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米国における医療の質評価に学ぶ

2007年8月30日(木曜日)

高まる医療に対する不信感と医療の質への関心

これまで、日本の医療システムは非常にうまく機能していると考えられてきた。日本は世界一の長寿国であるし、衛生水準も非常に高い。医療費の対GDP比も先進国で一番低い。それは、世界的に見ても平均的な医療の水準が高いことが土台となっている。

しかしながら、今日、日本人の医療に対する不満や不信感がかつてなく高まってきている。メディアでは医療に関する様々な不祥事が連日報じられている。また、最高裁での医療関係訴訟の新受件数は、1997年の597件から2004年には1110件にも増えている。メディアによる過剰報道の面もあるが、医療の質への国民の関心が高まっているのは間違いない。

医療に対する不信感が高まっているもう一つの事情は、医療費の高騰である。2005年度の国民医療費は、国の一般会計予算が約60兆円なのに対し、31兆円にもなっている。仮に現在の疾病発症率が続くとすると、2015年には40兆円、2025年には56兆円に膨らむと厚生労働省は試算している。医療費の高騰は、医療技術の進歩による面も大きいが、急速な高齢化の進展がその主たる原因で、現在でも高齢化の進展に伴い70歳以上の高齢者の医療費は総医療費の30%近くを占めている。医療保険の自己負担率が2割から3割に引き上げられたが、このままの制度では、自己負担率6割が適当という意見すら聞かれる。

そんな中、掛かっている医療費は適切なのかという疑問が出てくる。医療費と医療の質の問題である。例えば、非常に多くの種類の薬が処方されるが、一般人である患者にとってそれが本当に必要なのかよく分からない。余計な薬の服薬は無駄なだけでなく、かえって健康を害することにもなりかねない。本当に必要な治療は何で、それがどのように適切に施されているのかを知りたいという欲求が高まってきているのである。

感覚的な評判ではなく、客観的な医療の質の評価を

医療に関する評価としては、メディアが「よい病院ランキング」のような記事を取り上げ、非常に人気を博している。その多くは、患者や医師、病院にアンケートを行い、「よい」と思うものの度合いをランキングしたものだ。

しかし、本当に必要なのは、感覚的な評判情報よりも、客観的に医療の質を評価したデータだ。待ち時間が短かったり、医師の対応が親切であったりすることも確かに大切だが、正しい選択のためには、適切な治療を適切に施してくれるのかを客観的に評価できるものが基本と考えるからである。

米国における医療システムの問題と医療の質評価の必要

米国の医療には光と影がある。新薬や先端医療の技術、医療機器が次々に開発され、医師の生涯教育システムが整備されているため専門医が着実に育っている。チーム医療が発達し、癌治療など高度な治療技術が進んでいる。一方で、4000万人もの無保険者が存在し、医師の満足度、患者の満足度が低いことが問題となっている。医療機関へのアクセスの改善、人種や収入による診療格差の解消が大きな課題となっている。

こうした問題は、米国には高齢者/低所得者を対象としたメディケア/メディケイドを除いて公的保険がなく、医療保険が民間保険会社により提供されていることに起因している。

保険医療の6分の5はマネージドケアの管理下にある。マネージドケアとは、非医師が、医療を経営的観点から管理し、医療コストを低減しようとするものである。そのため、患者は自由に医師や医療機関を選ぶことができず、全ての疾病に際して最初にプライマリ医と呼ばれる家庭医を受診しなければ保険料が支払われないなど、医療への自由なアクセスが制限されている。マネージドケア組織は、プライマリ医をゲートキーパーとして使い、専門医への紹介、検査、入院などの高額な費用が掛かる医療の利用を制限することで、経営状態を向上させているため、医療費をよく節約できたゲートキーパーに対してボーナスを支給したりもしている。そこで、専門医への紹介や検査、入院を否定したり引き延ばしたりすることにより、給与を上げようとするプライマリ医も出てくる。それでは、本来患者の苦しみを和らげるために医師になったはずが、むしろ患者を苦しめることにもなりかねない。

また、医療の報酬が、保険加入者一人あたりいくら、あるいは特定の疾病に対して固定額いくらという形の包括払いで支払われるため、診療コストを抑え、一人当たりの診療時間・入院期間をできるだけ短く、大量の患者を診ることにより、収入を確保しようとする傾向がある。

さらに、マネージドケアでは、医師ではなく、経営者や会計士、委員会が医療行為の採否を最終的に判断する。医師が、ある治療が必要であると判断しても、経営的観点から否定されてしまうこともあると言われる。

つまり、米国では、裕福な者はより手厚いプランに加入したり、保険外診療による高度な医療を受けることができる一方で、無保険者が大量におり、一般的な医療の質や患者満足度は低く、医療サービスの格差が大きいという状態が発生している。また、マネージドケアの下、医療をビジネスとして捉える傾向が行き過ぎ、経済性とは別の尺度での価値観を見直すことが求められているのである。

言い換えると、提供されている医療が患者にとって本当に安心できるものなのか、経営的観点からだけでなく、医学的に必要な治療を適切に提供しているのかを、医師として合理的に説明し、また、患者もそれを知り得る医療の質の評価が重要となっているのである。

また、こうした医療の質の評価は、患者や医師が求めているだけでなく、民間保険会社など保険者側や政府からも求められている。質の高い医療サービスには高い保険料を設定することができるが、提供するサービスの質を測定できなければそのような合理的な商品ライン設計は成立しない。また、多くの従業員を抱え、従業員のために医療保険を購入する立場にある大企業も、保険購買者として、医療の質のデータ開示を医療界に求めている。政府としても、国の医療の質を一定レベル以上に保つような施策を展開することが期待されている。

米国における医療の質評価の動向

こうしたことを背景に、米国では、医療の質を計測し、評価し、改善することに多大な努力が払われてきている。それも単に、患者の評判など主観的な評価情報を収集、ランキングするだけではなく、客観的に医療の質を測定し、もって診療の質の改善を図り、一定の質を保証できるようにし、患者が安心して受診できるようにするという努力が蓄積されてきているのだ。

こうした動きの一つに、地域病院団体や評価機関による医療機関内部の改善活動を支援することを目的とした評価事業がある。例えば、地域病院団体であるメリーランド病院協会は、1985年から「QIP(臨床指標プロジェクト)」を開始し、会員医療機関から質データの収集、評価を行っている。メリーランド病院協会の評価事業への参加医療機関は、全米、海外からも含め、2000施設以上となっている。評価結果の一般公開は行わず、結果の開示は参加医療機関に限定している。

また、認定機関による臨床指標を用いた病院機能評価事業もある。例えばJC(ジョイントコミッション)である。JCは、AMA(米国医師会)などが1950年代に設立した非営利法人である。メディケア、メディケイド法によってメディケア、メディケイドの医療機関認定機関に位置付けられ、認定対象の施設が一定のストラクチャー基準(院内感染管理のための体制が確立しているか、看護基準が確立されているか、必要な医師が確保されているかなど、質の高い医療サービスを提供できる環境が整備されているかを測る基準)を満たすかどうかを審査・認定してきたが、医療の質の評価の必要性から、ストラクチャー基準だけでなく、臨床指標に基づいた評価を行うものとして、1980年代後半よりIMSプロジェクト(臨床指標評価の試行事業)、ORYXプロジェクト(臨床指標を病院機能評価に利用する事業)を展開している。

その結果は、評価を受けた医療機関において医療の質改善のために使われると同時に、クオリティチェック・サービスとしてパブリック・レポーティング、つまり一般公開され、患者や保険者が医療機関を選択するための参考に閲覧できるようになっている。

さらに、ブッシュ政権下、政府による医療の質向上政策「HQI(ヘルスケア・クオリティ・イニシアティブ)」が推進されている。その政策の下、臨床指標による評価の重要性に鑑み、評価指標の妥当性向上、利用者にとっての分かりやすさ向上を推進するとともに、医療機関側の負担軽減のために、CMS(連邦公的保険者機関)が、JCと連携して、統一的な臨床指標に基づいた評価ができるようにするハーモナイゼーションに取り組んでいる。

このような臨床指標の開発、実証を受け、最近では、Pay for Performance(パフォーマンスに基づいた支払い)が始まろうとしている。2004年から2006年にかけて、CMSでは、臨床指標の水準と改善度合いによってメディケアの給付を増減させるという「プレミア・プロジェクト」を試行している。最初は成績が上位の医療機関へ上乗せ給付をし、その後、一定成績以下の医療機関への減額給付を行うというプログラムである。結果として、特に成績の中下位の医療機関における著しい改善効果が認められたと報告されている。

加えて、質を、プロセスではなく、成果で測定しようとするアウトカム指標による評価も重要との認識から、2005年の連邦法改正で、2007年6月から退院30日後死亡率などのアウトカムデータの提出が義務化される予定にある。また、議会の承認が必要になるが、2009年を目処に、アウトカム指標を含むPay for Performanceの導入に踏み切る計画となっている。

日本における医療の質評価の動向と課題

日本においても医療の質評価のプロジェクトは実施されている。財団法人日本医療機能評価機構による評価と、臨床アウトカム事業である。

財団法人日本医療機能評価機構は、厚生労働省、日本医師会、日本病院協会等の出資により、医療の質評価のための初めての第三者評価機関として1995年に設立され、2007年7月現在、我が国の全病院9,014のうち2,370の病院が評価を受けている。評価指標は、米国JCの認定基準をベースにしており、基本的にストラクチャー評価である。病院向けには詳細な評価結果レポートを提供し、病院は自院の改善にこれを用いている。また評価結果の一部については公開されている。

臨床アウトカム事業は、2002年に東京都病院協会により開始されたもので、現在は全日本病院協会に事業の運営が引き継がれている。特徴はアウトカム指標の評価をしている点にある。60の病院が参加し、25の疾患(急性心筋梗塞、胃癌、脳卒中等)に関する死亡率、平均在院日数、予定しない再入院率等の臨床アウトカム指標のデータを収集、分析している。データは病院を特定しない統計データとして扱われ、集計結果が公表されている。

臨床アウトカム事業は、アウトカム指標を扱っているという点では米国に比べても先進的な取り組みと言えるが、個々の病院の評価ではなく、統計データのみの扱いとなっている点が異なる。これは、評価指標に関してリスク調整がされていないために、個々の病院の提供する医療の質を客観的に比較できる指標とはなっていないことに原因がある。例えば、重症患者を多く受け入れる病院では死亡率や在院日数の数値が悪くなるのは当然のことであるが、その数値が悪いからといって、軽症患者のみを扱う病院に比べて、医療の質が悪いとはいえないからである。

また、こうして、医療の質評価に関し、日本と米国とを比較してみると、日本では、エビデンスに基づいた合理的な評価指標による評価に必ずしもなっていないことがわかる。日本では、診断・治療の標準化が不十分なのに対し、米国の質評価では、治療の効果が上がる治療方法のエビデンスを研究し、それを元に科学的なクリニカルパス(医学的に検証された診断・治療の標準的手筋)を設定し、標準化して、評価指標に反映するということが行われており、その指標で診療の質を評価しているのである。

日本では、歴史的な経緯もあって、その部分がこれまであまり進んでこなかった。

日本における今後の医療の質評価への期待

米国の医療の質自体は、日本に比べて必ずしも高いとはいえない。高度な医療が発展している一方で、格差が大きいため、平均的な質という面では必ずしも高くない。しかし、マネージドケアの弊害という苦難を通して、医療の質を評価する取り組みについては、日本よりはるかに進んでいる。前述したとおり、実際に、質の評価が質の改善につながっているのである。

日本では、皆保険制度があるために、米国のように医療サービスの格差が大きいということはあまりない。一定の質の医療サービスを多くの国民が享受できている。これは優れた点だ。今後、日本の医療の質のさらなる向上、可視化による安心感の向上のために、米国の医療の質評価の取り組みに習い、指標のエビデンスの研究、指標の開発、標準化、信頼できる情報公開等を通じて、「質評価の質」の向上が必要であり、期待される。

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杉浦 淳之介(すぎうら じゅんのすけ)
S&Cコンサルティング事業部シニアコンサルタント
ヘルスケア分野、ITS分野、ソフトウェア、ITサービスのコンセプトデザイン、技術戦略、政策立案支援、標準化支援に従事。また、ISO/TC 204の委員を務め,ITS標準化のための情報技術活用についての支援を目的とした活動に取り組む。