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鳩山内閣への期待(その2):官僚が喜ぶ改革の実行を

2009年10月16日(金曜日)

1.鳩山内閣の「脱官僚」の改革

鳩山内閣が誕生してから、早くも1ヶ月が経過した。新内閣は、閣僚委員会において内閣の総合調整や意思決定を行い、そこからの指示で政務三役を中心として各省庁に補正予算の見直しをさせるなど、「政治家主導の政治」の仕組みを導入しつつある。組閣を報じた9月17日の日本経済新聞の一面見出しが、『「脱官僚政治」を実行』だったように、政治家・内閣が官僚から主導権を奪うという対立の構図は、マスメディアの一貫した報道姿勢であり、鳩山内閣も強く意識しているようである。内閣が責任を持って意思決定する仕組みの導入はその中核であるが、それ以外にも既に鳩山内閣は、複数の「脱官僚」の改革を実施してきた。

第1に、組閣直後の閣僚懇談会において「政・官の在り方」を申し合わせ、大臣や副大臣といった政治家が省庁の「政策の立案・調整・決定」の責任者であり、これを「補佐する」官僚を「指揮監督する」として、両者の上下関係を明確化した。これは、日本国憲法や国家行政組織法を読めば当たり前の原則であるが、申し合わせの中では、官僚が政権外の政治家に働きかけることを原則として禁じ、また政治家から働きかけがあれば報告する義務を課した。更に官僚による「府省の見解を表明する記者会見」を禁じ、「事務次官等の定例記者会見」が中止された。この申し合わせは、官僚には新内閣からの強烈な意思表明として受け取られたようで、一般職公務員である気象庁長官による会見が取りやめられるなど、大きな波紋が生じた。その後、専門的立場からの説明などはこれまで通り官僚が行って構わないとの認識が示されたが、官僚側は全ての対外発表を大臣に報告するなど、今でも過敏な反応が目立っている。

第2に、事務次官等会議を廃止した。事務次官等会議は、各省庁の職業公務員の最高位である事務次官や長官が閣議の前日に集まる会議であり、閣議案件を最終チェックする場所であった。法令上に設置根拠がないが、全会一致で合意されなかった案件は閣議に上程されない決まりになっていたため、官僚支配の象徴との批判が絶えなかった。現実には、事務次官等会議に上がってくる段階で既に省庁間の調整は済んでおり、この場で実質的な議論がなされることは殆どないと言われているが(*1) 、明治時代からの歴史を有するだけに、「脱官僚」の象徴的な意味合いは大きかった。これに代わる総合調整の場として、副大臣会議を充てるとのことだが、今のところそのような役割を果たしている形跡はない。寧ろ、本来総合調整の役割は内閣にこそあるのであり、上記の通り、閣僚委員会などがトップダウンの調整を行っていると言えよう。

第3に、9月29日の閣議において、天下りの斡旋を禁止した。幹部公務員の天下りの一因として、50歳前後から早期勧奨退職が始まることが指摘されていたため、まずはこの慣習を止めて定年まで働ける仕組みを作るという。これは、ただ天下りを禁止するのと比べて現実的な対処法であるが、今後はこれら高齢の職員をどのようなポストで処遇していくか、若手を含めたやる気をどう維持するかが課題になる。これを踏まえ、前政権時代に内定した天下り人事の一部を認めないこととし、26法人・47名の人事が凍結された。一方で、「公務員の総人件費を2割削減」することがマニフェストに明記されており、定年まで雇用を継続することによる人件費増大との整合性を確保する必要がある。

2.「官僚主導」の問題の本質

このように鳩山内閣は「脱官僚」を着実に進めており、官僚に対する不満が貯まっている国民からも好意的に評価されているようである。確かに官僚批判は、マスメディアから国民、更に政治家まで含めて、1990年代以降の定番となった感がある。現状の官僚組織に何の問題もないと考える人は少なく、筆者も改革すべき点が多いと考えているが、そもそもどうして「官僚主導」だったのか、「官僚主導」の何が問題だったのか、問題の本質は十分に理解されていないのではないか。

「官僚主導」とは、突き詰めて言えば、本来は政治家、特に内閣や大臣が果たすべき役割を官僚が果たしていたということである。議院内閣制では、選挙で選ばれた国会議員が与党を形成し、内閣と一体化して政府を経営することが基本となる。日本国憲法65条の通り、そもそも「行政権は、内閣に属する」のであり、官僚の手にはない。また国家公務員法55条の通り、一般職公務員の任命権は内閣あるいは各大臣が有している。民間企業に例えて言えば、総理や大臣は政府という組織を経営する経営者であり、官僚はその経営方針の下で実務をこなす社員に当たる。にもかかわらず、これまでは現実的に官僚組織がその専門性と組織力、継続性を背景に、重要政策の基本方針を考え、法案を立案し、それを国会で可決させるための議員への根回しから国会答弁まで行ってきた。この状況を指して、「官僚主導」と呼ばれてきたのである。

これを政治家に批判させれば、官僚が政治家をないがしろにして、事実上の意思決定まで含めて傍若無人に振る舞ったとなり、官僚に言い訳させれば、政治家が与党内をまとめて基本方針を示してくれないからお膳立てしたとなる。政治家による官僚批判は自民党政権時代にもあったが、それが決定的な対立とならなかったのは、双方にとってそれなりに都合の良い関係だったからである。政治家は、官僚が政治の役割まで担ってくれたから、多くの時間を選挙区で費やすことができ、地元への利益誘導といった個別の意思決定については、族議員として関与できた。また当選回数さえ積めば、省庁を取り仕切る能力がなくても大臣に就き、至れり尽くせりのお膳立てのお陰で無難にこなすことができた。官僚は、仕事は質的にも量的にも大変だったが、政府を動かすやりがいを感じることができ、社会的地位も高かった。在職中は薄給だったとしても、天下りが保証されていたため、生涯賃金としては満足できた。そして1955年以来、一時期を除いて自民党が与党であり続けたため、両者の相互依存関係は馴れ合いの構造として確立され、また高度経済成長という成果が、その不透明さや腐敗といった弊害への批判をかわすことに寄与した。「官僚主導」は、政府における実質的な作業量からの説明であり、意思決定の場に注目すれば、「政党優位」や「族議員主導」、あるいは「内閣無責任」というのが正確であろう。

1990年代以降、この「官僚主導」の政治が機能しなくなっていることは、8月31日のオピニオンでも触れた。東西冷戦は終わりを告げ、経済はグローバル化し、アメリカ発のIT革命が発生する中で、日本は急速に少子高齢化が進み、財政は悪化の一途をたどった。このような構造的な環境変化の下で、上記のような族議員と官僚、そして財界を合わせた、分野ごとの「鉄の三角形」は機能しなくなった。国益の再定義といった大きな作業は族議員や官僚の手に余り、既存の産業秩序を前提とした振興策は抜本的な産業再編を妨げ、官僚からの積み上げの予算は医療や少子化対策といった分野への機動的な資金配分に寄与していない。そこで登場したのが、「内閣主導」であり「官邸主導」である。政府の経営者である総理あるいは内閣が、本来の権限を行使して日本が進むべき方向性を示し、それに沿って官僚に改革を実行させることが、求められるようになったのである。

3.官僚批判より政治家批判を

このような認識に基づけば、これまでの状況を「官僚主導」と訴えて官僚のみを批判するのは適切ではない。社員たる官僚がばらばらのことをやって多くの無駄が生じているのは事実だが、そもそも縦割りの組織は仕事を効率よく分担するために作られるのであり、必然的に部分最適に陥る弊害が伴う。民間企業でも、異なる部門間の相乗効果が発揮できない、事業領域の重複による無駄が生じているといった問題はよく聞かれるが、複数の省庁を束ね、官僚を効率的に働かせて全体最適を実現することこそ、政府の経営の真髄ではなかろうか。だとすれば、本来その責任を果たすべきは政治家であり内閣であり、そのための権限も与えられているのであり、政治家が「官僚依存」を批判するのは、自らの無能力を認めるのに等しい。確かに野党であった民主党の責任は、自民党よりは軽いかもしれないが、国会から政府を監視する役割は担っていたはずである。

反論を覚悟で言えば、官僚は一般に信じられているより従順である。多くの官僚は悪意を持って国益に反する行動を取ろうと思っていない。確かに1つの省庁で何十年も働いていると、その省庁の思考様式が身についてしまい、特定の業界を守ることこそ国益だと思い込んでしまう。しかし民間企業においても、一部門の権限や予算が削減されそうになれば、そこに所属する社員が反対するのは普通であり、そのようなリストラができないとすれば、それは経営者の責任というべきであろう。官僚は民間人以上に根拠や権限にこだわるのであり、独任制の省庁において大臣とは絶対的な権限を握っているのである。筆者の知る限りにおいて、省庁において大臣が適正な手続きを踏んで意思決定したことを、官僚が正面切って無視することはない(*2)。確かに無能な大臣が就任すれば、方針が示されず指示が下りてこないため、官僚はこれまでの政策を継続し、省庁の経営を取り仕切ろうとする。一方で有能な大臣が就任すれば、官僚はただサボタージュするのではなく(*3)、寧ろその指示に従う姿勢を示し、と同時にその力を借りてこれまで実行できなかった政策を展開しようとする。大臣が方針を明示し、それに国民からの支持や内閣としての決定といった権威付けがあれば、官僚はそれに従うだけの柔軟性と怜悧さを持っているのである。

鳩山内閣では、有能な経営者たる政治家たちが着実に役割を果たそうとしているように見える。鳩山内閣は総選挙において圧倒的な正統性を与えられ、かつ、その際に示したマニフェストを実行しようとしている。政策転換を言明する国土交通大臣が、八ッ場ダムの建設中止の件で批判の矢面に立たされ、マニフェストで約束した政策の予算を工面するため、政務三役自らが休日返上で補正予算の見直しを進めた。これらはまさに組織の経営者としてあるべき姿であり、だからこそ官僚も従わざるを得なくなるのである。

そして第1節で触れた鳩山内閣の「脱官僚」の改革は、内閣が政府の経営者として責任を持つ第一歩として正しい。官僚が国会への根回しをすることができなくなり、事務次官の権威が下がったことは、これまで官僚に担ってもらってきた役割を本来の分担に戻す改革である。ここで懸念されるのは、これら官僚にとって一見マイナスの改革を続けることにより、官僚が更に意気阻喪して、省庁が本来の役割すら果たせなくなることである。政務三役がいくら有能だとしても、せいぜい3~6名である。いつまでも全社員を敵に回しているようでは組織として機能せず、経営者としては失格になる。何よりも、一般職だけで30万人にも上る莫大な人件費が無駄になる。官僚を総まとめにして批判することは容易だが、これを総入れ替えできない以上は、やる気を喪失させるだけでは何の改革にもならない。寧ろ、それら不良資産と見られている人材を優良資産に変えて、組織的かつ効果的に活用することが、政府の経営に求められているのではないか。

4.官僚が喜ぶ改革の実行を

そこで筆者が鳩山内閣に期待したいのは、そろそろ一方的な官僚批判を止めて、官僚が喜ぶ改革を実行することである(*4)。官僚が喜ぶとは、その改革が中長期的に見れば自らにとってもプラスになることを納得してもらい、やりがいを見い出して協力してもらうことである。例えば天下りができなくなることは、それを前提に人生設計を考えてきた官僚にとっては大きなマイナスであるが、新たな制度ではプラスにもなることを説得する必要がある。実際にプラスかマイナスかは主観的な部分が大きく、仕事のやりがいは主観そのものである。これまでの「官僚主導」の政治は、確かに改革的な意思決定が困難な点に最大の問題があったが、それ以外に官僚自身にとっても様々な問題があった。これらを解消して官僚が鳩山内閣に対して働きやすくすることこそ、経営者たる総理や大臣の大きな役割であろう。

第1に、これまでは官僚の仕事のやり方が余りに非効率で労働時間が無意味に長かった。国会待機や国会答弁の作成、多数の族議員への根回しなど、官僚が政治の役割まで果たしていたことがこの原因の1つである。これらについては、まさに鳩山内閣の「脱官僚」の改革が貢献する。政治家への働きかけの禁止は、官僚から重要な役割を奪うのではなく、寧ろ非効率な作業から解放し、より創造的な政策の企画に時間を使ってもらうためである。一方で大臣らは、国会答弁や与党との調整を背負い込むことになるが、これらはイギリスでは当たり前のことであり、日本でも実現できなくはない。また省内では、細かな字句の調整に膨大なコストをかけ、階層が多すぎて意思決定に時間がかかった。ボトムアップは実は高コストなのであり、これも政務三役が意思決定の中核となることにより、やり方を大幅に簡素化してもらいたい。更に、紙の資料が多すぎる、職場が狭く環境が劣悪、必要な書籍などを自由に購入できないといった初歩的な問題に、筆者も直面した経験がある。財政状況が厳しい中であるが、相応の予算を付けて対処することで、生産性の向上によってお釣りが来ることを期待したい。

第2に、硬直的な人事の問題である。多くのキャリア官僚は大学卒業と同時に入省し、1、2年ごとに定期異動を繰り返し、退官までその省に所属し続ける。そこでは出世コースが確立され(*5)、入省年次を超えた昇進や降格は原則としてない(*6)。異動の希望を出す制度があるが、それが反映されることはまずなく、人事は組織によって一方的に決定されている。このような人事では、環境変化に応じて多彩な人材を適材適所に配置し、実力を発揮させているとは思われない。人事配置のやり方を全面的に柔軟化し、個人自らがキャリア形成するよう意識改革することが欠かせない。民間企業では社内公募制度が導入されているように、配属において本人の希望を出来る限り尊重すべきである。ウェーバーの官僚論には反するかもしれないが(*7)、官民にかかわらず、本人がやりたいことをやることが生産性の向上に繋がると信じるからである。と同時に、昇給や昇格に当たっての評価基準を明確化すべきである(*8)。新内閣では、予算の削減が要求され、族議員への働きかけが禁止されたことを考えれば、新たな価値観で官僚独自の客観的な評価基準や公正な評価手法が求められる。民間企業でも人事評価は一筋縄ではいかないが、360度人事など試行錯誤が繰り返されている。政治家が官僚の人事を恣意的に行わないためにも、このような基準に基づいて抜擢人事や昇給を行うのである。

第3に、縦割りの省庁間の調整には膨大なコストがかかり、結果的に国益が実現されないことが多い。これには官僚自身も辟易している面があるが、全省庁の一括採用が特効薬となる。少なくともキャリア官僚については、日本政府に就職し、具体的な配属は自分の意思と受け入れ省庁の都合で決めるようにするのである。このような提案には官僚が専門性を盾に強く反対するわけだが、現状は1、2年で職場を移っていることを見ても、各省庁の事務官に必要とされる資質に根本的な差があるとは思われない(*9)。自らの省庁に配属される人材の質が低下するという理由で反対する声もあるようだが、環境変化により国家にとっての重要分野が変化しているのであれば、人材配分の変更こそ不可欠であろう。もっとも、個人の意思で特定分野の仕事を続けることを選択するのであれば、それはそれで良い。組織への従属という専門性を求めるのではなく、仕事の領域や機能に対して個人としての専門性を確立していくのである。そうすれば、内閣官房などの官僚も「省庁からのスパイ」と見られることがなくなり、真に国益を考えた仕事ができるようになるはずである(*10)

第4に、天下りについてである。筆者は究極的には天下りを全面的に解禁することを提案したい。解禁とは、特殊法人などを徹底的にスリム化した上で、省庁による退職勧奨や斡旋を禁止し、利害関係があった民間企業も含めて、外部への再就職を個人の自由意思に委ねるということである。そもそも職業選択の自由は、憲法でも保障されている基本的人権の1つである。省庁で貴重な経験を積んだ優秀な官僚が民間企業で活躍することは、社会における優良資産の有効利用にも繋がる。これまでは、それに省庁から補助金が付いて回り、以前の権力関係を濫用することが問題であったが、それについては詳細な行動規範などを設けて取り締まり、違反者がいれば厳罰に処すことで対応したい。事務次官や官房長の仕事のかなりの部分がOB人事に費やされていると言われており、組織的な天下りを改めるべきである一方で、早期勧奨退職を禁止することにより一律全員を定年まで雇用することも柔軟性に欠ける。自分の仕事は自分で決める。これが基本となる考え方である。

このような改革を進めていくと、長期的に人材を流動化させることが、組織の活性化、更には個人の自己実現に寄与するはずである。これまでにも、非効率な仕事のやり方に幻滅して退官していったキャリア官僚は少なくない。しかし、彼らが外部で経験を積んで戻ってくることはあり得ず、中途採用は最近まで殆どなかった。環境変化によって組織が機能不全に陥っているということは、新たな組織や人材が必要ということである。イギリスでも近年では官僚の昇進に民間分野での経験が欠かせないというが、これまでの枠組みにとらわれず、官から学や民や政へ、それらから官へと、優秀な人材が個人として渡り歩く中で多様な経験を積み、その能力をその時々で活かしていくことが望まれる。これは制度の問題というより意識の問題であるため、例えば官房秘書課長に民間企業の人事部長を抜擢するような大胆な方策が必要であろう。

確かに、民間企業のサラリーマンを含め、1つの組織に継続的に所属して地位や給料を与えられてきた個人が、急に自分の意思でキャリアを形成していくことは容易ではない。また全ての社会人が組織から離れて独立する必要もないし、それが効果的でもない。しかし、現在の官僚たちを見ていると、残念ながら本当にやりがいを感じて仕事をしている人は少ない。誰が悪いかはともかく、現状の労働環境で前向きに働けというのは無理がある。その問題を突き詰めれば、省庁という組織の利益や論理を優先することが制度化され、官僚個人が尊重されていない現実が見えてくる。それは、経営者たる総理や大臣にとっても、社員たる官僚たちにとっても、そして株主であり顧客である国民にとっても不幸なことである。その労働環境を改革し、官僚を喜ばせることを、鳩山内閣には期待したい。

注釈

(*1) 古川貞二郎「総理官邸と官房の研究」『年報行政研究』40。古川は、霞ヶ関の全職業公務員の最高位である事務の内閣官房副長官として、8年間にわたって事務次官等会議を取り仕切った。

(*2) あえて言えば、安倍内閣において小池防衛大臣が決定した人事に対して守屋防衛事務次官が反対した例が挙げられる。しかしこれは、4年以上も君臨した異例の次官による異例の行動だったのであり、また守屋次官は内閣としての意思疎通の悪さ(防衛大臣と官房長官の間の)を突くことで、問題の拡大に成功した。

(*3) 小泉内閣において田中外務大臣が外務官僚と徹底して対立し、省内機能が麻痺したことは記憶に新しい。当時マスメディアは田中大臣を擁護する報道を続けたが、社員と正面から向き合わずに批判しているだけの、しかも業務上の最重要情報を漏らしてしまう経営者が、社員から離反されたのは当然であると筆者は考える。

(*4) 本節を執筆するに当たっては、日本の財務官僚がイギリスの財務省について紹介した、高田英樹「英国財務省について(最終報告)」を参考にした。

(*5) 戦後の大蔵省入省者の中で事務次官にまで到達したのは、吉瀬維哉から丹呉泰健まで26名に上るが、この内12名が入省時点で官房文書課に、5名が主計局総務課に配属されており、キャリア官僚の間でも入省時点から選別が行われている。

(*6) だからポストの数が少なくなる50歳前後から、早期勧奨退職をせざるを得なくなる。

(*7) マックス・ウェーバーは、著名な『官僚制』の議論において12の原則を挙げたが、その1つが上位権限者による任命制の原則であった。

(*8) 官僚に話を聞くと、何となく衆目一致する優秀な人材が出世ポストに就くといった答えが多い。しかし現実には、予算を確保したか、権限を増やしたか、族議員との交渉をまとめたかといった基準で個人の実績が積み上げられ、その時々の官房秘書課長らが属人的に人事配置を判断しているようだ。

(*9) 2001年に外交官試験が廃止され、国家一種試験に統一されたことにより、一括採用の前提条件は整っている。

(*10) 筆者は近年内閣官房の研究を進めており、省庁から内閣官房への出向者のインタビューを多数行ってきたが、内閣の権威を背景に省庁間の政策の総合調整をする仕事に大きなやりがいを感じたとの声が多かったことが、印象的であった。

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高橋 洋(たかはし ひろし)
【略歴】1993年 東京大学法学部卒、ソニー(株)入社、1999年 タフツ大学フレッチャー大学院修了、2000年 内閣官房IT担当室主幹、2007年 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、東京大学先端科学技術研究センター特任助教、2009年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、成城大学非常勤講師、(株)富士通総研経済研究所主任研究員
【著書】『イノベーションと政治学 情報通信革命〈日本の遅れ〉の政治過程』勁草書房 2009年