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量的・質的金融緩和(QQE)からマイナス金利へ -実験的金融政策の評価と課題-

2016年4月26日(火曜日)

黒田東彦総裁率いる日本銀行が、2013年の4月に量的・質的金融緩和(以下では英文略称のQQEを用いる)という名の大胆な金融緩和を開始して3年余りが経った。そして、この間に日本経済とQQEに対する人々の見方は大きく変わってしまった。3年前には、急速に進む円安、株高などを背景に、市場関係者だけでなく多くの国民の間にもQQEへの賞賛の声が鳴り響いていた。15年に及ぶデフレの終わりが見えたためか、企業経営者たちは日本企業、日本経済復活への自信を取り戻しつつあるようだった。

しかし、今や円安、株高も勢いを失い、当初2年間で達成するとされていた2%の物価目標は「これから2年経っても実現しないだろう」と思われている。国民一般からは「アベノミクスと言っても、自分たちの給料は増えないのに円安で物価だけが上がり、生活はむしろ苦しくなった」との不満の声が聞かれる。円安、原油安で企業収益は過去最高と言いながらも、実質GDP成長率0%台の低成長が続き、日本企業の競争力が本当に高まったのかは疑わしい。アベノミクス、クロダノミクスを囃して日本株高を演出した外国人投資家からも、日本経済復活への期待は聞かれなくなった。それどころか、少し前にマイナス金利導入で「だまし討ち」に会った金融機関の間には、日銀に対する憾みが渦巻いているように感じられる。

どうしてこんなことになってしまったのか? 筆者は、すでに本欄ではいくつかの論点について述べたことがあるが、以下では詳しい理論的な説明や、データによる検証は抜きにして、この3年余りの経験を大きな流れとして振り返ってみたい。物事には、鳥瞰図の方がよく見えることもあるからだ。

1. QQEは「短期決戦」だった

繰り返し述べてきたことだが、筆者のQQEに対する基本的な理解は「実験的政策だ」(例えば、QQE導入直後の13年6月の本欄「「異次元金融緩和」とアベノミクスの行方」を参照)ということにある。これはなかなか理解してもらいにくいのだが、恐らく多くの人が「QQEでマネタリーベース目標を掲げた日銀はマネタリズムを信じている」と思っていることに誤解の源泉があるのだろう。確かに、マネタリーベースを増やせば、(預金等も含む広義の)マネーストックが増えたり、インフレ期待が高まったりして、物価上昇に繋がるとシンプルに信じている「リフレ派」と呼ばれる人たちはいる。黒田氏が日銀総裁に指名されたのは、安倍普三首相を取り巻く彼らの推薦によるものとされているし、日銀執行部内でも岩田規久男副総裁などは代表的なリフレ派の1人として知られている。しかし、こうしたリフレ派の「理論」なるものは経済学界の主流派からは相手にされていないし、聡明な黒田総裁本人や日銀のスタッフたちがそれを信じていたとも考えられない(注1))。つまり、こうした思惑の異なる2つのグループの合作によってQQEが演じられたことで、多くの混乱が生まれたように思う。

それでは、黒田総裁やそれを支える日銀のスタッフたちは、マネタリズムを信じてもいないのに、何故マネタリーベース目標を中核に置いたQQEの実験を始めたのだろうか? それは、(1)理論的にはともかく、米国のQEの経験などからは量的緩和が自国通貨安に繋がる可能性があり(為替市場には、マネタリーベースの動きを基に相場を判断する「ソロス・チャート」を使う人が少なくない)、(2)とりわけアベノミクス前の1ドル=80円の相場が1ドル=100円前後とされる購買力平価と比べて「過度の円高」だったことを踏まえると、市場に大きなショックを与えれば急激な円安もあり得ると踏んだからだろうと筆者は考えている。

もし仮に大幅な円安さえ実現すれば、輸出が増えて景気は良くなる。また、輸入物価上昇によってインフレ率も高まる。もちろん、円安による物価上昇は一過性のものだが、企業収益が改善して賃金も増えるならば、結果的に景気と物価の「好循環」に繋がる可能性があった。経済理論的に言えば、「悪いデフレ均衡」から「良い均衡」へのジャンプであり、ショック療法としての大胆な金融緩和はそのジャンプを促すbig push政策だということになる。過去15年近く、様々な試みにもかかわらずデフレから抜け出せなかったことを考えれば、この実験に賭けてみることには一定の合理性があったのだと思う。

このことは、しかし、QQEが成功するのは以下の3つの理由から「短期決戦」の場合に限られるということを意味する。まず第1に、これはすでに多くの識者が指摘している点だが、毎月7兆円(14年10月の追加緩和以降は毎月10兆円)もの国債を買い続ける政策は、当初の2年間で目標を達成できれば良いが、5年も6年も続けられるものではないということである。市場にショックを与えるにはできるだけ大規模な政策が望ましいが、その場合は政策の持続性が損なわれるというトレード・オフがあることになる。第2に、元々マネタリーベース目標には明確な理論的根拠はなく、心理的なショック療法だったのだから、時間が経てば馬脚が現れる心配があった。実際、「預金や貸出はあまり増えていない」とか、「ポートフォリオ・リバランスはほとんど見られていない」といった批判は比較的早期から聞かれたし、期待インフレ率が上がったのは事実だとしても、その程度はリフレ派の触れ込みからは程遠いものだった。第3に、こちらは最も理解されていない点であるが、QQEは日銀が国債を高値で買い、安値で売る(売らない場合は、当座預金に利子を払う)仕組みだから、QQEが終了する「出口」において日銀が巨額の損失を蒙ることになる(これは結局、国民負担となる)。この損失額は、国債購入規模が大きいほど、そしてQQEが長く続くほど大きくなるのだ(注2))。

2. 緒戦は順調だったが、長期戦で戦局は悪化

こうして始まったQQEの実験だが、緒戦の成果は驚くほどポジティブなものだった。円安、株高のスピードは大方の期待を上回るものだったし、予想外に輸出が伸びないという失望はあったが、他方で(潜在成長率低下の結果とは言え)思いのほか早くに完全雇用が達成され、このことは物価面にプラスに働いた。このため、QQE導入から1年後の14年4月には消費者物価の上昇率が(消費増税の影響を除いて)+1.5%に達したのである。その時に筆者が思い付いたのは、速やかに勝利宣言を出してQQEの規模縮小(テーパリング)を始めるという、「勝ち逃げ」策であった(14年11月の本欄「異次元緩和「勝ち逃げ」のすすめ:詳説」参照)。物価目標の2%には乗っていなくても、元々理論的根拠を欠く政策で2%ちょうどを狙うのは無理筋であり(最近のバーナンキFRB前議長の表現を借りれば、量的緩和はcalibration=定量的な予測が難しい(注3))、四捨五入で2%になれば御の字、テーパリングで多少円高になったとしても長期戦に陥るよりはマシと考えたのだ。

しかし、当時の日銀は緒戦の成果を過信して、2%目標の早期達成に楽観的だったためだろう、「勝ち逃げ」策は採らなかった。むしろ14年夏からの原油安により目標達成が苦しくなると、国債購入額を毎月10兆円に増やす追加の金融緩和(10月末に実施されたことから「ハロウィン緩和」と呼ばれた)で立ち向かった。その結果、再度の円安、株高となったため、一部からは当初のQQEとともに「黒田バズーカ2」などと高く評価されたが、円安による物価高に苦しむ一般国民からはむしろ不評を買うことになった。それだけでなく、長期金利上昇の心配が無くなる中で、安倍首相は衆議院の解散とともに15年10月に予定されていた消費再増税の先送りを決め、日銀にとっては出口への不安を募らせる結果となった。この頃をターニング・ポイントに、QQEを巡る戦局は徐々に悪化して行く。

その後の展開は、日銀にとって試練の連続であった。まず影響が大きかったのは、言うまでもなく原油安である。一時期は1バレル=100ドルを超えていた原油価格が14年後半に急落した後、しばらく平穏を保っていたが15年末から16年初に掛けて再度急落し、一時は30ドル割れとなった。この結果、日銀は「展望レポート」のたびに物価見通しの下方修正を余儀なくされ、2%目標の達成時期も繰り返し先送りされた。しかし、原油安だけであれば、事態はそれほど致命的ではなかったと思われる。物価上昇のタイミングは遅れるとしても、誰も予想できなかった前提の変化の結果であり、エネルギーの影響を除いてみれば「物価の基調はしっかりしている」と主張できたからだ。

日銀はすべてを原油安のせいにしたがるが、本当の敵は「日本の企業」だったのではないか。円安と原油安の恩恵をダブルで受けて史上最高益を大きく更新する中で、安倍首相を先頭に政府が露骨な圧力を掛けたのだが、それでも設備投資はあまり伸びず、賃上げ幅も僅かにとどまった。筆者の言うところの「企業のブラックホール化(=すべてを吸収し何も放出しない)」である。物価が基調的にプラスに転じてもなかなか経済成長に繋がらないのは、潜在成長率が0.5%未満に下がっているためだが、その背後には労働人口の減少だけでなく、日本企業の競争力劣化、生産性鈍化がある。企業収益好調、人手不足深刻化の中での労働組合の賃上げ要求への及び腰は、筆者にとって大きな驚きだったが、労働者たちは、企業の競争力の衰えに気付いていたのかも知れない(注4))。定昇を除いたベア率は、14年+0.4%、15年+0.6%程度と徐々に伸びを高めていったが、16年にはむしろ+0.3~0.4%程度に低下した可能性が高い。筆者は、賃金さえ着実に伸びを高めて行けば、原油安が落ち着いた後にインフレ率がもう一度2%に接近する局面が来る、その時こそテ―パリングのチャンスだと思っていたのだが、そのシナリオすら実現しそうになくなってしまった。

しかし、問題はそれだけではない。日銀は市場との関係でもいくつもの困難を抱えることとなった。1つは、身から出た錆と言うべきだが、市場とのコミュケーションに不全を来たしたことである。その大きなきっかけは、ハロウィン緩和の際、直前まで政策対応は不要だと言っておきながら、突如として追加緩和に踏み切ったことにある。これは、フォワード・ガイダンスという形で、市場との丁寧なコミュニケーションを前提に進めていく、現在の金融政策の国際標準に反するものだ。当然、日銀からの情報発信のフォローと分析を業とするエコノミストやアナリスト達の憤激を買うこととなった。その後も、物価見通しを何度も下方修正しながら一切反省を示すことなく、「QQEは所期の成果を挙げている」などとして、強気見通しばかりを繰り返したことで、彼らは日銀の説明に信を置かなくなって行った。

もう1つは、日銀は「弾薬切れ」だとの見方が拡がったことである。ハロウィン緩和後の日銀の保有国債の年間純増額は80兆円、新規の国債発行の2倍以上と限界まで規模を拡大した一方で、2%目標の達成時期はどんどん遠のいて行った。元々この規模を何年間も続けることが無理なことは誰の眼にも明らかだったが、IMFのエコノミストたちが「QQEは17~18年にも限界に達する」という内容の論文(注5)を公表すると、それをきっかけにもう追加緩和は難しいとの見方が拡がって行ったのである。さらに、ハロウィン緩和から1年後の15年10月に、追加緩和期待が高まる中で物価見通しを下方修正しつつ金融緩和が見送られたことも、「弾薬切れ」を裏付けるものと解釈された。

3. マイナス金利導入:起死回生の策も不発

2016年の年が明けると、前年末からの原油価格下落が勢いを増し、これを受けてインフレ期待を示す指標にも低下が目立った。一方で、中国経済の減速懸念などを背景に、世界の金融市場には大きな動揺(日本にとっては円高、株安)が走った。それでも何の対応を打たなければ2%目標達成へのコミットメントを疑われると考えただろう。この時に日銀が打ち出したのが、日銀当座預金の一部にマイナスの金利を課すという、起死回生の策の導入だった。別稿(16年2月の本欄「マイナス金利の導入:背景・評価・課題」)でも述べたように、筆者はマイナス金利政策の導入自体は評価している。政策波及ルートのはっきりしないマネタリーベース目標と違って、マイナス金利がイールド・カーブを全体に押し下げる効果は明白だし(事実、長期金利は低下し、住宅ローン金利も引き下げられた)、限界が近づいていた国債大量買入れよりも持続可能な政策である点に疑いはない。機動性が持ち味の金融政策にとっては、海外からのショックなど予期せざる事態に使えるカードを常に用意しておく必要があり、いざとなれば金利のマイナス幅拡大という手段を手に入れたことは重要である。

だが、当然ではあるが、マイナス金利といえども万能の策ではない。厳密な意味での金利のゼロ制約からは逃れたとしても、現金にマイナス金利を課せない以上、マイナス金利の拡大には限界がある。他国に比べて治安がよく、現金決済の習慣も強く残っている日本では、小口預金の金利がマイナスになれば大量の現金が引き出されてしまう可能性が高い(注6))。恐らく-1%さえ難しいのではないか。だとすると、マイナス金利導入前でも長期金利が0.2%程度だったことを考えれば、マイナス金利の景気刺激効果を過大評価することはできないだろう。また、間接金融のウェイトが高い日本や欧州大陸諸国では、金融機関の収益悪化に繋がるマイナス金利は、金融機関の融資拡大へのインセンティブを殺いでしまうという問題もある(注7)。

また、マイナス金利導入にもかかわらず、マネタリーベース目標を残して「マイナス金利付きQQE」などと称しているのも意味不明である。当座預金を増やすことを目的とするマネタリーベース目標と、当座預金の増加にペナルティを課すマイナス金利が正反対のものであることは明白だろう。しかも、将来に発生する莫大な損失の拡大を抑制するための千載一遇のチャンスをも逃してしまったことになる。日銀は非常識な高値で国債を買うことで、少なくとも当面マネタリーベースの増加を図る構えだが、これは日銀の損失をさらに増やして、債券ディーラーに鞘取りを許す政策に他ならない。

しかも、過去2回の「黒田バズーカ」同様、今回もサプライズを狙ったことの代償は想像以上に大きなものだった。1つは、消費者心理が悪化したことである。預金金利の低下はほとんど無視し得る程度だったにもかかわらず、十分な説明もないままに理解し難い政策が導入されたことで、高齢者を中心に将来不安を惹起してしまったものとみられる。もう1つは、金融機関からの反発が極めて強かったことだ。マイナス金利はスプレッドの縮小を通じて金融機関の収益悪化要因となるため、ある程度の反発は仕方ない面もある。だが、それ以上に、直前まで手持ち国債を売って当座預金に資金を積み上げることで日銀のマネタリーベース増加目標に「協力してきた」金融機関には、何の予告もなく不意打ちに行われた政策変更(金融機関は、マイナス金利に対してシステム対応の準備もできていなかった)が「裏切り」との印象を与え、感情的な反発を招いたようである。

さらに、マイナス金利導入のタイミングが世界的な金融市場の動揺と重なるという不運もあった。マイナス金利政策の発表直後に大幅な円高、株安が進んだことで、あたかもマイナス金利が円高、株安を招いたかのような誤解を与えた。日銀は、マイナス金利はいずれ景気や物価にプラスの効果を及ぼすと考えており、この点は筆者も同じ見方である。しかし、上記のようなマイナス金利導入の進め方やタイミングの悪さから、マイナス金利導入も直ちに起死回生の策とはならず、実際に効果が眼に見えてくるまでにはしばらく時間が掛かりそうである。その間、原油安に伴う消費者物価前年比のマイナス転化やインフレ期待の低下など、日銀にとっては厳しい環境が続いている。それでも、いたずらに新たな政策を打ち出すより、まずは消費者や金融機関の理解を得ることに力を入れて行く必要がありそうだ。

4. QQEが明らかにしたこと

このように、QQE開始から3年余りという現時点で実験の結果を振り返ると、とくに緒戦において一定の成果を収めたことは確かであるが、当初目標に掲げた2%インフレの達成は遠のく一方で、様々な工夫と努力にもかかわらず日銀が使い得る政策手段にも限界が強く意識され始めている。その意味でQQEの実験が成功であったと言うことは難しいが、実験というものは成功であれ失敗であれ、何か新たな認識をもたらしてくれるものである。筆者の見るところ、QQEの実験が明らかにした最も本質的な認識は、「日本経済の長期低迷の本当の原因はデフレではなかった」ということだと思う。確かに、現在も2%インフレは達成されていないが、この2%というのは、リーマン・ショックのような負のショックが経済を襲った時に金融政策の対応余地を作り出すための「保険」である。この保険部分は何とか確保することが望ましいが、それが実現できてないからと言って、物価が基調的にプラスで推移している限り、そのことが経済成長などに大きなマイナスの影響を及ぼしているとは考えられない(注8)。

QQE開始前には、デフレさえ終われば日本経済に高成長が戻って来るという、リフレ派の主張を信じる人も少なくなかったが、結局、デフレが終わっても低成長から抜け出すことはできなかった。安倍政権下3年間の平均成長率は僅か+0.7%に過ぎず、12四半期中5四半期までがマイナス成長だった。だが、潜在成長率が0%台前半(日銀の推計では0.2%、内閣府推計は0.4%、ちなみに3年前の内閣府の推計値は0.8%だった)まで低下していることを考えれば、これは驚くことでも何でもない。低成長を不況と誤解する向きも少なくないが、14年前半から一貫して完全雇用(有効求人倍率でみればバブル期並みの人手不足)が続いている以上、潜在成長率が高まらない限り、成長率は上がりようがないのである(注9)。

潜在成長率の低下には、労働人口の減少が大きく影響しているのは事実(日本の成長率を生産年齢人口1人当たりでみれば、「失われた20年」の間も米欧に劣るものではなかった)だが、足もとは女性や高齢者の労働参加の高まりで就業者数自体は増えているので、原因を人口だけに求めることはできない。先にも述べたように、企業がキャッチアップ時代の成功体験から抜け出せず、競争とイノベーションの環境変化に対応できていないことが、競争力、生産性の低下に繋がっている可能性が高い。そのことが、過去最高の企業収益の下でもなかなか賃上げが進まず(労働組合の賃上げ要求自体が及び腰)、経済の好循環、ひいては持続的な物価上昇に繋がって行かない最大の理由ではないかと筆者は疑っている。

こう考えると、日本経済再生に必要なのは金融緩和に過度に負担を掛けるのではなく、アベノミクスで当初掲げられた「3本の矢」のうち、「第3の矢」=成長戦略によって潜在成長率を高めて行くことが極めて重要ということになる。ただし、ここで成長戦略と言う場合、規制緩和などだけではなく(もちろん、安倍政権において農協改革やTPP交渉の妥結は重要な前進だと高く評価するが)、日本企業の形を変えて行くことが不可欠だと考えている。日本の企業システムの中核にあるものは、法律や規制の結果ではなく主に民間の慣行からなる「日本的雇用」だ(注10)。安倍政権が掲げる「同一労働・同一賃金」などを柱とした働き方改革が実効あるものとなって行くことを期待したい。

5. QQEが隠していること

以上がQQEの実験が明らかにしたことだが、その一方で、QQEが隠している問題もある。QQEは、物価目標がなかなか達成されずに大量の国債買入れが続く限り、コストの見えにくい政策だ。だからこそ、QQE導入の当初は、誰もがその大胆さに驚いたにもかかわらず、効果が十分でないとなると「もっと大胆な政策を」といった意見が出て来るのだろう。しかし、いつの日か2%目標が達成され、日銀の国債大量購入が終われば、長期金利が大幅に上がり、それは金融システムの不安定化に繋がり得る(長期金利上昇のダメージは、日銀の「金融システムレポート」が示すように、メガバンクより地方銀行や信用金庫などで大きい)。

また、前記のように日銀自身が長期にわたって巨額の損失を蒙ることとなる。その累計は数十兆円のオーダーに上るとみられるから、消費増税を含めたアベノミクスの下での税収増加よりも大きい。加えて、物価目標達成=QQEの「出口」までに財政健全化の目処が立たなければ、2010~12年の欧州債務危機の経験のように、長期国債の金利が5%を大きく超えて上昇するリスクがある。そうなれば、政府債務残高/名目GDP比率でギリシャをも上回る日本にとっては、本格的な財政・金融危機の引き鉄となり得る(注11)(以上の点については、拙稿「日本経済新聞 経済教室「緩和『出口』へ信認確保を」」を参照)。

にもかかわらず、そのことへの危機感が市場にも国民にも乏しいのは、まさにQQEが長期金利を抵位に抑えつけているからに他ならない(マイナス金利導入以降、10年債の金利がマイナスとなっているのだから、それも不思議はない)。そしてQQEが問題を隠していることは、政治家や有権者の行動に歪みをもたらす。政治家が必要な増税を避け、バラマキに走りがちなのは万国共通である。有権者とて、増税が避けられるものなら「止めて欲しい」と答えるのは当然だろう。

だが、日本の財政の実状は、現実的な成長率を前提にすれば、2020年度のプライマリー・バランス黒字化さえ極めて難しいというものである(この点について詳しくは、15年6月の本欄「「日銀レビュー」が語る不都合な真実」を参照)。そもそも付加価値税率20%台が普通の欧州諸国よりも遥かに急速な高齢化が進む中で、1桁の消費税率で済むと考えることの方が非常識ではないか(それとも、米国のように国民皆保険さえ存在しない社会で良いのだろうか?)。そのような状況で、もう一度消費増税を先送りする可能性が高まれば、普通は長期金利が大きく上昇することで警告が発せられる筈だが、QQEがそのシグナル機能を麻痺させているのだ(注12)。その結果としての財政規律の弛緩こそ、QQEがもたらした最大の副作用ではないかと筆者は考えている(一方、マイナス金利の評判が悪いのは、そのコストが眼に見えるからであり、逆説的な言い方になるが、それはむしろマイナス金利政策のメリットではないかと思う)。

6. 柔軟で透明性の高い政策運営を

QQE導入直後から主張してきたように、筆者はQQEという実験に踏み切ったこと自体は高く評価している。しかし、実験的な政策である以上、絶えず結果を検証しつつ、必要とあれば柔軟に見直して行くことが不可欠なことは、当然だと考える。にもかかわらず、十分な検証なしにマネタリーベース目標などの当初の枠組みに固執してきたことが、現在の行き詰まりを招いたのではないか。そう考えると、日銀がまず行うべきことは、QQEないしマイナス金利付きQQEによって、何ができ、何ができなかったかについて、虚心坦懐に検証を行うことだろう。そして、独善的主張を繰り返すのではなく、過去の検証を踏まえた率直な意見交換を行うことが、市場とのコミュニケーションを再建する第一歩ともなる筈である。また、出口における日銀の損失や、財政健全化が進まない場合の危険など、都合の悪い材料を隠してはならない。「出口の議論は時期尚早」などと議論自体を封印するのではなく、QQEの出口でどのような困難が待ち受けているのかを国民の前に明らかにすることが必要だ(FRBはテーパリングを始める前に、スタッフ論文の形で出口においてFRBが蒙る損失額についての試算を公表していた)(注13)。

これまでの実験結果の検証を踏まえ、さらなる金融緩和のコストとベネフィットを明示した上で、どのように政策を進めて行くべきか、しっかり議論する必要がある。ちなみに、筆者個人の意見を言えば、最早長期戦が不可避となった以上、(1)将来のコストを抑制するためにマネタリーベース目標は廃棄して、(2)マイナス金利を使って粘り強く金融緩和を進めつつ、(3)政府とも協力して企業・労働者に賃金引上げを要請していく(一種の「逆所得政策」)ことで、時間は掛かっても2%の物価目標達成を目指すというものである(日本のように潜在成長率に低い国こそ、2%の保険は確保したい)。もちろん、結果として筆者の意見が採用されるとは限らない。しかし、とにかく密室裡に練られた政策によってサプライズを狙うのではなく、透明性の高い政策運営が重要であることは、これまでの経験で十分に明らかになったと思う。

注釈

(注1) : 学界主流派の見解としては、例えば植田和男「非伝統的金融政策、1998年~2014年」(日本金融学会会長講演、2014年)を参照。
黒田総裁や日銀スタッフがシンプルなリフレ派の「理論」を認めていないことは、黒田東彦「非伝統的金融政策の理論と実践」(国際経済学会の第17回総会における講演、2014年)、雨宮正佳「量的・質的金融緩和の成果と課題」(『証券レビュー』、2015年)などで明示されている。

(注2) : この問題に関する初期の試算としては、岩田一政・日本経済研究センター『量的・質的金融緩和の効果とリスクを検証する』(日本経済新聞出版社、2014年)がよく知られている。より最近の試算には、藤木裕・戸村肇「『量的・質的金融緩和』からの出口における財政負担」(TCER Working Paper、2015年)がある。また、細かい計算よりも基本的なロジックを理解するには、深尾光洋「量的緩和、マイナス金利の財政コストと処理方法」(RIETIディスカッションペーパー、2016年)が良い。

(注3) : バーナンキ氏が所属するブルッキングズ研究所のサイトに掲載しているコラム、“What Tools does the Fed Have Left, Part2”http://www.brookings.edu/blogs/ben-bernankeを参照。

(注4) : この問題については、近く稿を改めて論じる予定であるが、例えば法人企業統計によれば、昨年10~12月の製造業大企業の経常利益は前年比で明確な減益となっていた。この時期は、まだ前年対比では円高になっていない筈である。円安が止まっただけで減益になってしまうのは、円安、原油安の下駄を除いてみれば、驚くほど「稼ぐ力」が身に付いていなかったことを示している。

(注5) : Arsnalp-Botman:“Portfolio Rebalance in Japan: Constraints and Implications for Quantitative Easing”, IMF Working Paper, 2015。なお、岩田一政「日銀の量的・質的金融緩和:持続可能はあと2年」(日本経済新聞「経済教室」欄、2015年11月)は、限界が来るのはもっと早いと主張していた。

(注6) :例えば、米国のスーパーマーケットで100ドル札を出しても簡単に受け取ってもらえないが、日本の飲食店で10万円を現金で払ってもむしろ歓迎されるだろう。比較的大幅なマイナス金利政策が行われている北欧諸国などは、米国以上に現金を使うことが少ないという。こうした制度・習慣の違いを考えれば、日本でも-2%、-3%が可能だとの主張は到底信じられない。

(注7) : この問題を考慮すると、マイナス金利政策を補強する策として、貸出支援基金(金融機関の貸出増加に対して日銀が低利でリファイナスを行う制度、現行の適用金利は0.0%)にマイナス金利を適用する案が考えられる。貸出金利がマイナスになることはないとすれば、これは金融機関の利鞘を拡大させることで与信へのインセンティブを与える。また、預金へのマイナス金利と違って、現金の流出という問題も発生しない。「マネタリーベースを何十兆円も増やす」とか、「量、質、マイナス金利で3次元の緩和!」といった大向う狙いの政策(実は、ロジックははっきりしない)とは大きく肌合いの違う政策だが、本当は筋の良い政策ではないかと筆者は思う。

(注8) : この点、かつて日本のデフレに強い警鐘を鳴らしたクルーグマン教授も、今では日本が完全雇用にあることや、デフレの下の経済成長は米欧に劣るものではなかったことを指摘し、デフレそのものの弊害はあまり大きくなかったと主張し始めている。Krugman:“Rethinking Japan”, New York Times, Oct 2015。

(注9) :日本経済研究センターのESPフォーキャスト調査によれば、15年度の実質成長率に関する民間コンセンサスは+0.70%であり、16年度については+0.93%と予想されている。いずれも0%台の低成長ではあるが、潜在成長率をはっきり上回っており、景気=現実の成長率と潜在成長率の差と考えれば、景気は決して悪くない。

(注10) : 「日本的雇用」が抱える様々な問題については、15年8月の本欄「今こそ「日本的雇用」を変えよう」でかなり詳しく論じた。興味ある読者は是非参照いただきたい。

(注11) : 日本の財政の危機的状況に関する専門家の分析としては、例えば小黒一正『財政危機の深層』(NHK生活新書、2014年)、伊藤隆敏『日本財政「最後の選択」』(日本経済新聞出版社、2015年)等を参照。

(注12) : それにしても、個人消費の弱さを強調して増税への懸念を示すエコノミストが少なくないのはどうしたわけだろうか? 日本の潜在成長率が0.5%もなく、かつ労働分配率が下がっているのだから(労働分配率の低下は近年の世界的傾向だが、日本の足もとについては円安の影響が大きい)、個人消費が伸びないことに何の不思議もない。経済成長率の需要側からの寄与度を計算して、「個人消費が伸びないから成長率が低い」などと、あたかも因果関係のように主張するのは、経済分析として初歩的な誤りである。

(注13) : Carpenter et al.:“The Federal Reserve’s Balance Sheet and Earnings: A premier and projections”, Finance and Economics Discussion Series, 2013。この点に関しては、河村小百合「米連邦準備制度の正常化戦略と今後の金融政策の考え方」(『JRIレビュー』、2016年)をも参照。

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【調査・研究】


早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。
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