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政権交代が可能な二大政党時代の到来?:野党自民党への期待

2009年9月15日(火曜日)

1.2009年衆議院選挙における民主党の大勝

8月30日の衆議院選挙の結果、民主党が単独過半数を遥かに超える議席を獲得したことにより、55年体制が確立されてから初めての本格的な政権交代が確実になった。1993年の自民党の下野の際には、選挙前から連立政権の枠組みやマニフェストが示されていたわけではなく、また選挙結果としても比較第1党は自民党だった。強い民意の反映として自民党政権が否定されたというよりも、自民党自体の内紛の結果、8つの中小政党を強引に継ぎ接ぎして細川連立政権が誕生したと言った方が正確であろう。しかし、1996年に小選挙区比例代表並立制が導入されてから5回目に当たる今回の総選挙では、自民党と民主党との間の政権選択の構図が明白に確立され、マニフェストや総裁候補が明示され、有権者は政権政党を選ぶという意識で臨んだ。その結果、民主党を中心とした政権への交代という民意が示されたのである。

それは、4年前の総選挙の結果と比べれば非常に大きな変化であった。2005年の郵政解散の総選挙では、小泉自民党総裁への強い支持が集まり、自民党の296議席に対して、民主党は113議席を獲得したに過ぎなかった。今回は、自民党は119議席、民主党は308議席であったから、議席の比率で言えば、2.6対1から1対2.6へと、全く正反対の方向に大きく振れたことになる(【表1】参照)。このわずか4年間で、どうして民意はこれほど大きく変化したのだろうか?

【表1】衆議院総選挙の結果
衆議院総選挙の結果

出典:2003年と2005年は総務省、2009年は時事通信社

その最大の要因は、この間の与党自民党の政権運営が余りに稚拙だったからである。296議席という高い信任を得た小泉首相はわずか1年でその座を下り、その後1年毎に首相が変わり、また政策の方向性は様変わりし、最大の争点であった郵政民営化についてすら無責任な見直しの声が上がった。中長期的に見れば、農家や土建業といった自民党の伝統的な支持基盤が崩壊してきたことが影響しているが、やはり最後の止めを刺したのは、直近の自民党政権に対する不満であろう。各種調査を見ても、有権者は首相候補たる鳩山党首やマニフェストに書かれた政策を積極的に評価して民主党を信任したというよりは、上記のような自民党に不信任を突きつけたという構図の方が正しい(*1)。有権者は、前回総選挙での約束を守らなかった自民党に見切りをつけ、短期間で投票行動を大きく変えたのである。

もう1つの要因は、選挙制度にある。日本の衆議院は小選挙区制を中心とした選挙制度を採用しており、二大政党の間の議席数に大きな変化が生じやすい。実際今回の総選挙でも、得票率を見れば4対3程度の差であるが、これを議席数に直せば、2.6対1という差がついてしまった。このような極端な議席数の変化に対して、一部の有権者の間には戸惑いが生じているようであり、これ程まで差がつくことを期待していなかった、あるいはこれ程多くの新人議員に政治を任せて大丈夫かとの声も聞かれる。そして、そもそも小選挙区制については、不利になる小政党は勿論、今回は逆風が吹いた自民党の議員の中にも、選挙制度自体に問題がある、中選挙区制に戻した方が良いとの意見もあるようだ(*2)。それでは、今回の結果は想定外だったのだろうか?

2.小選挙区制と二大政党による政権交代

選挙制度としての小選挙区制について、おさらいしておこう。小選挙区では最高得票者のみが当選し、たとえ1票差でも次点の候補者は落選となる。従って、政党は1つの選挙区に1人の候補者しか公認せず、候補者はその代表としての性格を強く帯びる。その結果、有権者は候補者個人よりも政党に投票する意識を強く持つ。そのため政党は組織としての一体性が強まり、有権者との契約書としてのマニフェストを示し、首相候補としての党の指導者を選挙の顔に掲げ、他の政党に対抗して選挙を行うと言われている。

同時に小選挙区においては、1人の当選者以外は全て落選するため、当選に寄与しなかった死票が多くなる。国民から幅広く支持されている大政党は、多くの選挙区で当選者を出せる一方、小政党は一定割合の支持を得つつも殆ど当選者を出せない。換言すれば、大政党は実際の実力(得票率)以上に過大に評価され、小政党は過小に評価されるため、議席数に直せばその差が大きくなりやすい。そして各選挙区では、1番手と2番手の争いのみが重要になり、2つの大政党への収斂が起きやすくなる。こうして小選挙区制の選挙とは、実質的に二大政党のいずれかを選ぶものとなり、政権交代が起きやすくなるのである。

1990年代前半の政治改革は、リクルート事件や佐川急便事件といった繰り返される政治腐敗への国民の批判から生じたわけだが、その際の主たる目的は、自民党の長期一党支配への反省から、政権交代が可能な選挙制度に改革する点にあった。中選挙区制では、1つの選挙区から最大5人の当選者が出るため、自民党のような大政党からは複数の候補が公認される。その結果、政党間の争いよりも候補者個人間の争いの要素が強くなり、与党であり続けた自民党の議員は、党内で派閥を形成し、地方への利益誘導合戦を繰り広げ、それが政治腐敗に繋がった。だからこそ小選挙区制を選択し、二大政党化を指向したのである(*3)

従って、今回の総選挙の結果が大きく変化したことについては、その本来の目的に立ち返れば、新しい選挙制度が正常に機能した証と評価すべきであり、想定外でも何でもなかった。イギリス型の小選挙区制に対して、欧州大陸型の比例代表制という選択肢もなくはないが(*4)、今回の選挙結果に不満な候補者は、そこまで大きな議論をしているわけではなく、ただ自分が落選してしまうような選挙制度に対して不満をぶつけているようである。小選挙区制は優劣をはっきりとつけることを目的としており、実際そのお陰で民主党は安定した政権を獲得できることになった。選挙制度に完璧はないとはよく言われる言葉であるが、やはり小選挙区制を採用するカナダでは、総選挙の結果、与党の議席数が115から2にまで激減したという例もある。我々国民は、自らの手で選択した政権交代を、本格的な二大政党時代の到来を、恐れることなく前向きに受け入れるべきであろう。

他方、多数の新人議員が生まれた点についてはどうか?これは2005年の郵政解散選挙の際にも起きた現象であるが、小選挙区に縁もゆかりもない「刺客候補」が送り込まれ、個人の経歴や地域への貢献度とは無関係に、政党に対する追い風のみで当選した人も少なくなかった。これについて、中選挙区の経験が長いベテラン議員には釈然としないものが残るかもしれないが、小選挙区制下の選挙が政党と政党の争いである以上は、個々の選挙区に誰が立候補するかは、制度上は問題とされない。実際イギリスでは、出身地とは無関係に政党の判断により候補者の区割りが行われている。敢えて言えば、選挙とは誰が当選するかでなく、政党が幾つ議席を獲得するかが重要になったのであるから、議員定数の削減を検討する余地があるだろう。選挙で選ぶ国会議員を、政党の価値を高めるような、政権に入って活躍できるような人材に限定するということである。

3.二大政党時代の与党と野党

とは言え、これで日本の政治が新時代に入ったと結論付けるにはまだ早すぎる。政権交代が今後も続いてこそ、二大政党時代が到来したと言えるのである。第2次大戦後のイギリスを見ると、二大政党である保守党と労働党の間で、概ね10年の周期で政権交代が繰り返されてきた(【表2】参照)。この間の首相の数は計13人に達するので、1人当たりの在任期間は平均で約5年という計算になる。大まかに言えば、一度政権を奪取すれば、同じ政党から10年で2つの政権を送り出し、次の10年はもう一方の政党に託されるというサイクルが見受けられる。換言すれば、与党としての賞味期限は10年であり、野党は10年をかけて政権に復帰すると言える。野党時代とは、与党になるのに不可欠な準備期間なのである(*5)

【表2】戦後イギリスの内閣の変遷
戦後イギリスの内閣の変遷

実際、1997年に政権に返り咲いたイギリスの労働党は、20年近い野党時代に党組織を立て直し、人材の若返りを図り、労働者寄りだった政策を根本から見直して「第三の道」を掲げ、政権交代に向けて周到な準備を積んできた。だからこそブレア新政権は、当初から安定した政権運営を展開することができたのであり、国民からの高支持率を享受した。しかし、政権党として内閣と一体化して行政府の統治に専念することは、必ずや政党組織としての弱体化をもたらす。目の前の政権運営が活動の中心となるため、新たな政策を練る時間は限られてくるし、党務は疎かになり新たな人材を育成することも難しい。高支持率が続けば首相や官邸が慢心し、そうでなくても有権者に飽きられることもあるだろう。こうして組織に歪みが生じ、あるいは閣僚の不祥事が生じて、野党に負けてしまうのである。

このように考えれば、二大政党は政権交代可能な野党が存在するからこそ成立することがわかる。いつでも政権を担えるだけの組織や人材を備え、実行可能な政策を掲げている野党が不可欠なのである。有権者から見れば、1つの政党に政権を預けたとしても、その政権が行き詰まれば別の選択肢があることが大切である。これを政党から見れば、たとえ一旦野党になったとしても、また政権に返り咲く可能性があるからこそ、与党と真剣に競争する誘因が生じる。逆に与党の座についたとしても、いつでも野党に下る恐れがあるからこそ、政権を運営するに際して緊張感が生まれる。55年体制は「1と2分の1政党制」などと揶揄され、政権交代の見込みが事実上無かった。社会党など野党は、政権を取ることを真剣に考えなかったからこそ、非現実的な政策を掲げ続ける一方で、裏では与党自民党と癒着した。一方、与党自民党は、政権の座を明け渡すことを夢想だにしなかったからこそ、党内で派閥間の争いに興じて政治腐敗を繰り返したのである。

4.野党自民党への期待

従って、小選挙区制を導入した本来の目的に立ち返れば、今後二大政党による政権を巡る競争を続けるには、野党の動向が決定的に重要である。総選挙の興奮冷めやらぬ現時点では、民主党の動向にばかり注目が集まるのも致し方ないが、中長期的に日本の政治を考える際には、自民党を中心とした野党がどのように組織を立て直すか、健全な競争を与党民主党に対して展開できるかを、我々国民はしっかりと見守らなければならない。もし今後自民党などが与党を脅かす存在として復活せず、政権交代が期待できないようになれば、再び国会の自浄能力が働かなくなってしまう。民主党が与党を経験することも初めてであるが、自民党が第2党として野党を経験することも初めてである。二大政党下の健全で強力な野党の役割を果たすには、余程の覚悟と準備をもって臨まなければならない。国会での首班指名選挙の対応について内輪もめしている場合ではない。

自民党は、1993年から1994年にかけて一度だけ野党を経験している。自民党幹事長を務めた野中広務氏によれば、この時には陳情客や官僚から相手にされなくなり、「自民党本部にはだれも来なくて閑古鳥が鳴いていた」(*6)。自民党は、政策的な選好でまとまっていたというよりも、政権党であり続けることが最大のアイデンティティであったため、「あのとき自民党が野党のままでいたら、自民党自体が永久になくなると僕は思った」と言う。そのような焦燥感があったからこそ、わずか1年未満で、かつての最大の敵であった社会党と手を結んでまで政権に復帰したわけだが、このような離れ業を今回も再現してもらっては困る。自民党はそのような安易な手段で政権復帰するのではなく、今回の大敗北の原因をしっかりと検証した上で、少なくとも3~4年かけて政権を担える政党として新たに再生する必要がある。実際、国民は自民党の復活を期待しているのである(*7)。以下に、その具体策を提案してみる。

第一に、人材である。小泉後の政権のたらい回しを見ても、人材が払底したことが今回の自民党の大敗北の一因になったことは明らかである。往年の自民党では、派閥を通して国会議員としての様々な作法を学び、また族議員として特定の政策分野の専門家になることができたが、これに代わる新たな人材獲得と育成の仕組みを確立する必要がある。そのためには、まず多様な分野から異才を集めることが重要である。例えば、世襲制限を含めて候補者を実力本位で選抜する制度を改めて見直すことは、すぐにでも着手できるだろう。また政界への参入障壁を下げるため、サラリーマンや公務員が所属組織を辞めずに休職して立候補できるような柔軟な人事制度や、国会議員と他の仕事との兼職制限の緩和、政党による待遇面での保証が求められる。更に、低コストで多くの人が容易に活用できるインターネットによる選挙運動を解禁すべきである。これらの改革案は、民主党も含めて現職議員の存立基盤を脅かすものばかりだが、議員数が激減した自民党だからこそ提案できるのではないか。

同時に、政党として責任を持って国会議員を養成する制度を確立すべきである。例えば民主党には松下政経塾の出身者が多いが、あのような機関を政党が保有し、運営することはできないだろうか。また、地方自治体の長なども含めた政治家としての一貫したキャリア・パターンを想定し、政党としてその実現を支援しても面白いだろう。これらの結果、人材の若返りを確実に進めることが重要である。そのためにも選挙区を固定するのではなく、イギリスのように有能な人材には有利な選挙区を割り当てるといった競争を、現職議員も含めて起こすことが不可欠である。衆議院議員が以前の3分の1となった自民党では、元首相経験者など高齢の重鎮の割合が高くなった。これら経験豊かな議員の存在意義を否定するものではないが、二大政党の新たな時代を切り開くには、寧ろ阻害要因となってしまうことが懸念される。

第二に、政策である。自民党は包括政党であったため、相矛盾する多様な政策を網羅的に受け入れ、政調部会や族議員という仕組みで対応してきた。それは、分野別の政官財の鉄の三角形による縦割りの弊害を生み出した結果、1990年代以降の構造的な環境変化に対応できなくなった。このことへの反省から、まず自民党は改めて国の形と呼べるような基本政策を確立すべきである。大きな政府なのか小さな政府なのか、個人への給付なのか生産者の振興なのか、中央と地方の関係はどうするのか、アメリカやアジアとの関係はどうするのか、今回の選挙戦を通して政策の対立軸は明確になりつつある。それらを整理した上で、政党として体系的な基本政策を共有し、国民に対して大きな国家像を提示するのである。民主党の今回のマニフェストも、環境保護を重視する一方で高速道路無料化を訴えるなど、必ずしも全体を貫く大きな意志があったとは思われない。この点を自民党が先取りして明確化すれば、国民にとって分かりやすい選択肢になるだろう。その過程では、既存の支持団体との関係の整理も必要になるだろう。

と同時に自民党は、その前提条件としても、細かな政策を立案できるだけの知識と能力を身につけ直す必要があろう。長期一党支配の時代には、専属のシンクタンクである霞ヶ関の省庁が、様々な政策アイデアを持ち込み、法案を立案してくれたから、自民党は自ら政策に精通する必要はなく、足して2で割るような最後の判断だけで十分だった。一方、10年以上の間、野党だった民主党は、殆ど実を結ばなかったかもしれないが、自らの力で様々な対案となる法案を立案し、与党自民党に対して政策論争を挑んできた。同じことが今の自民党の国会議員にできるだろうか?既存の国会議員だけでなく、優秀な政策人材を党の中に抱え、あるいは外部のシンクタンクなどと連携し、与党が展開する個別の政策に対して、一方的な反対ではなく正面から議論を挑むことが望まれる。

もし自民党にこれらが実行できず、政権交代可能な野党として再生できない場合には、政界再編が不可避となる。それは自民党が分裂するところから始まるかもしれないし、他の野党によって新党が結成されるところから始まるかもしれない。あるいは、大きすぎる民主党が分裂する可能性もないわけではない。元々民主党は、政策的には右から左まで多様な勢力を抱えており、自民党と逆の意味で、政権党になるという一点で組織を維持してきた側面があることは否めない。これらの要素が絡み合って政界再編が起こり、新たな二大政党に収斂していくことで、政権交代が安定的に起こり得る政治状況が醸成されるのである。今後数年の間にそのような再編が発生し、また選挙結果が大きく変化したとしても、国民はそれを冷静に受け止め、新たな与党と野党の動きをチェックしていけば良い。今回の総選挙で分かった最大の事実は、政権を選択するのは有権者だということなのである。

注釈

(*1) 例えば、『朝日新聞』(2009年9月2日)の世論調査によれば、民主党の大勝の理由として、「自民党からの政権交代を望んだから」が81%の回答を集め、「民主党が掲げた政策を支持した」からは38%しかいない。

(*2) 例えば、『河北新報』(2009年8月23日)
東北の自民党候補者24人のうち、「7人が中選挙区制復活を求めた」。その理由は、「政策ではなくパフォーマンス中心の選挙になっている」からだと言う。

(*3) その際、存在感が弱まる小政党が反対したため、比例代表並立制という妥協を行った。

(*4) イギリスのような小選挙区制を前提とした議院内閣制(ウェストミンスターモデル)以外に、比例代表制を前提とした議院内閣制(欧州大陸型モデル)も存在する。後者は、宗教や言語といった社会的亀裂が大きい国家において、異なる立場の有権者集団を代表する政党の間での合意形成を重視する。比例代表制のために小政党に有利であり、多数の政党が乱立しがちであるため、連立政権が基本となる。

(*5) これに符合するかのように、橋本龍太郎氏は野党時代の1993年に、政権構想である『VISION OF JAPAN-わが胸中に政策ありて』を出版し、3年後に首相の座に就いた。

(*6) 『野中広務 権力の興亡』

(*7) 『朝日新聞』(2009年9月2日)の世論調査によれば、「自民党に、民主党に対抗する政党として立ち直ってほしい」と回答した人が、76%に上っている。

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高橋 洋(たかはし ひろし)
【略歴】1993年 東京大学法学部卒、ソニー(株)入社、1999年 タフツ大学フレッチャー大学院修了、2000年 内閣官房IT担当室主幹、2007年 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、東京大学先端科学技術研究センター特任助教、2009年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、成城大学非常勤講師、(株)富士通総研経済研究所主任研究員
【著書】『イノベーションと政治学 情報通信革命〈日本の遅れ〉の政治過程』勁草書房 2009年