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4. 国際標準化の波(1970~1979)

年表

技術の歴史は「標準化」の歴史でもあります。各社がそれぞれ独自の規格で製品をつくっていても、事実上の標準といえるような製品が現れると、それと互換性をもたせようという動きがわき起こってくるのです。コンピュータについてもそれは例外ではなく、富士通は重大な局面に立たされることになります。

1970年代に至るまで、各コンピュータメーカーは独自路線でマシンを作っていたため、特定のメーカーが作ったハードウェアの上では、他社製のアプリケーション・ソフトウェアは動きませんでした。

そんな中、爆発的な勢力を誇り、事実上の国際標準となりつつあったのがIBM製のマシンです。つまり、このマシンとアプリケーション・ソフトウェアを共有できる互換性のあるマシンを作れば、より多くのユーザーを獲得できる可能性がありました。しかし、このIBM製のマシンと互換性のあるマシンを作ったメーカーの大半は、逆に自社ユーザーを取られ、消えていきました。

このような状況下、富士通は決断を下します。「国際標準というステージの上で、他社を上回る最高の製品を作る」。お客様のため、そして富士通が生き残るためにはそれしかないと判断したのです。まず、コンピュータの貿易自由化が迫る中、政府の方針を受け、IBM互換のアーキテクチャ(設計思想)を共有する条件で日立製作所と提携しました。

また、IBMで「360シリーズ」の設計を担ったアムダール博士が独立し、「アムダール社」を設立した後、1971年には富士通が同社に出資し〔注:1997年には100%子会社化〕、共同でIBM互換機の開発を進めました。そして、アムダール社ブランドの商用1号機「Amdahal 470V/6」を富士通川崎工場で製造します。審査が非常に厳しいことで有名なアメリカのNASA(アメリカ国立航空宇宙局)に同機が採用されたのは、1975年のことでした。

さらにアムダール社との共同開発をベースに、富士通は、従来の富士通マシンユーザーがIBM互換機にスムーズに乗り換えられるよう配慮した「FACOM Mシリーズ」を開発し、大成功を収めました。


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