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ゼネラリスト待望論という問題提起

2006年2月8日(水曜日)

日々多くのお客様と接していると、思わぬ新鮮な意見を耳にする機会が多々あります。今回も予期せざるお話を聞くことができました。その中で強い印象を受けたのがゼネラリスト待望論でした。振り返ってみると、しばらくは専門性の大切さやスペシャリスト養成を課題とする議論がもっぱらでした。ゼネラリストは、むしろ日本の会社組織が後れている象徴という感すらあったようにように思います。ところが今年になって複数の人たちからゼネラリストが必要ではないかという考えをぶつけられました。

プロ指向の流れ

ゼネラリストといえば、2年から3年の周期で多くの部署を巡る人たちでしょう。公務員のキャリアと呼ばれる人たちが典型です。海外においては、企業のトップ候補者がそのような扱いをされる例もあります。これらの人たちは、本来優秀な人たちで、数年という短期間であっても十分な成果を期待され、またそれに応えてきました。ところが、いつの間にかゼネラリストとは専門性を持たない何でも屋、便利屋という理解がなされるようになりました。今ではほとんど存在しないでしょうが、会議に出るかハンコを押しているだけの管理職がそのイメージでしょうか。何でも一応はこなすが、自分一人ではなかなか難しいという人たちです。

グローバル化が進展したこともあって、わが国の強みは技術立国というコンセンサスが浸透しました。やや短絡的ですが、企業にとって大切なのは、きちっとした技術を持ったプロということが強く言われてきました。そして、スペシャリスト養成が叫ばれ、それこそあらゆる試みが行われてきたのです。その成果かどうかは分かりませんが、現状技術で世界と勝負していると言ってよいでしょう。

例えば、一昨年までの10年間にわたるデフレ不況を脱出した原動力は、民間企業の技術蓄積であるという評価がなされるようになっています。政府の公共投資による需要喚起策や経済学者の提唱した様々な金融財政施策というよりも民間企業、とりわけメーカーによる新技術開発、新商品開発が大きな力になったという見方です。そして、それを支え実現したのは技術者という名前のスペシャリストに他なりません。

ユーザーニーズの深層を理解する

それに対して、今なぜゼネラリスト待望論が出てきたのでしょうか。それには幾つかの理由があるようです。技術が高度化するに連れて専門化が進みすぎた。あるいは、研究開発がビジネスと結びつかない死の谷などもその例でしょう。筆者がIT業界に身をおくことから、IT分けてもソリューションに関して考えると、次のようなことがあるように思います。

システム開発は比較的歴史の浅いの世界です。黎明期を含めてもせいぜい50年、60年です。その昔を振り返りますと、まさに名人という形容が相応しい人が存在しました。素晴らしい職人芸を発揮しました。そして、システム開発が産業として成熟する時間が短かったためかもしれませんが、職人芸がそのまま継続された部分があります。それはそれで大切なことですが、大量生産のためにはそれを脱して、誰がやっても同じ品質が保証されるプロセスの確立が必要です。システム開発の世界では、このエンジニアリングが確立しないまま進んできた面があるように思います。この点については異論も多いでしょうが、これは本論のテーマではありませんので止めます。

そうした状況にも関わらず、ITベンダーに対するニーズは変化しています。どんどん高度になっています。少し前を振り返れば、お客様が定めた要求を忠実に実現することが最大の貢献でした。ところが、今要求されていることは正確なシステムを開発するに止まらず、お客様の中に存在する考え方や価値観を理解して、それをシステムに反映させることです。その点において、従来の技術者に対して十分な満足を感じられないのだと思います。これは実は大変なことで、自らが所属する会社の価値観は何だと問われて直ぐに適確に答えることはなかなか難しい。それにも関わらず、ユーザーのそれを理解することが求められているのです。

スペシャリストを超えたスペシャリスト

具体例を挙げましょう。筆者の専門は金融です。金融で最も大切な事柄の一つに金融リスクというものがあります。概念として金融リスクを理解することはさほど難しいことでありません。ところが、実務に供するためにリスクを数字で捉えるという事になると、金融工学、数理統計、そしてITをマスターしていなければ対応できません。まったくのプロの世界です。しかも、同時に彼等のカウンターパートは金融機関の経営の中枢を担う人たちです。彼等と円滑なコミュニケーションをする能力も求められます。こんな状況を見ていると、ゼネラリストという同じ言葉であっても、多くの人がイメージとして持っている何でも屋ではなく、スペシャリストを超えた存在であることが分かります。そんなプロが必要とされ、現実に現れているのです。

原点は変革

このような事情があらゆる産業に当てはまるものではないかもしれません。しかし、世の中に目を向けると、M&A、企業再生などにおいては、法律家、会計士、金融のプロなどが活躍しています。いずれも型どおりの専門分野を超えた活動をしています。

その他にもたくさんの例がありますが、そこには共通する底流があるように思います。それは変革です。先に挙げた金融リスクも経済の右肩上がりがストップして金融機関経営を変えなければならなくなったために出現したものです。構造的な変革を推し進めるときに型どおりのスペシャリストでは間に合わなくなっているのでしょう。

この現象には二つの可能性があります。一つは、スペシャリストのカバー範囲が変化したのかもしれません。従来のミッションでは収まりきらなくなったのではないでしょうか。もう一つは、変革というカオス状態においてはスペシャリストを超えたスペシャリストが必要なのでしょう。その典型例が経営者であり、最近では経営のプロを自他ともに認める人たちが多く出現しています。

いずれにおいても、従来のスペシャリストでは十分ではない。ということはこれからの人材養成には慎重な見極めを要することになります。新しい形のスペシャリスト教育が必要ということです。


福井 和夫(ふくい かずお)
常務取締役第一コンサルティング本部長
70年富士通に入社。95年富士通総研取締役研究開発部長に就任。98年に同総研取締役金融コンサルティング事業部長兼研究開発部長、2005年常務取締役第一コンサルティング本部長に就任、現在に至る。他に、早稲田大学ビジネス情報アカデミー講師、日本コーポレート・ガバナンス・インデクス研究会(JCGR)監事も勤める。著書に「新たな制約を超える企業システムの構想」「ネットワーク時代の銀行経営」(富士通出版)などがある。