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今こそ「日本的雇用」を変えよう(4)

―税・社会保障制度と教育の改革―

2015年8月31日(月曜日)

1.税・社会保障制度の改革

戦略的補完性の克服の次には、制度的補完性の克服が必要になる。「今こそ「日本的雇用」を変えよう(2)」で述べたように、日本的雇用は日本の経済システムの中核にあり、それを前提に様々な制度が形成されているからだ(注1)。このうち、「103万円の壁」、「130万円の壁」などとして、すでに改革の議論が始まっているのが、税・社会保障制度である。これは、所得税の配偶者控除や社会保険の被扶養者制度が女性の労働参加、特にフルタイム雇用を抑制する要因として働いているというものである。夫が一定以上の所得を得ている家庭で、妻が職に就くケースを想定すると、具体的には以下のようになる。まず妻の収入が年に103万円を超えると、夫への配偶者控除(38万円)が認められなくなり、その分税金が増える。税制面はこれだけだが、多くの大企業が配偶者手当の制度を維持しており、この手当てに関しても、妻の年収103万円が上限とされる場合が多いという(注2)。また、社会保険においては、妻の収入が130万円以下であれば、夫の保険料納付により、妻の医療・年金保険もカバーされる。逆に、収入が130万円を超えると、自ら社会保険料の負担を求められるのである。

この制度の問題点は、何と言っても、女性の労働参加を抑制する効果を持つことである。年収を103万円、130万円以下に抑えるため、就業時間を短くする女性が少なくないからだ。実際、2010年の労働政策研究・研修機構の「短時間労働者実態調査」によれば、パートタイムで働く女性の4分の1超が就業時間の調整をしており、その理由として最も多かったのが、上記の103万円、130万円の壁の指摘であった(注3)。しかも、この制度の悪影響はそれだけではない。高所得の男性の妻に専業主婦が多いと考えれば当然ではあるが、所得税の配偶者控除適用割合は高所得者で高く、(夫の保険料で年金保険を支払ったと見なす)3号被保険者の比率も高所得の世帯で多い(【図表1】)。これは、配偶者控除や3号年金の制度が、所得分配の面で逆進的に働いていることを意味する。また、欧米ではパートタイムの時給はフルタイムの7~9割であるのに対し、日本では5割程度に止まる。その背後にも、年収を一定の範囲内に納めようとするパート主婦の存在が影響している可能性がある(注4)。

【図表1】夫の稼働所得階級(年収)別妻の年金加入状況
【図表1】夫の稼働所得階級(年収)別妻の年金加入状況
出所)「男女共同参画白書2012年版」

こうした問題を考えると、配偶者控除や3号年金は廃止することが望ましい。もちろん、こうした改革を行えば、年収1~2千万円で専業主婦を有する相対的に高所得のサラリーマン層の負担が重くなるため、かなりの反発が予想される。これまでの制度改革の中で、彼らの税・社会保障負担が大幅に増加してきた(一方、年収1億円超といった本当の高所得者の税率は大きく下がっている)ことを考えると、一定の配慮は求められよう。しかし、それは配偶者控除等を維持するのではなく、配偶者の労働参加を抑制しないように、所得税率そのもので対応すべきだろう(注5)。

このほか、かつては確定給付型年金が転職の大きな妨げとなっているとして、年金のポータビリティの必要が主張されていた。この問題については、確定拠出型年金が徐々に普及し始めたことで、事態は改善しつつあると考えて良いだろう(このトレンドがさらに強まることが期待される)。だとすると、残るはかなり高額の退職金でもほとんど税金が掛からない退職給与控除となる。年金ほどの重要性はないにせよ、労働移動を阻害するものであり、かつ多額の退職金を受け取るのは大企業職員と公務員だけだと考えると、退職給与控除を引き下げて、年金への一本化を促すべきではないだろうか。

2.教育制度の改革

税・社会保障制度以上に重要で難しいのが、日本の教育を変えて行くことだろう。というのも、1990年代後半の日本的雇用の「変質」以降の日本企業の人材育成は失敗であり、それが企業の競争力低下にもつながっていると、筆者は考えるからだ。これまで述べたことと若干重複するが、日本の労働者は高校や大学でまともな職業教育を受けていない。かつてはそれを正社員として雇って社内で入念なOJTを施したが、今では工場や事務の末端はあまりOJTを積んでいない非正規雇用が中心になっている。これが、日本企業の「現場の強さ」を損なっているのではないか。それ以上に問題なのは、幹部の育て方だろう。企業は、依然として幹部候補生に専門知識を求めていない。しかし、一流大学卒でも「運動部で頑張りました。勉強はしていませんが、体力と協調性には自信があります」といったタイプばかり集めて、本当にグローバル競争を戦っていけるのだろうか。強い疑問を禁じ得ない。

結局、筆者の考える教育改革は、最近論争の的となっている冨山和彦氏の提言とほとんど同じである。冨山氏は、大部分の学生が通うL大学とごく一部のエリート(しかし、その大半は日本人ではないかもしれない)が通うG大学を区別した。これは、同氏が昨年の著書(注6)で日本経済を製造業・大企業中心のグローバル経済圏(Gの世界)とサービス産業中心のローカル経済圏(Lの世界)に分けたことに対応するものだ。Gの世界はオリンピック選手のように目立つが、経済の圧倒的な部分を占めるのはLの世界の方である。だから、Gの世界の企業には精一杯頑張って欲しいが、Lの世界の生産性を高めることこそが日本経済の復活に繋がるというのが基本的な主張だった。

Lの世界はサービス業が主体だから、人材の質が生産性向上の鍵を握る。そう考えれば、Lの世界の生産性を高めるには、大部分の学生が通う普通の大学(L大学)の教育の質が問われる。しかも、普通の雇用が職務を明確化したジョブ型になるのであれば、「色に染まっていない人材をOJTで企業色に染めてもらう」ことは期待できない。後述するように、日本のジョブ型雇用は完全な欧米型ではなく、ある程度時間を掛けてジョブを決めて行く形ではないかと考えるが、それでも働き手は一定の職業能力を事前に身につけておくことが必要となる。この要求に応えるには、L大学は抽象的な学問だけでなく実戦力を教えなくてはならない(【図表2】)。一方、ごく少数のトップ校(G大学)は、世界中から研究者と学生を集めて世界最先端の研究を進めて行く拠点となる。グローバル企業のトップを目指す者には、○○大学卒の名前だけでなく、G大学で本当に世界最先端の知識を身につけることが求められるようになるだろう。

【図表2】富山和彦氏の教育改革案
【図表2】富山和彦氏の教育改革案
出所)富山和彦「わが国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性」2014年10月

G大学とL大学を上・下に差別したように受け止められたことで、冨山氏の教育改革論には感情的な反発が巻き起こっているようだ。しかし、人数で見ても付加価値で見ても圧倒的に大きく、かつ重要なのはGの世界ではなくLの世界の方だという点では、冨山氏の主張は大好評を博した前著から全く変わっていない。そして、普通の雇用がジョブ型になるのであれば、普通の大学はそれに役立つことを教えるべきだと言っているに過ぎない。従来は、企業が学歴(入学時の偏差値)を重視する一方、大学で学んだ学問内容は軽視していた結果、大学教育は空洞化した。学生は勉強せず、教師も通り一遍の授業で済ませられたのだから、お互い楽な面はあっただろう。しかし、今や大学進学率は50%だということを考えると、なんという驚くべき無駄であったことか。今後は教育の中身が問われるようになり、かつ学問を職業能力につながる形へ練り上げて行くことが求められるようになれば、教師たちが困惑するのも無理はない。しかし、それが本来の教育者の任務であり、やりがいというものではないか(注7)。

3.移行期の問題

仮に、筆者が主張するように、雇用のデフォルトが「メンバーシップ型」から「ジョブ型」と変わっていくとしても、その移行過程には相応の時間が掛かるだろうし、いくつかの困難が待ち受けているだろう。まず、上記の教育制度が変わっていくには、間違いなくかなりの時間を要する。また近年、終身雇用や年功序列を評価する意見が、特に若者の間で強まっているという事実がある(【図表3】)。人手不足が進むにつれ状況は変わっていくと思うが、「今こそ「日本的雇用」を変えよう(3)」で指摘した専業主婦志向と同様、気になる動きではある。

【図表3】年齢階級別日本的雇用システムの指示割合の推移
【図表3】年齢階級別日本的雇用システムの支給割合の推移
出所)厚生労働省「労働経済の分析2013年版」

より具体的な課題としては、まず企業には、自らの会社の仕事内容を分析して、職務規定(job description)の体系を作り上げていくことが求められる。これまで融通無碍(ゆうずうむげ)の仕事の進め方でやってきた多くの企業にとって、これは正直大仕事である。実際には、最初はやや粗い職務規定(それでも、同一労働・同一賃金が成り立つ程度の精度は必要)から徐々に精密なものとしていく以外ないだろう。また、最終的にどこまで細かい職務規定が望ましいのかも、議論の余地がある。以前にも述べたように、日本人のカイゼン意欲を活用するには、仕事の進め方まで細かく決め過ぎるのではなく、工夫の余地を残した方がいいかもしれない。また、どの職務がどの程度の報酬に見合うのか、職務給の体系を作っていくのも簡単ではない。いずれにしても、このプロセスは試行錯誤を伴いつつ、時間を掛けて進めるものとなろう。ただし、一度職務給の体系ができてしまえば、正体不明な「潜在的能力」を測るよりも、遥かにすっきりしたものになる(少なくとも時間は大幅に節約できる)のではないか。

もう1つの大きな困難は教育と職業との接合にある。日本は、これまで新卒一括採用でやって来たため、(1)新卒時の就職に失敗すると、再チャレンジは容易でないとか、(2)学校卒業時点の好不況によって、どういう会社に就職できるかが決まるため、生涯所得まで大きく違ってしまう(注8)、といった日本特有の不合理に直面してきた。しかしその反面で、欧米のように、自分がうまく入り込めるような空きポストがないと、学校を卒業してもなかなか就職できず、若者の高失業に悩むという問題はあまり無かった。雇用をジョブ型中心に変えると、教育と職業の接合は、従来より困難になることは避け難い。しかも、学校教育が大きく変わらない限り、高校や大学を卒業した時点の若者には職業知識を期待できないため、欧米のように職務をガチガチに決めてしまうと、若者の就職難が深刻化する恐れがある(注9)。多分、より現実的なのは、新卒時点では職務を細かく決めずに採用し、入社後3~4年の間に社内で自分の適性に合った職務を見つけて行くというハイブリッド型ではないかと個人的には思うが、この点の具体論に関しては企業の現場でしっかり議論していただきたい。

4.おわりに:変革の機は熟した

これまで見てきたように、「残業、転勤、何でもあり」で働くメンバーシップ型正社員を中核とする「日本的雇用」の命脈は、以下の3つの理由によって、もはや尽きたというのが筆者の判断である。まず第1に、閉鎖的な長期雇用は、今や日本企業の競争力の源泉ではなくなった。確かに、キャッチアップの時代、incrementalなカイゼンが重要だった時代には、日本的雇用を中核とした日本型経済システムが大きな力を発揮した。しかし、キャッチアップの時代が終わり、ICT分野を中心にアイデアのjumpが求められる時代に、日本的雇用は適していない。モノづくり力の過信やOJTによる人材自賄いへの拘りは、日本企業の競争力をむしろ損なうものとなりつつあるのではないか(注10)。第2に、1990年代の日本的雇用の「変質」以降、日本の働き方が多くの日本人、とりわけ若者たちに不幸をもたらしていることだ。この点は、「今こそ「日本的雇用」を変えよう(3)」の「2つの働き方、2つの不幸」で論じたとおりである。第3に、人手不足の時代に、女性や高齢者の労働参加を促す上で、日本的雇用が桎梏(しっこく)となっている。しかも、女性への家事の押し付けが子育てを困難にしているだけでなく、若者の不幸な働き方が未婚化を通じて少子化に拍車を掛けている恐れがある。

この問題に対する筆者の処方箋は、雇用形態のデフォルトを「メンバーシップ型」から「ジョブ型」へと転換することであった。上記のように、この移行過程には多くの困難が伴うと見られるが、数年前であれば、そもそもこの提案が受け容れられる可能性自体がほとんどなかったように思う。失業率が高く、雇用不安の強い時期には、ジョブ型に転換すれば多少なりとも職を失うリスクがある以上、多数派であるメンバーシップ型は正社員の地位に固執したに違いない(その頃は、正社員であってもリストラのリスクは高かったのだが…)。また、この転換は教育と職業の接合をなにがしか難しくする以上、就職氷河期に制度改革を唱えれば、学生たちから猛反発をくらったであろう。しかし、3%台前半の失業率は文句なしの完全雇用であり、本シリーズの冒頭に述べたように、今や日本経済は構造的な人手不足の時代を迎え、環境は大きく変わったのだ。

もちろん、環境の変化に意識が追いついていない面はある。例えば、いまだに不本意に非正規雇用に就いている人が少なくないことから、雇用機会が不十分だと主張されることがある。しかし、これは日本の雇用が無限定正社員と非正規雇用へと二極化している結果であり、本稿で主張するような制度改革なしには、人手不足が相当深刻になっても問題が解決するとは考えられない(特に、中高年非正規雇用の解消は難しい)。また、先に触れた終身雇用や専業主婦へのノスタルジーの高まりといった現象もある。しかし、終身雇用に執着するのは、それが長く辛い就活でようやく手に入れた地位だからだろう。終身雇用が当たり前の時代には「社蓄」という言葉があったように、就職戦線で売り手市場が続けば、本当に「残業、転勤、何でもあり」で良いのか疑問が湧いてくるに違いない。専業主婦に憧れるのは、現在の働く女性たちの姿が、長時間労働に疲れ果てた総合職(いわゆる「バリキャリ」)も、時間はあっても経済的な余裕に乏しい非正規雇用(いわゆる「ゆるキャリ」)も、共に魅力的に映らないからだろうが、かつて多くの専業主婦は自分たちの生き方に虚しさを感じていたものだ。もう少しまともな働き方が増えていけば、女性の意識も変わっていくだろう。

こう考えれば、人手不足時代の到来は、「日本的雇用」を変革するための機がようやく熟してきたことを意味する。これからは、学者、エコノミストだけでなく、企業経営者や労働組合関係者、人事担当者を含む多くの人にも参加していただいて、これからの日本の働き方について活発な議論が行われることを期待したい。本稿がそのための一助となれば幸いである。

注釈

(注1) : 日本型経済システムを変革して行くには、相互に絡み合った制度を同時に変えて行くことが必要と指摘した論考に奥野正寛「現代日本の経済システム:その構造と変革の可能性」(前掲岡崎・奥野『現代日本経済システムの源流』所収)がある。

(注2) : 前掲の八代『日本的雇用を打ち破れ』によると、「平成24年賃金事情総合調査」の調査対象の約8割に配偶者手当制度があり、その平均額は月1万6700円だったという。これは、配偶者控除による税金の節約(=38万円×税率)よりずっと大きな金額になる。

(注3) : また、「男女共同参画白書2012年版」に掲げられた既婚女性の給与所得者の所得分布(第1-2-13図)を見ても、30歳代以上では年収100万円前後にはっきりしたピークが見られ、年収を103万円以下に抑える就業調整が広範に行われていることが分かる。なお、税・社会保障だけなら130万円の壁の方が高くても不思議ではないが、103万円の壁が高いのは、上記の配偶者手当の影響ではないかと考えられる。

(注4) : かつての日本では、パートやアルバイトといった非正規雇用に就く者は、主婦や学生といった収入を得ることを主目的としない人たちが中心であった。このため、「小遣い稼ぎ」と見なされて、時給が低くても大きな問題とはならなかったのだろう。しかし、現在は不本意に非正規雇用に就いている若者が増えており、彼らが低い時給でも構わないと考え、時給が上がれば、むしろ就業時間を減らしてしまうような主婦たちと競合する点から、大きな問題が生じている。

(注5) : 企業の配偶者手当は、本来、政府が介入すべき事柄ではない。しかし、女性の労働参加を促して行くことが国民的合意となりつつある今、こうした露骨な専業主婦優遇の手当てが残るのは望ましくない。例のビッグ・プッシュ政策よろしく、政府が配偶者手当てを子ども手当てに変更するよう訴えてはどうだろうか。

(注6) : 冨山和彦『なぜローカルから日本経済は甦るのか』(PHP新書、2014年)。

(注7) : なお、少なくとも筆者は教養教育が不必要だとは考えていない。職業人にも教養は求められるからだ。むしろ専門課程の科目に、教養とは言えない一方、現実社会での役にも立たない中途半端なものが多いのではないだろうか。

(注8) : この点に関しては、大竹文雄『日本の不平等』(日本経済新聞社、2005年)を参照。

(注9) : この問題は、海老原継生『いっしょうけんめい働かない会社をつくる』(PHP新書、2014年)で強調されていた。

(注10) : この辺りは典型的な成功体験への寄り掛かりであり、日本型経済システムの成功が冷戦期の「2つの安定」という歴史的条件の上にのみ成り立つものだったという認識が欠けている。

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早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。
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