本のGDPの3.2~3.7%とする一方、Brynjolfsson-Oh(2012)では米国のGDPの1.1%とされているが、後者は消費者余剰の大きさを述べたものではなく、これがGDPを年率+1.1%引き上げるとしたものである。インターネットがもたらす消費者余剰の規模は米国の方が大きいと考えるのが当然だろう。

(注14) : C. Bean, “Time to rethink the way we measure economic activity”, VOX CEPR Policy Portal 2016

(注15) : 実際、筆者が30年以上前に書いた論文でも、appropriationが「経済財としての『情報』の特殊性」の第1の要素として挙げられている。例えば金融仲介については、金融機関が生産した借り手に関する情報そのものを販売することはできないので、金融仲介サービス(預金-貸出)に変形することで費用を回収すると理解されていた。早川英男「『情報の経済学』について―概念的整理と理論的可能性」、『金融研究』(1988年)を参照。

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早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。
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