GTM-MML4VXJ
Skip to main content

English

Japan

  1. ホーム >
  2. コラム >
  3. オピニオン >
  4. >
  5. デジタル革新とマクロ経済(1)

デジタル革新とマクロ経済(1)
―経済厚生、GDP、長期停滞―

2018年7月4日(水曜日)

(はじめに)

現在、産業界で最も熱い注目を集めているテーマは、デジタル・イノベーション(以下、デジタル革新)の動向だと言っておそらく間違いないだろう。実際、新聞や経済誌を見れば毎日のようにビッグデータ、人工知能(AI)、フィンテックといった話題が取り上げられているし、あらゆる場所でデジタル革新がもたらすビジネスチャンスが熱心に語られている(注1) 。また、私たちの生活自体がデジタル革新によって大きく変わりつつあることも日々実感するところだ。朝夕の通勤列車の中では、大多数の人がスマホ画面に見入っているし、今や高級レストランでも料理を写真に撮ることは無作法とは思われなくなりつつある(小学生男子を対象としたアンケート調査で、彼らがなりたい職業の上位に、サッカー選手や野球選手と並んでゲーム製作者やユーチューバーが登場したことに驚いた読者は少なくないのではないか)。その一方で、AIやロボットによって人々の働く場が奪われるのではないかといった不安が高まっていることも周知の通りである(注2) 。

こうした産業界などでの関心の高まりと比べると、デジタル革新とその影響についてマクロ経済の文脈で語られることは少ない。確かに、雇用の改善の割に賃金が上がらないのは世界的な現象であり、その背景としてはグローバル化に伴う新興国からの輸入増よりも機械化の影響が大きいというのは、経済学界における多数派の見解である(注3) 。ただし、ここで「機械化」とされているのは、AIを備えたロボットの誕生といった最新技術ではなく、より伝統的なコンピュータや産業用ロボットの利用のことだ(だから、機械化によって失われるのは定型的な仕事が中心となる)。

金融政策との関連では、一時「仮想通貨が法定通貨に置き換わる」などといった議論が行われたこともあったが、ビットコインなどの価格変動のあまりの激しさから、仮想通貨は価値尺度、交換手段、価値保蔵手段といった通貨の要件を満たさないという認識が拡がり、全般に関心は薄れている(日銀の黒田総裁は国会答弁で「仮想通貨は仮想資産という言い方に変えるべき」と述べたとされる)(注4) 。

これに対し、筆者自身はデジタル革新がマクロ経済にも無視できない影響を与え始めていると考えている。そこで本稿では、まずデジタル革新が進行する下での潜在成長率低下という生産性パラドックスの議論からスタートして、「GDPは経済厚生を正しく捉えているか」という問題提起を行う。現行のGDP統計は(経済厚生で測った)経済成長率をかなり過少評価しているというのが筆者の理解である。その上で、この問題の根底には情報財をマネタイズすることの困難があり、それが低金利、賃金伸び悩みなどを通じて、長期停滞といった誤解につながったと論じる。なお、この考察は「物価安定とは何か」というもう一つの難問につながって行くであろう(注5) 。

1. 生産性パラドックス2.0

筆者にとって問題の出発点は、日本だけでなく多くの先進国において潜在成長率が低下していると考えられている点にある。しかも、この傾向はリーマン・ショック以前から始まっているため、長期不況に伴う履歴効果(hysteresis)だけで説明できるものではない。一方、冒頭に述べたように現在はビッグデータやAIといったデジタル革新が急激に進みつつある。だとすると、こうしたデジタル革新は生産性の向上に全く寄与していないのだろうか?

実を言うと、こうした疑問が提起されるのは今回が初めてではない。1987年、今考えればICT革命の初期に経済成長理論の創始者であり、ノーベル経済学賞の受賞者でもあるMITのロバート・ソロー教授が「我々はコンピュータ時代の到来を生産性統計以外のあらゆる所で眼にする」と述べて、なぜコンピュータ化が生産性向上に寄与していないのかと疑問を呈したことがあり、これが生産性パラドックスと呼ばれた。そういう意味で、今回の問題は「生産性パラドックス2.0」と呼ぶことができよう。

では、この30年前の生産性パラドックスはどのように解決したのか。答えを言えば、とくに米国において1990年代に急激な生産性の上昇が見られたため、結局これはタイム・ラグの問題に過ぎなかったと考えられている。かつての蒸気機関や電力の利用もそうだったが、ICTのようなgeneral purpose technologyが生産性向上につながるには、生産組織や企業階層の組み換えといった経営面での対応が必要となるため、相応の時間が掛かるというのが現在の標準的な理解である(注6) 。問題は、今回の生産性パラドックス2.0も同じように考えればいいかどうか、である。

(2つの対立する見方)

この点に関して、現在の経済学界には2つの対立する見解がある。その一つは、実際に生産性上昇率が鈍化していると考えるもので、その代表者はマクロ実証分析の大家であるノースウェスタン大学のゴードン教授である。教授は、18世紀後半からの蒸気機関を代表とする第1次産業革命よりも、19世紀末から20世紀初頭に起こった電気、内燃機関、上下水道などを代表とする第2次産業革命の方が重要だとする。この影響によって1960年代までの世界的な高成長が実現した一方、第2次産業革命の成果が使い尽くされた結果として、70年代以降は成長率が鈍化しているというのが彼の説明である。とくに同教授は、ICT革命の影響について90年代には生産性上昇に寄与したが、それはあくまで一時的なものに止まったとしている(恐らく、最近のデジタル革新についても同じように考えているのだろう)(注7) 。

これに対し、『ザ・セカンド・マシン・エイジ』(注8) の著者であるMITのブリニョルフソン教授らは、デジタル革新の効果を素直に高く評価する。そして現在は、まさにデジタル技術の進歩が一段とスピードを加速する「変曲点」を越えようとする時期を迎えており、今後人類の暮らしは急激に豊かさを増して行くだろうと主張する。彼らの見方では、経済統計において成長率が高まっていないのは、(1)前述のように技術進歩が生産性を高めるには時間が掛かることに加え、(2)そもそもGDP統計自体がデジタル革新を適切に反映できていない結果だという話になる。

2. 経済厚生vs GDP

こうした2つの見方のどちらが正しいのか、筆者は暫く迷っていたのだが(これには、後述の「長期停滞論」をどう捉えるかという問題も絡んでいた)、最近ではブリニョルフソン達の見方が正しいのではないかと考えるようになった。と言うのも、もともとGDPは会計的な概念であり、客観的に計測できるほか、三面等価などの優れた性質を持っているが、人々の満足度=効用を直接測るものではない。しかし経済学的には、経済成長はあくまで効用=経済厚生を基に測られるべきだと考えられるからである。本節では、この点について少し詳しく説明しよう。

このために、ミクロ価格理論の入門で用いられる需給均衡のグラフを考えてみる(図表1)。そうすると、GDPは実際に支払われた金銭的対価を計算するものだから、中間投入を無視するなら均衡点の下側にある緑色の四角形の面積に等しい。これに対し、この財を消費することで消費者が得る効用は、実際に対価を支払った緑色の四角形に、消費者が価格以上の効用を得た消費者余剰に当たる黄色の三角形の面積を加えて考えなくてはならない(注9) 。さらに、供給曲線の下側の部分は労働の負の効用などに対応すると考えるなら、経済厚生を把握する上ではGDPの四角形より消費者余剰の三角形の方が重要だということになる。そういう意味で、GDPはもともと経済厚生を測るものではないのだが、主観的な効用を計測することは殆ど不可能だという実務的な制約に加え、恐らく多くの財について「GDPの四角形と消費者余剰の三角形の面積は概ね比例する」と「仮定」することで、GDPによって経済厚生を近似できると考えてきたのだと思われる。

【図表1】伝統的な財・サービスの需給均衡
【図表1】伝統的な財・サービスの需給均衡
出所)フィナンシャル・ポインター「早川英男氏:経済厚生を把握せよ」(2018年4月)

もちろん、この「仮定」は厳密には成り立たない。ミクロ経済学で価格決定における限界効用の重要性を説明するのに使われる「水とダイヤモンド」の例を考えれば、水については対価が支払われるGDP部分よりも消費者余剰の方が圧倒的に大きい(私たちがペットボトルの水におカネを払うようになったのは、比較的最近の話である)一方、ダイヤモンドではそうではないだろう。しかし、これまでは多くの財・サービスを平均的に見れば、大体この仮定が成立していたと考えて無理はなかったのではないか。問題は、近年になってデジタル・サービスが急速に普及し始めたことにある。しかし、情報財に関しては、コピーの限界費用がほぼゼロだから、供給曲線の傾きは著しくフラットになり、均衡価格がゼロに近づく。その結果、消費者余剰の方がGDPよりずっと大きくなってしまうのだ(図表2)。

【図表2】デジタル・サービスの需給均衡
【図表2】デジタル・サービスの需給均衡
出所)フィナンシャル・ポインター「早川英男氏:経済厚生を把握せよ」(2018年4月)

(bitがatomを駆逐する)

つまり、伝統的な財・サービスについては「GDPの四角形と消費者余剰の三角形の面積は概ね比例する」という仮定が平均的には成立していたため、GDPで経済厚生を近似できた。しかし、近年に至ってほぼ価格ゼロのデジタル・サービスが急拡大した結果、消費者余剰の大きさがGDPを大きく上回る財・サービスのウェイトが高まって、GDPと経済厚生の乖離が拡大した可能性があるということである。このように、生産性パラドックス2.0の背景にデジタル・サービスの普及に伴うGDPの過少推計の問題があるとするならば、1980年代の生産性パラドックスとは異なり、時間が経てば問題が解決するとは言えないことになる。

しかも、問題はそれだけに止まらない。無償ないし殆ど価格ゼロのデジタル・サービス(bit)が既存の財・サービス(atom)を駆逐してしまう可能性があるからだ。その最も分かり易い例はWikipediaを考えてみることだろう。筆者自身も少年時代には大部の百科事典を買い揃えてもらい、それなりの頻度で使った記憶があるが、最近は何かを調べる際もWikipediaで済ましてしまう場合が多い。何と言っても、タダだし便利だし場所も取らないからだ(おまけに、今では信頼度もかなり高くなっている)。その結果、紙ベースの百科事典の売上げは大きく落ちているに違いない。そうすると、Wikipediaを使っても無償だからGDPにカウントされない一方、百科事典の売上げが落ちることでGDPは減少してしまう。すなわち、人々の便利さ(=経済厚生)は高まったのに、GDPは減少することがあり得るのだ。

同様のことは、百科事典とWikipediaだけでなく、幅広い分野で観察される。例えば、音楽・画像の配信サービスが普及した結果、CDやDVDの売上げが大きく減少していることは周知の通りである。また、インターネット・ニュースの普及により、新聞や雑誌の売上げが落ちているほか、広告についても新聞やテレビからインターネット広告へのシフトが目立っている。さらに、ごく最近のデジタル革新の結果ではないにしても、写真のデジタル化に乗り遅れて、かつての超優良企業コダックが倒産に追い込まれたことは、時代の移り変わりの速さを実感させるものだった。このように、無償サービスがカウントされないことと、bitがatomを駆逐することで既存の財・サービスの売上げが減少していることの双方を考慮すれば、デジタル革新に伴うGDPの過少推計バイアスが小さいとは決して言えない筈である(注10) 。

(シェアリングと無償サービスの違い)

なお、ここで同じデジタル革新でも、GDP統計に及ぼす影響の性質がシェアリング・エコノミーと無償サービスで大きく異なる点についても触れておきたい。まず、シェアリングについて考えると、UberにしてもAirbnbにしても、上記のような既存のタクシーや旅館・ホテルへの負の影響はあるとしても、代金自体は実際に支払われている。だから、問題は取引の実態が十分に把握されず、したがってGDP統計にも適切に反映されていないという点にある(実際、民泊新法=住宅宿泊事業法成立以前の民泊の実態は極めて不透明だったから、統計に十分反映されていたとは思えない)。つまり、問題はあくまで統計技術上のものであって、例えばプラットフォーマーから適切な情報の報告を求め、これを統計に反映して行くことが求められるが、GDPの概念そのものに問題は生じない。

一方、無償サービスの場合は、金銭の支払い自体が行われないのだから、そもそもGDPに計上することが不可能である。仮に僅かな対価が支払われることがあっても(Wikipediaで言えば、サイト内で「寄付」が呼び掛けられている)、これがサービスの対価となっているとは考え難い。したがって、GDPの枠組みを所与のものとすれば、無償サービスの存在は単純に無視すればよいのだが、GDPが経済厚生の近似値であるためには、GDPの概念そのものを見直す必要が出て来るのである(注11) 。

注釈

(注1) : デジタル革新の動向についてはあまりにも多くの書物が出版されているが、1冊で全貌を捉えるには、アンドリュー・マカフィー、エリック・ブリニョルフソン『プラットフォームの経済学』(2018年、日経BP社)が役立つ。原題はMachine, Platform, Crowdであり、プラットフォーム・ビジネスのみを扱ったものではない。

(注2) : AIやロボットによって既存の職種の3分の1から2分の1が奪われるとの試算を示して衝撃を与えたのはC. Frey and M. Osborne,“The Future of Employment : How susceptible are jobs to computerization?”, Oxford Martin School Working Paper, 2013であった。その後、2015年には野村総合研究所がオズボーン教授らと、日本でも49%の労働人口がAIやロボットによって代替可能になるとの推計を公表している。

(注3) : この点に関する代表的な文献として、D. Autor and D. Dorn, “ The growth of low-skill Jobs and the polarization of the US labor market”, American Economic Review 2013、D. Autor, “ Why are there still so many jobs? : The history and future of workplace automation”, Journal of Economic Perspectives 2015を挙げておこう。

(注4) : もっとも、脱税や不法取引を防止するために中央銀行自らデジタル通貨を発行し、現金(とくに高額紙幣)を廃止すべきとの議論は依然残っている。この場合、現金を廃止すればマイナス金利が容易になり、金融政策上のゼロ制約からも脱し得ることが一つの利点とされる。例えば、ケネス・ロゴフ『現金の呪い』(日経BP社、2017年)。
なお、仮想通貨には問題点が多いとしても、その基礎をなすブロックチェーン技術には応用の余地が大きいとの見方が有力である。例えば、中島真志『アフター・ビットコイン』(新潮社、2017年)を参照。

(注5) : なお本稿は、幾つかの機会に渡辺努東大教授と価格がほぼゼロのデジタル・サービスの拡大について議論させていただいたことを一つのきっかけとするものである。渡辺教授は未だ本格的な研究を公にされていないが、差し当たり渡辺努「価格ゼロ経済」、『公研』(2017年10月号)、および(対談)渡辺努×早川英男「経済学で『いま』をいかに捉えるか」、同(2018年4月号)を参照。
なお筆者自身は、週刊東洋経済の「経済を見る眼」欄に、「デジタル革新とGDP」(2018年4月7日号)、「デジタル革新と長期停滞論」(2018年6月2日号)の2度にわたり、本稿で述べる見解の一部を寄稿している。

(注6) : このため、ICT革命の生産性効果は、雇用の流動性が高く、企業組織を弾力的に変更できる米国で顕著であった一方、雇用関係が硬直的な日・欧での生産性効果はより小幅に止まっている(なお独では、2000年代の労働市場改革を経てICT革命の効果が花開いたと言われる)。

(注7) : R. Gordon,“Is US economic growth over?”, NBER Working Paper 2012。なお、筆者は未読であるが、ゴードン教授は自らの主張を大著The Rise and Fall of American Economic Growth, Princeton University Press 2016の中で展開している。
なお、上下水道の重要性を強調するのがゴードン教授の議論の特徴であり、「フェイスブックと携帯電話は使えるが上下水道のない生活」と「上下水道はあるが、フェイスブックも携帯電話も使えない生活」のどちらを取るかと読者に選択を迫っている。

(注8) : エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー『ザ・セカンド・マシン・エイジ』(日経BP社、2015年)。前掲『プラットフォームの経済学』がビジネス寄りであるのに対し、本書は幾分経済学寄りである。彼らのGDPに対する批判は、本書の第8章で展開されている。

(注9) : もちろん、GDPは金額である一方、消費者余剰は効用であるため、簡単に足すことはできないが、補償変分、等価変分といった考え方によって効用を金銭化することができる。この点に関しては、標準的なミクロ経済学の教科書、例えば神取道宏『ミクロ経済学の力』(日本評論社、2014年)などを参照。
さらに言えば、効用の基数/序数性の問題や効用の個人間比較の問題などもあるが、これらを問題とすれば、経済統計の作成は殆ど不可能になるだろう。

(注10) : ただし、ここで一つ指摘すべきは、ここ数年のデジタル革新はインターネット上の無償サイトのように、消費者の満足を高めるような性質のものが中心だったという点である。今後のデジタル革新、例えばAIやIoTが生産サイドに適用され、生産性を高めるようになれば、経済厚生とGDPの乖離は縮小し、生産性パラドックスも解消して行くのかも知れない。

(注11) : 今年の2月26日に、日経センター主催で総務省統計委員会担当室の肥後雅博氏とBNPパリバ証券の河野龍太郎氏をパネリストとして「経済統計は実態をどこまでカバーしているか」と題するセミナーが行われた。この時、司会者であった小峰隆夫教授が既存のGDP統計を所与として、「シェアリング・エコノミーは実態把握を進めGDP統計に反映させる必要がある一方、無償サービスは無視してもよい」という方向で議論を整理されようとしたのに対し、筆者が本稿のような立場から反論した経緯がある。
このセミナー自体は統計の整備を主題としたものであり、本稿(2)で見るような経済厚生の量的把握を四半期単位で行うことは事実上不可能なため、筆者の主張はやや過激に過ぎたかもしれない。しかし、四半期単位での計測といった次元を超えて考えるならば、デジタル革新はGDPの概念そのものの見直しを求めるものだと言えよう。

関連サービス

【調査・研究】


早川 英男(はやかわ ひでお)
経済研究所エグゼクティブ・フェロー
1954年愛知県生まれ。1977年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。1983~1985年米国プリンストン大学大学院(経済学専攻)留学(MA取得)。調査統計局長、名古屋支店長などを経て2009年日本銀行理事。日本銀行在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした後、2013年4月より現職。
研究員紹介ページ