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Japan

今、鉄鋼産業が面白い!

2007年6月29日(金曜日)

このところ鉄鋼産業が俄然面白くなってきた。鉄鋼産業は高度成長の象徴であったが、1970年代に入って二度の石油危機を経て、日本が5%成長の安定成長軌道に入ってからつい3年前までの30年近く、構造不況に喘いできた。誰もが衰退は避けられず、いずれは日本から消えてなくなる日も来るのではと考えた人は少なくないであろう。通産省の将来ビジョンでも鉄鋼産業は縮小の方向で捉えられていたし、何よりも、鉄鋼企業自体が多角化と称して鉄鋼からの脱却を真剣に考えていた。それがこのところ新聞やテレビで頻繁に話題となっている。なぜ、今鉄鋼産業が注目をあびるのであろうか。大きくいって理由は三つだ。ミッタル、環境、中国である。今回はミッタル・スチールが鉄鋼産業のみならず、世界経済に投げかけた問題を考えてみよう。

<出現した巨大企業>

ミッタルとは、インドの企業家ラクシュミ・ミッタル氏率いる鉄鋼会社のことだ。今年57歳の彼は1976年家族とともに鉄鋼事業に着手し、1989年トリニダード・トバゴの小さな鉄鋼会社を買収したのが鉄鋼産業に参入する第一歩となった。その後、メキシコ、カナダ、ドイツ、米国、フランスなどで鉄鋼企業の買収を続けたが、2000年以降そのスピードを速め、東ヨーロッパ、アフリカにも生産拠点を確保した。その手法は古い鉄鋼会社を買収しては経営改善して競争力ある企業に再生し、利益を得、それをさらに次の買収に使うというものだ。発展途上国や旧社会主義国には、技術が古く、工場の操業技術も稚拙、かつマネージメントがお粗末というような非効率な企業が少なくはない。このような場合、たとえば工場内の整理・整頓をきちんと行うことだけでも相当の生産性向上が実現できる。初期のミッタル・スチールには特別の技術や他の企業に比べて優れた商品があったわけではないようだ。ただし、鉄鋼という世界的に過剰設備があり、収益性も高くない業種をあえて選び、しかも先行き不安定な発展途上国に進出するにはそれなりのリスクテークと先見性があったのであろう。また、世界各国の工場から操業データをリアルタイムに本社に集め、問題点を見出し、指示を出し、経営責任を明確にするなど経営面での能力は優れていたとみられる。

ミッタルがわが国で知られるようになったのは世界最大の鉄鋼メーカーであるアルセロール(ルクセンブルグに本社を置くヨーロッパの鉄鋼企業)を買収した2006年6月である。この結果、それ以前は世界第五位のミッタル・スチールが粗鋼生産量で1億トンを超える巨大企業になった。この生産高は日本全体の生産高とほぼ同じで、わが国最大の鉄鋼企業である新日本製鉄の3倍である。これ以前にもミッタルは米国で鉄鋼会社を買収して、USスチール、ヌーコアと並ぶ第三の鉄鋼メーカーとなっていた。

<次の目標は日本?>

ミッタルが次に狙うのはどこか。先進国で唯一残された日本市場、ないしは韓国との見方は当然高まる。ただし日本の鉄鋼市場はすでに成熟の度合いが高く、高い成長は期待できないので、目的としては市場へのアクセスではなく、日本の高い技術力と見られている。特に自動車用鋼板の製造技術や環境技術には高い関心があるはずで、この技術を手に入れ、それをグローバルに活用できれば、更なる成長と収益の向上が見込めるからだ。他方狙われているかもしれない新日鉄、JFEそして韓国最大手のポスコ製鉄も矢継ぎ早に対策を採っているようだ。鉄鋼会社相互、あるいは主要取引先との間で株の持ち合いを進めることが対策の中心であるが、関係者の話を総合すると安定株主比率は40%以上になっているようだ。また個人株主に対しても、長期にわたり保有してもらえるよう、会社からの情報提供や株主のための工場見学、更には配当額の増大などを積極的に行うようになった。

安定株主対策だけが対抗策ではない。ミッタル以外の鉄鋼企業との連携を深めることも有力な戦略である。今まで確たる拠点のないBRICs(インド、ブラジル、中国、ロシア)の鉄鋼企業との協力関係を深め、日本企業がミッタルの傘下に入ることになれば悪影響が出る、との不安感を植えつけておくことだ。そのために新日鉄は以前から関係の深いブラジルのウジミナス製鉄を傘下におさめたほか、中国での自動車向け鋼板の合弁企業を立ち上げた。中国ではJFEも同様の動きを加速している。インドでは地元の財閥企業でミッタルと対抗しているタタ製鉄と合弁事業の交渉にはいった。

ミッタル自体とも提携、協力関係を深め、買収する必要性がなくなるよう仕向けることも重要な戦略である。すでにミッタルは米国で鉄鋼会社を買収したが、その中にはかつての新日鉄の子会社も含まれており、それを通じての協力関係は以前からあった。またアルセロールにも技術供与しており、それがミッタルにも使えるようになれば、無理をして買収する必要性は低くなる。特に自動車用薄板については日本の技術が優れており、その分野での日本企業との協力関係を犠牲にしてまでも買収に走る動機は乏しい。ミッタル側も当面日本企業に買収を仕掛けることは考えていないと言明している。ただし日本の技術をより自由に使いたいとの希望はミッタル側には強く、新たな行動を仕掛けるかわからない状態であることには変わりない。

ミッタルだけが台風の目ではない。同じインドの鉄鋼企業であるタタ製鉄もアルセロールと並ぶ名門企業のコーラスに買収をしかけた。この他にも中小鉄鋼ミルの合併は世界中で進行中だ。なぜこのような世界的な合併、集中の動きが進行しているのか。一つには国家の戦略的産業として、発展途上国や旧社会主義国を中心に、国有企業、あるいは国家の支援を受けた民間企業が需要を上回る勢いで工場建設をし、結果として過剰設備が世界規模で存在することである。ほとんどは最適規模にいたらず、不効率な工場だ。このような企業が民営化され世界市場で競争することになれば、独自では太刀打ちできず、合併や買収が不可避となる。これが東ヨーロッパで起こったことである。他方中国ではWTO加盟後も鉄鋼産業においては外資規制が維持されているため、外資によるM&Aは起こっていない。

M&Aの嵐が吹きまくってはいるものの、鉄鋼産業の集中率は他の産業と比較すると、かなり低い。上位10社の市場シェアは27%と、アルミ、銅の5割に比べるとはるかに低い。鉄鋼の原料となる鉄鉱石は3社でほぼ100%、原料炭は7割を超えるし、最大の鉄鋼需要産業である自動車でも6割を超えるであろう。旧社会主義国の鉄鋼ミルがグローバルな競争に参加し、製品の差別化も難しいことから、今後とも価格競争は激化すると見られる。ミッタルとアルセロールの合併がEUの競争政策当局からすんなりと認められたのもそのあたりの事情があったのではないか。

ミッタルがわが国に与えたインパクトは小さくない。一言で言えば、グローバル化し、世界的に金余りの現在、どんな大企業でもM&Aの脅威から逃れることはできない、ということだ。経営者は常にこれに対する備えが求められる。また、先進国だけではなく、発展途上国の企業も積極的にM&Aを成長のために利用するようになった。これからは外貨を持て余す中国も世界的M&A合戦に入ってくるであろう。経営者には眠れない夜が続くが、投資家は予想外の利益を得るかも知れない。21世紀の資本主義は20世紀とはだいぶ異なったものになりそうである。


根津 利三郎(ねづ りさぶろう)
【略歴】
1948年 東京都生まれ、1970年 東京大学経済学部卒、通産省入省、1975年 ハーバードビジネススクール卒業(MBA) 国際企業課長、鉄鋼業務課長などを経て、1995年 OECD 科学技術産業局長、2001年(株)富士通総研 経済研究所 常務理事、2004年(株)富士通総研 専務取締役
【執筆活動】
通商白書(1984年)、日本の産業政策(1983年 日経新聞)、IT戦国時代(2002年 中央公論新社) など