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不可能ではない二酸化炭素排出量の25%削減(1)

~思い起こそう30年前の経験~

2010年1月1日(金曜日)

コペンハーゲン会議はさしたる成果もなく終わった。次のステップは2010年1月末までに京都議定書のアネックスIの国(おおむね先進国)については2020年時点の二酸化炭素排出量の削減目標、発展途上国については削減に向けての具体的行動を通報することになっている。しかし、各国の削減目標あるいは努力約束はバラバラで整合性の取れないものであるから、そのまままとめても温暖化が防止できるような国際合意にはならならず、再度交渉が行われるということであろう。わが国については既に1990年比で25%の削減を表明しているので、これからは他国の出方を見守ることになるが、国内では依然として反対論がくすぶっている。だが、わが国にとって不利にならず、かつ他国も合意可能な制度設計に向けて積極的に行動すべきだ。そのためには国際的な排出権取引制度が不可欠だが、先ずは日本の足元を見ておこう。

原油輸入量

【図1】日本の原油輸入量

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1979年東京サミット

筆者は地球温暖化問題についての国内の議論を聞くたびに、30年前の東京サミットのことを思い出す。記憶されている方もおられると思うが、1979年夏に東京で第5回目の先進国首脳会議(サミット)が開催された。ちょうど第二次石油ショックのさなかで原油価格はバレルあたり12ドルから30ドルに急増しつつある時であった。米国と欧州各国が事前に協議して各国ごとの原油の輸入量を現在以上に増やさないとの話が出来ており、全体会議でいきなりそれが提案された。わが国では、その直前に「経済・社会7ヵ年計画」が策定されており、1978年で日量528万バレルの原油輸入量を、テンポは落ちるものの、その後も増大する見通しをたてていた。まさに不意をつかれた格好で、議長の大平首相は孤立し、サミットが決裂するのではないかという瀬戸際まで追い込まれた。だが、交渉を決裂させるわけにもいかず、1985年における日本の原油輸入量は日量630万バレルを上限とすることで合意することになった。経済・社会7ヵ年計画が見込んでいた成長率は5.7%で、700万バレル以上の原油輸入を見込んでいたから、サミット合意の結果、計画の実現は難しくなった。当時、通産省〔当時〕の産業構造課にいた筆者は、この数字では日本の経済成長率は4%程度に落ちるであろうと試算し、上司に報告した覚えがある。

だが、その直後から実際の経済は私たちが想定していたのとは大きく異なった動きを示し始めた。経済成長率が想定より低くなったこともあるが、原油の消費量が減少に転じたのである。(【図1】参照)1985年の輸入量は79年よりも3割近く減少した。東京サミットの合意を受けて、日本は省エネ、代替エネルギー開発を最大の国家目標に掲げて懸命の努力を開始した。産業構造的には鉄鋼を始めとするエネルギー多消費型の産業は伸びが止まり、アルミ精錬業のように事実上消滅した産業もあった。発電分野では原子力や石炭、ガスなど非石油資源への転換が進んだ。自動車の燃費効率の向上も大きく寄与した。このような結果、わが国の原油輸入は1978年の日量500万バレルを頂点として減少に転じ、1985年では340万バレルを下回るところまで減少した。にもかかわらず、その後の10年間、日本経済はジャパンアズナンバーワンといわれたように、文字通り黄金時代を迎えることになった。サミットでの合意を遵守しようという官民あげての必死の努力が逆に日本経済をかくも強くしたのである。今起こっている地球温暖化問題を新たな発展のための挑戦と捉えて構造転換を進めれば日本経済は再び蘇ると考えるのは、このような経験があるからだ。政府も産業界も考え方が萎縮し過ぎている。

既に産業構造の転換は始まっている

排出量削減に一番反対しているのは電力と鉄鋼やセメント、紙パルプなどのエネルギー多消費型産業だ。鉄鋼の生産量は1974年をピークに減少しており、1990年以降は1億トン前後で推移してきた。ところが2003年以降、再び増加に転じ、2008年では1億2千万トンに増えた。これは、米国の消費バブルが円安を通じて日本の自動車や家電製品の対米輸出を押し上げた結果で、日本でも製造業バブルがあったということである。米国経済の今後を考えれば、対米輸出は元の水準には戻らない。代わってアジアが新たな市場として伸びてきているが、アジア諸国では中国やインド、インドネシアを始め、各国とも自国の鉄鋼産業育成を進めており、わが国からの輸出が伸びるような状況ではないし、わが国が得意とする高品質の鉄鋼需要は限られている。翻って国内では主な需要産業である公共事業や自動車向けの販売がこれからも伸びるとも思えない。とすれば、今後の鉄鋼生産量はせいぜい過去の水準である1億トンが上限で、2005年水準からは10%程度の減少となるのではないか。セメントや紙パルプなども同程度の生産減は不可避だ。既にこれらの産業は地球温暖化対策に拘わりなく、アジアの新興国に事業の軸足を移しつつある。製造業全体としても生産水準は2020年にかけて10%は低下すると見られるので、政策努力も含めれば15%くらいの削減は可能だ。

電力需要は今後とも伸びていくが、排出量削減に向けてやれることは多い。先ずは原子力発電所の稼働率を現在の65%から他の先進国並みの90%に引き上げるべきだ。太陽光や風力などについても日本の電力会社は既存の送電網に悪影響を与えるとして慎重であるが、ヨーロッパ諸国は全電力の20%くらいを再生可能エネルギーにしていく計画だ。米国ではオバマ政権の下でスマートグリッドの計画が進んでいるが、日本の電力会社はあまり乗り気ではないようだ。情報技術を使えば電力使用ももっと合理的に出来るし、不安定な再生可能エネルギーももっと取り込めるはずだ。さらには二酸化炭素の地中貯蔵などの技術も実用が近づいている。成功すれば、いずれも新しい産業として日本経済を牽引する可能性を有している。これらが全て実現すれば、発電部門で2割くらいの削減が可能になる。

ヨーロッパより遅れている民生分野での省エネ

日本がこれから省エネ努力をしなければならないのはむしろ家庭や業務、運輸部門だ。この分野での取り組みはヨーロッパ諸国よりも遅れている。ヨーロッパでは1980年代から政権の中に緑の党などの環境派が連立政府を組む形で参加しており、環境政策には大いに影響力を発揮してきた。二酸化炭素の排出量1トン当たりのエネルギー課税額はガソリン、軽油、重油、石炭などもわが国より2倍近くも高い。風力や太陽光などの再生可能エネルギーの利用についても、わが国よりはるかに積極的だ。翻ってわが国では高速道路の無料化やガソリン税の廃止がまじめに議論されている。わが国国民の意識がいかに遅れているか、これだけ見てもわかる。

ヨーロッパの場合、もともと寒い国が多いこともあり、様々な断熱材や技術が開発されており、標準化や断熱性能の表示など、利用を促進するための支援措置もとられてきた。最近の話では、EUでは2012年以降、白熱電球の生産を禁止し、LED 電球に置き換えることにしている。筆者は12月中旬にパリに出張したが、名物のシャンゼリゼ通りのイルミネーションは薄青色のLED電球に変わっていた。

そのほか運輸部門では電気自動車、ハイブリッド車の普及を急ぐべきだ。エコカーに対する購買助成金は2010年9月には終了するが、国民の環境意識の高まりに加え、環境税、あるいは排出権取引などでガソリン価格が上昇すれば、エコカーへの転換は長期にわたり確実に進むであろう。そのためにも高速料金の無料化はやめるべきだ。

利益率の高い家庭での省エネ投資

このように国内で排出量を削減する余地は大きい。家庭の負担も大きくなるが、それは無駄な出費ではなく、将来に向けての投資だ。この点25%削減に反対する根拠である国民への負担が大き過ぎる、という議論は多分にミス・リーデイングだ。例えば我が家では屋根にソーラーパネルを置いて太陽光発電をしている。それにより電力代は月1万円ほど節約できているから投資利回りは5%だ。今、日本で株や為替などハイリスクの投資を除けば、これほど高い運用利回りはない。預金や国債を持っている人は太陽光発電に切り替えることで、より高い運用益が得られる。

グローバルな枠組みは何か

地球温暖化はグローバルな問題だから、答えもグローバルな性格でなくてはならない。排出量が世界の4%しかない日本だけが頑張る意味は乏しい。既に多額のコストを払ってエネルギー効率を高めてきた国々とそのような努力をしてこなかった国とが同様の削減を求められるのは不公平だ、という産業界の意見はその通りだ。国内でも努力しながら、グローバルな枠組みについても提案していくべきだ。ここでわが国が推進すべきなのは、国際的な排出権取引制度だ。これが実現できれば限界削減コストは各国同一になり、25%削減も一般に考えられているより少ないコストで達成できる。なぜそうなるのか、2回にわたり説明しよう。

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根津 利三郎

根津 利三郎(ねづ りさぶろう)
【略歴】
1948年 東京都生まれ、1970年 東京大学経済学部卒、通産省入省、1975年 ハーバードビジネススクール卒業(MBA) 国際企業課長、鉄鋼業務課長などを経て、1995年 OECD 科学技術産業局長、2001年(株)富士通総研 経済研究所 常務理事、2004年(株)富士通総研 専務取締役、2009年 取締役 エグゼクティブ・フェロー
【執筆活動】
通商白書(1984年)、日本の産業政策(1983年 日経新聞)、IT戦国時代(2002年 中央公論新社) など