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アフター・ブレグジット:何が起きるのか(前編)

2016年8月12日(金曜日)

この「オピニオン」欄で、6月10日に「ブレグジットというチャレンジとEU経済の見通し」(前編後編)という記事を書き、イギリスがEUから離脱することになった場合の影響についてまとめた。その後6月23日に行われた国民投票で、イギリス国民はブレグジットを選択し、混乱が広がっている。今後の展望はどうなるのだろうか?

前編では、ブレグジットの背景をおさらいし、日本への影響も含めてブレグジット後の影響を説明する。

1.ブレグジット、EU改革、そしてグローバル化の危機

6月23日にイギリス国民がEU離脱(ブレグジット)の決断をしたことで、瞬く間にマーケットはカオスとなった。大規模な取引の混乱が危惧され、ポンドとユーロは下落し、他方でグローバルな安全通貨の円が上昇した。ヨーロッパでビジネスをする日本企業の株価は10%も下落し、これらの企業はEUでの戦略の見直しを迫られている。イギリスとEUの政策担当者らは、現在、今後数年にわたるであろう不愉快な交渉と政策判断に直面しており、また同時に、予想もしなかった速度で、自国の改革と成長に関する説得力のある計画を提示することを求められている。ブレグジットによりEUの欠点が明らかにされており、深刻なダメージを受けたEUの評判を取り戻すためだけでなく、持続可能な成長のために必要なグローバル化政策に活力を取り戻す機会としても、未来志向のヨーロッパ統合プロセスの再開が必要である。

2.世論のセンチメントがこれほど強く反EUになったのはなぜか?

イギリスの政策決定者の混乱から明らかなように、ブレグジットは、より良いチャンスのためにEUを離脱するという熟慮のうえでとられた政府戦略ではなく、政策決定者が世論のEUに対するネガティブなセンチメントを読み間違えたために生じた「ブラクシデント」(Braccident、「イギリスの事故」の意)であろう。EUに対してネガティブな世論とは対照的に、政府とほとんどの企業は大体EU加盟国の地位に肯定的であった。EU加盟国としての地位を維持することによって、結局のところ、世界最大の市場への無条件のアクセスが保障されるだけでなく、比較的小規模なイギリス経済と緊密なパートナーとを統合させることが可能となるからである。また、強力な発言力を通じてEUの将来の方向に影響を与えることができるし、同時に、必要ではあるが不人気な改革(すなわち競争力関連の改革)を実施するにあたってEUを身代わりにすることもできる。

総じて言えば、最もダイナミックでリベラルなEU加盟国としてのイギリスは、投資・イノベーションに関する海外直接投資の流入において大きなメリットを得ている(UNCTADのデータによると、1995年の対GDP比16%から今日の56%への伸びを見せている)。イギリス経済はロンドンがEUの金融センターとなっていることで莫大な利を得ており、また、輸出・投資・テクノロジーを推進するような、市場のトップを走るビジネスサービスを発展させてきた。他方で、イギリス経済は、リベラルな市場規制とビジネスのしやすさに関するほとんどの指標でトップに位置しており、EUに加盟していることによって生じる追加的な規制の負担は限定的なようである(世界銀行のビジネスのしやすさに関する指標においてイギリスはアメリカより上位の6位であり、ルクセンブルクは61位である)。

しかし、イギリス有権者の立場からは、2008年の世界金融危機により経済成長が落ち込み、EUが銀行を救済しつつ欧州中央銀行を中心として規制強化した銀行業務の連携を図ろうとした後、EUというプロジェクトがユーロとユーロ圏の信念と絡み合ったものになったように見え、これが世論のEU離れを招いたのである。そしてこの2年にわたる移民・難民危機によって、この亀裂はさらに深くなってしまった。というのは、(移民ではなくEU市民の移動として捉えられるものではあるが)EU単一市場プロジェクトの核心である移民に対しても、世論の気運が批判的になってしまったためである。皮肉なことに、金融危機以前には、外国人労働者は力強い成長には欠かせないと考えられ、イギリスは東欧からの移民を最も声高に支持していた国の1つだったのだが、そのことは今回の助けにはならなかった。

さらに、EUは協力という非経済的な利益も実現させることができていないようである。中小規模加盟国が単独でいるよりも、EUとして結束することで、より強力なグローバルプレーヤーになることができるはずではなかっただろうか。だが、中東とウクライナでの危機において、EUは約束を果たすことができず、シリア難民危機によって域内での協調と負担共有には限界があることを露呈してしまった。そして、テロや安全への脅威に対するEUの対応に混乱があったことで、EUは独立し決然とした国民国家と比べて安全ではなくなってしまったのである。これらの異なる脅威が総じて、EU統合の未来に嵐をもたらす原因となったのである。

3.ブレグジット危機の日本への影響は?

ブレグジットの判断後、当初は不確実性、不安、不安定性があるものの、EU通商と海外投資家にとってのビジネスコストに対する悪影響は、大体対応可能なものとなるだろう。EU統合プロジェクトに対する裏切りとも見られる行為に対するノイズや明らかなストレスを被っているが、それ以上に、イギリス政府とEUはともに漸進的に動きをとることで、できる限り混乱を避けたいと強く考えている。シンクタンクによると、イギリス経済への悪影響の見込みは、通商コストの上昇によるGDP-1%というものから、投資の減速のような動態的な要因も考慮した場合には2030年にはGDP-6%という程度にまで及ぶ。実際、(それほど複雑ではなく、それほど急ぎでもない)FTA交渉に関する経験からは、イギリスとEU、そして主要な通商パートナー間での新たな通商条件の交渉はおよそ10年はかかりそうである。この間、おそらくイギリスは何らかの形でEUと「連携」する中間的な経済体制に落ち着かざるを得ないだろう。これは、完全な市場アクセスはあるが、独立性も影響力も持たない、という一般的な欧州経済地域(EEA:アイスランド、リヒテンシュタインおよびノルウェーが加盟)に基づくものになろう。

しかしながら、EU、特にイギリスにおける国際的な投資家の上位に位置づけられる日本の投資家は、EU全域における戦略の調整を検討せねばならなくなった。ロンドンのほとんどの企業は金融センターと、より大きなEU市場への入り口の役割を担っている。

過去20年間にわたり、英語圏であるロンドンは、本部機能、関連するサービス部門とR&Dを置くための最良のロケーションであり、ますますハーモナイゼーションが進む「EMEA(欧州、中東、アフリカ)」市場に対するサービスの拠点の機能を果たしてきた(【表1】参照)。他方、ドイツや他の多くの大陸側のロケーションでは、ほとんどの投資は製造、テクノロジー、販売サービスに向けられている。したがって、日本の投資家(事業へ投資する企業を含む)にとっては、ブレグジットにより、イギリスにおける現在の事業の展望が影響を受けるだけでなく、欧州における長期的な投資の計画・戦略が一般的に脅かされると言える。

【表1】:イギリス・ドイツにおける日本のM&A案件(2011-2016年)
【表1】イギリス・ドイツにおける日本のM&A案件(2011-2016年)
出典:ブルームバーグ(2016年5月)

ブレグジットはサプライチェーンを分断し、EUにおける日本企業の組織構造全体に影響を及ぼすものの、その影響を少なくするためにイギリス市場から脱出し他のEU加盟国へと駆け込むことは、今すぐにとるべき選択肢ではない。というのは、地理的な利点のあるロンドンの代替は容易に見つけられないからである。長期的には、ブレグジット後のイギリスとEUの政治的ダイナミクス次第では、投資家が大規模な移転も含めたEU市場全体向けの新たなビジネス戦略を検討し始めるかもしれない。おそらく、現地企業以上に、日本の国際投資家こそが、イギリス市場を可能な限り開放的かつ連続性あるものにしたいと考えているだろう。例えば、スイスはすでに、積極的なメンバーにならずともEUにおけるグローバル化と統合に寄与するモデルケースがあり得ることを示している。イギリスは、移民に開放的になり海外投資家に対して支援を行うなどの点において、このモデルから様々な教訓を得ることができる。

企業や政府は、EU統合のプロセスの継続をできる限り支援せねばならない。これは、最も重要な市場が崩壊しないようにするためだけでなく、大体成功している欧州のグローバル化、協力、そして統合のモデルを生き延びさせるためにも必要である。結局のところ、日本の製品と投資もグローバル化の成功に依存しているのであるから、日本にとってEUは市場としてだけでなく、アジアの統合の成功モデルとしても必要なのである。通商合意や国際標準策定だけでなく、研究、イノベーション、教育、学生の交流、地域平和、そしてODAのイニシアティブ等における未来志向の政策についてEUと協力することが、これまで以上に重要になろう。

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【調査・研究】


Martin Schulz(マルティン・シュルツ)
株式会社富士通総研 経済研究所 上席主任研究員
1989年 ベルリン自由大で政治学修士、1990年 経済学修士を取得、1996年 同大学で博士号(経済学)を取得。1998年まで同大の政治経済研究所助教授。1996年以降、英国バース大学、イタリアのバリ大学、ポーランドのシュテティン大学、ベルリン社会科学学術センターにて勤務。1991年~1993年 東京大学社会科学研究所研究員。1997年 立教大学経済学部奨励研究員。1998年~2000年 東京大学社会科学研究所研究員および同大学経済学部研究員。一方、1998年~1999年には日本銀行金融研究所に滞在。2000年7月 富士通総研経済研究所入社。
専門:国際経済、企業戦略、対外投資など。
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