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Fujitsu

Japan

富士通コンサートシリーズ
テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルグ・フィル
出演アーティスト

サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団/
St. Petersburg Philharmonic Orchestra

サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団の写真

1802年に設立された「フィルハーモニー協会」を前身とし、1882年皇帝アレクサンドル3世の勅令により設立された、ロシア最古の交響楽団。クレンペラー、ワルター、ワインガルトナー、ニキシュなどの著名指揮者が客演し、ホロヴィッツやプロコフィエフがソリストとして共演。R.シュトラウス、マーラー、ブルックナーなど数々の重要作品の初演を行っている。1824年ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の世界初演を行ったのも同楽団である。
1938年以降ムラヴィンスキーが50年間に亘って音楽監督を務め、1988年テミルカーノフが音楽監督に就任し、現在に至る。サンクトペテルブルグからペトログラード、そしてレニングラードからまたサンクトペテルブルグへという都市名の変換に伴い、1991年に「レニングラード・フィル」という名称から「サンクトペテルブルグ・フィル」と改名され、現在に至っている。
テミルカーノフ指揮による録音はBMGクラシックスよりリリースされている。

ユーリ・テミルカーノフ(芸術監督・首席指揮者)/
Yuri Temirkanov (Artistic Director & Chief Conductor)

ユーリ・テミルカーノフの写真

1938年コーカサス生まれ。レニングラード音楽院指揮科でイリヤ・ムーシンに師事。1968年からサンクトペテルブルグ交響楽団の首席指揮者・音楽監督、1976年~1988年マリインスキー歌劇場の芸術監督及び首席指揮者を務める。
1992年~1998年ロイヤル・フィル首席指揮者、1998年には名誉指揮者に就任。1988年、ムラヴィンスキー逝去後、楽団員の投票によりサンクトペテルブルグ・フィルの音楽監督・首席指揮者に選出され、現在に至る。2000年~2006年ボルティモア響の首席指揮者・音楽監督。
1996年、国連50周年記念ガラ・ローマ公演を指揮。2002年、2008年にはイタリアでプレミオ・アッビアティ賞を受賞。2013年までパルマ王立劇場の音楽監督に就任。
2009年、ノーベル賞授賞式演奏会で指揮。ロシア人民芸術家、勲一等勲章、サンタ・チチリア音楽院名誉アカデミー会員、サンクトペテルブルグ音楽院名誉博士、サンクトペテルブルグ名誉市民。2015年旭日中綬章受賞。

諏訪内晶子(ヴァイオリン)/Akiko Suwanai (Violin)

諏訪内晶子の写真

1990年に史上最年少でチャイコフスキー国際コンクール優勝。翌年ニューヨークへ留学。
ボストン響、ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管、ベルリン・フィル等数々のオーケストラとの共演や音楽祭への出演など、国際的な活動を続けている。
現代作曲家作品の紹介も積極的に行い、これまでに三善晃作曲「弦の星たち」の世界初演およびアメリカ初演、クシシュトフ・ペンデレツキ作曲「ヴァイオリン協奏曲第2番・メタモルフォーゼン」の日本初演および南米初演、アウエルバッハ作曲「ヴァイオリン協奏曲第2番」の世界初演、ペーター・エトヴェシュ作曲「ヴァイオリン協奏曲《セブン》」の世界初演、マクミラン作曲「ヴァイオリン協奏曲」の日本初演などに取り組んでいる。
2012年にはエリザベート王妃国際コンクールヴァイオリン部門で審査員を務めたほか、同年から「国際音楽祭NIPPON」を企画し、芸術監督を務めている。
桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース修了。文化庁芸術家在外派遣研修生としてジュリアード音楽院本科及びコロンビア大学に学んだ後、同音楽院修士課程修了。国立ベルリン芸術大学でも学んだ。
使用楽器は、日本音楽財団より貸与された1714年製作のストラディヴァリウス「ドルフィン」。

ジョージ・リー(ピアノ)/George Li(Piano)

ジョージ・リーの写真

ジョージ・リーは華麗なヴィルトゥオーゾと年齢離れした天性の優雅さを併せ持っている。2015年のチャイコフスキー国際コンクールでシルバー・メダル(第2位)を受賞したほか、2014年、パリで行われた第16回グランプリ・アニマート国際コンクールで優勝。2012年にはギルモア・ヤング・アーティスト賞を受賞するなど、多くの賞を受賞している。
これまでにクリーブランド・オーケストラ、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ、ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団などと共演したほか、ベンジャミン・ゼンダ指揮ニューイングランド音楽院ユース・オーケストラのヨーロッパ・ツアーに参加した。
ジョージ・リーは10歳でボストンのスタインウェイ・ホールで初リサイタルを行った。ウォールナット・ヒル芸術学校で学びながら、ニューイングランド音楽院でファ・キョン・ビュンにピアノを師事、現在はハーバード大学とニューイングランド音楽院の共同プログラムで引き続きファ・キョン・ビュンに学んでいる。

解説/ひのまどか(音楽作家)

ロシアの国宝級オーケストラと指揮者で聴く“究極のショスタコーヴィチ”

サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)・フィルハーモニーとユーリ・テミルカーノフ。200年余の伝統を誇るロシア最高峰のオーケストラと、28年間これを率いて楽団員から絶大な信頼を寄せられる大巨匠。この最強のコンビが2年ぶりに来日する。それだけでも感涙ものだが、今度は何と、彼らと特別な関係にあったソビエトの天才ショスタコーヴィチの巨大な交響曲を、2曲も演奏してくれる。この意味をとくと皆さまにご説明しなくては。

先ず、作曲家と指揮者とオケに共通するのは、レニングラードで育ち学んだこと。ショスタコーヴィチは19歳の時にこのオーケストラで最初の交響曲を発表して以来、彼らと固く結びついてきた。テミルカーノフはレニングラード音楽院付属学校で学び始めた少年時代から、32歳上のショスタコーヴィチの人と音楽に心酔してきた。そしてオーケストラの大半は同音楽院の出身で、この都の音楽伝統を血の中に受け継いでいる。正に、三位一体なのだ。

ショスタコーヴィチの《第5番》は、粛清の危機にあった30歳の彼が起死回生を懸けて3ヶ月で書き上げた壮絶な作品。魂を震撼させるこの響きこそ、スターリン体制下の「時代の証言」といえよう。《第7番》は、ナチスドイツによる「レニングラード900日封鎖」の初期に、戦う市民を勇気付けようと書いた超大作。テミルカーノフは「悲劇的な時代のシンボルであるこの曲は、ロシアでは特別な式典の時にしか演奏しない」と語っていた。

その特別な公演が日本で行われる!

この2大作に挟まれたチャイコフスキーの《ヴァイオリン協奏曲》は、いわば「帝政ロシアの響き」。かつてチャイコフスキー・コンクール最年少優勝を果たした諏訪内晶子が満を持して共演する。何よりも、指揮棒を持たず僅かな動きで大オーケストラを自在に操るテミルカーノフの魔術に接して欲しい。きっとこの巨匠の虜になってしまうだろう。