安倍内閣の経済政策が予想以上の成果をあげています。彼は日銀に大胆な金融緩和政策を迫ることで、円安と株高を実現することに成功しました。長年円高に苦しんできた日本の輸出産業は一息ついており、企業の収益も改善しています。企業収益が良くなれば、株価は上がり、株の保有者を中心に消費が盛り上がります。他方で第2の矢である財政出動については今のところ効果ははっきりしませんが、被災地を中心にして低迷した地域経済には、ある程度の景気浮揚効果はあるでしょう。
しかし、エコノミストの視点から見ると、このようなアベノミクスには多くのリスクファクターがあります。いくつか挙げてみましょう。第1は、円安は輸出企業にとってはありがたい話ですが、原材料やエネルギー、食料品はほとんど輸入品で値上がりが避けられません。平成24年度では輸出64兆円なのに対して輸入は72兆円と、8兆円も輸入額が大きいのです。したがって、円安は日本経済にとってマイナスになります。期待された円安による輸出も、数量ベースでは1年前に比べて10%減少しています。株価の上昇についても、日本国民の金融資産のうち株は4%程度ですから、消費拡大に繋がる度合いは限られています。
それ以上に疑問なのは、2年以内に消費者物価(CPI)上昇率を2%に上げるという目標です。大半のエコノミストは難しいと見ています。CPIに含まれるのは食料品や日用品、衣服、雑貨などの商品と交通費、授業料、家賃などのサービスの価格ですが、為替も株価もCPIには入りません。本格的なデフレ脱却が実現するためには、GDPの6割を占める一般勤労者の所得、すなわち賃金が上昇することが不可欠です。2月初め、安倍総理は経済界の首脳に賃上げを要請しましたが、中小企業も含め全体としては今年の賃金上昇はゼロに近く、来年以降どの程度賃金が上がるかも不確実です。賃金が上がらずに物価だけが上がるようなことになれば、国民生活は悪化し、経済は再び低迷するでしょう。そうなる前に第3の矢である成長戦略を発動する必要があります。
わが国の賃金は15年間下落を続けており、世界中に例を見ません。賃金が上がらないのは企業が利益を確保するために賃金カットをしているからですが、だからといって、日本企業が他国の企業と比べて利益水準が高い、ということでもありません。むしろ収益性は低い方です。なぜ利益も賃金も低いのか? それは企業に付加価値を生み出す力が欠けているからです。様々の理由が挙げられますが、特に以下の問題を改善していかなければなりません。
以上、ここに挙げた問題点は、個々の企業が解決策を見いだすべきものです。しかし、企業が自己変革するために既存の制度や慣行が障害になるなら、政府としても積極的に是正していく必要があります。この点から、現在検討中の『成長戦略』では、従来型の研究開発支援や税金の減免といった広義の『補助金』は減らし、個別企業の変革をやりやすくする環境整備を中心にすべきです。去る4月2日、日本経済再生本部は『当面の政策対応』として、いくつかのテーマについて検討を促すよう関係省庁に指示を出しました。このうち筆者が注目しているのはコーポレート・ガバナンス(Corporate Governance、以下CGと略す)の強化です。
なぜCGの弱体化が問題かと言えば、日本企業が長期にわたり経営不振を続けているのは、無能な経営者を辞めさせるなど、経営革新を迫る力が働かないからです。株式会社であれば、業績不振や株価の低迷が長期にわたって続けば、株主から経営陣の辞任や不採算部門の切り離しが要求され、おのずと経営革新が起こるはずです。わが国においてそうならないとすれば、それはCGが本来の機能を発揮していないからです。なぜ日本ではCGが本来の機能を果たさないのか? 最大の理由は株式の持合、あるいは系列など、長期的な取引関係に原因があります。
最近、日本企業に広く見られることは、過剰な現金・預金の保有です。現在、日本企業は215兆円もの現金を手元あるいは銀行に蓄えています。これはほとんど銀行預金なので、金利はつきません。銀行に貯まった過剰な資金は、借り手がいないので、国債の大量保有に回っています。最新のGDP統計でも、設備投資は依然マイナス水準です。これでは経済が低迷するのも当然です。
企業は成長分野に積極的に投資をするとともに、過剰な資金は配当として株主に還元するか、賃金を上げることで従業員のモチベーションを上げ、消費活動を促し、需要面から経済成長を促すように使われるべきです。企業がこのような方向に動くよう促すのがCGの本来の役割です。もし株主による企業の監視が機能していれば、株主から、適切な事業計画を持っているか、資産は十分に活用されているか、見込みのない不採算事業を持っていないか、など重要な経営方針について説明を求められます。つい先日、米国のアップル社は株主の要求に応えて、配当を増加する決定を公表しました。ヒューレート・パッカード社の会長は業績不振のため株主から辞任させられました。このような投資家と経営者との緊張感ある関係を通じて、個別企業の経営改革を進める道筋が見えてくるはずです。もし安倍内閣が本当に企業の革新を進めたいのであれば、成長戦略を選挙目当ての一時的な動きとせず、息の長い努力を続けてもらいたいと思います。
根津 利三郎(ねづ りさぶろう)
【略歴】
1948年 東京都生まれ、1970年 東京大学経済学部卒、通産省入省、1975年 ハーバードビジネススクール卒業(MBA) 国際企業課長、鉄鋼業務課長
などを経て、1995年 OECD 科学技術産業局長、2001年(株)富士通総研 経済研究所 常務理事、2004年(株)富士通総研 専務取締役、2010年 経済研究所エグゼクティブ・フェロー
【著書】
通商白書(1984年)、日本の産業政策(1983年 日経新聞)、IT戦国時代(2002年 中央公論新社) など
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