GTM-MML4VXJ
Skip to main content

English

Japan

  1. ホーム >
  2. コラム >
  3. オピニオン >
  4. アベノミクス新「3本の矢」:その背景と意味

アベノミクス新「3本の矢」:その背景と意味

2015年11月10日(火曜日)

安倍晋三首相は、9月の自民党総裁再選後の記者会見において、「アベノミクスは第2ステージに入った」として、アベノミクスの新しい「3本の矢」を打ち出した。今回の第1の矢は「希望を生み出す強い経済」であり、具体的には2020年頃に名目GDPを600兆円にすることを目標とするという。第2の矢は「夢を紡ぐ子育て支援」とされ、これによって希望出生率(注1) 1.8を2020年代初頭に実現したいとする。そして、第3の矢は「安心につながる社会保障」であり、2020年代中頃には介護離職をゼロにするとの目標が掲げられている。

これらの目標がすべて望ましいものであることは言うまでもないが、あまりにも唐突に新しい目標が示されたこともあってか、その後、新聞や雑誌等に現われた評価は総じて芳しくないようである。そこで本稿では、新「3本の矢」に対する疑問や批判について整理したうえで、このアベノミクス「第2ステージ」がマクロ経済政策に対してどのような姿勢で臨もうとしているのか、あるいは望むべきであるのかについて私見を述べることにしたい。

1. 新「3本の矢」への疑問

新しい「3本の矢」への疑問や批判は、大別して以下の3点に集約することができるだろう。まず第1は、「大胆な金融緩和」、「機動的な財政政策」、「民間投資を喚起する成長戦略」から成る元々のアベノミクス「3本の矢」の総括がまだ済んでいないではないかという指摘である。周知のように、旧「3本の矢」はデフレ脱却という目標に狙いを定めた政策パッケージのはずだった。首相は「デフレ脱却はもう眼の前だ」として、第2ステージ入りを宣言したのだが、原油安の影響が大きいとはいえ、足もとの消費者物価の上昇率はほぼゼロである(正確には、生鮮食品を除くベースで9月の前年比は-0.1%)。日銀が掲げる2%のインフレ目標の実現はまだまだ遠いと見られる中にあって、なぜ今、唐突に新しい「3本の矢」が出て来るのかは、誰もが感じる疑問だろう。

第2は、新しく「3本の矢」と呼ばれたものはすべてが的(目標)であって、それを実現するための矢(手段)が示されていないという批判である。しかも、旧「3本の矢」は、デフレ脱却のために需要面、供給面の双方から考え得る対策(矢)を総動員するという意味で、賛否両論はあれ、一定の体系性を持った戦略だと評価されていた。これに対し、今回の3つの目標は相互の関連性がはっきりせず、思いつくままバラバラに目標を掲げたとの印象を与えかねない。これが、多くの国民にとっての分かり難さにつながっているように感じられる。

第3に、「3本の矢」の具体的目標である名目GDPの600兆円も、出生率1.8も介護離職ゼロも、いずれも実現性に乏しいとの見方が一般的である。まず、2020年頃に名目GDPを600兆円にするという目標は、名目3%成長を続ければ2020年度の名目GDPは概ね600兆円に達するので(注2)、これは政府が6月に定めた「骨太の方針」通りだと言われる。しかし、この「骨太の方針」に対しては、潜在成長率が政府(内閣府)の試算でも0.5%なのに、なぜ実質2%、名目3%の成長が可能になるのかとの批判が集中していた(注3)。それでも実質的に同じ目標を掲げるのならば、政府にはこれらの批判に真摯に応える義務があるだろう。

また、出生率1.8について言えば、そもそも出生率1.8では政府が別途掲げる「2050年まで人口1億人を維持する」という目標を達成できないという批判がある。それはともかくとして、現在の1.4程度の出生率は、これまで保育所増設やワーク・ライフ・バランス促進など様々な施策を重ねてきた結果、ようやく実現できた数字と考えるべきである(注4)。仮に、今後10年足らずで出生率を1.8にまで上げようとすれば、その手段は児童手当ての大幅な増額以外にないと思われるが、民主党政権の子ども手当てをバラマキだと強く批判したのは、現在の与党ではなかったか。

一方、2020年代の初頭とは、団塊世代が一斉に後期高齢者に突入する頃であり、一般にはむしろ介護離職者の急増が懸念されている時期である。だから、この時期に介護離職者をゼロにするというのは、極めて高いハードルだと言わざるを得ない。しかも、高齢者自身の希望や、財政負担の軽減の観点を踏まえて、政府はこれまで施設介護から在宅介護へという方向で介護政策を進めてきたはずである。もし介護離職をゼロにすると言うなら、今後は施設介護を重視するほかないが、それは従来の方針の大転換であるとともに、介護のための財政負担の大幅な増加を覚悟しなくてはならない。

2. 新「3本の矢」とマクロ経済政策

このように、これらの批判はいずれも的を射たものだと考えられる。以下では、まず多くの人が疑問に感じている「なぜこの時期に新『3本の矢』が登場したのか」に関する筆者の見方を紹介しよう。そのうえで、旧「3本の矢」と新「3本の矢」を比較すると、マクロ経済政策がやや後景に退いた観があるが、新「3本の矢」がマクロ経済政策にどのような意味を持つのか、またアベノミクスの第2ステージに何が求められるのか、についても考えてみたい。

まず、新「3本の矢」が打ち出された理由についてだが、政府はもちろん公式に認めるはずもないが、従来のアベノミクスの限界を認識して、方向転換を図ったものだと筆者は理解している。というのも、アベノミクスの中核は、誰もが知るように旧「第1の矢」=大胆な金融緩和にあったが、それは典型的なトリクルダウン戦略(注5)だった。それがほとんど機能していないことが徐々に明らかになってきたからである。確かに、一昨年4月と昨年10月の黒田バズーカ2発で1ドル=120円程度まで円安が進み、企業収益は大きく改善された。これに昨年来の原油安の恩恵まで加わって、企業利益は史上最高水準を更新している。しかし、今の企業部門は、まるですべてを吸収して何も放出しないブラックホールのように見える。2年連続でベースアップが実現したと言っても、定昇部分を除いたベア率は去年が+0.4%、今年が+0.6%程度に止まり、企業収益の増加幅とは比較にならない(注6)。エネルギー価格の値下がりはあっても、円安で食料品などが値上がりしているため、実質賃金の前年比は未だにゼロ近傍である。また、日銀短観などで示された企業の設備投資計画はかなりの強気だが、資本財出荷や機械受注などから見る限り、実際の投資が進んでいる様子はない。

これでは、安倍首相が期待する経済の好循環がなかなか廻らないのは明らかであり、おそらく官邸は苛立ちを募らせているだろう。このため、政府は首相を先頭にして、あらゆる機会を捉えて経済界に賃上げや設備投資の実行を促しており、筆者もこれは無理のないことだと思う。しかし、経済界の反応は総じて慎重であり、政府の試みがどの程度の実効性を持つかは定かでない。こうした中で、内閣支持率の低下や来年の参議院選挙をも意識しつつ、新「3本の矢」では家計重視の姿勢を鮮明にしたのだと考えられる。

このように新「3本の矢」では、旧「3本の矢」の中核だったマクロ経済政策がやや後景に退いた観があり、政府からは「従来の『3本の矢』は1本目に集約された」といった解説も聞かれる。しかし筆者の見るところでは、マクロ経済政策への含意については、従来物価に置かれていた「第1の矢」の目標が名目GDPに置き換わったことをどう考えるかが1つのポイントになる。というのも、実は物価目標と名目GDP目標では、為替や原油価格への金融政策の対応の仕方が大きく変わるからだ。

まず円安は、輸入コストの上昇を通じて物価を押し上げる。だが、最近のように円安でも輸出数量がほとんど増えないことを前提にすると、貿易・サービス収支で見て赤字の日本では、円安は名目GDPの増加にはつながるとは限らず、金融緩和を通じた円安誘導の意味はなくなる。一方で、原油安は物価を押し下げるので、物価目標の下では昨秋のように追加緩和の理由になり得るが、名目GDPは原油安の下で黙っていても増える。官邸がどこまで意図したのかはともかく、家計負担を重くする早期の追加緩和は望まないとのメッセージを日銀に伝えたと解釈することもできよう。果たして日銀は10月末の金融政策決定会合において経済・物価見通しを下方修正しながらも、追加の金融緩和は見送った。

最後に、第1から第3の矢で具体的に掲げられた数値に関して、目標としての性格の違いを確認しておく必要がある。上記のように、出生率1.8も介護離職ゼロも相当に極端な状況を想定するものであり、現実問題として考えれば目標の達成は極めて難しい。それでも無理に数字を達成しようとすれば、児童手当の増額にせよ介護施設の充実にせよ、大きな金額の財政的サポートが不可欠となるが、公債残高/名目GDP比率が200%超とギリシャさえ上回る日本では、これ以上財政に大きな負担を掛けることはできない相談である。だとすれば、出生率1.8や介護離職ゼロといった数字に「努力目標」以上の意味を持たせるのは難しいと考えるべきである。むしろ、民間企業にさらなるワーク・ライフ・バランスを促すなどしつつ、「一億総活躍」という名の国民運動のスローガンと位置付けるのが妥当ではないか。

これに対し、2020年に名目GDPを600兆円にするという、第1の矢の目標の意味は全く異なる。というのも、内閣府が今年6月に示した「中長期の経済財政に関する試算」では、2020年度に名目GDPを600兆円にすることとほぼ同義の名目3%成長が、国+地方のプライマリーバランス(利払い前の財政収支)を黒字化するための「前提」となっているからだ。現在の日本の長期金利は0.3~0.4%の超低水準になっているが、これは日銀が毎月10兆円もの長期国債を買い続けているためである。まだしばらく時間は掛かりそうだが、いずれ2%のインフレ目標が実現すれば、日銀の国債大量買い入れは終了し、金利が大幅に上昇して、その負担が財政に重く圧し掛かってくることになる。だから、筆者が一昨年来繰り返し強調しているように(注7)、プライマリーバランスの黒字化は、それまでに何としてもクリアすべきハードルなのだ。しかし、上記の試算によれば、仮に名目3%成長が実現したとしても、2020年度のプライマリーバランスには6.2兆円の赤字が残るということであった。だとすれば、名目GDP600兆円≒名目3%成長はまさに最低限の「必達目標」だということになる。しかも、新しい「3本の矢」は、先に述べたように日本経済の再生を金融緩和だけに依存することはできないという自覚に立つものであった。そう考えると、名目GDPを600兆円にする目標の実現には、旧「第3の矢」である成長戦略の推進によって、潜在成長力を高めて行くことが何よりも重要だという点を忘れてはならない。

注釈

(注1)希望出生率 : 希望出生率とは耳慣れない言葉だが、結婚をして子どもを生みたいと思う人の希望が叶えられた場合の出生率を指す。具体的には、
希望出生率=[(既婚者割合×夫婦の予定子ども数)+(未婚者割合×未婚者の結婚希望割合×理想の子ども数)]×離別等効果
で計算される。

(注2)2014年度の名目GDPは490.8兆円だったため、今年度から6年間名目3%で成長すれば、20年度の名目GDPは586.0兆円と600兆円まであと一歩(21年度には達成可能)となる。

(注3)筆者も、本年6月の本欄「『日銀レビュー』が語る不都合な真実」において同様の疑問を呈している。

(注4)日本の出生率は2005年の1.26をボトムに2013年には1.43まで上昇した。しかし、この時期の出生率上昇には、40歳に近づいた団塊ジュニア世代の駆け込み出産が数字を押し上げたとして、持続的な上昇には疑問が持たれていた。実際、2014年の出生率は1.42と、僅かながら10年振りに低下した。

(注5)トリクルダウン戦略: trickle-down effect 、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」とする経済理論または経済思想。「金持ちを儲けさせれば貧乏人もおこぼれに与れる」ということから、「おこぼれ経済」とも通称される。

(注6)しかも、筆者は従来、企業収益の好調振りや人手不足の深刻化を背景に、ベースアップ率は来年もさらに上昇して行くと確信していた。しかし驚くべきことに、来春の連合のベースアップ要求は「2%程度」と、今春に求めた「2%以上」を下回っている。

(注7)例えば、一昨年8月の本欄、「アベノミクスの先に待つ課題-金融緩和の後始末と財政再建

関連サービス

【調査・研究】


早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。
研究員紹介ページ