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春闘に望む

2014年2月5日(水曜日)

暦が改まり、いよいよ春になった。筆者の若い頃は、春と言えば、春闘と交通ストの季節だったが、いつの間にかベア・ゼロが当たり前となり、春闘という言葉自体が風化しかけていた。しかし今年は、久し振りに春闘での賃上げが注目され、またベース・アップ実現への期待も高まっている。そこで以下では、今年の春闘を巡って、なぜ注目が高まっているのか、また何が求められているのかについて、幾つかの視点から考えてみたいと思う。

1. 「デフレ脱却」と賃上げの必要性

まず、今年の春闘が注目を集めている最大の理由は、ベース・アップの実現が、安倍首相の経済政策=アベノミクスが目指す「デフレ脱却」の鍵となると考えられているためである。現状、消費者物価は前年比1%を超えて上がっているが、それには円安の影響が少なくない。しかし、円安に伴う物価上昇は一過性のものであり、持続的な物価上昇には賃金の上昇が不可欠なのだ。

実際、賃金の低迷とデフレには密接な関係があり、私たちエコノミストの多くは、過去15年余りの日本経済が「デフレ均衡」に陥っていたと見ている。というのも、この間、物価下落スピードがどんどん速くなり、景気もどんどん悪化するという所謂「デフレ・スパイラル」は、現実には起こらなかった。他方、06~07年などの景気はかなり良くなったのだが、それでも賃上げは行われず、結局、デフレ脱却は実現しなかった。つまり、これまでのデフレは決して良い状態ではないが、安定した状態という意味では「均衡」だったという訳である。

もう少し具体的に見ると、グローバル化によって低賃金の新興国との競争を強いられた企業は、雇用を守るために賃金を抑制しようとし、日本的雇用の下で労働者もそれを受け容れた。しかし、安い賃金を前提に価格競争を行えば、結果的に収益を圧迫するだけである。もちろん、企業が一斉に賃金を引き上げれば状況は変わるのだが、自分だけが賃上げを行えば、コスト競争力を失ってしまうため、それができないという悪循環に陥っていたのだ。経済学では、こうした状態を「協調の失敗」によるデフレ均衡だと考える(*1)

この時、すべての企業が一斉に賃上げを行って悪循環から抜け出す(*2)には、誰かが「せーの!」と声を掛けて、力強く企業の背中を押す必要がある。その役割を果たせるのは、やはり政府だろう。

現在、安倍首相を先頭に、政府は企業に対して賃金引き上げを強く要請している。筆者は、一般論としては、賃金は個々の労使交渉で決定されるべきものであり、それに政府が口出しするのは適切でないと考える。しかし、今回に限って言えば、デフレ脱却のために政府が「せーの!」と声を掛けるのも、あってしかるべきではないだろうか。

ここで、参考になるのは第2次オイル・ショック時の1980年春闘の経験だ。この時、わが国では官民の連携で賃上げの抑制を行った。第1次オイル・ショック後の1974年春闘で大幅な賃上げを行ったことが、インフレを悪化させ、それが強烈な金融引き締めを招いた結果、厳しい景気悪化にも繋がってしまったとの教訓を踏まえたものである。

この結果、不況もインフレもあまり酷いものとならずに済み、こうした法的強制を伴わない「日本型所得政策」による賃金抑制の成功と見做された。当時は、スタグフレーションと呼ばれた不況とインフレの並存に苦しんでいた欧米と対照的に、日本経済のパフォーマンスの良さが讃えられたものだ。今回は、その反対に賃上げでデフレ脱却を目指そうということである。

2. 賃上げ幅、消費税引き上げの影響など

なお、どの程度の賃上げが必要かは、当然、どういう物価上昇を目指すか次第だ。仮に、日銀が目指す2%の消費者物価上昇を是が非でも実現しようとするならば、1%程度の生産性上昇を見込むと、3%の賃上げが必要となる。しかし、恐らくこれは非現実的であろう。

一方、現在の1%内外の物価上昇でデフレ脱却と見做せるのであれば、これまでの円安効果の残存も考えると、「今年はベアがあった」と言える程度の賃上げで1%位は維持できる筈だ。個人的には、2%のインフレ目標はもう少し時間を掛けて目指すこととして、まずは若干のベア実現と1%前後の物価上昇を確実なものにするということで十分ではないかと考える。

今年は消費税が上がるので、個人消費の下支えに賃上げが必要だとの議論もある。もちろん、それも間違いではないが、個人消費の下支えであれば、ベアではなく、ボーナスや残業代でも良い筈だ。「恒常所得仮説」で考えると、多少の差はあろうが、ボーナスや残業代も消費に使われるのは間違いない。

しかし、デフレ脱却が目的だと考えると、企業収益の事後的な分配の色彩が強いボーナスは、企業の価格設定には影響しないことが弱点になる。価格設定に影響するのは、やはり限界費用、すなわち時間当たり賃金だからだ。この点、経団連がボーナスを含む総賃金の引き上げだけでなく、ベース・アップをも容認する姿勢を示し始めたのは、大変心強い動きだと言えよう。

また、消費税に関連して、「消費税引き上げを控えて景気の先行きが不透明な中、中小企業にとって賃上げは難しい」との声をよく聞く。筆者自身は、消費税引き上げで景気が腰折れする心配はないと思うが、中小企業経営者の懸念は理解できる。ただ、大企業では年1回、春に賃金を決定する慣行が定着している一方、中小企業の賃金決定はもっと自由度が高い筈だ。中小企業の場合、景気失速の心配がないことを確かめてから、夏か秋に賃上げを決めるという2段階方式でも良いのではないか。

3. 持続的な賃金上昇のために

次に、少し視点を広げて、持続的な賃金上昇のために何が必要かを考えてみよう。今年の春闘のテーマは「デフレ脱却」であるため、これまで名目賃金を論じてきたが、人々の暮らしを豊かにするのは、言うまでもなく実質賃金の方である。もちろん、企業の収入の内、労働者の取り分である労働分配率を上げれば、一時的には実質賃金も増えるが、それでは企業の体力が疲弊し、長い眼で見ると、賃金にとっても雇用にとってもプラスになるまい。だから、持続的な実質賃金の上昇には、労働生産性を高めることがどうしても必要なのだ。そのためには、企業がコスト削減だけではなく、より魅力的な商品・サービスを提供することで、付加価値を高めることが鍵となる。

この点、アベノミクスの第1の矢=金融緩和は円安・株高で主要企業の業績回復に繋がった。また、第2の矢=財政出動は、中小企業や地方の景況感をも上向かせ、賃上げをしやすい環境を整えたと思う。しかし、持続的な賃金上昇に重要なのは、やはり生産性上昇をもたらす第3の矢=成長戦略だ。そう考えると、これまでのアベノミクスでは、金融緩和・財政出動に比べ、成長戦略が立ち遅れ気味なのが気掛かりな点である。

しかも、最近の成長戦略では、企業を特定の方向に誘導しようとするターゲティング・ポリシーが目立つが、政府・官僚に将来の成長分野を見極める力があるとは思えず、こういうやり方は時代遅れと言わざるを得ない。むしろ、医療や介護、農業などの「岩盤規制」を緩和して、企業が自由に動ける環境を整えることが重要である。また、租税特別措置を縮小して課税ベースを拡大しつつ、法人税の限界税率を引き下げることも有効であろう(*3)

ここで個々の規制や税制を論じるゆとりはないが、雇用・賃金との関連で安倍首相やIMFのラガルド専務理事が重視する「女性が輝く社会」という点にだけ触れておきたい。人口が減って行く日本では、これから女性の活躍にますます期待が掛かるうえ、男女賃金の格差是正は、全体としての賃金上昇にとっても重要な課題である。

その際、保育所や育児休暇の整備ばかりが強調されがちだが、筆者は、より根本的に「夫が働き、妻が家を守る」ことを前提とした税・社会保障制度の見直しが不可欠だと考えている。現状は、所得が一定水準を上回ると、そこで税金や社会保障負担が急増する「103万円の壁」、「130万円の壁」がある。これを避けようとする結果、女性が短時間労働や低賃金労働に甘んじることも少なくない。こうした壁を取り払うことは、女性により付加価値の高い仕事に挑戦してもらうと同時に、低賃金の非正規雇用に苦しむ若者たちの環境を改善して行く上でも極めて重要だと思う(*4)

注釈

(*1) : 理論的な詳細は省略するが、市場参加者(プレイヤー)同士の相互作用に戦略的補完性(strategic complementarity)が働く場合には、「良い均衡」と「悪い均衡」という(Pareto順序付け可能な)複数の均衡が存在し得ることが知られている。この場合、「悪い均衡」はプレイヤーがうまく協調できない結果(協調の失敗)であり、仮にデフレ状態をこの「悪い均衡」だと解釈すると、そこから抜け出すにはプレイヤー間の協調(一斉に賃上げする、値上げを行う)が必要になる。

(*2) : 純粋に理論的には、企業が中央銀行の供給するマネタリー・ベースの量を見て、一斉に価格を変えるというモデルを考えることも可能(というか、近年ではむしろ標準的なモデル)である。しかし、東大の吉川教授が指摘するように、こうした捉え方は到底現実的とは思えず(relevancyを欠く)、現実の価格設定はコスト(その中核は賃金)を基に行われていると考える方が遥かに自然である(吉川洋著『デフレーション』)。

(*3) : 租税特別措置は、特定の分野に資源を誘導することを狙いとするターゲティング・ポリシーの一種であり、「市場の失敗」などに伴う明確な理由がなければ、非効率な場合が多い。法人税率を巡っては、「実効税率」が議論される場合が多いが、租税特別措置を拡大しても実効税率は低下する。税収への影響を同じとすれば、課税ベースを拡大しつつ、限界税率を大きめに引き下げる方が望ましい。実際、米国では、レーガン政権下で行われた課税ベース拡大・限界税率引き下げによる86年税制改革が大きな成果を収めたと言われている。

(*4) : 夫婦共働きの場合、妻の所得が103万円を超えると配偶者控除の適用がなくなり、130万円を超えると社会保障費(年金、医療保険など)が自己負担となる。日本の場合、非正規雇用の賃金が正規雇用に比して著しく低いという特徴があるが、これには、上記負担を避けるために収入を抑えようとする主婦パートが非正規雇用の大部分を占めることが大きく影響していると見られる。

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早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。