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マイナス金利の導入:背景・評価・課題

2016年2月17日(水曜日)

1. QQEの枠組み変更

1月末の金融政策決定会合において、日銀がマイナス金利の導入を決定したことは、事前にほとんど予想されていなかったこともあり、市場の内外に大きな衝撃を与えた。日銀は、この政策を「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」と名付け、「量、質、マイナス金利」の3次元で強力な金融緩和を行うことができるとして、13年4月以降3年近く続けてきた量的・質的金融緩和(別名「異次元緩和」、以下では英文Quantitative-Qualitative Easingの略称を使ってQQEと呼ぶ)の延長のように装っている。しかし、QQEの最大の眼目は金融政策の操作目標の従来の金利からマネタリーベースに変えたことにあるのだから、QQEの枠組み上での追加金融緩和というのであれば、マネタリーベース目標(従来は年間約80兆円の増加)が拡大しなければならないはずだ。しかし、今回この目標の増額は見送られ、その代わりに日銀当座預金の一部に0.1%のマイナス金利を付すことが決められた(注1)。先行きについても、黒田総裁自身がこの決定直後の講演において、必要な場合には金利のマイナス幅のさらなる拡大による追加緩和の可能性を示唆している。結局、これは従来のQQEから金利ターゲットへと枠組みが変更されたと解釈すべきであろう。

直前まで黒田総裁がマイナス金利の導入について否定的な発言を繰り返していたため、今回の決定は大きなサプライズと受け止められたが、本稿ではまず、なぜこのタイミングで日銀の政策の枠組み変更が行なわれたのかについて考察する。次いで、マイナス金利導入の効果と限界について検討し、政策目標を量から金利に変えることの意義についても説明する。他方、筆者は今回の決定にはいくつかの問題があるとも考えており、この点に触れた上で、最後に今回の政策決定後に見られた国内外の金融市場の動揺の背景についても私見を示すこととしたい。

【図】マイナス金利政策のイメージ
【図】マイナス金利政策のイメージ
出所)日本銀行「本日の決定のポイント」

2. マイナス金利導入の背景

マイナス金利導入の基本的な背景としては、QQEによる金融緩和が限界に近づいていたという事実を指摘できる。14年10月末の追加金融緩和(いわゆるハロウィン緩和)以降、日銀は毎月約10兆円の長期国債を買い続けており、償還分を控除したネットの保有残高の増加額も年間約80兆円と、新規の国債発行額(40兆円弱)を大きく上回っている。それでも、当初の目論見通り2%の物価上昇目標が2年程度で実現できたのであれば、この程度の巨額購入にも大きな問題はなかったと思われる。しかし、すでにQQE開始から3年近くが経ち、日銀の見通しでも2%達成は今から2年以上先の「17年度後半頃」とされる(しかも、民間エコノミストの中でこの見通しが実現すると考えている者はほとんどいない(注2))。巨額の購入をこれからも長期間続けるとなれば、いかに日本の国債残高が多いといっても、いずれ限界が来ることは明らかだ。筆者自身は債券市場の専門家ではないので、いつ頃限界に達するのか明言することはできないが、昨年夏にIMFがワーキング・ペーパーで「日銀による現在の国債買入れは2017~18年に限界を迎える」との分析を公表して以来、市場関係者の間ではQQEの限界への関心が高まっていた。日経センターの岩田一政理事長(元日銀副総裁)らは、政策を持続できる期間はIMFの試算よりさらに短く、17年中頃までだとの見解を示している(注3)。

こうしたQQEの限界をはっきり示したのが、昨年10月末の金融政策決定会合であった。当時は景気が予想外にもたついていただけでなく、原油価格の下落から物価下振れが懸念されており、市場では追加の金融緩和が行われるとの予想も少なくなかった。しかし、日銀がそこで出した結論は、景気・物価見通しを下方修正して、2%目標の達成時期を「16年度後半頃」まで先送る一方で、追加緩和は行わないというものだった。日銀の表向きの説明は、(1)成長率は低いが、企業収益や労働需給からみて景気回復の基調自体は損なわれていない、(2)消費者物価の前年比はゼロ近傍だが、これは原油安の結果であり、エネルギーを除いてみれば物価の基調はしっかりしているというものであり、この判断には筆者も異論はない。ただ、その背後には他の理由もあり、それは円安誘導の効果への懐疑(円安でも輸出も設備投資も増えず、賃金が上がらずに円安で物価だけ上がれば、個人消費にはむしろマイナス)に加え、これ以上の国債の買い増しは困難になっていたためだと考えられる。

筆者は、2%インフレに向けた日銀の戦いは長期戦となった以上、元々短期決戦の陣立てであったQQEをそのまま維持するのは無理であり、持久可能な政策の枠組みが必要だと主張してきた。また、マイナス金利導入の可能性についても指摘したことがある(注4)。実を言うと、その筆者でさえ、昨年の12月に「補完措置」と呼ばれるQQEを延命するための仕組みが導入されていたため、まさか1月にマイナス金利導入があるとは想定しておらず、今回の決定で大いに驚かされたというのが正直なところである。したがって後知恵にはなるが、このタイミングでマイナス金利導入が決断された背景には、以下のような理由があったのではないかと考えられる。

まず、昨年末からの一段の原油安によって、物価の下振れは避けられなくなっていた(実際、前述の通り、2%インフレの達成時期は昨年10月の「16年度後半頃」からわずか3か月で「17年度前半頃」に先送りされた)。日銀が「物価の基調」として強調する生鮮食品とエネルギーを除く消費者物価の前年比は、12月時点で+1.3%と堅調を維持していたが、インフレ期待を示す指標は、物価連動国債の利回りから計算されるBEI(ブレーク・イーブン・インフレ率)だけでなく、各種アンケート調査が示す企業や家計のインフレ予想も軒並み弱含んでいた。このため、ここで何の手も打たなければ、2%目標達成への日銀のコミットメントを疑われると考えたのだろう。さりとてQQEの限界は近い。「補完措置」の活用で小幅の国債買い増しは可能だったが、例えば年間10兆円のマネタリーベース目標増額などとすれば、むしろ市場から「いよいよ弾薬切れ」と解釈されるおそれがあった(他方で、20兆円増額とすれば、限界が早くやって来る心配がある)。こうした中で、従来否定してきたマイナス金利に踏み切る以外に選択肢はなかったのではないか。

なお筆者は、年初からの円高、株安の進行が政策変更の直接的な原因だとは考えていないが、全く無関係だとも言い切れない。1つは、この円高、株安の結果、企業が賃上げに対し一段と慎重になる恐れがあったことだ。賃上げを通じた好循環の実現を切望する政府・日銀にとって、それは何としても避けたい事態であった。もう1つ、欧州(ECB:European Central Bank)での経験などから、マイナス金利の効果は主に為替ルートを通じるものと考えられてきた。このため、仮に1ドル=120円台が維持されていた場合、ここからマイナス金利でさらに円安にすれば、漸くプラスに転じつつある実質賃金を押し下げてしまうという難点があった(これに家計の反発を強めれば、参議院選挙を控えた安倍政権にとっては大いに不都合である)。逆に言えば、年初から円高が進んだことがマイナス金利に向けて日銀の背中を押した可能性がある。

3. マイナス金利政策の効果と限界

それでは、マイナス金利政策の効果は何かと言えば、日銀も説明するとおり、短期から長期までイールドカーブを全体に押し下げることにある。そこを出発点として、為替レートや投資、消費に影響を及ぼすという政策の波及ルートが想定される。実際、マイナス金利決定直後に長期金利は0.1%を切り、住宅ローン金利引き下げなどの動きも相次いでいる。一方、QQEの最大の弱点は政策波及ルートが明確でないという点にあった。日銀のコミットメントで期待インフレ率が上がる(同時に、国債買入れで長期金利の上昇が抑制されれば実質金利が下がる)というのだが、「マネタリーベースを増やすと期待インフレ率が上がる」という根拠は理論的にも実証的にも存在しないからだ(岩田規久男副総裁は、学者時代に「マネタリーベースとBEIの相関関係」を強調していたが、その関係はQQEがスタートした途端に崩壊した)。したがって、マイナス金利政策の方がQQEより明確な政策波及メカニズムを持つことは間違いない。

しかし、政策波及ルートが明確であることと政策効果が量的に大きいことは全く別である。確かに、マイナス金利が導入されてわずか10日程度で10年国債の利回りがマイナスとなって大きな注目を集めたが、日本の長期金利はマイナス金利導入前でも0.2%程度だったわけだから、それがゼロになっても0.2%の低下に過ぎない。これだけでは景気刺激効果に多くを期待できないし、ましてや近い将来に消費者物価の上昇率が2%に届くとは到底考えられない。この点、ECBのマイナス金利政策も実体経済や物価に大きな効果は持たなかったと言われているが、ECBがマイナス金利を決めた14年中頃の長期金利をみると、ドイツでは当時から極めて低水準だったが、例えばスペインでは3%近かった。その後、スペインの長期金利は一時1%台まで下がり、同国の景気回復の一因となっている。こうした出発点の長期金利の水準を踏まえると、日本の場合、景気浮揚効果はユーロ圏以上に弱いと考えておくべきであろう。

一方、マイナス金利政策の副作用については、マイナス幅が0.1%程度に止まる限り、さほど大きくないと筆者は考えている。金融機関収益への負の影響が指摘されているが、日銀当座預金金利がマイナスになる影響は、3層構造によってマイナス金利の適用部分が10~20兆円程度に止まるとされているから、それを過度に重視する必要はない。もちろん、イールドカーブが全体に低下する結果、銀行などの利鞘は圧縮されようが、これはマイナス金利の政策波及ルートそのものであり、これを副作用と呼ぶべきではないだろう(注5)。また、マイナス金利が0.1%程度なら、個人預金に手数料が設定されるとは思えないし、日本の貸出市場の競争環境を考えれば、金融機関が貸出金利に上乗せを行うことも考えにくいからである。

4. 操作目標を金利に戻すことの意義

そして、今回政策の操作目標を金利に戻したことの最大の意義は、これによって金融緩和の持続性が確保され、必要とあれば追加の金融緩和を行う余地が生まれたことにある。繰り返しになるが、長期国債を毎月10兆円買い続けるQQEの枠組みは持続可能性が疑われていた。このため、黒田総裁が記者会見の場などで「必要があれば躊躇なく政策の調整を行う」、「資産の買い入れに限界はない」と繰り返しても、市場参加者はこれを素直に信じることはできなかったのである。これに対し、-0.1%の金利は長期間続けることが可能だし、後述のようにマイナス幅拡大には限界があるとしても、当面はまだマイナス幅拡大による追加の金融緩和が可能となった。

ここで強調しておきたいのは、政策の持続性を確保し、追加的な政策の余地を残しておくことの重要性である。3年前にQQEをスタートした時のように、本当に短期間で2%の物価目標を達成できると考えるなら、政策の持続性は問題にならない。しかし、今や日銀自身の見通しでも、これからさらに2年以上の時間が掛かることになった以上、政策の持続性を欠けば、2%目標の達成可能性自体への疑いを強めることになる。また、筆者自身は目標達成に時間が掛かるからといって、アグレッシブに追加金融緩和を行うべきとの立場ではないが、経済政策の中で最も機動性を有する金融政策においては、必要に応じて直ちに使用できる政策的カードを常に持っていることが特に重要である(注6)。現在も、米国の利上げや中国経済の減速など、特に海外情勢を巡って不確実性の高い状況にあるが、予期せざる環境変化が起きた時に直ちに対応できるのは金融政策だけである。そう考えると、今回のマイナス金利導入で日銀が追加金融緩和の手段を手にしたことの意義は極めて大きいと評価できよう。

とはいえ、マイナス金利の幅を際限なく拡大して行くことは不可能だと考えるべきである。欧州の小国では1%前後のマイナス金利となっているケースがあり、日本でも-2%、-3%まで可能だの意見もあるが、-1%でさえ簡単でないと筆者は考えている。マイナス金利に限界があるのは、原理的には現金(銀行券)にマイナス金利を課すことができない(極めて難しい)からである。中央銀行の当座預金の金利が大きなマイナスとなれば、市中銀行の預金金利もマイナスとならざるを得ないが、そうすると当然、預金者は現金を引き出そうとするだろう。銀行部門から大量の現金が引き出されれば、マイナス金利政策の効果は薄れるし、最悪の場合、金融システムの不安定化につながる恐れもある。どの程度現金が引き出されるかは、現金を使うことの手間や安全性などに依存するが、相対的に治安も良く、現金決済の習慣が根強く残っている日本では、比較的低いマイナス金利でも預金は流出しやすいと考えるのが自然ではないだろうか。さらに、預金流出以前の問題として、一般庶民の預金にマイナス金利が付く(または口座維持手数料が取られる)だけでも、国民が強く反発する結果、マイナス金利政策の追求は政治的に難しくなるかもしれない。

また、銀行与信の面でも、マイナス金利が大きくなって金融機関の収益が悪化すると、貸出金利が上昇する可能性があるし、そうならない場合でも、極めて安全な貸出先以外には貸し渋りが起こる可能性がある(現に、欧州ではすでにそうした事態が発生しているようである)。日本のように、銀行信用のウェイトの高い社会では、そうなれば景気に対してむしろマイナスに働いてしまう。マイナス幅がどこまで拡大した時に、こうした副作用が効果を上回ってしまうのか研究することはもちろん重要だが、事前に答えは分からないと考えておくべきだろう。したがって、戦力の逐次投入を嫌う黒田総裁には不幸なことだが、マイナス金利政策は効果と副作用を見極めながら徐々に進めて行く必要があるように思う(注7)。

5. 今次決定の問題点

前述のとおり、今回のQQEの枠組み変更を筆者は基本的に高く評価するものであるが、諸手を挙げて賛成とは言えない部分もある。その第1は、マイナス金利の導入がQQEの枠組み変更であることを素直に認めず、マネタリーベース目標を残したことである。マネタリーベースを増やすことを目標とするQQEと、マネタリーベースの増加にペナルティーを課すマイナス金利政策が正反対のものであることは、誰の眼にも明らかだろう。巨額の国債を買い続けなくても、長期金利の水準は十分に低い。日銀に国債を売っても、代わり金にマイナス金利が付くとなれば、金融機関は国債を売ろうとしない(一方、日銀が非常識な高値で買うなら、市場価格は歪み日銀の損失が膨らむ)だろうから、マネタリーベースの増加は難しくなるはずだ。マイナス金利の拡大による追加金融緩和の制約ともなる。日銀は3層構造の複雑な付利の仕組みを導入し、マイナス金利の適用対象を絞ることで、マネタリーベースの増加を何とか続けられるような工夫を凝らしている(注8)。しかし、これは昨年末の「補完措置」と同様、意味の定かでないマネタリーベース目標を自己目的化するものと言わざるを得ない(注9)。もはやメンツにこだわることなく、この盲腸のようなマネタリーベース目標は撤廃すべきだと思う。

第2は、過去2回の「黒田バズーカ」同様、今回もサプライズを狙ったことである。サプライズを起こせば、市場は大きく反応するので、政策が成功したような印象を与えるが、実はボラティリティーが増すだけで実体経済にはプラスに働かない。このことは、一昨年秋の追加金融緩和以降の景気・物価の動きを振り返れば明らかだろう。それ以上に、市場が日銀からの情報発信に信を置かなくなりつつある点が強く懸念される。幸か不幸か、まだ暫く2%インフレは達成されそうにないので、日銀がテーパリングを始めるのは黒田総裁の退任後になるかもしれない。そうであっても、金融緩和からの「出口」が近づけば、13年央のバーナンキ・ショック(注10)の経験からも分かるように、わずかなコミュニケーションのずれが金融市場の大きな動揺につながりかねない。その後も、イエレン議長以下FRBが市場との意思疎通に神経を磨り減らしているのは周知のとおりである。将来に負の遺産を残すことのないよう、サプライズを避けて市場との真摯な対話を心掛ける必要がある。

6. 通貨安競争への懸念

さて、日銀のマイナス金利導入もサプライズであったが、もう1つのサプライズは、これまでの「黒田バズーカ」と大きく異なり、今回の金融緩和が円安、株高につながらなかったことにある。それどころか、決定直後の2日間を別にすると、2月前半はほぼ一貫して円高、株安が続き、一時は1ドル=110円台、日経平均は15千円割れとなった。タイミングだけからすると、あたかも日銀のマイナス金利が円高、株安を誘ったかに見えるが、これは誤解である。年初からの世界的な金融市場の動揺は基本的に海外要因によるものであり、日銀が責めを負うべきものではない。

そもそも今年の年明けは、サウジとイランの対立の深刻化(これに伴う一段の原油安の進行)と、中国株の急落(昨年の強引な株価対策の反動に加え、サーキット・ブレーカーや人民元相場設定を巡る中国当局の不手際)から始まった。これらがリスク回避の動きを通じて、円高(日本円は「安全資産」と考えられているため、リスク回避局面で買われやすい)や世界的株安につながったのだ。さらに2月に入ると、米国の景気が今一つ思わしくないとの見方が拡がって(米国リセッション説といった極端な見方まであった)、FRBの利上げ継続を前提としていた為替相場形成が揺らぎ、ドル安の動き(反射効果として円高、日本株安)がみられた。細かい話では、ドイツ銀行の収益悪化が世界的な金融株下落を招くこともあった。市場には、海外要因による円高、株安に対して日本が金融緩和を行っても効果は乏しいとの見方があったが、マイナス金利決定後の相場の動きは、こうした見方の正しさを裏付けるものだったと言えよう。ただし、筆者は世界的な金融市場の動揺の背景には通貨安競争への懸念の拡がりがあると考えており、この面で日銀のマイナス金利政策も全く無関係とは言えないように思う。

リーマン・ショックで世界経済が大きく落ち込んだ時期、1930年代の教訓を踏まえれば、世界恐慌を避けるためには通貨切り下げ競争を行わないことが重要だということが、国際的に共有された認識であった。また、この認識はG7やG20等の場でも繰り返し確認された。にもかかわらず、最初にこの約束を破ったのは米国だった。米国FRBは量的緩和政策を何度も繰り返すことで不況からの脱出を図るが、すでに金利がゼロまで下がった後、金融緩和が経済を刺激するのは主として為替ルートを通じるものであり(この点は、日本のQQEの経験からも明らかだろう)、これは結局ドル安政策だった。これに対し、新興国からは批判の声が上がった(代表的なものは、当時のブラジル・マンテガ財務相によるドル安批判)が、先進国の間では「金融緩和の結果としての自国通貨安は、意図的な為替誘導ではない」ということが、暗黙の合意となった。結果、日本も欧州も米国の例に倣うこととなったが、これはいわば大人同士のポーカー・ゲームであり、直ちに大きな不安を呼ぶ結果にはならなかった(むしろ、世界的な金融緩和は株高、資源高につながった)。

潮の変わり目は、中国経済の減速や米国の金融政策の転換を背景に、原油などの資源価格が下げ足を速めた頃だっただろうか。主に2つの理由から通貨安競争への懸念が徐々に強まってきたように思う。その第1は、「これは足抜けできないゲームではないか」と思われ始めたことだ。周知のように、米国は昨年末にゼロ金利を解除して足抜け体勢に入ったのだが、それに先立つドル高が製造業等にマイナスに働き、米国経済の減速につながったとの認識が拡がった。筆者自身は、米国経済は基本的に底堅いと認識しているが、米国が足抜けを始めた途端、日欧が金融緩和を強化するとなれば、米国も再び緩和競争に巻き込まれるのではないかとの不安が市場に生まれたのだ。

それ以上に懸念すべき第2の問題は中国である。長い間米ドルにペッグしてきた人民元は明らかに過大評価にあり、昨年来、人民元相場が切り下げられているのは基本的に正しい方向である。しかし、中国は固定相場制なので、徐々に元の価値を下げて行けば必ず資本流出を招く(元売りは必ず勝つのでone way optionとなる)。実際、昨年来、中国の外貨準備は毎月数百億ドルの単位で減少を続けており、これでは一時期3兆ドル超あった中国の外貨準備といえども、いつまで持つか分からないと懸念されているのだ。円やユーロがさらに切り下がれば、中国はそれだけ苦しくなる。もちろん、人民元を一気に2~3割切り下げれば粗方問題は片付くのだが、今それが起こったら世界経済に与えるショックは計り知れないだろう。

筆者個人は、(1)通貨安競争は止める、(2)各国が構造改革に取り組み、財政面に余裕のある国は財政出動を行う、(3)中国は資本規制を部分的に復活し、資本流出に歯止めを掛ける(注11)、の3点で国際的な政策協調を進めることが最も望ましいと考えている。しかし一方で、政治的に見てこうした合意を形成するのは極めて困難だとも認識している(注12)。そうすると、2月前半の市場の混乱はさすがに極端な悲観論に基づくオーバーシュートだったと思われるので、ある程度相場の落ち着き、ないし戻りは期待できようが、当面、国際金融市場を巡る根本的な不安定要因を取り除くことは難しい(したがって、今後も折に触れて市場が動揺することはあり得る)と考えておくべきかもしれない。

注釈

(注1) : マイナス金利は2月16日にスタートした。日銀当座預金の全てがマイナス金利の対象となるのではなく、金融機関の負担を軽減するとともに、後述のようにマネタリーベースの積み増しを容易にするために、複雑な3層構造で当座預金への付利が行われることになっている。この点について詳しくは、日銀ホームページ上にある解説(PDF)Open a new windowを参照。

(注2) : 2月のESPフォーキャスト調査によれば、17年度前半までに2%の物価目標を実現できるとしたエコノミストは、37名の回答者中1人だけだった。

(注3) : Arslanalp-Botman[2015]“Portfolio Rebalance in Japan : Constraints and Implications for Quantitative Easing”, IMF Working Paper、および左三川郁子ほか[2015]、「異次元緩和の限界と出口に向けた課題」、日本経済研究センター「金融研究レポート」を参照。

(注4) : 例えば、拙稿「持久戦に入った異次元緩和」週刊東洋経済「経済を見る眼」欄(15年12月26日号)、および「『マネタリーベース』の誤解」同欄(15年4月11日号)所収。また、より直近では、今年1月13日の日本記者クラブにおける講演(PDF)Open a new windowでも、マイナス金利の可能性について明言している。

(注5) : ただし、平時の利下げによる金融緩和と非伝統的金融緩和では、金融機関の収益への影響が正反対になる点は注意すべきだろう。平時の金融緩和では、短期金利が低下する一方、長期金利はあまり下がらないので、イールドカーブはスティープ化する。これは金融機関の利鞘拡大を意味するが、だからこそ金融機関は融資に積極的になり、金融緩和効果が働くのである。
これに対し、非伝統的金融緩和の場合、マイナス金利ではなく長期債の購入による量的緩和のケースであっても、イールドカーブはフラット化し、金融機関の収益は悪化する。すなわち、非伝統的金融緩和では金利の効果に期待することはできても、金融機関の融資姿勢の積極化は期待できない。
非伝統的金融緩和が実体経済に与えた影響については、総じて限定的だったという評価が多いが、それでも英米では一定の効果がみられた一方、日欧ではとりわけ効果が乏しかったと言われる。上記のように考えると、市場型金融システムの英米に比べ、間接金融中心の日欧では非伝統的金融緩和が働くにくいということなのかもしれない。

(注6) : 伝統的な金融政策における「ゼロ金利制約」は、まさにこうした追加的アクションの可能性を失わせる点に大きな問題があったわけであり、例えば2%というゼロを上回る物価目標を掲げるのも、政策発動余地を確保する点に最大の意義が認められる(いわゆる「糊代」の必要性)。

(注7) : なお、マイナス金利に限らず、実験的な政策である非伝統的金融緩和については、実験結果を絶えず検証しながら、政策の進め方も柔軟に見直して行く必要あるというのが、筆者の持論である(例えば、14年5月のオピニオン「『異次元金融緩和』:1年後の評価」、同年11月「異次元緩和『勝ち逃げ』のすすめ:詳説(上)(下)」を参照)。

(注8) : もちろん、この3層構造には金融機関の収益悪化を緩和する狙いもある。これまで超過準備を大幅に増やして来た大手金融機関には、「日銀のマネタリーベース目標に協力している」との意識があったと聞く。基礎的残高と称して+0.1%の付利部分を残したのは、彼らに対する「だまし討ち」を避けたものだろう。

(注9) : 昨年12月に決定された「『量的・質的金融緩和』を補完するための諸措置」では、(1)新型のETF購入や(2)購入する国債のデュレーション長期化に加えて、(3)住宅ローン債権を信託方式などの形で日銀担保として受け容れることとなった。このうち(3)は、新たな担保を創り出すことで日銀に担保として提供されている国債を市場に開放し、国債購入余地を拡げる狙いを持ったものである。しかし、住宅ローン債権の信託化などは民間にとっても日銀にとっても相当手間暇の掛かるものであり、まさにマネタリーベース目標の自己目的化、延命策と言うべきものであった。

(注10) : 当時のバーナンキFRB議長が量的緩和からの「出口」を示唆しただけで、世界の金融市場が大きく動揺したことを指す。英語ではtaper tantrumと呼ばれる。

(注11) : なお、ブルームバーグの報道によれば、日銀の黒田総裁は今春のダボス会議において「個人的意見」としながらも、中国が資本規制を課すことは望ましいとの見解を示したという。

(注12) : (1)は、追加的な金融緩和の余地を制約するため、日本にとってこれを受け容れることは困難だろう。また(2)は、事実上ドイツに財政出動を促す要求であるため、ドイツが強く反発することは必至である。(3)については定かでないが、SDRへの算入が認められた直後の中国にとって、メンツの上で受け容れは難しいのではないか。

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早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。
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