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物価はなぜ上がらないのか(2)-「日本的企業」とデフレマインド-

2016年8月24日(水曜日)

(はじめに)

本シリーズ初回の「物価はなぜ上がらないのか(1)」では、 日本のデフレの説明として企業の競争力劣化→交易条件の悪化→賃金の切り下げ→物価下落というロジック(斉藤説と吉川説の統合)を提示した。そのうえで、QQE(量的・質的金融緩和)は大胆な金融緩和→大幅な円安→企業収益の改善までは実現したものの、円安・原油安に伴う一時的な収益改善だけでは抜本的な競争力向上につながらず、メンバーシップ型従業員の賃上げにまでは至らなかったと述べた。

ただ論を進める前に、そこで使った「競争力」というやや曖昧な言葉の意味を、ここで明確化しておいた方がいいように思う。というのも、ここで競争力とは直ちに生産性ではなく、かつてグリースパン元FRB議長がしきりに強調していた価格決定力(pricing power)を意味するものと考えているからだ。事実、(1)でも指摘したように、1990年代以降の日本のエレクトロニクス産業は、引き続き高い生産性上昇を実現しながらも、韓国・台湾メーカー等のキャッチアップによって価格競争に巻き込まれていった=価格決定力を失っていった。他方、ドイツの高級車や特殊な資本財の生産性向上はそれほどではなくとも、製品差別化やブランド力で価格を維持することができた(これは、日本の自動車や資本財についても、程度の差はあれ妥当する)(注1)。

この点を確認したうえで今回(2)では、日本企業の競争力の衰えを、キャッチアップが終わり、「日本的雇用」が重荷になり始めた段階と、オープン・イノベーションという新たな波に直面した段階の2段階として描く。そして、現在の人手不足と賃金・物価の伸び悩みの並存について、逆インサイダー・アウトサイダー理論による説明を試みる。

1. 「日本的雇用」とデフレマインド

(製品アーキテクチャーの変化)

未だ新興国のキャッチアップが本格化せず、技術進歩のスピードもゆっくりだった冷戦期(1950~80年代)が、長期雇用を前提にOJTで育成されたメンバーシップ型の従業員が地道なカイゼンを積み重ねていく日本企業の全盛期だったことは、すでに昨年8月の本欄「今こそ「日本的雇用」を変えよう(2)」で述べた。しかし、中国を先頭に巨大な人口を擁する大国の経済的離陸が始まり、ICT革命を期に技術進歩が加速すると、西村清彦教授の表現を借りれば(西村[2004])カメのように動きの遅い日本企業の競争力は失われていった。

中でも影響が大きかったのは、ICT革命以降に製品アーキテクチャーが大きく変わったことだろう(注2)。パソコンのように部品間のインターフェースのみを共通化し、バラバラに開発された部品を自由に組み合わせて製品を作るモジュラー型の重要性が増したのだ。これらは、自動車のように部品や素材の適合性を摺り合わせながら製品に仕上げていくインテグラル型の製品と違って、長期雇用や企業間の長期関係を前提とした日本企業のモノづくりと相性の良いものではない。この分野では、米国や台湾・中国の企業がベンチャーやEMS(Electronics Manufacturing Service)を自由に活用しながら優位性を高めて行った。もちろん、自動車や資本財などインテグラル型の製品も残り、日本企業の優位性が維持されてきたが、そこにも変化が訪れようとしていることは後述する。

(リスクを取れない日本企業)

こうして競争環境や製品の仕組みが変わっていくと、かつては競争力の源泉だった長期雇用が日本企業にとって重荷になっていく。1997~98年の金融危機以降、非正規雇用のウェイトが急速に高まる一方、「リスクを取れない日本企業」の姿が鮮明となった。実際、アベノミクス以降の展開を振り返っても、企業収益の大幅な増加に比して設備投資の増加はあまりにも控え目だった【図1】。

【図1】経常利益と設備投資(兆円)
【図1】経常利益と設備投資(兆円)
資料)財務省「法人企業統計季報」

少し考えてみよう。典型的なメンバーシップ型の従業員は、今後20~30年も自社で世話になることを期待している。そうすると、投資機会はあっても、20年も30年も儲かり続ける保証はない以上、雇用を切れない日本企業は当然投資に消極的になる。今や自然人の寿命は80年で、法人の寿命は普通それより短いのだから(注3)、終身雇用は論理的に無理なのだが、日本企業はキャッチアップ時代の成功体験を捨て切れないのだ(注4)。

しかも、一度でも流動性危機を経験すると、資金の固定化に対する恐怖心が高まる。よく「現金は王様:Cash is king!」と言われるが、リーマン・ショックの後には、米国企業でさえ儲かっても投資をしない行動が目立っているのだから、過去20年に3度(1997~98年、2002~03年、2008年のリーマン・ショック直後)も流動性危機を経験した日本企業がリスク・テイクに慎重になるのはむしろ当然だろう(注5)。収益が増えても投資はしない、非正規雇用は増やしても正社員は採らない、ボーナスは増やしてもベアは避ける、これらはいずれも資金の固定化を避ける行動にほかならない。

日銀の黒田総裁は経団連での講演(黒田[2014])で、「人件費や原材料費の引き下げといったコスト・カットを行い、あるいは設備投資をできるだけ圧縮して、利益を確保し、財務状況を安定させる」企業の行動を「デフレマインド」と呼んだ。しかし、これは単なる物価下落予想ではなく、固定的な長期雇用を抱えた「日本的企業」の慎重さを指したものではないのか(注6)。実際、企業の資金調達行動を分析して、「日本企業は企業価値を最大化しているのではなく、倒産確率を最小化している」と結論した実証研究さえある(広田[2011])。

2. 新しいイノベーションに対応できない「日本的企業」

(オープン・イノベーションと「日本的企業」)

だが、長い眼で見ると、倒産確率の最小化にすらなっていないのではないか。グローバル競争がこれだけ激しくなった今、リスクを取れない企業はほぼ確実に負けるからだ。『不思議の国のアリス』に出て来るハートの女王が言うように、「この場所に居続けるためにも、全力で走らなければならない」時代なのだ。日本企業が史上最高益を実現したと言っても、それは円安と原油安で下駄を履いた結果に過ぎず、日本企業の競争力はむしろさらに衰えているのではないかと筆者は疑っている。

ここで注目されるのが、2010年代に入って1990年代のICT革命以来の大きなイノベーションの波が世界的に巻き起こっていることだ。これは、例えば書店の店頭を訪れれば、AI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)、フィンテック、シェアリング・エコノミーなどに関する書物が山積みになっている様子で、誰もが気づくことだろう。問題は、こうしたイノベーションの波に日本企業が十分対応できていない点にある。しばしば日本企業はICT革命に乗り遅れたと言われるが、1990年代の日本企業の存在感はずっと大きかった筈だ。筆者が思い出すのは、米国のデル社がパソコンの組み立てで世界一になった当時、日本のビジネスマン達が「パソコンの中を見れば、ほとんどが日本製の部品だ」と誇っていたことである。

ところが最近は、グーグル、アマゾン、アップルからウーバーやAirbnbまで米国企業の優位はもちろん、中国企業(アリババ、テンセント)やドイツ(インダストリー4.0)が台頭する中で、日本の存在感は薄れる一方のように感じる。その背後にあるのは、恐らくイノベーションの形の変化だろう。かつての半導体や液晶といったハイテク製品の技術開発は、基本的にインハウスのR&Dだったため、サイロ化した日本企業でも対応できた。ところが近年は、企業や国境の壁を超えたオープン・イノベーションが主流となってきたため【図2】、雇用慣行の障害などから自前主義の強い日本企業がこの流れについていけない点に根本的な問題があるのではないか(注7)。

【図2】オープン・イノベーションの概念図
【図2】オープン・イノベーションの概念図
出所)NEDO『オープン・イノベーション白書(初版)』、2016年

(新たな脅威の芽)

それだけではない。新たなイノベーションの波は、日本企業の優位性を掘り崩す芽を含んでいることにも注意する必要がある。その1つは、さらなるモジュラー化の進展である。かつては「パソコン等と違ってAV機器は摺り合わせの要素が大きい」などという楽観論もあったのだが、薄型テレビがあっと言う間にモジュラー化してしまったのは周知のとおりだ。現在の主戦場は自動車であり、それは今後のエコカーの主流が何になるかで大きく左右される。ハイブリッド車(HV)であればガソリン車の骨格は維持されるし、燃料電池車(FCV)であっても大きくは変わらない。しかし、電気自動車(EV)が中心になれば、自動車も家電製品のようにモジュラー化し、日本のメーカーが長年にわたって培ってきた摺り合わせ型メカの技術は大部分陳腐化してしまうと言われる。だからこそ日本メーカーはトヨタを先頭にFCVの開発に注力しているのだが、世界的にはやはりEV優勢との見方が多い。

もう1つは、デジタル化(digitization)の急速な進展である。もちろん、デジタル化自体はずっと以前から進んでいるのだが、AIやビッグデータの利用によってソフトウェアの能力は飛躍的に高まっている。そして、今起ころうとしているのは、これまで精密なメカに担わせていた機能をソフトウェアで置き換えようとする動きだ。これは、自動車(自動運転技術)やロボットといった日本が得意としてきた分野に大きな変革を迫る。ロボット技術の中核がメカではなくソフトウェアだとなれば、日本企業の優位性は大きく損なわれるだろう(注8)。

何も筆者は悲観論ばかりを吹聴しようとしているのではない。例えば、今後ICT、ビッグデータ、ロボット、AIなどが大きな役割を果たすと期待されているのが、医療・介護分野だ(注9)。だから、新しいイノベーションを実装した製品・サービスが生まれれば、世界で最も高齢化が進む日本は大きく恩恵を蒙るだろう。大きな市場が育てば、日本企業にとってもビジネス・チャンスとなることは間違いない。ただし、オープン・イノベーションにしてもデジタル化にしても、時代の環境は日本企業にとって逆風であることは明確に認識すべきだ。政府が掲げる「新産業革命」はぜひとも推進する必要があるが、「日本はロボット大国だ、IoTで日本のモノづくりは甦る」などといった根拠なき楽観からは何も生まれて来ないだろう(注10)。この点は、次回(3)でもう一度採り上げる予定である。

3. 逆インサイダー・アウトサイダー理論

(逆インサイダー・アウトサイダー理論とは何か)

さて、賃金の話に戻ろう。本シリーズでは、一貫して人手不足にもかかわらずなぜ賃金が上がらないのかを問題にしているのだが、仔細に見れば賃金は全く上がっていないのではない。リクルート・ジョブズ調べでパートやアルバイトの時給を見ると、労働需給を素直に反映する形で前年比+2%前後できっちり上がっている【図3】(注11)。賃金が全体としてこの程度上昇していれば、日銀が目指す2%の物価安定目標の実現もそれほど遠いものではなかったろう。むしろ問題は、正社員の給料があまり上がっていない、それどころか労働組合自体が賃上げにあまりにも及び腰だという点にあった。しかし、これまで述べてきたような環境の下で、生涯の雇用保証を期待するメンバーシップ型の社員達が「今はうちの会社も史上最高益だが、10年先は安心できない」などと考えているとしたら、ベースアップ要求を手控えるのはむしろ当然ではないか(「業績の良さはボーナスで還元していただければ結構です」ということだろう)。

【図3】名目賃金の推移(前年比、%)
【図3】名目賃金の推移(前年比、%)

そこで筆者が思い出したのは、1980年代の労働経済学にインサイダー・アウトサイダー理論と呼ばれるものがあったことだ。ストックホルム学派のリンドベック教授らが唱えたもので(Lindbeck-Snower[1999]というレビュー論文がある)、失業率は高いが、企業の中では労働組合の交渉力が圧倒的に強い状況から出発する。そうすると、世の中にどれだけ失業者がいようと、労働組合は賃上げを要求し、企業はそれを呑まざるを得ない。企業が人件費上昇を価格に転嫁する結果、高失業と高インフレの並存=スタグフレーションになるというものである。

これに倣って言えば、今の日本は逆インサイダー・アウトサイダー理論の世界だということになる。人手不足でパートやアルバイトの賃金は上がっても、自社の将来に不安を覚える労働組合は賃上げを自粛する結果、低失業と超低インフレが並存しているのだ(注12)。なお、この理論が成立するためには、①労働者が企業特殊的技能に特化しており、今の企業を離れると所得が大幅に減る、②正社員とパートの賃金格差が大きいという条件が必要になる。なぜなら、①が成立しなければ、労働者は自社の将来など心配しないで賃上げを要求するし、②が成立しなければ、パートの賃金が上げれば玉突きで正社員の賃金も上がるからだ。つまり、これは企業に囲い込まれたメンバーシップ型正社員と、正規・非正規雇用の二重構造という、極めて日本的な雇用環境の下でのみ成立する理論なのである。

(リスク・テイクと賃金の同時決定:岩村説)

さらに議論を一歩進めると、筆者が「岩村説」と呼ぶものが出て来る。これは、筆者が岩村充教授の新著(岩村[2016])を読んでいて思いついたもので、教授の本来の意図とは違うのかもしれないが(注13)、次のようなモデルである。リスク中立的な企業とリスク回避的な労働者を仮定する(企業特殊的技能に特化した労働者は自社を離れると所得が大幅に低下するため、リスク回避度が高い)。この両者が交渉により、①どれだけリスク投資を行うか、②賃金水準をどうするか、の2つを同時に決めることとする。具体的には青木昌彦教授式の交渉ゲーム(青木[1984])を考えれば良い。

そうすると、このモデルの交渉解として「企業にリスク投資を控えてもらう代わりに、労働者は低賃金を我慢する」というものが得られる。労働組合は「シャープのように大胆な投資に踏み切った結果、雇用の安定が損なわれては困る」と考えるからだ。労働者のリスク回避度が高いほどリスク・テイクは抑制され、賃金は低水準になるだろう。本稿ではこれまで、なぜ企業はリスクを取れないのか、人手不足でもなぜ賃金は上がらないのかを、それぞれ「日本的雇用」と結びつけながら別個に論じてきた。それに対し、このモデルはやや抽象的ではあるが、両者を一気に説明できる優れた分析だと思う。現実に企業のリスク・テイクの程度まで労使で交渉が行われているとは考え難いが、ある種の社内の「空気」としてリスク抑制/賃金抑制が暗黙の合意となっている可能性はあり得よう。

以上、本シリーズ(1)、(2)で述べてきたことは、日本のデフレの背後にあるのは「日本的雇用」ではないかという仮説である。日本企業が好調だった時代は、労使協調的な「日本的雇用」は低失業・低インフレというマクロ経済の安定にも寄与した。しかし、企業の競争力が衰えると、賃金を下げて雇用を守る行動がデフレにつながるということである。しばしば「なぜ日本だけがデフレなのか」と問われるが、それはまさに日本だけに「日本的雇用」が存在するからである。だとすれば、デフレ問題を解決する鍵は、①企業の競争力を高めること、②「日本的雇用」を変えること、そして③賃金を上げることである。本シリーズの結論となる(3)では、これらの点を論じることとする。

参考文献

  • 青木昌彦[1984]:『現代の企業』、岩波書店
  • 岩村充[2016]:『中央銀行が終わる日』、新潮選書
  • 黒田祥子・山本勲[2006]:『デフレ下の賃金変動』、東京大学出版会
  • 黒田東彦[2014]:「『2%』への挑戦状」、日本経団連審議委員会での講演
  • 西村清彦[2004]:『日本経済 見えざる構造転換』、日本経済新聞社
  • 早川英男[2016]:『金融政策の「誤解」』、慶應義塾大学出版会
  • 広田真一[2011]:『日本の大企業の資金調達行動』、宮島英昭編著『日本の企業統治』、東洋経済新報社所収
  • 藤本隆宏[2004]:『日本のもの造り哲学』、日本経済新聞社
  • 森川正之[2016]:『サービス立国論』、日本経済新聞出版社
  • 渡辺努[2016]:「価格据え置き「慣行」脱却を-賃金上昇率を政策目標に」、日本経済新聞「経済教室」欄、7月25日
  • Lindbeck, Assar and Dennis Snower[1999]:“Insiders versus Outsiders”, Journal of Economic Perspective
  • Walsh, Carl[2010]:Monetary Theory and Policy, 3rd ed, Princeton University Press

注釈

(注1) : 現代のマクロ経済理論では、製品差別化はDixit-Stiglitz型の効用関数を用いて導入するのが一般的であり(教科書としては、例えばWalsh[2010])、これで静学的なマークアップ率が決まる。しかし、グリーンスパンが価格決定力としてイメージしていたのは、単なるマークアップ率よりも動学的、シュンペーター的なものだったであろう。具体的には、生産性向上を実現した時、コストダウンを直ちに価格引き下げに充てず、一時的にせよマークアップ率上昇や賃金の引き上げ余地を作り出す力である。これには、生産性(コスト競争力)や市場シェアだけでなく、製品・サービスの独自性、デザイン、ブランド力などが大きく影響する。

(注2) :以下の有名な分類は藤本隆宏教授によるものである(例えば藤本[2004])。ただし、後述するように、自動車生産などを「典型」として「まだまだ日本のモノづくりの優位性は揺らいでいない」とする藤本教授の楽観論には、筆者は同意できない。

(注3) : ちなみに、筆者の所属する富士通総研は今年創業30周年、親会社の富士通でも創業80年で、ようやく自然人の寿命に追い付こうとしているところだ。

(注4) :昨年8月の本欄「今こそ「日本的雇用」を変えよう(1)」、および同「今こそ「日本的雇用」を変えよう(3)」では、「日本的雇用」が女性や高齢者の活躍を阻んでいること、若者の暮らしに不幸や晩婚化・少子化の悪循環をもたらしている可能性などを指摘し、「今こそ『日本的雇用』を変えよう」と訴えた。今シリーズでは、「日本的雇用」の重荷が企業行動の消極化につながり、ひいてはデフレ脱却の妨げにもなっていると主張する。

(注5) :こうした金融危機の様々な影響について、より詳しくは、早川[2016]の第4章を参照。

(注6) :もちろん、デフレによって実質賃金が上昇し、企業収益を圧迫することで企業行動が消極化するとの議論はあり得る。しかし、年率僅か0.3%のデフレで実質賃金が顕著に上昇するだろうか。しかも、黒田・山本[2006]が明らかにしたように、金融危機後の日本では名目賃金の下方硬直性が喪失しているのだ。

(注7) : この点で一番分かりやすいのはシェアリング・エコノミーだろう。ウーバーやAirbnbなどは決してハイテクではないが、アイデアと企業の壁を超えたつながりなしにイノベーションは実現できない。一方、IoTは基本的にモノづくりの技術(極論すればトヨタのカンバン方式のデジタル版)だから、日本での活用が強く期待されている。しかし、トヨタが系列内でIoTを縦に使う場合と、例えばドイツのボッシュを中核に業界横断的にIoTが利用される場合を比較すれば、その効力は大きく異なるだろう。

(注8) : これは、元々デジタル技術内部の話だから必ずしも適切な比喩ではないのだが、以前のプレインストールしたソフトウェアで動くパソコンと最近のパソコンを比べると分かりやすい。かつては、発売されたばかりのOSを搭載したパソコンは「バグが多いから買わない方がいい」などと言われたものだ。しかし、今ではソフトウェアのバグは断続的に修正ソフトが送られてくることで対処される。このように、現在までのロボットは事前に精密な摺り合わせが行われたメカを基に動いているが、今後は自ら学習するAIを備えたロボットが主流になると考えられている。

(注9) :医療のICT化の重要性について筆者は、15年5月の本欄「社会保障改革の核心(上)」で論じている。

(注10) :なお、本稿では「日本企業」と言いながら、エレクトロニクス、自動車、資本財といった分野に偏った議論となっていることは否定し難い。実際には、内需型製造業や非製造業で着実に収益力を高めている企業も少なくないし、日本経済全体の生産性を高めるにはサービス産業の効率化が重要である(例えば、森川[2016])。しかし、エレクトロニクス、自動車、資本財はこれまで日本経済をリードしてきた主力産業であると同時に、次に述べる賃金決定においては、これら産業を中心とする金属労協加盟組合が極めて重要な役割を果たす慣行ができ上がっている。

(注11) :【図3】に示した毎月勤労統計の所定内給与は、このところ女性や高齢者を中心とした短時間非正規雇用の増加により、実勢比弱めとなっている点に注意が必要である。

(注12) :もちろん、パートやアルバイトの賃金上昇は消費者物価の押し上げ要因として働く。実際、足もとも食料・エネルギーを除いた消費者物価が前年比+0.5%程度上がっているのは、こうした賃金の上昇を背景としたサービス価格の上昇を反映したものだと見られる。ただし、渡辺[2016]が強調するように、物価の安定的な上昇が続くためには、価格引き上げが当然の「ノルム」として社会に受け容れられる必要がある。そして、それを背後で支えるのは、やはり毎年の安定的なベースアップである。この点については、早川[2016]の第4章をも参照。

(注13) :岩村[2016]で実際に論じられているのは、株主主権が強まれば企業のリスク・テイクが活発になるという通念に対し、Coaseの定理を援用しつつ、「株主と労働者が合理的に交渉すれば、企業ガバナンスに関係なくリスク・テイクは最適な水準に決まる」と主張する、コーポレート・ファイナスの教授らしい議論である。ただ、これは青木[1984]流の交渉ゲームに読み替えれば、直ちに本文で述べたモデルとなる。交渉解は当然パレート効率的だから、Coaseの定理の条件も満たされている。

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早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。
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