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天馬空を行くがごとく生きた男

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戦後日本の急激な発展に、国産コンピュータの果たした大きな役割はいうまでもない。コンピュータの国産化を富士通にあって力強く推し進めた一人の男がいた。「コンピュータの天才」と広くうたわれた故池田敏雄である。51歳の短い生涯をコンピュータの進歩とともに歩んだ天才の軌跡を振り返ってみたい。それは同時に、日本の国産コンピュータの創世記と、興隆へと向かう物語ともなるだろう。

池田の数学ノート
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几帳面な字からその人柄が偲ばれる

若き池田敏雄は、まことに型破りな人間だった。あまりにも型破りすぎたとさえ言えるかもしれない。なにしろ、新しいアイデアが浮かび、それに思考が集中すると、何日も自宅にこもり、出社するのを忘れてしまうほどだった。半面、何日も会社に泊まり込んで研究に没頭することもあった。ベートーベンの同じ曲を演奏家別に聞き分けては楽しみ、ステレオも一級品を好み、時には借金をしてまで最高級のスピーカーを買ったりもした。

このような振る舞いは、ふつう、組織の中ては疎んじられかねない。しかし池田は、35歳で電算機課長、41歳で電算機技術部長、47歳で取締役と、矢つぎばやの出世を果たした。なぜなのだろうか。

そこには、一人の人間が抱いたコンピュータへの型破りの情熱と、それを支える周囲の人々の努力によって、組織に新しい創造力が備わっていくプロセスが浮かび上がってくるようだ。

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富士通沼津工場内にある「池田記念室」