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高度情報時代のマーケッティング

2005年8月26日(金曜日)

新マーケット創出で高収益

半月ほど前の新聞に、「自動車業界では新しいモデルを投入しても直ぐに人気が失速し、売れ行きが落ちてしまう」という記事があった。欧米と比較しても明らかな違いがあるということだ。この傾向は自動車だけではない。身の回りを見渡すと、確かに商品の寿命が短くなっている。イトーヨーカドーの鈴木会長は、欧米のスーパーマーケットがわが国で成功しない理由として、明らかに消費行動が違うという点を理由として挙げている。

これらのことは単に特殊だとか、昔とは違うということで済ますわけにはいかない。マーケッティングの理論やテクニックが現実に追いついていないということだ。この傾向は欧米においても同様であり、わが国ほどではないにしても効果的なマーケッティング手法が見当たらなくなっている。何故か。筆者は原因が高度情報社会そのものにあると考えている。以下この問題を考えていきたい。

この問題を取り上げるのは、もう一つの重要な動機がある。それはわが国企業の利益率が低いことだ。経営に焦点を絞ると、およそコンサルティングには二つの役割がある。経営の役割が、将来の自社(あらゆる組織体を含む)の姿を明確にすることと、それを実現するための道筋、方策を提示することの二つだからだ。どちらも不確定であり環境の変化によって揺れ動くものだが、それを修正しながら実行するのが真のトップマネージメントである。コンサルティングはその両方に関与する。前者においては環境を睨み、技術を予測し、新しいマーケットを創造する。後者では、現状を整理して問題点を抽出し、さらには、その解決を現場に仕向けることだ。

コンサルの視線から最近の経営を見ると、後者の現場の施策に問題意識が集中しているようだ。典型的な例がPDCAサイクルだろう。取り敢えずの利益を確保するには欠かせないことだが、どうしても合理化中心になってしまう。これだけを推し進めることは、個別企業にとっては価格競争であり、全体としては利益率の低下という現象になる。わが国の企業が欧米のそれに比べて利益率が低いことはつとに問題視されてきた。これを解決するのは合理化や改善ではなく、新しい商品やサービスを創り出すことであり、マーケットの創造ということにもっと力点が置かれなければならない。

消費者マインドを捉えられるか

トヨタの現場改善が素晴らしいのは間違いないことだが、一方で売れる車を出し続けていることも事実だ。品質が良ければ売れるほど甘い世の中ではない。消費者のニーズに合った新車を開発し、コストの安い国で生産ラインを展開し、一方では高度技術というイメージ戦略を推し進めている。マーケッティングが素晴らしいことも忘れてはならない。

現場の改善についても神戸大学の三品教授が鋭い指摘をしている。長時間にわたるフィールドワークで一番印象に残ったことは、アメリカ工場の職長の意識とのことだ。それは、「如何に部分最適になる提案を排除して全体最適を貫くか」に心を砕いているマインドだ。決して現場任せではなく、全体を視野においた仕組み作りに真髄があるそうだ。

失われた10年の当時は、将来の構図を描く人が不在だったことが大きな問題とされた。景気が浮上し消費も上向いて来つつある現在、新しいマーケットの創造にエネルギーを注ぎ込む時である。さて、ここで最初の問題提起に立ち戻るわけだが、消費者は何を欲しているか、それはどうやれば分かるのか。

一体いつから消費者の行動が見えなくなったのだろうか。それはインターネットの普及に大きく関係している。ということは1995年辺りからということになる。インターネットを主人公とする圧倒的な情報流通が起きて、誰でも、何処でも、何時でも、そしてほとんどの場合タダで情報の入手が可能な世の中になった。乱暴に言うことを許していただければ、世界中で一体何が売れていて、それが幾らであるかを瞬時に知ることができるようになってしまった。一昔前には、個人が獲得できる情報は、自分の行動範囲に限られていた。いわゆる情報の非対称性の低下ということだが、冷静に見れば、幾ら情報があっても正当な評価のできる商品やサービスは限られている。しかしそれにしても売り手である企業と買い手である個人の力関係は明らかに変化した。そして、消費行動を変化させるという大きな変化をもたらしたのである。

新しいモデルが必要

人間は本来不条理なものだ。経済学は合理的行動を前提としているが、安いから買うと決まったものではないし、好き嫌いという個人差もあれば、同じ人であっても気紛れな行動も当たり前だ。あふれるほどの情報を手にした個人は企業の誘導ではなく主体的な行動を取るようになった。一律で予測できる消費行動ではなく、千差万別で毎日のように変化することが当たり前になった。かくして、企業側は生活者に対して押し付けることは勿論、シナリオの提示すらできなくなってしまったのである。そうはいっても成功例はたくさんあるではないかという意見もある。しかし、いずれも限定された状況の中に限られており、再現性や普遍性は乏しい。つまり、理論化できていないのである。昔のように4Pが正しければ売れるという保証はなくなったのである。

実例を挙げよう。かつては携帯電話がこれほど普及するとは誰も思わなかった。コミュニケーションの道具だった頃の電話は、必要とされる場面が限られていた。しかし、それが時間の空白を埋める道具になり、知人に写真を送る道具となった途端に使う場面は急増した。分けても新しい友人関係(本当は知り合い程度かもしれないが)を構築・維持する道具として必須アイテムになってしまった。事前にこれを描いた人がいただろうか。ほとんどは使う人である個人が使い方を開発し規定していったのである。

技術の流れは「マス」から「個」へ

さて、それではマーケッティングは死んだのだろうか。新しいマーケッティングの可能性は無いのだろうか。やってみないと分からない時代になってしまったのだろうか。そうではないと思う。幾つか新しい萌芽が見られる。

IT時代の大きな流れとして、すべてをデジタルで評価することが進められた。金融工学ではあるゆるモノをお金で評価してしまった。将来の不確定部分ですら確率的に扱って数値化してしまった。ところが、この流れに取り残されたのが効用という概念である。長い間経済学で使われてきた人間にとっての効用ということが忘れ去られてきた。

ところが最近の世の中を見渡すと一物一価ではなく場面や相手によって価格が異なる取引が行われている。これは、モノやサービスという決まったパッケージだけでは価格が決まらなくなってきたという変化を暗示している。モノやサービスに付随する広義のソフトの価値が認識されつつあるが、それは個人の効用に依存する部分が大きく、人によって評価が異なるのである。それは効用そのものである。

一口で言えば、高度情報社会はより人間的な部分を取り込む方向に向かっている。マーケッティングにおいては、個人の行動が一律ではない、モノやサービスの価値もそれに連れて変化する、そんなことを織り込んだ理論化が必要なのである。まだ一部の研究者が事例を集めているフェーズだろうが、遠からず理論が生まれてくるだろう。そのための技術開発も同じく大きな課題として捉える必要がある。この投資は一見迂遠であるが、新しい企業利益を生み出すために欠かせないのである。


福井 和夫(ふくい かずお)
常務取締役第一コンサルティング本部長
70年富士通に入社。95年富士通総研取締役研究開発部長に就任。98年に同総研取締役金融コンサルティング事業部長兼研究開発部長、2005年常務取締役第一コンサルティング本部長に就任、現在に至る。他に、早稲田大学ビジネス情報アカデミー講師、日本コーポレート・ガバナンス・インデクス研究会(JCGR)監事も勤める。著書に「新たな制約を超える企業システムの構想」「ネットワーク時代の銀行経営」(富士通出版)などがある。