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習近平新政権のチャレンジ

2013年3月5日(火曜日)

いかなる改革も既存体制へのチャレンジである。既存体制が国民にとって望ましく、かつ存続し得るものであれば、改革者はあえて改革には踏み切らないはずである。なぜならば、短期的に、改革はプラスサム・ゲームにならず、マイナスサム・ゲームの場合が多いからだ。

ドイツの哲学者ヘーゲルは「合理的なものは存在し、存在するものは合理的である」と述べている。その意味において、既存体制にいかなる問題があろうとも、必ずや存在すべく合理的な側面があるはずである。改革者はその不合理な部分を改革しようとした場合、既存体制から何かしらの抵抗を受けるのもいわば尤もなことである。

もうすぐ習近平新政権が正式に誕生する予定である。国民の間から、習近平新政権の改革意欲に対する期待がにわかに高まっている。国民の目線からすれば、どのような手順で改革を進めるかは改革者次第だが、とにかく腐敗した政治を正常化し、安心して生活を送ることができるよう期待する声が大きい。換言すれば、社会主義中国が成立してからの60余年間、前半の毛沢東時代は国民に非常に苦しみをもたらした時代だった。後半の鄧小平時代では、国民は漸く豊かになれると期待して、鄧小平が推進する「改革・開放」政策を支持した。しかし、ここに来て、こうした期待は失望に変わってしまった。なぜならば、彼らは改革と経済成長の果実を享受できないでいるからだ。

1. 初心に立ち返るべき中国共産党

1945年、第二次世界大戦は終戦を迎えたが、その直後から、政権を握る国民党と政権を狙う共産党は内戦に突入した。4年間にわたる内戦の結果、国民党は全面的に敗退し、台湾を除く中国全域を制覇したのは共産党だった。国民党が負けた背景には、行政府から国民党軍までが完全に腐敗してしまっていたことが挙げられる。その結果、国民の心が完全に国民党から離れていったのである。それに対して、毛沢東が率いる共産党は、「我らこそ人民の利益を代表し、人民を解放する」と唱え、徐々に人心を掌握していった。当時、共産党系の新聞「新華日報」などは毎日のように、「独裁政治は必ず腐敗し、民主主義こそ人民を解放することができる」といった論説や社説を発表していた。共産党のこうした主張に対しては、一般の国民だけでなく、大学教授などの知識人も希望を抱いた。

中国の歴史学者によれば、これまでの100年間で、1950年代初期の数年間は、中国社会が最も希望に満ちた明るい時代だったと言われている。しかし、政権を獲得した毛沢東は、すぐさま手の平を返すように約束を破った。すなわち、国民党時代以上に、毛沢東が独裁へと突き進んでいったのである。しかし、人民の大半は愚かにも、それでもなお毛沢東が絶対に自分たちを幸せにしてくれると信じていた。

1950年代半ば、英米諸国に追いつくために、すべての工業と農業の生産活動を停止させ、その代わりに全国津々浦々で製鉄業に取り組んだ。歴史教科書では「大躍進」と呼ばれている。その結果、荒廃した農地では食料不作となり、特に1959年から61年までの3年間は、かつてないほどの凶作となった。歴史学者の推計によれば、この間で少なくとも2,000万人が餓死したと言われている(4000万人との説もある)。ちなみに、日中戦争における犠牲者は1,800万人と推計されている。問題は、2,000万人以上の餓死者が平和な時代の犠牲者だったということである。

1979年、鄧小平は自らの復権とともに、「改革・開放」を推進した。それに伴い、苦難から解放される希望が国民の間で沸き起こり、中国は1950年代初期に続く2番目に明るい時代を迎えた。しかし、鄧小平は国民に対して「働けば豊かになれる」と約束をしただけであり、言論の自由や人権の保護などは一切約束されなかった。共産党が政権を握る前の主張は空約束だったのだろうか? 共産党は自らの初心に立ち返るべきである。

2. 問われる中国の国是

中国共産党が認めようが認めなかろうが、マルクスとレーニンが定義した社会主義体制は失敗に終わった。毛沢東が提唱し構築したのは、社会主義と呼ばれている封建社会だったのである。毛沢東に「王位」を引き継ぐ子孫がいなかったことは、中国国民にとって何よりの幸いだった。一方で悲観すべき点もある。それは、毛沢東が死去した後も、彼の影響が依然として根強く残っていることである。鄧小平は毛沢東時代の「過ち」を清算したが、毛沢東自身が犯した罪を問えなかった。実質的にラストエンペラーだった毛沢東が完全に否定されれば、共産党独裁体制そのものも危うくなるからである。鄧小平の「改革・開放」政策は経済を発展させることが目的であり、共産党を解散するためのものではなかった。

1990年代初期、東欧諸国や旧ソ連などの旧社会主義陣営は社会主義体制を放棄し、民主主義体制に転換した。いわゆる冷戦が終結したのである。しかし、中国は形の上では未だに社会主義を堅持している。中国社会の実態を考察すれば、民営企業は中国経済において重要な役割を果たしており、社会主義の代表的な財産の公有制は大きく変形している。換言すれば、今の中国社会は社会主義要素と資本主義要素が入り混じった存在になっている。問題は、こうした混合体制が持続不可能だということにある。

不思議なことに、社会主義体制を堅持するとしている共産党首脳も民主主義体制について受け入れる姿勢を示している。2011年にイギリスを訪問した温家宝首相は、王立協会で「明日の中国は全力を尽くして民主主義を構築し、法による統治(the rule of law)、平等と公正を実現するだろう。自由のない国は真の民主主義が実現しない。経済と政治の権利を担保しなければ、真の自由はあり得ない」と述べた。社会主義を信奉する共産党指導者の発言と思えないほど開明的な考え方である。問題は、中国共産党はいったいどのような国づくりを目指しているのか、である。

共産党幹部の腐敗ぶりを見れば、現行の政治体制が持続していけるとは思えない。要するに、共産党は持続不可能な政治体制を無理して維持しようとしているのだ。そのために、莫大なコストを払っているだけでなく、社会の歪みはますます拡大してしまっている。民主主義は完璧な制度ではないが、それよりも優れたシステムはまだ開発されていない。したがって、中国にとって民主主義以外の選択肢はないということである。

3. 中国のチャレンジ

中国は重要な節目に差し掛かっている。それは、自ら現行の制度「改革」を行わなければ、その先は「革命」が待ち構えているということである。「改革」とは、現行制度の一部を手直しし、制度の移行をスムーズに進めることである。それに対して、「革命」は、現行制度を完全に否定し、新たなシステムを構築することである。両者の違いは社会に与える影響の深刻さにある。「革命」が起きれば、国民の財産そのものも脅かされてしまう恐れがある。北アフリカと中東で起きている「革命」は、中国にとってある意味では反面教師になる。したがって、できることならば、「革命」ではなく「改革」によって現行制度の欠陥を手直しをするほうが望ましい。

習近平政権の最大のチャレンジは、いかにして共産党と政府の権限を制度的に制限するかである。制限のきかない共産党幹部の特権の膨張こそ政治腐敗の一番の原因である。現行の制度では、腐敗幹部を取り締まるのは共産党中央の紀律委員会である。こうした内部統制システムはまったく無意味ではないが、そのプロセスが不透明であるため、恣意的になりがちである。

現行政治体制の問題点はすでに明らかになっているが、これまでの60余年間、この問題である制度自体がすでに中国社会に深く浸透している。少なくとも権力者の多くは自らの権限が制限されるのを容易には受け入れないだろう。改革を推進する国内の研究者らは、このままでは大変なことが起きると警鐘を鳴らすが、権力者に聞き入れてもらえることは少ない。既得権益の保護下にある権力者が多数存在する現実から改革の合理性をいくら唱えても、権力者は本気で改革に取り組まない。このようなコンテクストを踏まえれば、中国社会の不安定性はますます高まると予想される。

昨年11月に共産党総書記に選出された習近平氏は改革に意欲を示しており、それに対する国民の期待も少し高まっている。しかし、過度な期待を寄せると、後になって失望してしまう可能性が高い。仮に習近平総書記が改革について意欲を示していても、共産党内部の抵抗勢力を抑えることができるかどうかは未知数である。改革は前進せず、社会不安のリスクが高まる可能性が高いと見るべきである。

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柯 隆

柯 隆(カ リュウ)
(株)富士通総研 経済研究所 主席研究員
【略歴】:1994年3月 名古屋大学大学院経済学修士取得。 1994年4月より (株)長銀総合研究所国際調査部研究員。1998年10月より現職。専門領域は開発金融と中国経済論。
【著書】:「中国が普通の大国になる日」日本実業出版社 2012年10月、「チャイナクライシスへの警鐘 2012年中国経済は減速する」日本実業出版社 2010年9月、「2010年中国経済攻略のカギ」PHP研究所『Voice』編集部 2010年1月、「華人経済師のみた中国の実力」日本経済新聞出版社 2009年5月、「中国の不良債権問題」日本経済新聞出版社 2007年9月