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No.141 : デフレ脱却の歴史的プロセスの再検証

主任研究員 米山 秀隆

2002年10月

要旨

過去のデフレの経緯、要因を検証することによって、現在、日本が直面しているデフレについて、どのような示唆が得られるかを検討する。以下の二つの事例をとりあげた。

一つは、19世紀後半のイギリスの事例である。19世紀後半には、イギリスは大不況と呼ばれる長期不況に陥り、その間、物価が継続的に下落した。18世紀後半にイギリスはいち早く産業革命を成し遂げ、世界の工業国として世界に君臨した。しかし、19世紀後半には、新興経済国(アメリカ、ドイツ)の台頭により競争力を失い、長期不況に陥った。これは、現在の日本が中国の台頭に伴い、競争力を失っている姿と重なり合う。

もう一つは、1920~30年代の昭和金融恐慌期の日本の事例である。第一次大戦後のバブル崩壊後に慢性的な不況に陥り、金融恐慌、昭和恐慌下で激しいデフレに見舞われた当時の状況は、現在の日本経済がバブル崩壊後に長期低迷し、ついにはデフレに陥った状況にその経緯が酷似している。その意味で、当時の状況を振り返ることは、現在の日本にとっても多くの示唆を与えると考えられる。

当時のデフレの経緯、要因を分析した結果、以下のような点が明らかとなった。

イギリスのデフレの要因は、旧産業の競争力が低下し、イノベーション能力を喪失するなかで、経済が高コスト構造に陥り、実物資産の収益率が低下したという点に求められる。すなわち、実物資産の収益率が市場利子率を下回る状況が続き、需要(投資)が停滞したことが、物価を累積的に下落させる基本的な要因となった。その後、イギリスは、競争力を回復させられないまま20世紀に入り、二度の大戦と世界恐慌を経て、1970年代にサッチャー政権が登場するまで、経済の長期衰退が続いた。

一方、日本のデフレの要因は、経済構造の転換(軽工業から重化学工業)が遅れるなか、為替レートが実質円高で推移し、経済が高コスト化したという点に求められる。当時のデフレは、高コストの是正という面を持っていた。デフレは昭和恐慌によって激化したが、最終的には、この危機を金本位制からの離脱(大幅円安)と金融財政面の拡張政策(リフレーション政策)によって乗り切った。

イギリスと日本の事例は、経済の構造転換が遅れ、高コスト化し、実物資産の収益率が低下したという点で共通している。現在の日本のデフレにおいても、こうした要素があることは否定できない。

イギリスと日本が最終的に迎えた結末の違いは、過去からの蓄積の大きさの違いとして理解することができる。当時のイギリスは債権国であったため、競争力の低下に直面しても、それが直ちに経済危機をもたらすことはなかった。つまり過去の蓄積が大きかったことが変化への対応を遅らせ、長期衰退をもたらす要因となった。これに対し、当時の日本は第一次大戦後に債権国に転じたものの、まだ蓄積が乏しかったため、エマージング型危機の要素が現われ、為替レートの大幅減価を通じて、デフレから脱却する過程が生じた。

現在の日本はどちらかといえば、イギリスの事例に近い形に陥っていると考えられる。現在の日本は債権大国であり、過去からの蓄積の存在が危機感を乏しいものとし、変化への対応を遅らせる要因となっている。また、中国など新興経済国の台頭によって実物投資が海外流出するなか、国内のイノベーションが遅れ、国内の投資収益率は低下し続けている。実物資産の収益率が市場利子率を下回っていることが、累積的な物価下落をもたらす一因となっている。

デフレを克服する方法は、実物資産の収益率の引き上げと、市場利子率の引き下げという二つの方法があるが、後者はすでに限界に達している。経済の構造転換を通じて、実物資産の収益率を引き上げることが、デフレを克服する正攻法と考えられる。このためには、イノベーションが円滑に行われるよう、政策的に誘導する必要がある。これに失敗すれば、かつてのイギリスと同じように長期衰退の道を歩む可能性がある。

全文はPDFファイルをご参照ください。

デフレ脱却の歴史的プロセスの再検証 [407 KB]